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初期仏教

初期仏教(しょきぶっきょう、: Early Buddhism)とは、釈迦が生きていた時代を含む初期のおよそ150年から200年の間の(プレ部派仏教)(英語版)をいう[1]

原始仏教根本仏教主流仏教[2][注 1]とも呼ばれるが、「原始」「根本」「主流」という言葉にはさまざまな価値的な判断の意味が含まれるため、ここでは中立的な時間的に先であることを示す「初期仏教」という用語も使用される。しかし、必ずしも時代区分ではなくオリジナルという意味で「原始仏教」という用語を用いる学者も多い。初期仏教を原始、根本、主流と見る見方に福音主義の影響を見る学者もいる[3]

前史

リグ・ヴェーダによれば、紀元前13世紀頃、現在のアフガニスタンバルフから多神教のヴェーダの宗教(紀元前11世紀頃に誕生するザラスシュトラの興した一神教・ゾロアスター教の原型でもある)を奉ずる民族が十王戦争においてインドに侵攻し、先住民族であるドラヴィダ人を支配する封建社会体制が形作られた。

紀元前10世紀に始まるドラヴィダ人との同化の時代であるブラーフマナ時代(紀元前900年 - 紀元前500年)になると、司祭階級バラモン(ブラフミン)を頂点とするカースト制を持つバラモン教がインドで形作られていった。紀元前5世紀になると、4大ヴェーダが完成し、バラモン教が宗教として完成した。

しかし、ヴェーダの宗教的権威に従わない人々(ヴァルダマーナ<マハーヴィーラ>、マッカリ・ゴーサーラガウタマ・シッダールタ<釈迦>)も同時期に登場し、サマナ(沙門)運動が起こり、ジャイナ教(より正確にはジナ教または(ジャイナ))・アージーヴィカ教仏教といった反ヴェーダの立場をとる宗教を開いた。このように、当時のインド四大宗教はほぼ同時期にそろって誕生したのである。

歴史

 
紀元前500年の十六大国の領域。釈迦はマガダ国(Magadha)王子であった。

釈迦の初期仏教

仏教は、約2500年前(紀元前6世紀頃)に釈迦がインド北部ガンジス川中流域のブッダガヤ悟りを開き、サールナート初転法輪(初説法)を行ったことに起源が求められている。発生当初の仏教の性格は、同時代の孔子などの諸子百家ソクラテスなどのギリシャ哲学者らが示すのと同じく、従来の盲信的な原始的宗教から脱しようとしたものと見られ、『マハー・ワッガ』をはじめとする初期仏典では、このとき五比丘(5人の修行仲間)に説かれた教えが、中道八正道四諦三転十二行相であったとされている。

釈迦と五比丘、すなわちコンダンニャワッパバッディヤマハーナーマンアッサジの6人が阿羅漢となり創設された初期仏教教団は、シュラーヴァスティージェータヴァーナー寺院を教団本部とし、インド各地で布教活動を行った。これら釈迦の生涯において重要な各地を八大聖地と呼ぶ。

仏教経典ができるまでの数世紀間の伝承

多数ある経典の中で最も古いとされている『スッタニパータ』の中には[4]、ゴータマ・シッダッタが語ったとされる初期の言葉が伝えられている。この経典には、最古層の仏教思想とともに、最初期の仏教教団の状況についても、伝えられているとされている。[5][6] 大蔵経の中では、『パーリ語三蔵』が最も古くまとめられたとされ、その中で最も古いのは、『サンユッタ・ニカーヤ』における第一集であるとされている。[7]

仏典作成の発端となった何回かの結集において、はじめのころは、各弟子が記憶していた教えを直ちに文字として記録することがなかった。弟子たちの記憶にもとづいて弟子から弟子へ口伝されたのである。そのため、初期のものとされる経典は、記憶しやすいように短い詩の形式にまとめられるものが多かった。この記憶による伝承は数世紀間続いたとされ、その間には、弟子たちの思想も混入したと考えられている。伝承されてきた教えがはじめて文字として保存されるようになったのは、前一世紀頃だといわれている。[8]入滅は前383年と考えられている[9]ので、ゴーダマ・シッダッタの死から200年以上は文字としての経典は成立していなかったことになる。

各宗教に存在したブッダや阿羅漢

初期のものとされる経文に見られるブッダという呼び名については、当時インドに流布していたどの宗教でも、理想的な修行者のことをブッダと呼んでおり、仏教でもその名を取り入れただけであるとされている。[10] ゴータマ・シッダッタが、「もろもろのブッダは、逃げ隠れをして身を守ることをしない」と語ったとされる場面では、荒野の中で修行している修行者を指してブッダと語ったとされている。 [11]そして、説法の中でブッダを複数形にて表現している場面においては、「仏教」という特殊なものを説いているという意識がゴータマ・シッダッタには見られなかったとされている。[12] また、阿羅漢という語も、元はインドの宗教一般においては尊敬されるべき修行者のことを指していたとされている。しかし、のちに大乗仏教の時代になると批判的に声聞を阿羅漢と呼んで、仏と区別するようになったとされる。[13]。そのため初期の経典において、ブッダや阿羅漢という記述があるときは、仏教という枠組みを超えたインド宗教界全般における理想的な修行者を指している場合があると捉える必要がある。[14][15]

最初期の教え

初期仏教の教えとされるものでも、時代が少し下がると整理され、体系化された経文として後世に伝わっていった。しかし、実際にゴータマ・シッダッタが説いた教えは、もっと素朴で、相手の心を読んだとも見える、機根に応じたものであったとされる。[16]いわゆる仏の説法とも、対機説法ともいわれるものである。[17]

対機説法

ゴータマ・シッダッタは、相手に応じて法を説いた。学問のある知識階級に対しては、哲学的な用語を用いて語ったときもあれば、知識階級でも道諦の欠けているものには、無記という回答をしているときもある。あるいは、論理的な説明がかえって害となる場合には、黙して返事をしない場合もあり、知識のないもの、知能の低い弟子には、チューラパンタカの場合のように、ただ掃除することだけを命じるだけのこともあった。ゴータマ・シッダッタはこうした指導方法をとったとされる。[18]

『スッタニパータ』の例としては、1084~1087において、ある者には解脱を求めよと説き、ある者には1088~1091において、解脱というものはないと説いていることがあげられている。[19]

初期仏教の集団について

人は同類の人と交わり一体となるという考えがゴータマにはあり[20]、初期の集団では、比丘となる前に属していた集団や、比丘尼の集団、修行の段階ごとの集団などでまとまって生活をしていたようである。

あるときゴータマはギッジャクータ山にいて、弟子の集団を見ていたという。ゴータマからあまり遠くないところで、サーリプッタ(大いなる智慧を持っている比丘の集団)、モッガラーナ(大いなる神変を持っている比丘の集団)、カッサパ(林野に住み、厳しい修行生活を説く比丘の集団)、アヌルッダ(天眼を持っている比丘の集団)、プンナ(説法者とされる比丘の集団)、ウパーリ(戒の保持者とされる比丘の集団)、アーナンダ(多聞とよばれる比丘の集団)、デーヴァダッタ(ゴータマの方針とは異なる方針の比丘の集団)は、それぞれ多くの比丘たちと修行をしていたとされる。[21]

サーリプッタの例でいうと、彼はモンガッラーナとともに、それまで属していたある沙門の弟子250人とともに、ゴータマの弟子となったとされる[22]ので、基本的にはその集団に対して、ゴータマは対機説法を行っていたようである。また、ゴータマは尼僧の集団をはじめてつくったとされている。[23]尼僧の集団については、集団をけん引する指導者がはっきりせず、アーナンダが説法をしていたようであるが、未熟な比丘尼が多かったようである。[24]カッサパは九次第定と六神通とに関してゴータマと等しいとゴータマから認められた開悟者とされたが、対機説法においては、対機した幾人かの比丘尼が還俗したりしたことが記されており、慈悲という面では、及ばないところがあったようである。 [25]

