『四重人格』(よんじゅうじんかく、Quadrophenia)は、イギリスのロックバンド、ザ・フーの6作目にあたるスタジオ・アルバム。1973年10月にリリースされた。全英、全米共に最高位2位[2][3]。『ローリング・ストーン誌が選ぶオールタイム・ベストアルバム500』に於いて、267位にランクイン[4]。
『四重人格』 | ||||
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ザ・フー の スタジオ・アルバム | ||||
リリース | ||||
録音 | 1972年、1973年 | |||
ジャンル | ロック、ハードロック、プログレッシブ・ロック[2] | |||
時間 | ||||
レーベル | (トラック・レコード)(UK) MCAレコード(US) | |||
プロデュース | ザ・フー | |||
専門評論家によるレビュー | ||||
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チャート最高順位 | ||||
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ザ・フー アルバム 年表 | ||||
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作詞・作曲は全てギタリストのピート・タウンゼントによる。
解説
1969年発表の『トミー』以来となる、ロック・オペラ・アルバムである。2枚組の大作でありながら、イギリス、アメリカ共にチャートの2位につける大ヒットとなった。サウンド面では前作『フーズ・ネクスト』で初めて導入したシンセサイザーが多用され、前作以上に複雑で色彩豊かな音造りになっている。ザ・フーではそれまでもピート・タウンゼントが最も多くの楽曲を製作してきたが、全曲タウンゼントの曲で占められているオリジナル・アルバムは本作が唯一である。このため、1stアルバム『マイ・ジェネレーション』以来、ジョン・エントウィッスルが提供した曲やリード・ヴォーカルをとる曲がなくなっている。代わりにキース・ムーンが「ベル・ボーイ」で珍しくリード・ヴォーカルをとった。アルバムからは「(5:15(5時15分))」がイギリスで、「愛の支配」と「(リアル・ミー)」がアメリカでシングルカットされた。
物語の舞台は1960年代中期のロンドン、モッズ少年のジミーの多重人格と精神的な葛藤を軸に展開される。『トミー』や頓挫した『(ライフハウス)』とは異なり、自分達のルーツを題材にしているが、タウンゼントによればこれは自叙伝ではなく、ザ・フーの歴史がメンバーではなく観客によって作られてきた事を示しているという。また、主人公のジミーを支配する4つの人格は、それぞれザ・フーのメンバー4人の人格を割り振ったものである[5]。収録曲中4曲は、メンバー4人を反映するテーマ曲となっている。「ヘルプレス・ダンサー」はロジャー・ダルトリーの、「ベル・ボーイ」はムーンの、「ドクター・ジミー」はエントウィッスルの、そして「愛の支配」はタウンゼントのテーマである。なお、タウンゼントが1985年に上梓した小説『四重人格(原題:Horse's Neck)』は、本作とは直接の関連性はない。
本作も『トミー』同様、歌詞を追うだけでは物語の内容が把握しづらいが、本作ではタウンゼントによるライナーノーツと物語の内容を補完した44ページにわたる写真集が付属されている。だが、やはり本作でも物語の結末は明確に示されず、その解釈はリスナーに託されている。ジャケットおよび写真集の撮影は(イーサン・ラッセル)。ジャケットにはスクーターにまたがるモッズ少年と、そのスクーターのミラーにザ・フーのメンバーの顔が写されている。ジャケットと写真集で主人公のモッズ少年役を演じたのは、テリー・ケネットという当時21歳の塗装工の青年だった(アルバムのクレジットには「チャド」と記載されている)[6]。
