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南通 (秋田市)

日本 > 秋田県 > 秋田市 > 南通 (秋田市)

南通(みなみどおり)は、秋田市中心部の地区(広域地名)。1967年(昭和42年)5月1日に行われた住居表示実施の際に新しく作られた地名である。人口は4,049人(2011年5月1日現在、住民基本台帳人口調査による[1])。

地理

秋田市の中央部に位置する。東をJR羽越本線、北を南大通り(秋田市道)、西を旭川、南を楢山広小路(秋田市道。但し南通宮田には貫通していないため別の市道および大平川が南端)に囲まれた範囲で、区画は西端が狭く(南北約300m)東端が広い(南北約800m)台形になっている。「南通」の名は町名整理前からこの地域を「南通」と通称していたことに由来する[1]。東は東通、南東・南は楢山、西は大町、北は中通に隣接する。

以下の4町からなる。

南通亀の町(みなみどおりかめのちょう)
郵便番号は010-0011。旧町名の「亀ノ丁」から命名された[1]。南通地区の西端で、東は南通みその町、南は(楢山南中町)・(楢山登町)、西は大町六丁目、北は中通五丁目に隣接する。旭川に沿う秋田県道28号秋田岩見船岡線は有楽町通りと通称され、川反繁華街の南の延長として映画館料亭などが立ち並んでいた[1]が、近年は衰退が著しい。その他、北端の南大通りや南端の楢山広小路沿いなどが商店街となっており、区画内部は住宅地である[1]
南通築地(みなみどおりつきじ)
郵便番号は010-0013。旧町名の「築地」から命名された[1]。東は南通宮田、南は(楢山佐竹町)・(楢山本町)、西は南通みその町、北は中通六丁目に隣接する。南大通りや楢山広小路沿いは商店街で、その他は武家屋敷の面影を残した住宅地である[1]
南通みその町(みなみどおりみそのちょう)
郵便番号は010-0012。聖霊学園の「聖」「園」を取った「聖園」(みその)から命名された[2]。東は南通築地、南は楢山本町、西は南通亀の町、北は中通六丁目に隣接する。北部に中通総合病院が、中部に学校法人聖霊学園本部、聖霊女子短期大学付属高等学校及び付属幼稚園がある。南大通りと楢山広小路に商店が並び、その他は住宅地である[2]
南通宮田(みなみどおりみやた)
郵便番号は010-0014。旧字名の「宮田」から命名された[3]。南通地区の東端で、羽越本線と大堰端(秋田市道)に東西を挟まれた南北に細長い区画[3]。東は(東通観音前)・(東通館ノ越)、南東は(楢山大元町)・(楢山金照町)、南は(楢山愛宕下)・楢山字寺小路・(楢山古川新町)、西は楢山佐竹町・南通築地、北は中通七丁目に隣接する。中部に秋田市立秋田南中学校があり、その裏手や北部にJR東日本社宅が立ち並ぶ。北端の南大通りは(明田地下道)で奥羽本線・羽越本線を潜り東通へと抜けているが、かつては100mほど南にあった明田踏切が使われており、「開かずの踏切」として知られていた。

河川

歴史

久保田藩佐竹氏の居城であった久保田城の城下町のうち、中級上位の家臣が在した亀ノ町廓[4]とそれに付随する亀ノ町外張[5]、小禄の家臣が在した外廓の長野下・築地[6][7]、更に農村部であった楢山村の一部を合わせた範囲に相当する。

亀ノ町廓は元和7年(1621年)に町割された[4]中通廓に続く本城正面の要地で、北を中通との境である殻堀、東を上堀、南東から南を下堀、西を旭川に囲まれていた[4]。これらの堀は旭川以外は現存しないが、道路線形に名残を留める(例えば中通六丁目郵便局の150mほど西、南大通りが屈曲する交差点から南西へ延びる道とその1本東の道は上堀跡に沿った道で、南端で接続する楢山広小路がそこでクランクになっているのは廓の出入口の一つ楢山口の跡だからである)。