デーヴァダッタの属していた集団は、悪人の集団と表記されているが、伝説にあるような悪行をなしたわけではなく、ゴータマの方針とは異なる方針を持っている異端者の集団というくらいの意味であったとされている。デーヴァダッタは当時の遊行の沙門たちが守るべき厳格な禁欲主義である、林野に住み、托鉢のみ、糞掃衣のみ、屋根のある家に住まない、魚や肉を食べないという、ゴータマの方針(定住生活に移行)とは異なる五つの法則を定め、自ら従ったとされる。それを支持した遊行の沙門たちとともに集団を形成したようであるが、悪行の伝説が創作されたのは、デーヴァダッタの死後であるとされる。ゴータマ自身は厳格な修行者としてのデーヴァダッタも受け入れ、対機説法をなしていったようである。[26]

初期仏教からの展開

釈迦死後の教団運営

 

釈迦がクシーナガラで死亡(仏滅)して後、直ぐに出家者集団(僧伽、サンガ; Early Sangha)は個人個人が聞いた釈迦の言葉(仏典)を集める作業(結集)を行った。これは「(三蔵の結集)」(さんぞうのけちじゅう)と呼ばれ、十大弟子の一人、マハーカッサパ(摩訶迦葉尊者)が中心になって開かれた。

仏典はこの時には口誦によって伝承され(このため当初は「多聞」(釈迦の教えを多く聞いた)が褒め言葉になっていた)、後に文字化された[注 2]釈迦の説いた法話を経・律・論と三つに大きく分類し、それぞれ心に印しているものを持ち寄り、仏教聖典の編纂会議を行った。これが第一回の三蔵結集である。この時、アーナンダウパーリの編集責任者となった。編集責任者が伝わっていないは、のちに根本分裂の原因となった。[独自研究?]

根本分裂

釈迦の死から約100年後のアショーカ王(前3世紀)のころ、仏教教団((プレ部派仏教)(英語版))は保守的な上座部と進歩的な大衆部とに分裂した。これを根本分裂と呼び、それ以前を初期仏教、以後を部派仏教と呼びならわす。分裂の原因は、上座部教典パーリ語経典に含まれる論蔵の解釈にあった。[要出典]

インド最大の宗派となった上座部の説一切有部は三世実有・法体恒有と云われる立場を完成させた。一方、大衆部及び上座部の経量部法蔵部は現在有体・過未無体を主張する立場となっていった。後者の集団について書かれた『八千頌般若経(29品)』の古写本が発見され、大乗仏教の形成期についての解明が期待されているが、研究結果は発表されていない。[要出典]

ただし、これらが分裂の要因とされたという見解については、漠然としているという説や、そのように画一的に線を引くことが出来るかどうかという点も指摘されており、分裂の原因は、いまなお、混沌としていて、研究結果不明の状態である。

教義

初期の悟りについて

初期に作成された経典において、ゴータマ・シッダッタの悟りの内容が異なった伝わり方をしていて、はっきりと定まっていないのは、ゴータマ自身が自分のさとりの内容を定式化して説くことを欲せず、機縁に応じ、相手に応じ異なった説き方をしたためであるとされている。[27] 歴史的人物としてのゴータマは、臨終に際しても仏教というものを説かなかったとされている。彼が明示したのは、八正道の実践をする人を「道の人」と呼び、その道はいかなる思想家・宗教家でも歩むべき真実の道であり、それはこれまでのインド社会に現れたブッダたちの歩んできた道であったということとされている。[28] ブッダたちの歩んできた道とは、過去七仏とされる者の道のことではなく、ウパニシャッドの哲学等における悟達の境地に到達した古仙人たちの歩んできた道であると考えられる。原始仏典の古い詩句では、古来言い伝えられた七人の仙人という観念を受け、ブッダのことを第七の仙人としていた。[29]

初期の悟りにおける仏教の位置づけ

初期においては、ゴータマが説法することを「梵輪をまわす」と呼んでいた。これは古ウパニシャッドからきており、宇宙の真理を悟った人が説法をするという意味があるとされる。[30]それらのことを考えると、ゴータマの意識の中では、宇宙の真理を悟ったという自覚があったようであるけれども、悟りの内容を定式化して説く機縁にあった弟子がほとんどいなかったために、それを説く機会がなかったと見ることもできる。

ウパニシャッドでは、「解脱」とは宇宙原理たるブラフマンと自己との合一を意味していた。[31]しかし、初期仏教では人間の理法を体得して、安心立命の境地に至ることが悟りであるとされている。[27]梵我一如を体得した古仙人たちの歩んできた道を歩んだとされるゴータマには、宇宙の真理を悟った人が説法をするという自覚があったのだけれども、その悟りの内容は、四諦という言葉によって体系化されているという状況にあるようである。[32]そして、大乗仏教に至ると、宇宙の真理(法)と一体になることを悟りとする宗派が生まれてきた。[33]

ウパニシャドでは、ブラフマンとは宇宙の最高原理とみなされており、この最高原理が人格的に表象されたものがブラフマーであり、創造神とされていた。ブラフマンは大宇宙的概念であり、アートマンは小宇宙的概念とする見方もある。善い行いをした人が死後天上界に行くとした場合や、自島明におけるなんらかの主体性などの教説を見ても、自然の中には還元しきれない何ものかを仮定しているともいえる。[34]梵天勧請の経文には、最高原理の人格的な表象として、この世の主ブラフマー神というものが出てくるので、ゴータマの悟達の境地と宇宙の最高原理を悟るということには、何らかの関係があると見ることができる。また、人格的な表象としての梵天による勧請の一段は、後世の追加とする見解もある。[35]ここにあげられているやや古い詩句は、心の中での出来事を現わしたものとされ、散文の説明は明らかに後世のものであるとされている。[36]いずれにしても宇宙の真理としての最高原理とゴータマの悟りとの間には深いつながりがあるようである。

同じブラフマー神が関係していると思われるウパニシャッドの哲学の梵我一如の悟達とゴータマの悟達とを比べた場合、大きく異なる点は、梵我一如におけるアートマンの存在が存在しないということである。しかし、この点についても、初期の仏教には不確かな部分があり、「アートマン」は存在しないとは説いていないとされている。これは、アートマンを実体視しているウパニシャッドの哲学に対して仏教の側が反対しただけの教説にすぎない、というのがその理由となっている。ゴータマの悟りの内容に関しては、アートマンが存在するかどうかについての返答をゴータマが与えなかったものであるとされている[37]ので、ゴータマにおいては、通過点としての(インド古来の)梵我一如の境地をも悟ったがゆえに、(実体的なアートマンは無いとする無我・非我の立場に立って)説法することを「梵輪をまわす」と表現したと見ることも可能なようである。

最高原理としてのダルマ

詳細については、「法 (仏教)」を参照

サンユッタ・ニカーヤIIにおいて「わたしは、わたしが悟ったこの理法を尊び、敬い、たよって暮らしたらどうだろう」という経文は、ダルマがブッダよりも上位に位置する最高原理とみなされており、ゴータマの悟りは、本来ダルマに準拠するものであるとされている。[38]

「ダルマ」という語は、多様な用いられ方をするようになったが、初期においては、ゴータマの悟った宇宙の真理としての万古不易の法を指していたようである。[39]

ニルバーナを「ブラフマンの道」と呼んでいる場合

「正しくさとった人は、ブラフマンの道においてふるまい、心のやすらぎを楽しんでいる」(テーラガーター 689)の句において、ブラフマンの道とされているのは、解脱に至る道のことであるとされている。それは元は、『ウパニシャド』の哲学において、「ブラフマン世界に至る道」を意味していた。 [40]

ダルマを人格視している場合

後代の仏教(アッサムやスリランカ)で、ダルマが人格神のように見なされるに至った源泉として、「理法(ダンマ)は、実に、理法を実践する人を護る。理法をよく実践するならば、幸せをもたらす」(テーラガーター 303)の句があるとされる。ここでは、理法(ダンマ)がほとんど人格視されているとされる。[40]

無我の捉え方

ゴータマは、「なすべきことをなし了え、煩悩の汚れを滅ぼし、真人となった修行僧は、『わたしが語る』と言ってもいい」と語ったとされる。これは、悟りに達した者は、我(アートマン)は存在すると主張し、議論しても真理からははずれていないとする見解を示したものである。[41]これによると、無我ということで修行してきた者は、煩悩の汚れを滅ぼしたのちには、真人の我を頼りとして歩むということになる。

