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大分県中部地震

大分県中部地震(おおいたけんちゅうぶじしん)は、1975年4月21日の午前02時35分に大分県中部(玖珠郡大分郡付近)を震央として発生した内陸直下型地震である。大分地震とも呼ばれている[3]

大分県中部地震
大分
大分県中部地震 (日本)
地震の震央の位置を示した地図
本震
発生日 1975年昭和50年)4月21日
発生時刻 2時35分50.2秒 (JST)
震央 日本 大分県中部
北緯33度10.2分
東経131度18.9分(北緯33度10分12秒 東経131度18分54秒 / 北緯33.17000度 東経131.31500度 / 33.17000; 131.31500
震源の深さ 0 km
規模    気象庁マグニチュード Mj6.4/モーメントマグニチュード Mw6.4[1]
最大震度    震度5:大分県庄内町、九重町など(推定)
地震の種類 大陸プレート内地震
(左横ずれ)成分含む(正断層)
余震
回数 9回(有感)
36回(無感)
最大余震 4月21日03時50分・15時20分 Mj4.2
被害
死傷者数 負傷者22名
被害地域 大分県
出典:特に注記がない場合は気象庁[2]による。
プロジェクト:地球科学
プロジェクト:災害
(テンプレートを表示)

概要

九州内陸部を震源とする地震としては、1968年えびの地震1975年阿蘇地震(いずれもマグニチュード6.1)を上回り、当時としては戦後最大規模の直下型地震であった[注 1][注 2]

大分県や研究者によって一般に大分県中部地震という名称が用いられている。

各地の震度

震度3以上が観測された観測所[2]

震度 都道府県 観測所
5以上 (推定) 大分県 庄内町九重町 など
大分県 大分
熊本県 阿蘇山
3 大分県 日田
宮崎県 延岡
福岡県 福岡
愛媛県 宇和島

気象庁が発表した観測上の最大震度は4であるが、震源近くの庄内町内山や九重町寺床ではほとんどの家屋が全壊しており、震源付近では局地的に震度5以上の激しい地震であった可能性が指摘されている[4][5]

被害

(1975年(昭和50年)4月24日16時現在、大分県警調べ)

  • 負傷者 - 22名
  • 住家破損
    • 全壊 - 58戸
    • 半壊 - 93戸
    • 非住家の全半壊 - 104戸
  • 道路橋梁の損壊 - 185箇所

道路施設の被害としては、別府阿蘇有料道路(現・やまなみハイウェイ)では、道路法面や盛土の崩壊が発生し、小田池料金所では料金所のボックスが横倒しになる[3]など通行不能となった。国道210号、大分県道621号田野庄内線、大分県道30号庄内久住線でも、山崩れ、落石、盛土の崩壊が多数発生し、それぞれ数箇所で通行不能になった。国道210号では湯布院町内の幸野橋が崩落し、自衛隊により仮設橋が架けられた[6]

建造物の被害としては、山下湖湖畔にあった4階建ての九重レークサイドホテル(1965年8月完成)がホテル北東側の1階部分が完全に潰れて、3階建てのような外観を呈した。これは、東側部分にエントランスホールやロビー、売店等が集中しており、壁が少なく剛性が不足していたためと考えられた。このホテルは当時の建築基準を満たした鉄筋コンクリート構造の建物であったため、1981年の建築基準法改正では、この事例をひとつのきっかけとして、俗に「新耐震」と言われる耐震基準が策定され、剛性率の規定が盛り込まれている[7]。地震発生当時、ホテルには58名の宿泊客がいたが、客室が2-4階にあり火災が起きなかったこともあって、全員が廊下に集合してベランダから梯子で避難した[3]。崩壊した1階では警備員が仮眠していたが、午前3時の巡回のために起きたと同時に建物の下敷きになった。地震発生から約3時間半後の午前6時30分、消防団が崩壊した建物を叩き割って救助し病院に搬送された[3]が、奇跡的に打撲傷のみの軽傷であった[6]