長野下は長野町(現在の中通二丁目・四丁目・六丁目の各東部)の台地下を意味すると考えられ、延宝元年(1673年)以降に町割された中級・小禄の家臣が居住した町である[6]。元治元年(1864年)8月に、北東端(長野下新町)の一部侍屋敷とその裏の長沼を埋め立てて藩の砲術所を設置し、西洋砲術の教練が行われた[8]

築地は名の通りの埋立地で、延宝元年(1673年)に長野下に続いて町割が行われた[7]富士山の土を舟で運んで埋めたとされ、低湿地のため開発が遅れ、明治以降にも富士山からの土盛りが繰り返し行われたという[9]

沿革

  • 1967年(昭和42年)5月1日 - 住居表示実施に伴い、「南通」を冠する4町が作られる。
  • 1980年(昭和55年)4月1日 - (明田地下道)が開通する[10][11]
  • 1982年(昭和57年)10月8日 - 秋田銀行南通り支店楢山出張所が開業[12]
  • 1991年(平成3年)11月19日 - 秋田銀行南通り支店楢山出張所が昇格し、秋田銀行楢山支店となる[12]
  • 2012年(平成24年)12月24日 - 通称有楽町(南通亀の町)で唯一営業していた映画館「シアタープレイタウン」が閉館[13]
  • 2020年(令和2年)4月6日 - 秋田銀行楢山支店が個人取引に特化した店舗となる[14]
  • 2021年(令和3年)
    • 2月25日 - この日をもって、秋田市唯一の銭湯「星の湯」が営業終了[15]
    • 8月23日 - 秋田銀行楢山支店が同行南通り支店に統合。
  • 2022年(令和4年)3月25日 - サラリーマンや映画館帰りの家族連れなどに幅広く愛されたラーメン店「万福」(東京まんぷくラーメン)が閉店[16]

町名の変遷

以下はすべて住居表示実施に伴う変更である。

実施後 実施年月日 実施前
南通亀の町 昭和42年5月1日 亀ノ丁新町(一部)
かめのちょうしんまち
亀ノ丁西土手町(一部)
かめのちょうにしどてまち
亀ノ丁東土手町(一部)
かめのちょうひがしどてまち
亀ノ丁堀反新町
かめのちょうほりばたしんまち
亀ノ丁本新町(一部)
かめのちょうもとしんまち
田町(一部)
たまち
中亀ノ丁上町
なかかめのちょうかみちょう
中亀ノ丁末町(一部)
なかかめのちょうすえちょう
楢山虎ノ口新町(一部)
ならやまとらのくちしんまち
楢山本新町下丁(一部)
ならやまもとしんまちしもちょう
南通築地 昭和42年5月1日 亀ノ丁新町(一部)
かめのちょうしんまち
築地上本町
つきじかみほんちょう
築地北町(一部)
つきじきたちょう
築地窪町
つきじくぼちょう
築地下東丁(一部)
つきじしもひがしちょう
築地下本町
つきじしもほんちょう
築地中町(一部)
つきじなかちょう
築地東上町
つきじひがしかみちょう
築地南横丁
つきじみなみよこちょう
築地四ツ辻
つきじよつじ
長野下新町(一部)
ながのしたしんまち
長野下新町末南丁
ながのしたしんまちすえみなみちょう
長野下新町東丁(一部)
ながのしたしんまちひがしちょう
長野下新町南丁
ながのしたしんまちみなみちょう
長野下新町南横丁(一部)
ながのしたしんまちみなみよこちょう
楢山上本町(一部)
ならやまかみほんちょう
楢山中町(一部)
ならやまなかちょう
楢山本新町上丁(一部)
ならやまもとしんまちかみちょう
南通みその町 昭和42年5月1日 亀ノ丁新町(一部)
かめのちょうしんまち
亀ノ丁本新町(一部)
かめのちょうもとしんまち
築地中町(一部)
つきじなかちょう
築地西町
つきじにしちょう
長野下新町末南丁
ながのしたしんまちすえみなみちょう
楢山中町(一部)
ならやまなかちょう
楢山本町下丁(一部)
ならやまほんちょうしもちょう
楢山本新町上丁(一部)
ならやまもとしんまちかみちょう
楢山本新町下丁(一部)
ならやまもとしんまちしもちょう
南通宮田 昭和42年5月1日 築地北町(一部)
つきじきたちょう
長野下新町(一部)
ながのしたしんまち
長野下新町東丁(一部)
ながのしたしんまちひがしちょう
長野下新町南横丁(一部)
ながのしたしんまちみなみよこちょう
楢山字観音前(一部)
ならやま あざかんのんまえ
楢山字楢山(一部)
ならやま あざならやま
楢山字宮田(一部)
ならやま あざみやた
楢山桝取町
ならやまますとりまち