非我の概念が有する霊魂的側面

当時のインド社会において、通俗的な一般的観念として、解脱とは霊魂が体から脱出して、束縛のない状態におもむくことであるとする見解があり、それはウパニシャッドからヴェーダーンタ学派に至るまで一貫して存していたとされる。あるとき、どうしたら身体から霊魂が解脱することができるでしょうか、と問われたゴータマは、解脱についてのその見解を受け入れ、怒りや怨恨を断ち、悪い欲求と貪りとを断ち切って、妄執を根こそぎ抉り出せば、身体から霊魂が解脱することができると答えたとされる。この場合のゴータマの見解では、霊魂と身体から人間存在はできており、解脱には身体から霊魂が脱け出るという面もあったことが記されている。[42]

肉体に執着し、多くの煩悩に覆われ、迷妄のうちに沈没している人のことを、「窟のうちにとどまっている」と表現している[43]が、これは、霊魂またはアートマンが身体の中に入ってとどまっている様を現わしているとされている。この考えはウパニシャドからきており、『アーパスタンバ法典』(第22章4)では、アートマンのことを「窟のうちにとどまる者」と呼んでいる。[44]

迷妄にもとづいて起こる煩悩は何ら存在しなくなり、あらゆることがらについて智見があり、最後の身体をたもち、めでたい無上の悟りを得ること・・・これだけでも人のたましい(霊)は清らかとなるとされた。[45][46][47]

また、涅槃についても、無我的な無余涅槃をしりぞけ、たましいの最上の境地としての有余の涅槃にとどまって、活動してゆくことが目的であるとしていたとされる。 小乗仏教の伝統説では無余涅槃に入ることが修行の目的であったが、ゴータマは無余涅槃に入るという見解は偏見であるとして排斥した。「たましい(霊)の最上の清浄の境地」のうちにあって、多くの人々の幸福のために、世間の人を憐れむために、清浄な行いを存続してゆくことが目的であるとした。[48]有余の涅槃だけでも人のたましい(霊)は清らかとなるけれども、その上に立って人類を救済してゆくことが、修行の目的であると考えていたようである。

初期仏教における真人となった我とは

ゴータマの説法を「梵輪をまわす」と言うときは、宇宙の真理を悟った人が説法をするという意味があり、「梵」という語と「ブラフマン」という語は深い関りがあるとされる。[49]ヒンドゥーにおいて世界創造神とされていたブラフマンというのは、当時最高の神と考えられていた。そして、梵天勧請の経文では、その神様がゴータマに説法を始めたとされる。ブラフマンとは、絶対原理であり、宇宙の根本原理のことであるけれども、一般の民衆にはなかなか理解しにくいから、それを人格神(世界の主である梵天)と考えたとする見解もある。[50]また、ブラフマンは大宇宙的概念であり、アートマンは小宇宙的概念とする見方もある[34]ので、後代になって、アートマンの小宇宙的概念が否定されるようになると、真理(ブラフマン)における大宇宙的概念も不明確なものとなったようである。[51]

「仏」は本来「佛」と書くけれども、「弗」という字には否定の意味があり、人間でありながら、人間にあらざる者になるという意味があるとされる。水の例でいうと、水は沸点に達すると、水蒸気になるが、水蒸気というのはもとは水だけれど、水にあらざるものになる、というところが、人と仏との関係に似ているとされている。[52][53]

ゴータマが実践していたのは、「つとめはげむ道」といって、自己を制することにつとめはげんだこととされている。ただ、それによってさとりを得たとかそういうことは書いてなく、自己を制することのうちにさとりがあるとしていたとされる。[54]人が佛となった転換点は、古来から言われている梵我一如の境地として、問われた時には意識にのぼる程度の通過点にすぎないとみなされていたようだ。自己を調御し、悪魔を寄せ付けず、清浄な行いを久しくし続けるということが、さとり「つとめはげむ道」(さとりの道)であるとされた。

悟りの道

ゴータマがさとりを開き、最初の説法をしたときよりも後におこったとされる鹿の園での悪魔の誘惑の伝説は、悟った人でも悪魔の誘惑は依然として存在していることを示していて、それらの誘惑を断固として斥けつづけてゆくことのうちに、真のさとりがあるとされている。[55]

初期の教えにおいて、悟りの道を歩んでゆく人の道筋には、世間を覆っている無明というもの[56]から抜け出るまでは、無我という観点から、実体的なものと考えられやすい身体的な自己を調御してゆくことがその始まりにあるとされた。そして煩悩の汚れを滅ぼしつづけることにより窟のうちに留まっているたましい(霊)を解脱するという観点から、真人の我となることを目的としてゆくということが、悟りへの道であると説かれていたようである。[57]真の悟りとはさとりの道を歩むことであることのもう一つの大きな特徴は、三つの束縛[58]について学ぶだけで、自他を含めて、聖者の流れに踏み入ることになるとされていたことである。[59]

初期の悟りの内容

あるバラモンに語ったとされる経文には、四種の禅定を完成して、明知が生まれたことが記されている。第四禅を成就したままにて生じた第一の明知においては、この宇宙が生成と消滅の幾多の宇宙期の過去を有しているものであることまでを知ることに至った。[60]その第一の明知によって、無明が滅び、暗黒は消滅して、光明が生じたとされている。 第四禅を成就したままにて生じた第二の明知においては、超人的な天眼を用いることが出来るようになり、この世界に生存するすべての衆生が死にまた生まれる様を見ることが出来るようになり、それぞれの生存者の業(内面的な部分)についても明らかに知ることが出来るようになったとされる。そしてさらに諸々の汚れを滅する智に心を向けたとされるが、その内容については説かれていないとされる。[61][62] そして、第四禅を成就したままにて生じた第三の明知においては、「解脱した(悟った)」という智が起こったとされているが、これは単なる自覚ではなく、第三の明知とされているので、自己を含めての諸々の生存者における悟りの現実を知る智慧と解釈できる。

また、過去現在未来にわたる阿羅漢(等正覚者と同じ)については、心に関して、心でもって知ることが出来るとされているので[63]、やがて弟子に悟達者が出てくるようになった頃には、「この世界に生存するすべての衆生」という枠組みを超えて、過去現在未来にわたるこの世界に生存するすべての阿羅漢の心のありさまを知ることができたと見ることもできる。

悟りと慈悲

苦行の7年間慈心を修したという詩句が残されているので、慈悲の体現は当初よりゴータマの修行の中心的位置を占めていたとする見解もある。[64]

法を明らかにするということが、ゴーダマの基本的な立場であった。修行僧において、人間としての理法を実践し、清浄な行いを久しく存続することは、多くの人々の利益のために、多くの人々の幸福のために、世間の人を憐れむために、神々(死んだ人)と人々との、利益・幸福につながることになるとしたとされる。[65]

カッサパは九次第定と六神通とに関してゴータマと等しいとゴータマから認められているとされたという。 [25]『原始仏典II 相応部経典第2巻』 第5篇には、カッサパはアーナンダに対して自らの悟りの内容について確認をしている。そこには、空間の無限性や意識の無限性を超越した境地や、宇宙期、他心通、心の解脱と智慧による解脱とを達成したことが記されている。カッサパはバラモン出身で、ゴータマと出会ってから八日目に開悟したとされる。[66]仏教教団が定住生活に移行した後も、林野に住み、厳しい修行生活(頭陀行)を送っていたとされる。バラモンの修行経験は長かったようであるが、慈悲の体現については心においていなかったようである。そのことは、ゴータマが最終的にそこに住したと思われる慈悲の境地(托鉢遊行・他心通・苦集滅道・対機説法)には至っていなかったと見ることができる。

自覚としての悟りのいろいろ

サーリプッタが解脱をしたときに、ゴータマが「再びこの存在に戻ることはないと開悟したことを明言したのか」と問うたとき、「内に専心して、外の諸行に向かうときに道が出起して、阿羅漢位に達した」と語ったとされる。他に、「内に専心して、内に向かうと道が出起」、「外に専心して外に向かうと道が出起」「外に専心して、内に向かうと道が出起」という四通りがあるとされる。[67]「この存在」という自己意識から解脱するとき、道(宇宙の真理)が出起すると見ることができる。

