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四条畷駅(しじょうなわてえき)は、大阪府大東市学園町にある[1]、西日本旅客鉄道(JR西日本)片町線(学研都市線)の駅である。駅番号はJR-H34。片町線の全列車が停車する主要駅の一つである。
歴史
浪速鉄道の終点として開業し、関西鉄道が買収した。(城河鉄道)の免許線を建設し、両者合わせて名古屋 - 大阪間の本線として機能させるものであったが、大阪鉄道の買収により本線が湊町駅(現在のJR難波駅)起点になったため、当駅は支線の途中駅になった。1907年の国有化後に線路名称設定で片町線となり、大阪側が1932年に電化された際には電車終点駅となった。それ以来同線の運行上の拠点となっている。長尾駅まで電化区間が延長された後も半数近くの列車は片町駅 - 当駅間の区間運転で残り、電車での運転系統は大半が片町駅発着であった。その後、片町駅の留置線の敷設に伴って京橋駅発着の運転系統が設定され、朝晩に京橋駅 - 当駅間の列車が設定されている。
年表
- 1895年(明治28年)8月22日:浪速鉄道片町駅 - 当駅間開業に伴い、同線の終着駅として設置[2]。
- 1897年(明治30年)2月9日:関西鉄道に譲渡。
- 1898年(明治31年)4月12日:関西鉄道が長尾駅まで延伸し、途中駅化。
- 1907年(明治40年)10月1日:鉄道国有法により、帝国鉄道庁の駅になる[2]。
- 1909年(明治42年)10月12日:線路名称制定により、桜ノ宮線の所属となる。
- 1913年(大正2年)11月15日:線路名称改定。桜ノ宮線が片町線に編入され、当駅もその所属となる。
- 1932年(昭和7年)12月1日:片町駅 - 当駅間の電化に伴い、電化と非電化の境界駅となる。
- 1950年(昭和25年)12月25日:当駅 - 長尾駅間が電化され、電化と非電化の境界駅が長尾駅に移行。
- 1973年(昭和48年)7月1日:貨物の取り扱いを廃止[2]。
- 1978年(昭和53年)4月10日:駅舎・構内の改築工事が完成(ホームを2面3線から4線に拡張し、駅舎を橋上化)[3]。
- 1979年(昭和54年)10月1日:当駅を含む長尾駅 - 片町駅間の各駅に、関西の国鉄線では初の自動改札機を設置(JR東西線開業で交換)。
- 1986年(昭和61年)11月1日:荷物扱い廃止[2]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、JR西日本の駅となる[2]。
- 1988年(昭和63年)3月13日:路線愛称の制定により、「学研都市線」の愛称を使用開始。
- 2003年(平成15年)11月1日:ICカード「ICOCA」の利用が可能となる[4]。
- 2011年(平成23年)3月8日:(JR宝塚・JR東西・学研都市線運行管理システム)導入。接近メロディ導入。
- 2012年(平成24年)10月29日:自動改札機をJR西日本テクシア製、AG50型に交換。
- 2018年(平成30年)3月17日:駅ナンバリングが導入され、使用を開始。
駅名と立地について
当駅は市名の「四條畷」の「條」を略字(常用漢字)表記した「四条畷」という駅名を有し、JTB時刻表の巻頭路線図でも四條畷市の代表駅として記載されているが、四條畷市域からわずかに南に外れた大東市域に所在している。1895年の開業時は四條畷という自治体はまだ存在せず、四條畷といえば四條畷古戦場に基づく広域地名であり、現在の大東市側が四条村、四條畷市側が甲可村だった。なお、甲可村は1932年に改称して、四條畷村になる。
駅名は元は市名の表記と同様に「四條畷」であった(地名表記については(「四條畷」と「四条畷」)も参照)が、のちに現在の常用漢字に当たる当用漢字を用いた「四条畷」に改められた。四條畷市が「四條畷」への駅名表記変更を2004年より要望しているが、駅名の改名には数億円の費用が必要となり、JR西日本では自治体の要望による駅名の改名は原則的に自治体側に費用負担を求めているため、四條畷市側の財政上の理由から改名は実現していない[5]。
駅構造
待避設備を備えた島式ホーム2面4線を持つ地上駅で、橋上駅舎を有している。改札口は1ヶ所のみ。