1979年、本作を元にした映画『さらば青春の光』が公開され、モッズ・リバイバル・ブームを引き起こした。2005年にはミュージカルとして再現。さらに2015年にはロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団によるオーケストラ版『Pete Townshend's Classic Quadrophenia』をリリースするなど、『トミー』同様多様なメディアでの再現が行われている。タウンゼントは本作について「僕はザ・フーにとってこれが最後の傑作だったと思っている」と語っている[7]。
経緯
本作の製作に入る前の1972年5月、バンドは制作が中止されたコンセプト・アルバム『ライフハウス』に代わる『ロック・イズ・デッド~不死身のハードロック』の製作を開始する。だがレコーディングを進めるうちに、また『ライフハウス』製作時と同じ状況をたどりつつある事を感じ取ったタウンゼントは、途中でこの作品を破棄してしまう。『四重人格』に含まれた「イズ・イット・イン・マイ・ヘッド」や「愛の支配」は、この一連のセッションの中で製作された曲である。またアルバムタイトル曲の「不死身のハードロック」は、1974年のコンピレーションアルバム『』で日の目を見た。結局この年のザ・フーの新作は2枚のシングル(「ジョイン・トゥゲザー」と「(奴らに伝えろ!)」)のみに留まったが、この年はタウンゼントとエントウィッスルがそれぞれソロアルバムを発表、また『トミー』のオーケストラ版のリリースと、それに伴うロンドン交響楽団を従えたチャリティー・ショーが開催されるなど、様々なイベントがあった年でもあった[8]。
『四重人格』の本格的なレコーディングは1973年5月になってからスタートした[9]。リハーサルは前作『フーズ・ネクスト』を録音したミック・ジャガー所有の別荘「スターグローヴス」で行われた[10]。録音に先立ち、バンドは自分達の専用スタジオ「ランポート・スタジオ」を作った。これはバタシーにあった古い教会にレコーディング設備を入れたものであるが、本作の製作を開始した時点でこのスタジオは完成しておらず、完成までの間にバンドはロニー・レイン所有の移動式スタジオを利用した。それまでもザ・フーではタウンゼントがレコーディングでイニシアチブを執ってきたが、本作ではそれまで以上に強い支配権を持ち、レコーディングの全てを指揮したという[11]。
本作には波の音や鳥の羽音などの効果音が入れられているが、これらは全て本作のために屋外で録音した実際の音である。波の音を録音するために海までレインの移動式ユニットを運び出したり、ある時にはマイクとレコーダーを川に落としてしまうなど、困難の付きまとう製作となった。タウンゼントは当初、本作をクアドロフォニック・サウンドにするつもりだったが、レコード盤の生産が制限されてしまうためこの計画は立ち消えとなった[11]。録音は7月17日までに完了、8月から9月にかけてミキシングが行われた[12]。アメリカでは10月、イギリスでは11月にリリースされた。
本作は全英、全米の両チャートで2位を記録し、十分なヒット作と言えたが、エントウィッスルは自身のベースの音が満足いく形でミキシングされていない事に不満を持ち、ダルトリーも自身のボーカルと、サウンドが単調になってしまっている事に文句をつけた。この時期のダルトリーとタウンゼントの間には根深い対立が起こっており、この年の10月、ツアーリハーサル中についに殴り合いの喧嘩に発展、ダルトリーがタウンゼントを病院送りにする事件が起きている。この他にも、後述するように本作からの曲がコンサートでうまく再現が出来ない事による問題や、それまで蜜月だったマネージャーのキット・ランバートと未払いのギャラをめぐって対立が起きるなど、様々な問題がザ・フーに纏わりつくようになっていた。タウンゼントは、ザ・フーをこのまま続けていくべきか疑問に思うようになったという[13]。
コンサートパフォーマンス
1973年 - 1974年