聖者ごとに解脱の内容がいろいろであり、聖者ごとに解脱の内容はいろいろで、複数あったとされる。[68]ゴーダマが到達したさとりの境地は深遠で、弟子には到達しがたいという反省から、滅後弟子たちの時代になると、さとりの深浅に応じて四向四果の段階が考えられた。[69]

在家信者においても師の話を聞いただけで悟ったという経文は多数あり、その中のある女性は、ある遊園に行った帰りに、ゴータマと出会い、「大いなる仙人のことばを聞いて、真実に通達し、まさにその場で、汚れのない真理の教え、不死の境地を体得しました。」と語ったとされる。 [70]

初期仏教における清らかな行い

初期仏教においては、仏は、人々を救済することができないとされていた[71]。他者によって救われるのではなく、各人が清らかな行いにより、さとりの道を歩み続けることが大切であると説いていた。ゴータマは、人類全体が清らかな行いにつとめはげみ、苦集滅道の法が広がってゆくことを、遊行の目的としていたようである。そして、さとりを求める修行の全体とは、善友を作ることであるとしていた[72][73]

「善き友をもつことは、清浄行の全体である。」[72]と語り、修行に関係している者全体が、清らかな行いをとおして八つの正しい道を修めることになるであろうとした。そして、自分自身も善き友となるように、善きことをなすのに務め励むならば、八つの正しい道を盛んならしめることになることを教示した。 ゴータマは、いかなる宗教をも容認する立場を取っていたとされ、仏教という特定の立場を設けて、他の宗教の実践者を否定しなかった。ブッダの教えの特徴としては協和の精神があげられる[74]。社会的には共同体を和の精神をもって運営してゆくことをはじめとして、生き物を殺さないという観点からは、他民族との平和というものが念頭にあったことが考えられる。人間の守るべき理法は永遠のものであり、それは諸仏の教えとしてすでに往時から実践的に体得されてきたとされている。特定の宗教を立てず、いかなる宗教をも容認するということは、いかなる宗教も、人格的な理法の働きかけの面を有しているとする考えにつながっている。

「私(ゴータマ)を善き友とすることによって、生老病死という性質を持っている人は生老病死から解脱し、悲しみ、嘆き、苦しみ、悶えという性質を持っている人々は、悲しみ、嘆き、苦しみ、悶えという性質から、解脱するのである」[75]と語ったとされている。そのことは、晩年にいたるまで各地を遍歴し対機説法をなしていたゴータマにとって、自他ともに善き友になってゆく世の中になることが実践的な仏教の(四諦のなかで言うと)滅諦となっていたと見ることができる。

213 「世の人々のことについて、聖者は、善き友と交わることをほめたたえられました。 215 ひとは、四つの尊い真理、すなわち苦しみと、苦しみの生起と、終滅と、八つの実践法よりなる道とを識知すべきであります。222 わたしは、八つの実践法よりなる尊い道、不死に至る道を実習しました。安らぎを現にさとって、真理の鏡を見ました。」とゴータミー尼は語ったとされる[76]。 さとりの道に到達した者は、何転生かののちには必ず悟りに到達すると言われていたことから考えると、清浄行の全体というものは修行完成者の立場から見た場合、今世のみにとどまらず、光に向かう人間全体が何転生にもわたって清浄行に努めるというほどの意味合いがあったものと見ることが出来る。

修行完成者の場合

ゴータマは、自らが人々の善き友となることによって、人々が清浄行に至れるように導かれ、人生の試練や生老病死の世界から脱し、幸せに至ることができるとした[72]。「わたしは、天界の絆、人間の絆、すべてのきずなから解放されている。多くの人々の利益のために、多くの人々の幸せのために、世間の人々をあわれむために、神々(死んだ人間とほぼ同じ)および人間の利益のために、幸せのために、遍歴をなせ。」と修行僧たちに説話をした[77]

初期の世界観について

世界観について、体系的に述べたものはなく、弟子の機根に合わせて、その都度関連のある事柄を語っていた。

ブッダについて

三宝という観念の成立する以前の初期の段階では、「眼ある方」「尊き師」という人格に帰依することだけを述べているとされている[78]

ゴータマは、過去七仏について、彼らは消滅の内にあると考えていたとされている。そのため、最初期には、ゴータマの捉える「ブッダたち」と、世界の主の語ったとされる「諸仏」とは、異なっていたようだ。

真人たち

漢訳の用語である「阿羅漢」は、もとは「真人たち」という語であった。最初期には、「ブッダ」と同義であった。[79]

等正覚者とは、「正しくさとった人」のことを漢訳したものであるとされる。初期には、阿羅漢と等正覚者とは、区別されていなかった[80]

賢者について

ゴータマは、「賢者」というものについて、それは、諸仏としてのさとりを開いた者に侍り使える最上の従者のことであるとしていた。過去の世にも、アーナンダと同じように、さとりを開いた者に侍り使える最上の従者がいたことが語られている[81]。そして、この賢者には、以下の四つの不思議な特徴があるとされた。①それぞれの衆生が修行完成者に教えを乞うべき時と機とを察知することができた。②衆生は、賢者に出会っただけで心が喜ばしくなる。③衆生は、賢者の説法を聞いただけで心が喜ばしくなる。④衆生は、賢者が沈黙していても、見ていて飽きることがない、という四つである[82]

教えを受ける人について

教えを受ける人

在家、出家を問わず、教えを受ける人、仏弟子、と呼ばれる。どちらも教えを聞く人として、後代の「声聞」の意味に該当していた[83]

声聞・縁覚

初期には如来と声聞とを区別してはいなかった[84]。縁覚は、師なくして独自に悟りを開いた人を言う。一人で道を得る縁覚と、仲間と修行して道を得る縁覚とがあるとされる[85]。階位としては菩薩の下、声聞とされる。しかし、初期には、声聞や縁覚という用いられ方はしなかった。また、仏弟子の中で悟りを開いた人を、孤独の修行を経た人であったので、「独りで覚った人」と呼んでいた。「独りで覚った」というのは、最初期の理想であり、後代の独覚とは必ずしも一致しないとされている[86]。ブッダ、縁覚(独りでさとりを開いた人)、声聞(教えを聞いて実行する人)が列挙されているのに菩薩が挙げられていない経文もある[87]。そのことから、初期には、悟りの段階ということは明確になっていなかったと考えられる。初期の経文では、「世界の主」、「諸仏たち」の下に「賢者」がいて、その下に「独りでさとった人」と、「教えを受ける人」の階位が漠然と考えられていたと見ることができる。

菩薩について

菩薩については、初禅の境地に達したゴータマのことを菩薩と言うくらいである[88]。初期仏教においては、在家において、諸仏の教えに即した初禅の境地に達するまでになった人のことを、菩薩と考えたと見ることができる[89][90][91] 。また、法の鏡の法門では、三つの束縛を脱することが聖者の流れに入る第一条件であるとされる[92]ので、すでに過去世において、あと三回生まれるだけで(ないし五回生まれるだけで)悟りを開く段階にある人については、生まれた時から聖者の流れの中にいる人であると考えることもできる。  

在家信者に対して、「さとりを達成する」「さとりを究める」と説いている経文がある[93]。これは、一旦梵天の世界に入り、何転生かの後に、さとりを達成する、という意味である。また、同じ個所で、無余涅槃を求める出家者に対しては「ニルバーナ」に入り、この世に戻ってくることはない、としている[94]。このうち、ゴータマが実践していたのは、「つとめはげむ道」といって、自己を制することにつとめはげんだこととされている。ブッダは、自己を制することのうちにさとりがあるとしていた。それは、教えを聞く人が「さとりの道」に入ることでもあった。

諸々の仏について

初期の経典の中で、慈悲深い存在としての諸仏に言及しているのは、世界の主と呼ばれる霊的存在のみである。その、指導的な霊によって、ゴータマは人々に法を説くことを始めた、ということになった。あまねく人々に対して教えを説くというのは、当時のインドとしては、いまだかってないことであったとされる[95]。そのため、法を説く気のなかったゴータマに衆生済度の気持ちが起こったことは、人類の歴史にとって大変大きな出来事であったとみることができる。