駅長が配置された(直営駅)であり、(管理駅)として星田駅 - 鴻池新田駅間の各駅を管轄している。おおさか東線放出駅 - 久宝寺駅間の部分開業までは徳庵駅や放出駅も管轄していた。2006年3月にエスカレーター、エレベーターが稼動を開始。エレベーターは改札外にも設置されている。
1・2番のりば(京橋方面行き)の最下層に1895年の浪速鉄道四條畷駅開業当時のレンガ造りホームが現在も残っており、反対側ホームから見ることができる。
のりば
※上表の路線名は旅客案内上の名称(愛称)で表記している。
- 付記事項
- 1番線が下り待避線、2番線が下り本線、3番線が上り本線、4番線が上り待避線である。1番線・2番線への上下列車の同時到着はできない(一方が過走した際の正面衝突を避けるための保安)。
- すべてののりばが京橋方面からの列車の折り返しに対応する。終日にわたり当駅折り返しの普通も設定されており、基本的に1・4番のりばに停車する。2002年3月に日中の普通折り返しが一旦廃止されたが、2015年3月の改正で、日中時間帯の快速は区間快速になり、この時間帯の普通の折り返し駅が長尾駅から当駅に見直された。
コンコース(2005年8月)
ホーム(2005年8月。1・2番ホームの地表面辺りに見えるレンガ模様が、1895年開業当時のレンガ造りホームである)
利用状況
大阪府統計年鑑[7]によると、一日の平均乗車人員は下表の通りである。
年度 | 1日平均 乗車人員 |
---|---|
1997年 | 19,409 |
1998年 | 19,005 |
1999年 | 18,665 |
2000年 | 18,466 |
2001年 | 18,562 |
2002年 | 18,281 |
2003年 | 18,513 |
2004年 | 18,298 |
2005年 | 18,201 |
2006年 | 18,306 |
2007年 | 18,539 |
2008年 | 18,652 |
2009年 | 18,410 |
2010年 | 18,608 |
2011年 | 18,680 |
2012年 | 18,771 |
2013年 | 19,134 |
2014年 | 18,722 |
2015年 | 19,145 |
2016年 | 18,805 |
2017年 | 18,808 |
2018年 | 18,749 |
2019年 | 18,488 |
駅周辺
四條畷市域からわずかに南に外れた大東市域の北端部にあり、駅出口より約200メートル北側に進むと四條畷市域に入る。駅前広場整備について交通結節機能の向上や駅への主要アクセス道などの整備を図り大東市が2013年度から以降10年を期間に計画的な取組みを進めている。
- 楠公通り商店街
- 和田賢秀墓地
- 楠正行墓地
- 大阪府立四條畷高等学校
- 四條畷学園小学校・中学校・高等学校
- 四條畷学園短期大学
- 四條畷学園大学
- 四條畷学園大学附属幼稚園
- りそな銀行・関西みらい銀行 四條畷支店
バス路線
バス停留所は駅東口の北側(忍ヶ丘駅寄り)線路沿いにある。周辺のベッドタウン化に伴い、バスの拠点となっているが、周辺道路は狭く、バスが一方通行かつ1車線の狭い道を通っているところもある。なお、降車はバスのりばで扱う他、四條畷学園小学校の正門前にも別途降車場が設けられている。
隣の駅
脚注
- ^ a b “四条畷駅 駅情報:JRおでかけネット”. 西日本旅客鉄道. 2022年1月27日閲覧。
- ^ a b c d e f 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』(初版)JTB、1998年10月1日、355頁。ISBN (978-4-533-02980-6)。
- ^ 学研都市線の歴史年表 - 片町線複線化促進期成同盟会
- ^ (インターネットアーカイブ) - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2003年8月30日
- ^ - 産経新聞、2010年1月30日。
- ^ a b “四条畷駅|構内図:JRおでかけネット”. 西日本旅客鉄道. 2023年1月25日閲覧。
- ^ 大阪府統計年鑑 - 大阪府
関連項目
外部リンク
- 四条畷駅|駅情報:JRおでかけネット - 西日本旅客鉄道