本作は上記のとおりシンセサイザーや効果音をふんだんに用いた複雑な構成のもとに作られた曲が多く、4人編成でしかもキーボーディストもいないザ・フーではステージでの再現が困難だった。バンドはあらかじめステージ用にバンド以外のパートをまとめたバッキングテープを作成し、これによって『四重人格』の複雑なサウンドを再現しようと試みた。だがそのテープが会場の湿度や気温に影響されうまく再生できないと言った問題や、再生するタイミングがバンドと合わなくなるといったトラブルが頻発した[14]。本番中に音響係が再生タイミングを間違え、激怒したタウンゼントが音響係[15]をステージに引きずり出し、バッキングテープを引きちぎってステージを降りてしまうという事件も起きている[16]。観客の反応もいまひとつだったことも加わり、『四重人格』の曲はツアー開始当初は12曲がセットリストに入れられていたが、ツアーが終わる頃には3曲までに減っていた。またこのツアー中、本番前に酒に鎮静剤を混ぜて飲んだムーンがコンサート中に昏倒し、客席の中からドラムが出来る者を募り、立候補した一人をステージに上げて急場をしのぐという出来事もあった[14]。
1996年 - 1997年
1996年6月、チャールズ3世(当時皇太子)主催のイベント「プリンシズ・トラスト」において、23年ぶりに『四重人格』のコンサートが行われた。ハイドパークで行われたこのショーでは、10人以上にも及ぶ豪華バックバンドを従え、さらに映画『さらば青春の光』で主演を務めた(フィル・ダニエルズ)らがナレーションを務めた。このショーで初めて『四重人格』の全曲が演奏されたが、その後のツアーで『四重人格』の再演が本格化、翌1997年8月まで続いた。タウンゼントは1989年以降、かねてからの難聴が悪化したため、リードギターをサポートメンバー[17]に任せていたが、このツアーの中盤から自ら重要パートを再び弾くようになった[18]。
2010年代
2010年3月30日、ロイヤル・アルバート・ホール公演にて『四重人格』を再演。この日限りの公演ではパール・ジャムのエディ・ヴェダーやカサビアンの(トム・ミーガン)がゲスト出演した[19]。
2012年から2013年にかけて、「Quadrophenia and More」と銘打ったツアーで、再び『四重人格』の全曲が披露された。2014年には、2013年7月のロンドン、ウェンブリー・アリーナ公演の模様を収めた映像作品『四重人格 ライヴ&モア』がリリースされ、ビルボードのミュージックビデオ部門で1位を獲得する[20]。
リイシュー
1985年に初CD化[21]。1996年にはリミックス版がリリースされる。本作は収録時間が80分を越えるため、『トミー』と異なりCD形態になっても2枚組で発表され続けている。その後、2000年代に入ってからザ・フーの他の作品が新リマスターで未発表曲を付属して続々再発された一方で、本作はしばらくの間リマスターも行われないままだったが、2011年、1996年リミックス版の新たなリマスターと共に未発表だったデモバージョンを収録したディレクターズ・カット・エディションをリリース。さらにこれに加え、一部楽曲を5.1chにリミックスしたDVDオーディオと、「5:15(5時15分)」の7インチシングル盤を同梱したボックスセットも発売された。2012年、オリジナルミックスのCD、SACD、24bit/192kHzのハイレゾ配信を日本のみで発売。2014年、ディレクターズ・カット・エディションのハイレゾ配信を開始。リミックス版だったオリジナルアルバム・パートはオリジナルミックスに変更。同年、オリジナルミックスの(ハイレゾ版とは別の)リマスター版と、新たなリミックス版を収録したBlu-rayオーディオ版が発売された。
収録曲
オリジナル版(1973年)
※括弧内は旧邦題
- A面
- ぼくは海 - I Am the Sea
- リアル・ミー - The Real Me
- 四重人格 - Quadrophenia
- カット・マイ・ヘアー - Cut My Hair
- 少年とゴッドファーザー - The Punk and the Godfather
- B面
- ぼくは一人 - I'm One
- ダーティー・ジョブス(汚れた仕事) - The Dirty Jobs
- ヘルプレス・ダンサー - Helpless Dancer
- イズ・イット・イン・マイ・ヘッド(ぼくの頭の中に) - Is It in My Head?