仏弟子の中では、ブッダを大仙人ととらえる弟子と、慈悲深い仏と捉える弟子とがいたようである。梵天と等しいとする見解もあった[96]。ブッダは慈悲心ありとしている仏弟子には、スニータ長老[97]、 アディムッタ長老[98] 、アングリマーラ長老(P172)、プッサ長老(P186)、アーナンダ長老(P194 )、アンギーラサ長老(P227)等、ごくわずかである。慈悲深い存在としての(ゴータマ・ブッダ(宗教者))は、諸仏の一人であると考えることができる。

人格的な理法について

原始仏典によると、仏とは、ある場合には、仏の現実的な色身ではなく、それを超えた絶対者(法身にあたるもの)が意味されていることもある。その語源は、「主」を意味するものである、とされている[99]

理法は理想の境地に導くものであり、現にありありと見られるものであり、実際に確かめられるものであり、諸々の智者が各自みずからが証するものである[100]とされる。

ゴータマが悟ってから、5週間ほど経った時のことである。説法に関して、長上として道を説くことはやり切れない、とゴータマが思ったことがあったとされている。まだ自分は完全な悟りを開いてはいない、とゴータマ自身は考えていたようである[101]。そのときゴータマは、自分以上に理法を悟ったブッタたちの存在について語っている。そこでゴータマは、そうするよりもむしろ、この理法(実在)を尊び、敬い、頼って暮らすことにしたとされている[102]。「頼って生きる」とは、最高原理の人格的な面の守り育てる意志というものが前提とされていると考えられ、そのことを悟った覚者が、ダルマの意志の導きのままに生きることを意味していると見ることができる。

初期の経典では、人格的な面を有する最高原理と関連して、神の存在についても、その存在が確認されている。ゴータマは、人格的な面を有する最高原理とは、悟りを得た者にとって、直感的に「神はある」として感得されうるものである、と説いている[103]。智者によって一方的に「神はいる」と感得されるとは、「第四段階の禅定ののちの第三の明知を有する者」等によって、直感的に理解される事柄であるということができる[104][105]

仏弟子のことばに、「理法(ダンマ)は、実に、理法を実践する人を護る。理法をよく実践するならば、幸せをもたらす」(テーラガーター 303)の句がある。ここでは、理法(ダンマ)がほとんど人格視されているとされる[106]。これは、ダンミカ長老の実践からくる信念とされている。このことは、ゴータマが、機縁のある弟子に対しては、理法が人格的なものであることについて教示していたことを示している。

また、ゴータマには、太陽信仰があり、自らを太陽の末裔であると自己紹介している経文がある[107]。太陽信仰は、最高原理の人格的な面の発する光明や、諸仏の発する光明と、万物をはぐくむ物質的な太陽の放つ光を、同系統のものととらえる智慧より生じてくるとみた場合、最高原理の多面性には、太陽神としての表象もあるとみることができる[108][109][110]

世界の主について

初期の経典において、梵天界という語には、三種類の用いられ方がされている。①この世の命が終わった死んだ人の住む世界、②解脱を経験した修行者の住む世界、③世界の主と呼ばれる存在が住む世界、の三種である。このうち、③の世界の主とされる存在が住む世界は、大梵天の住む世界であるようである。世界の主は、一般には、この世の創造神であるとされているが、世界の主は、浄らかで超人的な天眼を開いた者にとっては、大梵天と呼ばれる存在であるとも考えられる。

ゴータマという覚者のいちいちの心の動きを手に取るように把握し、見えない次元から瞬時に仏の眼前に出現するところなどは、諸仏の能力を持っているとすることができる。

ブッダの出現の仕方と世界の主の出現の仕方は同じであるところからみると、[111] 世界の主はこの世に関わる諸仏と同じ能力を持っていたとみることができる。

地獄に落ちた仏弟子のことをいち早く察知し、その魂の落ち行く場所と期間までを、ゴータマに示したところを見ると、世界の主の諸仏としての能力は、かなり上位にあると見ることができる。

ゴータマの生き方を諸仏の生き方に転換し、その後の何十年かの生き方について適切な教示をしたところを見ると、世界の主は諸仏の指導者と同じ役割を果たしていたと考えられる。[112]

一万の神々は、すべてみな大梵天を主導者としている[113]、とされている[114]

万古不滅の法について

諸仏の教えは、ゴータマの回想である7回の宇宙期の記憶と関連するとした場合、諸仏の教えは、それぞれの古代文明の中に出現した覚者の説いた万古不滅の理法であるという見方ができる。

世界の主とされる存在は、有余涅槃に留まる諸仏の存在のきまりについても言及した。「世界の主」は、その詩句の中で、ダルマに頼って生きるという心の境地は、諸仏とされる存在にとって不可欠な条件であることを教示している。真理、ダルマに頼ることは、過去・現在・未来の仏にとって、正しい教えを重んずることであるとされる[115]。それ故に「この世においてためになることを達成しようとする偉大な境地を望む人は、仏の教えを憶念して、正しい教えを尊重する。それが諸仏にとってのきまりである」とされている。この個所で世界の主が語った「仏の教え」とは、諸仏の教えを指していると考えられる。諸仏の教えとは、「すべて悪しきことをなさず、善きことを行い、自己の心を浄めること、これが諸々の仏の教えである(ダンマパダ183)」ということである[注 3]。また、諸仏とは、万古不滅の法を悟ったブッダたち(賢者たち)のなかでも特に、人々に対する慈悲心のある悟達者を、世界の主は、仏の教えを憶念する諸仏と呼んでいた、と見ることができる。

十方世界(宇宙)について

初期には三千大千世界という概念は存在しなかったとされる。地獄や天界が単一のものと考えられていたように、東西南北とその間及び上下を合わせた十方世界一つとされていたと見ることができる[117]

天眼による空無辺について

ゴータマが悟ったとき、眼前の自然の姿の中に、万古不滅の理法が感得されたとされている。そのことは、同じ景色を見ても、人によって宇宙の姿の受け止め方が違っていることを意味している。ゴータマは、超人的な天眼が開き、不動の心が確立したときに、過去の出来事の記憶を思い起こす智慧に心を向けることができたとされている。撒餌経では、空無辺処の境地として、あまねく外界の想念を超え、内界の想念をなくし、さまざまな想念を思うことがない、という境地のことが語られている。それは、空間は無限であるということを体感する境地であるといえる。想念には、外界から内界に向かってゆく想念と、内界から外界に向かってゆく想念とがあるとされている。その想念の動きを超えたり、止めたりするところに、空間(物質的な宇宙)の無限を体感し、そこに住する境地に至ることができるとされている。そのとき、過去の生涯を思い起こす智に心を向けると、過去の転生から、宇宙期の記憶に至るまでが回想されるとされている[118][119][120][121]

初期の経典には、人間の肉体は汚いものであると説かれている。しかし、悟りのときに開くとされている超人的な天眼については、浄いものであるとされている。浄らかで超人的な天眼は、人間の意識(心)に関係したものであると見ることができる

天眼による識無辺について

超人的な天眼が開き、不動の心が確立したときに、意識は無限であることを体感する識無辺処の境地に到達するとされている。意識の無限とは、過去現在未来にわたるすべての衆生の総和としての無限と思われる。その意識が、肉体に制約された個の意識から、すべての衆生の意識という無限大にまで拡大するという点では、空無辺との類似性が見られるといえる[122]

超人的な天眼が開き、さらに心境が深まったときには、過去現在未来にわたるすべての覚者の意識が覚知できるようになる、とされている[123]。サーリープッタの場合は、識無辺の悟りは、過去現在未来にわたるすべての覚者の意識にまでは至らなかったが、ゴータマの場合は、過去現在未来にわたる宇宙における、すべての覚者の意識が覚知されていたようにもうかがえる。

外的な地獄界と内的な地獄界

撒餌経によると、マーラのわなは、外界と内界の両方にあるといえる。想念には外界にあまねく存在するものと、内界の様々な想念があるとしている。内界の想念にしかけられた悪魔のわなは、その人の心から出てくる煩悩とは見分けのつかないことが多いようだ。また、悪魔のことを夜叉と言うときがある。初期には、悪魔は特別な存在ではなく、死んだ人と、悪魔とを同一視している場合もある[124]。最初期の教えでは、地獄はこの世にみられるものであった。この世のよこしまな生活やそのもととなる妄執をさしている[125]。そのため、地獄はどこか遠くに見られるものではなく、この世を起点とした、自らの内的世界の通じる妄執の世界と考えられていたと見ることができる。