交通

鉄道

南通宮田の東端がJR東日本羽越本線となっているが、駅はない。しかし秋田駅が至近である。

バス

  • 秋田中央交通
    • 《楢山大回り線》 - 築地北丁 - 築地下丁 - 楢山本町 -
    • 《桜ガ丘線、明田・築地経由ノースアジア大学線》 - 築地下丁 - 築地北丁 -
    • 《牛島・茨島環状線など》 - 楢山広小路 - 有楽町 -
    • 《駅東線の一部》 中通七丁目 - 南大通り・中通病院前 - 中通六丁目郵便局前 - 五丁目橋 -

道路

 
秋田市道川尻広面線にある「明田地下道」

施設

 
ドジャース楢山店
 
聖霊女子短期大学付属高等学校
 
秋田楢山郵便局
  • 南通亀の町
    • 秋田共立病院
    • 秋田メモリアルクリニック
    • 秋田銀行研修センター如学館
    • 秋田楢山教会
    • ヤマキウ南倉庫
  • 南通築地
    • あきた保育園
    • 秋田ト一屋本社・楢山店
    • 中通生協本店
    • 東日本高速道路秋田職員宿舎
  • 南通みその町
  • 南通宮田

出身者

参考文献

  • 「角川日本地名大辞典 5 秋田県」1980年
  • 「図説 久保田城下町の歴史」(渡部景一)、無明舎出版、1983年、(ISBN 978-4-89544-499-6)
  • 秋田市 地名小辞典

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f 「角川日本地名大辞典 5 秋田県」p.729。
  2. ^ a b 「角川日本地名大辞典 5 秋田県」pp.729-730。
  3. ^ a b 「角川日本地名大辞典 5 秋田県」p.730。
  4. ^ a b c 「図説 久保田城下町の歴史」p.74。
  5. ^ 「図説 久保田城下町の歴史」p.75。
  6. ^ a b 「図説 久保田城下町の歴史」p.80。
  7. ^ a b 「図説 久保田城下町の歴史」p.81。
  8. ^ 「図説 久保田城下町の歴史」pp.80-81。
  9. ^ 「図説 久保田城下町の歴史」pp.81-82。
  10. ^ 広報あきたNo.0806 明田地下道四月一日に待望の開通 車の流れがスムーズになります
  11. ^ 広報あきたNo.0808 四月一日、喜びの開通
  12. ^ a b 秋田銀行経営企画部編『秋田銀行130年のあゆみ』秋田銀行、2009年、p.85
  13. ^ 猪俣光太郎「有楽町 映画の灯消える 秋田市 プレイタウン閉館 ファン114人「残念」「寂しい」」『秋田魁新報』2012年12月25日、24面。
  14. ^ 木村環「秋田銀行・楢山支店 個人向け取引に特化 4月6日から 待ち時間減狙う」『秋田魁新報』2020年3月5日、4面。
  15. ^ 進藤麻斗「秋田市「星の湯」熱い湯 気持ち良かった 市内唯一の銭湯、営業終了」『秋田魁新報』2021年2月27日。
  16. ^ 加藤広大「「万福」惜しまれつつ閉店 コロナ打撃、苦渋の決断」『秋田魁新報』2022年3月29日、23面。

外部リンク

  • 秋田市
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