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北村サヨ(きたむら さよ、1900年1月1日 - 1967年12月28日)は、「踊る宗教」こと天照皇大神宮教の教祖[2][3]。山口県玖珂郡日積村(現柳井市日積)に出生[2][3]。21歳の時に結魂を契機に山口県熊毛郡田布施町の北村家に嫁ぐ。自民党参議院議員の北村経夫は孫。
来歴
- 1900年1月1日朝、山口県玖珂郡日積村大里(現在の柳井市日積)の農家、浄土真宗門徒の浴本家の四女として生まれる。
- 1920年11月、山口県熊毛郡田布施町波野の北村清之進の家に嫁ぐ。
- 1922年3月、長男の北村義人を出産。義人は「若神様」と呼ばれ、のち、宗教法人天照皇大神宮教代表役員を務めた。
- 1942年7月、北村家の離れで不審火があり、その原因究明のために、祈祷師を訪問したり丑の刻参りを実践したりし始める。
- 1944年、祈祷師から生き神になると告げられ、5月4日に憑依現象を体験する(のち、それが天照皇大神宮という神であることが判明する)。5月10日には「名妙法連結経」を唱える。
- 1945年
- 7月22日、北村家で初の説法を行う。
- 8月12日、宇宙絶対神が降臨し神の国建国の神託を受けた、と発表。
- 1946年
- 1月1日、神の国の紀元元年を創始。
- 1月11日、宗教法人天照皇大神宮教を設立。
- 2月10日、宇宙絶対神より「お祈りの詞」を授かった、と発表。
- 1948年9月、東京・数寄屋橋近くの数寄屋橋公園で無我の舞を行ない、世の注目を浴びる。月末には、神田共立講堂で歌説法による説法会を行う。
- 1950年2月、神の国の紀元節式典挙行。
- 1952年5月、前年のサンフランシスコ講和条約を受けて、ハワイへの進出を果たす。
- 1967年12月28日午後、本部道場敷地内の自宅にて死去。
- 1968年(紀元23年)1月1日、孫娘の北村清和(姫神様、1950年4月27日 - 2006年6月7日)が2代目教主となる。
エピソード
親族
脚注
- ^ a b “令和元年版 田布施町勢要 資料編”. 田布施町. 2022年11月18日閲覧。
- ^ a b “北村サヨ(日本大百科全書、デジタル版日本人名大辞典+Plus、世界大百科事典第2版)”. コトバンク. 2022年11月20日閲覧。
- ^ a b “北村サヨ(20世紀日本人名事典)”. コトバンク. 2022年11月20日閲覧。
- ^ “なぜ、安倍総理は「神憑り」「霊能師」を信じるか”. プレジデントオンライン. (2015年5月4日)2017年7月13日閲覧。
- ^ 平成8年山口県ふるさと環境シンポジウム報告書1996年 自治総合センター 「大会当日次第●主催者あいさつ 自治大臣白川勝彦 山口県知事二井関成 山口県ふるさとづくり県民会議会長北村義人」とある。日本財団図書館
- ^ 平成10年9月定例会9月22日◎知事(二井関成君) 「公安委員会委員 北村義人氏は、来る十月十三日をもちまして、その任期が満了いたします。ここに、同氏の御在任中の御労苦に感謝をいたしますとともに、その御功績に対し、深く敬意を表するものであります。」とある。山口県議会 会議録検索システム 山口県
- ^ “山口県議会 平成10年2月定例会 03月06日-05号”. 山口県議会 会議録検索システム. 2022年11月18日閲覧。
- ^ “北村義人氏死去/天照皇大神宮教代表役員”. 四国新聞 (2007年7月15日). 2022年11月20日閲覧。
- ^ “北村清和さん死去/天照皇大神宮教教主”. 四国新聞 (2006年6月7日). 2022年11月20日閲覧。