悟った後も、わなは無くなることはないので、悟る前の人間は、世間の中で暮らしていると、自然に、地獄・餓鬼・畜生・修羅の四つの落ち行くところにいきつくとされていた。また、それよりはましな人間界と天界の二つの境界は、なんとかして得ることができる[126]と考えられていたが、天界と人間界との迷いの欲望をすべて絶つことは、むつかしいとされていた[127]

世の中の何ものにも執着しても、それによって悪魔が人につきまとうに至る[128]、愛執と嫌悪と貪欲とは悪魔より来るわなである、とされている[129][130]。 邪魔[131]、恐怖[132]、などもあるとされる。

マーラは、祭祀などによって、地位名誉などによる世間的な利益を得て、煩悩を増大させるものである。それは、五つの欲望の対象であるとされている。マーラの目的とするのは、修行者を支配することによって、自分の支配欲等を満たすことであるとされている[133]。 そのように、この世にて、自らの修行を全うしようとする者には、マーラの支配のわなが付きまとっているということが説かれている[134]

双考経では、初禅において止観されたのは、内側から悪い道に行こうとする心の傾向であるといえる。その悪い道は、外側にも存在し、それは、邪悪な見方、邪悪な思い、邪悪な言葉、邪悪な業務、邪悪な生活、邪悪な励み、邪悪な思念、邪悪な精神統一(定)であるとされている[135]。悟る直前に為された第一禅には述べられていないが、いわばその前提として、第一禅の境地の体得には、マラーのわなについての考察が不可欠であったと言うことができる。[136]

生存領域として、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六道が挙げられている[137]。これは、この世に生存しているときに心内で輪廻転生する領域であるということができる[138]

また、煩悩と関係が深いと思われる無明というものに関して、世間的な煩悩の増大からは解脱していると思われる梵天の世界においても、無明にとらわれる梵天がある[139]とされている。そのため、無明は必ずしも肉体の次元やマーラのわな等にのみ関わるものではないといえる。

  • 兜率天(天界)での迷妄

古い詩句では、三十三天のことを、「三十人の神々」としている。三十三神以外の神観は持っていなかったとされる[140]

三十三天の観念では、兜率天が梵天界の上にあるとされている。しかし、兜率天にいる霊でも、恐怖心から、いきなり地獄に堕ちる時があるとされている[141]。そのことから、兜率天の心境は、天国に行ったり、地獄に行ったりと、不安定なものであるといえる[142]

梵天界は、修行が進み、この世に還ることが無くなった人が行くときがあるとされる場合もある。この場合の梵天は、恐怖心を超えている境地に住していると考えられるので、六道輪廻のうちにある兜率天の上位に位置していると思われる。

  • 人間の世界での迷妄、執着の巣窟

執着の巣窟に導かれる人もいる[143]とされ、窟(身体)のうちにとどまり、執着し、多くの煩悩に覆われ、迷妄のうちに沈没している人もいる[144]とされている。生存の快楽や世間の不正などにより、世の中にありながら、欲望を捨て去ることは、容易ではない[145]とされている。

  • 修羅

修羅の心で代表的なものは、争いに突入するときの心であるといえる。 鋸喩経 では、ゴータマ・ブッダは、この経において、出家したものは、在家的な欲望や、在家的な思いを捨てるべきである、ということを説いた。その喩として、ゴータマは、盗賊に手足を切り落とされた時であっても、心を乱すことなく、怒りのこころを抱かないように実践せよ、と説いたとされている。ブッダの教えを学ぶ者は、のこぎりによって、手足を切り落とされた時であっても、内にも外にも争いの世界に堕することが無いようにせよ、としている[146]

外的なものとしては、阿修羅は神々の敵であり、ときどき神々と戦闘を交えるという神話がある[147]

  • 畜生
  • 餓鬼
  • 地獄

古い詩句では、天も地獄も単数で表されている[148]ので、地獄の世界の中に、地獄・餓鬼・畜生・修羅の心のありさまが通じるそれぞれの世界があるようだ。「わたくしには地獄は消滅した。畜生のありさまも消滅した。餓鬼の境涯も消滅した。悪いところ・苦しいところ(地獄)に堕することもない。・・・わたしは必ずさとりを究める者である[149]」、とされている。

地獄・餓鬼・畜生・修羅の、それらの落ちゆくところに生まれたものたちが、もろもろの地獄において、出家することはできないとされた[126]。地獄に落ちた修行者たちには、苦痛の衝撃が絶え間なく続くので、長い年月の間、彼らは、悟りの道に帰ることができない状況に追い込まれている、ということができる[150][151][152]

年表

仏教宗派の伝来に関するタイムライン (紀元前450年 – 1300年)

  紀元前450年[153] 紀元前250年 100年 500年 700年 800年 1200年[154]

 

インド

初期
仏教

 

 

 

部派仏教 大乗仏教 密教

 

 

 

 

 

スリランカ ·
東南アジア

  上座部仏教

 

 
 

 

 

(アリ―派)(英語版)

 

チベット

 

ニンマ派

 

(カダム派)(英語版)
カギュ派

 

(タクポ・カギュ派)(英語版)
サキャ派
  チョナン派

 

(中央アジア)(英語版)

 

(ヘレニズム仏教)(英語版)

 

シルクロード仏教

 

 

(東アジア)(英語版)

 

部派仏教
(大乗仏教)
(シルクロードを通じ
(中国)へ、またインドからの 海路
ベトナムへ)

(唐密)

南都六宗

真言宗

(中国の禅宗)(英語版)

 

(ベトナムの禅宗)(英語版)(朝鮮の禅宗)(英語版)
  (日本の禅)
天台宗/浄土教

 

天台宗

 

 

日蓮宗

 

浄土宗/浄土真宗

 

  説明:   = 上座部仏教   = 大乗仏教   = 密教を兼学する大乗仏教


脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ Paul Williams, Mahayana Buddhism the Doctrinal Foundations, 1989, 2nd. ed.2009, 268頁註7で「小乗(Hīnayāna)」の変わりに「主流仏教(Mainstream Buddhism)」と呼ぶと述べ、以後この呼称を使用する学者が他にもいる
  2. ^ これに近いのがアーガマサンユッタ・ニカーヤであることが文献学的考証から定説になっている。((文献学的考証))
  3. ^ 諸仏の教えがいつからのものであるかについての記述はないが、ゴータマの回想によると、7回の宇宙期の記憶があるということであるから、そのうちのいずれかの宇宙期より伝承されてきたものであるかのようにも考えられる。この宇宙期に起源をもつものであるとすると、諸仏の教えは、超古代文明を生きた仏の教えであるということができる。プラトンが記述したアトランティス大陸などにも、古代文明を生きた賢者が、万古不滅の法を悟っていたとする見解もある[116]。また、さらに、諸仏の教えが、この宇宙期以前の仏の教えであるとするならば、それは超宇宙期の仏の教えであるということができる。初期の仏教においては、万古不滅の法とは、超古代文明をさらに超えた文明に生きた仏が悟った理法であると見ることができる。また、ゴータマは、過去・現在・未来の人類の心を見通せるということであるので、諸仏の教えは未来にその発生の源を持つというふうに見ることもできる。