市町村別の被害

  • 庄内町(現由布市)
    • 負傷者 - 5名
    • 建物全壊 - 31戸
    • 建物半壊 - 39戸
    • 道路破損 - 57箇所
    • 崖破損 - 40箇所
  • 九重町
    • 負傷者 - 11名
    • 建物全壊 - 41戸
    • 建物半壊 - 34戸
    • 道路破損 - 84箇所
    • 崖破損 - 98箇所
  • 湯布院町(現由布市)
    • 負傷者 - 6名
    • 建物全壊 - 0戸
    • 建物半壊 - 24戸
    • 道路破損 - 21箇所
    • 崖破損 - 36箇所
  • 直入町(現竹田市
    • 負傷者 - 0名
    • 建物全壊 - 5戸
    • 建物半壊 - 18戸
    • 道路破損 - 16箇所
    • 崖破損 - 4箇所[8]

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ なお、九州近海を震源とする直下型地震としては、2005年3月20日に発生したマグニチュード7.0の福岡県西方沖地震がある。
  2. ^ 2017年現在、戦後の九州地方で発生した直下型地震で、最も規模が大きいものは、2016年に発生した熊本地震 (2016年)の本震(M7.3)である。

出典

  1. ^ “M 6.1 - western Honshu, Japan”. アメリカ地質調査所 (2015年5月13日). 2017年6月20日閲覧。
  2. ^ a b “震度データベース検索 M6.4 1975/04/21 02:35”. 気象庁. 2017年6月20日閲覧。
  3. ^ a b c d 「証言 揺らぐ日本列島 大分地震」 『太陽]』1977年2月号(No.165) 平凡社 P.81
  4. ^ 1975年大分県中部地震について (PDF) 工業技術院地質調査所 衣笠善博、曽屋龍典
  5. ^ 活断層調査 大分県 平成15年度 別府-万年山断層帯に関する調査成果報告書 地震調査研究推進本部
  6. ^ a b 1975年4月大分県中部に発生した地震災害現地調査報告 (PDF) 国立防災科学技術センター
  7. ^ 明日を守る~防災立県めざして~ 第2部 建築物 (2)耐震診断、耐震補強を急げ! 大分県中部地震で倒壊 大分合同新聞社、2006年
  8. ^ 大分県地震被害想定調査 第3編 過去の地震被害 3.1 大分県の過去に起こった地震 (PDF)

参考文献

  • 『1975年大分県中部地震によるRC建物の被害調査報告 九重レークサイドホテルおよびその周辺建物の被害』 日本建築学会、1976年6月、(ISBN 978-4-8189-0063-9)
  • 『1975年大分県中部に発生した地震震害調査報告』 建設省建築研究所
  • 『大分県中部地震の記録 - 被害及び対策の記録』 大分県

関連項目

外部リンク

  • 1975年4月大分県中部に発生した地震災害現地調査報告 (PDF) 国立防災科学技術センター企画課資料調査室、1975年4月
  • 地震予知連絡会 会報 第14巻
    • 気象庁 地震課・地震活動検測センター「1975年4月21日の大分県中部の地震について (PDF)
    • 東京大学地震研究所 構造地質部門・地盤動力学部門・震災予防部門「大分地震の被害調査報告 (PDF)
  • 東京大学地震研究所彙報 第50号 第3冊 東京大学地震研究所
    • 茅野一郎・佐藤泰夫「通信調査および現地調査による1975年1月23日阿蘇地震と1975年4月21日大分地震の震度分布」, hdl:(2261/125978)
    • 山科健一郎・村井勇「1975年大分県中部地震・阿蘇北部地震のメカニズムについて,とくに活断層との関係」, hdl:(2261/12598)
    • 村井勇・松田時彦「1975年大分中部地震の被害調査報告 : とくに被害・地変と活断層との関係について」, hdl:(2261/12599)
    • 村井勇・金子史朗「大分県中・西部の構造地形と大分県中部地震」, hdl:(2261/126001)
    • 伯野元彦他「1975年大分県中部地震被害調査報告 : 建築・土木構造物の被害について (PDF)
  • 衣笠善博・曽屋龍典 「1975年4月大分県中部地震について (PDF) 」 地質ニュース 1975年7月号 No.251
  • 表俊一郎, 三宅昭春, 甲斐直樹、「1975年大分県中部地震震央域最大加速度」 『地震工学研究発表会講演概要』 1976年 14巻 P.77-80, doi:10.2208/proee1957.14.77
  • 富井政英、「大分地震」 『コンクリート工学』 1975年 13巻 12号 p.32-41, doi:10.3151/coj1975.13.12_32
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