堂島ホテル(どうじまホテル)は大阪府大阪市にかつて存在したホテル。本稿では、1994年に竣工した2代目を中心に、ホテルを運営・経営していた企業である堂島ホテル株式会社についても記述する。
堂島ホテル(2代目) | |
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サントリーホールディングス本社の写真。その右(地図上では北)にあるのが2代目の建物 | |
情報 | |
旧名称 | ホテルアンビエント堂島、 マークスGホテル大阪、 インターナショナル堂島ホテル |
用途 | ホテル |
設計者 | 衛藤信一建築都市設計デザイン・アトリエ |
構造設計者 | 大建企画設計 |
設備設計者 | 中央設備エンジニアリング |
施工 | フジタ |
建築主 | 日本都市企画 |
構造形式 | 鉄骨鉄筋コンクリート構造、一部鉄筋コンクリート構造及び鉄骨構造 |
敷地面積 | 1,611.88 m² |
建築面積 | 1,330.86 m² |
延床面積 | 14,670.39 m² |
階数 | 地上14階地下3階、塔屋2階 |
高さ | 68.9m(軒高56.9m) |
エレベーター数 | 8基 |
着工 | 1991年11月 |
竣工 | 1994年3月 |
開館開所 | 1994年4月26日 |
所在地 | 大阪府大阪市北区堂島浜2-1-31 |
立地
大阪を代表する繁華街である梅田や北新地に程近い、四つ橋筋沿いのサントリーホールディングス本社隣接地に位置している。初代開業時、堂島という立地を選んだ理由について、大企業が所在するビジネス志向が強い地域性から、地域に根差したセールス活動ができる点を挙げている。
初代
1984年10月、総工費30億円を投じ、地上12階地下1階建て・133の客室と7つの飲食施設を擁するホテルとしてオープンした。
堂島には米相場がかつて存在し、米は日本人の根底として存在するものという理由で、ロゴマークのモチーフは、実りの秋の象徴・稲穂。客室に装備された160チャンネルのBGMは、歌謡曲などに加え軍歌・潮騒・鳥の鳴き声・SL走行音なども用意し、BGMを聴くためだけに宿泊する客もいたという。
その後、四つ橋筋に面した用地を入手して敷地が拡張できた事に加え、関西国際空港の開港に伴い市場拡大が見込める事から、長期休業の上で改築が行われた。
2代目
1994年4月26日、改築を終えてインターナショナル堂島ホテルとして再オープンした。
敷地東側が四つ橋筋に面し、歴史的建造物が多く保存されている地域性や、豊臣秀吉が大坂に居を構えていた安土桃山時代は、イタリアではルネサンスからバロックへの移行期であった事などを踏まえ、ルネサンス様式を基本に現代感覚を取り入れた外観デザインとした。
水平及び垂直のラインと正円のアーチにより、軽快でありながら陰影のあるファサードデザインとし、柱のスパン割りとファサードの中心に生じたずれも無理には修正せず、入口からエントランスホールにかけてバロック建築の特徴を活かした空間に仕上げた。
開業時、ホールにはフランス・バカラ製のシャンデリアが吊り下げられていた[2]。さらに、内装だけでなく外観を含めた全体デザインの調和を目指して、クロスや絨毯だけでなくレストランや宴会場の皿なども含めて特注品が用いられていた。
経営の変転~終焉へ
改築工事に伴う多額の負債を抱えて、事業主の日本都市計画は1999年に破産[3]。この後、経営母体は変遷を続け、ホテル名も“マークスGホテル大阪”→“ホテルアンビエント堂島”→“堂島ホテル”と変わっていった。この間の2006年には、ロフト風の客室など[3]、“オーセンティックモダン”をテーマに改装されている。2011年には婚礼事業が別会社による運営に移行[2]、八芳園の協力で運営面の改善を進めていった。
2015年11月、ゴールドマン・サックスとウェルス・マネジメントがホテルの建物を取得[4]。ユニバーサル・スタジオ・ジャパンにおける(『ハリー・ポッター』エリア)開業やインバウンド需要の影響もあり、業績面では持ち直していたものの、度重なる所有者の変遷が建物の老朽化を進める結果となり[2]、経営が難しくなった事から2016年末で建物の賃貸借契約を終了する事を決定。同年12月27日の宴会およびレストラン営業をもって閉館した[3]。
跡地は外資系ブランドの誘致も視野に[5]宿泊型ホテルが計画され[6]、2019年にマリオット・インターナショナルと契約を結ぶ事を発表[7]。2021年6月28日“アロフト(英語版)大阪堂島”としてオープンした[8]。建物外観には旧ホテルのモチーフが継承されている。
フロア構成(2代目)
- 地下2階 - スパ
- 地下1階 - 中国料理店、ウェディングドレス・衣装レンタル
- 1階 - エントランス、メインダイニング、パティスリー
- 2階 - フロント、ウェディングサロン
- 3~6階 - 宴会場
- 7階 - 日本料理・寿司レストラン、バー
- 8~13階 - 客室
- 14階 - チャペル
開業当初のフロア構成
脚注
注釈
出典
- ^ 『新設分割による分社化に関するお知らせ』(プレスリリース)シンワオックス、2010年3月26日2017年10月29日閲覧。 。
- ^ a b c “「大人の社交場」大阪・堂島ホテル閉館のワケ”. 日経ビジネス電子版. (2018年3月23日) 2019年8月31日閲覧。
- ^ a b c “堂島ホテルが閉館、北新地の社交場32年…運営会社5回も変転、建物も老朽化”. SankeiBiz. (2016年12月27日) 2017年10月29日閲覧。
- ^ 岩沢志気 (2016年10月15日). “大阪の堂島ホテル、年内で営業終了 著名人らが愛用”. 朝日新聞デジタル 2017年10月29日閲覧。
- ^ “旧堂島ホテル建て替えへ 外資系高級ブランド誘致狙う”. 朝日新聞デジタル. (2017年8月2日)2017年10月29日閲覧。
- ^ “大阪堂島ホテル再開発事業への取り組み”. 三菱UFJリース. (2017年8月2日)2017年10月29日閲覧。
- ^ “大阪堂島ホテル再開発事業 マリオット・インターナショナルとのホテル運営業務委託契約締結に関するお知らせ”. ウェルス・マネジメント (2019年4月3日). 2019年4月30日閲覧。
- ^ “マリオット系列ホテル「アロフト大阪堂島」開業 旧堂島ホテル跡地に”. 梅田経済新聞 (2021年6月28日). 2021年8月29日閲覧。
参考文献
関連項目
- タイクーングラフィックス - 2006年の改装時にグラフィックデザインなどを手掛けた。