出典

  1. ^ 三枝充悳『仏教入門』《岩波新書》、1990年[]
  2. ^ 前田惠學、「何故「原始仏教」か」『印度學佛教學研究』 49巻 2号 2001年 p.765-772, doi:10.4259/ibk.49.765,日本印度学仏教学会
  3. ^ Stanislaw Schayer, Ausgewählte Kapitel aus der Prasannapadā, 1931, IX頁; J. W. de Jong, Buddhist studies, 1979, 散説されるが、主に29頁以下
  4. ^ 岩波書店『仏典を読む1仏陀の生涯』2017年 P2 中村元 (前田専學 監修)
  5. ^ 岩波仏教辞典第二版P593 中村元ほか、スッタニパータの項目
  6. ^ ダンマパダも、スッタニパータとともに、現存経典のうちの最古の経典といわれる。岩波仏教辞典P927法句経の項目
  7. ^ 原始仏典II 相応部経典第一巻序文 前田専學
  8. ^ 『続仏教語源散策』東洋選書1977年中村元編 P38 結集の綱目 田上太秀
  9. ^ 『インド仏教の歴史』講談社P22 竹村牧男
  10. ^ 岩波書店『仏典を読む1仏陀の生涯』2017年 P71 中村元 (前田専學 監修)
  11. ^ 原始仏典II 相応部経典第一巻P447第4篇における注37 中村元ほか
  12. ^ 原始仏典II 相応部経典第一巻P448第4篇における注56 中村元ほか
  13. ^ 岩波仏教辞典第二版P19 中村元ほか、阿羅漢の項目
  14. ^ スッタニパータ 647 前世の生涯を知り、また天上と地獄とを見、生存を減し尽くしに至った人、──かれをわたしは(バラモン)と呼ぶ。
  15. ^ スッタニパータ 718 独り坐することと<道の人>に奉仕することを学べ。聖者の道は独り居ることであると説かれている。独り居てこそ楽しめるであろう。
  16. ^ 『インド仏教の歴史』講談社2004年P58 竹村牧男
  17. ^ 岩波仏教辞典第二版P655 中村元ほか、対機説法の項目
  18. ^ 世界の名著2 大乗仏典 P.22 
  19. ^ 岩波書店『仏典を読む1仏陀の生涯』2017年 P.50 中村元(前田専學 監修)
  20. ^ 『原始仏典II 相応部経典第2巻』P608第3篇注19 春秋社2012年 中村元監修 浪花宣明訳
  21. ^ 『原始仏典II 相応部経典第2巻』P328第3篇第5節 春秋社2012年 中村元監修 浪花宣明訳
  22. ^ 『原始仏典II 相応部経典第2巻』P596 第1篇注59 春秋社2012年 中村元監修 浪花宣明訳
  23. ^ 当時のヨーロッパ、北アフリカ、西アジア、東アジアを通じて、尼僧の教団なるものは存在せず、世界の思想史において驚くべき事実であるとされる。『尼僧の告白』1982年岩波書店P120 あとがき 中村元
  24. ^ 『原始仏典II 相応部経典第2巻』P616 第5篇注24 春秋社2012年 中村元監修 浪花宣明訳
  25. ^ a b 『原始仏典II 相応部経典第2巻』 第5篇P616注24  春秋社2012年 中村元監修 浪花宣明訳
  26. ^ 『原始仏典II 相応部経典第2巻』 第5篇P609注23 春秋社2012年 中村元監修 浪花宣明訳
  27. ^ a b 『ゴータマ・ブッダ 釈尊伝』法蔵館1958年 P114 中村元
  28. ^ 岩波文庫『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経』P291訳注第五章注150 中村元
  29. ^ 過去七仏の観念があらわれ、第七人目の仏がゴータマであるとするようになったのは、後代になってからとされる。(原始仏典II 相応部第一巻P484第8篇注80 中村元ほか)
  30. ^ ウパニシャッドの言葉であっても、現存パーリ仏典よりも内容や言葉はかなり古いものをうけている。『ゴータマ・ブッダ 釈尊伝』法蔵館1958年 P136 中村元
  31. ^ 『仏教語源散策』中村元編 1977年東京書籍P152松本照敬
  32. ^ 岩波仏教辞典第二版P371
  33. ^ 『仏教語源散策』中村元編 1977年東京書籍P234松本照敬
  34. ^ a b 『世界の名著1 バラモン経典 原始仏典』中公バックス 昭和54年 P22 インド思想の潮流の項目 長尾正人 服部正明
  35. ^ 『ゴータマ・ブッダ 釈尊伝』法蔵館1958年 P113 中村元
  36. ^ 『ゴータマ・ブッダ 釈尊伝』法蔵館1958年 P118 中村元
  37. ^ 無我とは、アートマンが存在しないのではなく、我でもないものを我とみなしてはならないという考え方であり、「われという観念」、「わがものという観念」を排除しようとしたのである。(中村元著『佛教語大辞典』より) 『仏教語源散策』中村元編 1977年東京書籍P20無我の項目上村勝彦
  38. ^ 『ブッダ 悪魔との対話 サンユッタ・ニカーヤII』岩波書店1986年P339第VI編第1章第2節注8中村元
  39. ^ 岩波仏教辞典第二版P901
  40. ^ a b 『仏弟子の告白 テーラガーター』岩波書店1982年 P252注303 中村元
  41. ^ 『ブッダ 神々との対話』岩波書店1986年P248 第1篇第3章第5節注 中村元
  42. ^ 『ブッダ 神々との対話』岩波書店1986年P250 第1篇第3章第9節の注 中村元
  43. ^ スッタニパータ 772
  44. ^ 『ブッダのことば スッタニパータ』岩波書店1984年 P379  注772 中村元
  45. ^ スッタニパータ 478
  46. ^ ゴータマはここで、人間のうちに存する霊的なものを考えていた。『ブッダのことば スッタニパータ』岩波書店1984年 P395  注875 中村元
  47. ^ アートマンと同じように、霊魂についても、悟りを得た時にはじめて清められる(真人的なもの・実存的なものとなる)とされるならば、肉体という窟にとどまる実体のない非我のようなものが、忍土の中で、内外からくる無明の闇にのまれている、というように見ることができる。
  48. ^ ゴータマは無余涅槃を排斥した。『ブッダのことば スッタニパータ』岩波書店1984年 P395注875 中村元
  49. ^ 『ゴータマ・ブッダ 釈尊伝』法蔵館1958年 P136 中村元
  50. ^ 『ブッダ入門』春秋社1991年 P144 中村元
  51. ^ 悟りというものを宇宙原理たるブラフマンと真の自己との合一という観点から見た場合、小宇宙的概念としての内的世界(真人としての我)が、大宇宙の根本原理と合一すると言い換えることもできそうである。
  52. ^ 『ブッダ入門』春秋社1991年 P7 中村元
  53. ^ 肉体的な執着から離れた境地となり、意識が調和されるにしたがって、水が水蒸気になって拡大してゆくように、もう一人の我というものが拡大していって宇宙と一如と感じられるようになってゆくことを悟りとする説もある。内的宇宙が拡大して外的宇宙と合一することが佛への転換点であるとされている。『心の原点』P26 1973年 三宝出版 高橋信次
  54. ^ 『ブッダ入門』春秋社1991年 P113 中村元
  55. ^ 『ブッダ 悪魔との対話 サンユッタ・ニカーヤII』岩波書店1986年P306第IV編第1章第4節注1中村元
  56. ^ 『ブッダのことば スッタニパータ』岩波書店1984年 P415 注1026、P217 ・1033  中村元
  57. ^ 真実の自己を探求してゆくことが初期の仏教修行者の目的であったとされている。『ゴータマ・ブッダ 釈尊伝』法蔵館1958年 P244 中村元
  58. ^ (1)自身を実在とみなす見解 (2)疑い (3)外面的な戒律・誓い、という三つのことがらのことであるが、内容的には身体的な自分のほかに、真人の我がいるということを自覚することが中心とも見える。
  59. ^ 死んだ500人以上の在家信者たちは、三つの束縛を滅ぼしつくしたから、(聖者の流れに踏み入った人)であり、悪いところに堕することのないきまりであって、必ずさとりを達成するはずである。『ブッダ最後の旅』岩波文庫P48中村元(大パリニッバーナ経二章7)
  60. ^ この宇宙の前には、幾多の宇宙の生成と消滅があり、それらの幾多の宇宙期における歴史と、そこにおける自らの一々の百千の生涯について思い起こすことができるようになったとされる。
  61. ^ ここで四諦に関連して書いてあることは、後世の付加であるとされている。『ゴータマ・ブッダ 釈尊伝』法蔵館1958年 P105 中村元