- アイヴ・ハッド・イナフ(ぼくはもうたくさん) - I've Had Enough
- C面
- 5:15(5時15分) - 5:15
- 海と砂 - Sea and Sand
- ドゥローンド(溺れるぼく) - Drowned
- ベル・ボーイ - Bell Boy
- D面
- ドクター・ジミー - Doctor Jimmy
- ザ・ロック - The Rock
- 愛の支配 - Love Reign o'er Me
ディレクターズ・カット・エディション(2011年)
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参加ミュージシャン
- ロジャー・ダルトリー - リードヴォーカル
- ジョン・エントウィッスル - ベース、ブラス、バッキングヴォーカル
- キース・ムーン - ドラムス、リードヴォーカル
- ピート・タウンゼント - 他全楽器、リード&バッキングヴォーカル
ゲストミュージシャン
- (クリス・ステイトン) - ピアノ(「ダーティ・ジョブズ」、「5:15(5時15分)」、「ドゥローンド」)
脚注
- ^ a b 『エニウェイ・エニハウ・エニウェア』アンディ・ニール、マット・ケント著、佐藤幸恵、白井裕美子訳、シンコーミュージック刊、2008年、331頁。
- ^ a b c Quadrophenia - The Who : Awards : AllMusic
- ^ a b ChartArchive - The Who - Quadrophenia
- ^ 500 Greatest Albums of All Time: The Who, 'Quadrophenia' | Rolling Stone
- ^ レコード・コレクターズ増刊『ザ・フー アルティミット・ガイド』(2004年)101頁。
- ^ 『エニウェイ・エニハウ・エニウェア』アンディ・ニール、マット・ケント著、佐藤幸恵、白井裕美子訳、シンコーミュージック刊、2008年、264頁。
- ^ ピート・タウンゼント、『四重人格』はザ・フーの最後の傑作だったと語る (2011/11/13)| 洋楽 ニュース | RO69(アールオーロック) - ロッキング・オンの音楽情報サイト:2015年9月2日閲覧。
- ^ 『エニウェイ・エニハウ・エニウェア』アンディ・ニール、マット・ケント著、佐藤幸恵、白井裕美子訳、シンコーミュージック刊、2008年、240-241頁。
- ^ 『エニウェイ・エニハウ・エニウェア』アンディ・ニール、マット・ケント著、佐藤幸恵、白井裕美子訳、シンコーミュージック刊、2008年、261頁。
- ^ 『エニウェイ・エニハウ・エニウェア』アンディ・ニール、マット・ケント著、佐藤幸恵、白井裕美子訳、シンコーミュージック刊、2008年、260頁。
- ^ a b 『エニウェイ・エニハウ・エニウェア』アンディ・ニール、マット・ケント著、佐藤幸恵、白井裕美子訳、シンコーミュージック刊、2008年、253頁。
- ^ 『エニウェイ・エニハウ・エニウェア』アンディ・ニール、マット・ケント著、佐藤幸恵、白井裕美子訳、シンコーミュージック刊、2008年、262-263頁。
- ^ 『エニウェイ・エニハウ・エニウェア』アンディ・ニール、マット・ケント著、佐藤幸恵、白井裕美子訳、シンコーミュージック刊、2008年、254-255頁。
- ^ a b レコード・コレクターズ増刊『ザ・フー アルティミット・ガイド』(2004年)53頁。
- ^ 1966年から引退する2016年までの長きにわたりバンドやタウンゼントのツアーで働いた。
- ^ エニウェイ・エニハウ・エニウェア』アンディ・ニール、マット・ケント著、佐藤幸恵、白井裕美子訳、シンコーミュージック刊、2008年、266頁。
- ^ 実弟のサイモン・タウンゼント(en)。
- ^ レコード・コレクターズ増刊『ザ・フー アルティミット・ガイド』(2004年)56-57頁。
- ^ The Who: Quadrophenia at the Royal Albert Hall, review - Telegraph:2015年9月2日閲覧。
- ^ ザ・フーの映像商品『四重人格 ライブ&モア』、日本上陸 | The Who | BARKS音楽ニュース:2015年9月2日閲覧。
- ^ Who, The - Quadrophenia at Discogs:2015年9月2日閲覧。
関連項目
外部リンク
- The Who Official Website