  62. ^ 諸々の汚れを滅する智は、自らが清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れない状態で生じたものであるので、この世に生きる諸々の生存者の諸々の汚れを滅することのできる智と見ることが出来る。
  63. ^ 『ブッダ最後の旅』 岩波文庫P205注29 中村元
  64. ^ 『ゴータマ・ブッダ 釈尊伝』法蔵館1958年 P95 中村元
  65. ^ 『<仏典を読む>1ブッダの生涯』P145中村元(前田専學監修)
  66. ^ 『原始仏典II 相応部経典第2巻』 第5篇P396解説  春秋社2012年 中村元監修 浪花宣明訳
  67. ^ 『原始仏典II 相応部経典第2巻』P596 第1篇注60 春秋社2012年 中村元監修 前田専學編集 浪花宣明訳
  68. ^ 『ブッダ最後の旅』 岩波文庫P204注28 中村元
  69. ^ 『原始仏典II 相応部経典第2巻』 第1篇P600注88  春秋社2012年 中村元監修 前田専學編集 浪花宣明訳
  70. ^ 『尼僧の告白』1982年岩波書店P36中村元
  71. ^ 『ブッダのことば スッタニパータ』岩波書店 1984年 P420の注 中村元
  72. ^ a b c 『原始仏典Ⅱ相応部第一巻』岩波書店 P137 中村元ほか
  73. ^ ゴータマの教えは、その全体が善き友を持つことによる継続的な八正道の実践を目指すものであったと同時に、自らも善き友となるように努めてゆく実践的・人格的性質を持ったものであったとする見解がある。『2つの扉』 三宝出版 2022年 P143 高橋佳子
  74. ^ 『ブッダ最後の旅』岩波文庫 2001年 P197の注 中村元
  75. ^ 『ブッダ 神々との対話 サンユッタ・ニカーヤⅠ』岩波書店 1986年 P192   中村元
  76. ^ 『尼僧の告白』1982年 岩波書店 P49 中村元
  77. ^ 『原始仏典Ⅱ相応部第一巻』岩波書店 P165 中村元ほか
  78. ^ 『ブッダのことば スッタニパータ』岩波書店 1984年 P252の注 中村元
  79. ^ 『ブッダ最後の旅』岩波文庫 2001年 P196の注 中村元
  80. ^ 『ブッダ最後の旅』岩波文庫 2001年 P204の注 中村元
  81. ^ そのことはいつ頃からかについては語られていないが、衆生済度にかかわる話であるので、慈悲の教えを説かずに消滅のうちにあるとされている過去七仏以前の太古の話であると思われる
  82. ^ 『ブッダ最後の旅』岩波文庫 2001年 P138 中村元
  83. ^ 『ブッダのことば スッタニパータ』岩波書店1984年 P324の注 中村元
  84. ^ 『仏弟子の告白』 岩波書店 1982年 P251の注 中村元
  85. ^ 岩波仏教辞典P94
  86. ^ 『ブッダのことば スッタニパータ』岩波書店 1984年 P254の注 中村元
  87. ^ 『ブッダ最後の旅』岩波文庫 2001年 P282の注 中村元
  88. ^ 『ゴータマ・ブッダ 釈尊伝』法蔵館 1958年 P107 中村元
  89. ^ もろもろの悪についての見解や、止観、八正道についての考察、仏についての信頼、慈悲の教えを学びたいという滅、マラーの誘惑などが、ゴータマが在家の時に成就した初禅の前提としてあったと思われる
  90. ^ 後代になって、菩薩とは、菩提(悟り)を求める衆生を意味するようになった(出典 岩波仏教辞典 P922)
  91. ^ 肉体を有する限り、つとめはげんでいないと、五上分結の人や阿羅漢位と思われる人でも、地獄に落ちると、この世の主が話した例があるので、悟りの段階は流動的なものであったと見ることができる。(出典『ブッダのことば スッタニパータ』岩波書店 1984年 P144 中村元 )
  92. ^ 『ブッダ最後の旅』岩波文庫 2001年 P48 中村元
  93. ^ 『ブッダ最後の旅』岩波文庫 2001年 P48 中村元(大パリニッバーナ経二章7)
  94. ^ このことは、声聞から菩薩の悟りを目指す何転生かのさとりの道と、想受滅から無余涅槃を目指す今生のみの大悟の道とを区別していたことを示していると見ることができる。大仙人と菩薩の違いは、その慈悲心にあると思われる。ブッダは慈悲心ありとしている仏弟子以外は、結果として無余涅槃を求めていたと考えられる
  95. ^ 『ゴータマ・ブッダ 釈尊伝』法蔵館 1958年 P120 中村元
  96. ^ 『ブッダのことば スッタニパータ』岩波書店 1984年 P105 中村元
  97. ^ 『仏弟子の告白』 岩波書店 1982年 P135 中村元
  98. ^ 『仏弟子の告白』 岩波書店 1982年P152 中村元
  99. ^ 『ゴータマ・ブッダ 釈尊伝』法蔵館 1958年 P321 中村元
  100. ^ 『ブッダ最後の旅』岩波文庫 2001年 P50 中村元
  101. ^ 『ブッダ 悪魔との対話』岩波書店 1986年 P339の注と、P88 中村元
  102. ^ 『ブッダ 悪魔との対話』岩波書店 1986年 P88 と、P339 の注 中村元
  103. ^ (出典『原始仏典第4巻 中部経典 Ⅲ』第100経 清らかな行いの体験 ー サンガーラヴァ経 春秋社 2005年 前書き P426 山口務
  104. ^ 悟りの内容の最後の方に、第三の明知が生じた後、無明と闇黒が滅び、光明が生じた、とある(出典『ゴータマ・ブッダ 釈尊伝』法蔵館 1958年 P107 中村元)。ここに言われている「光明」とされるものが、「神の意識」(神の存在)と同じものであるとする見解がある。(出典『人間釈迦 1』三宝出版 P157 高橋信次 )
  105. ^ なお、悟りの内容を記したいくつかの経文には、「神」、「人格的な面を持つ理法」、「出起する道」、「梵輪」、などの実在について、言及しているものはあまり見当たらない。これは、ゴータマにとっては、直感的な事柄について、対機説法によってこれを説く機縁にある弟子があまりいなかったためと思われる。
  106. ^ 『仏弟子の告白 テーラガーター』岩波書店 1982年 P252注303 中村元
  107. ^ (出典『ブッダのことば スッタニパータ』岩波書店 1984年 P335 中村元)。これは、光明という言葉に関連していると見ることができる。
  108. ^ ブッダは、この世を照らす存在であったとされている。(出典『仏弟子の告白』 岩波書店 1982年 P229、P165 中村元 )
  109. ^ 「遍く輝く者」は、後代になって、大日如来を意味するものとなった。(出典『ブッダ 神々との対話』岩波書店 1986年 P297 中村元 )
  110. ^ これまで人間が、神、(太陽神)、仏、万古不滅の法、実在、宇宙意識等と呼んできたものは、万生万物の根源としての「一なるもの」であるとする見解がある。(出典『人間の絆 嚮働編』祥伝社 1991年 P34 高橋佳子)
  111. ^ 『ブッダ 悪魔との対話』岩波書店 1986年 P94、P97 中村元
  112. ^ 心眼が開くと、世界の主は、すべての衆生の指導者であることがわかるとする見解がある(出典『心の原点』三宝出版 1973年 P68 高橋信次)。
  113. ^ 『仏弟子の告白』岩波書店 1982年 P216 1178 中村元
  114. ^ また、かの修行者(モッガラナー)は大梵天のごとくであり、観自在である(『仏弟子の告白』1181)、という言葉があるが、モッガラナーは、慈悲については語っていないので、神通力に関してのみ、大梵天と同じくらいの能力を有していたと解釈できる
  115. ^ 『ブッダ 悪魔との対話』岩波書店 1986年 P89 中村元
  116. ^ 『心の原点』三宝出版1973年P51 高橋信次
  117. ^ 『ブッダ最後の旅』岩波文庫 2001年 P277の注 中村元
  118. ^ ゴータマは、百千の転生の思い出と、何回かの宇宙期のことを回想したとされている(出典『ゴータマ・ブッダ 釈尊伝』法蔵館 1958年 P107 中村元)
  119. ^ 過去七仏以前の太古の文明に起因する回想として、真の覚者の下には賢者がいる、ということをゴータマは語った。そのことは、いつ頃から始まったのかについては語られてはいない。それは、複数回の宇宙期以前の回想であるとされる。
  120. ^ 人は悟ると、過去の転生を思い出すという見解がある。『心の発見科学編』株式会社経済界 1966年 P25 高橋信次
  121. ^ 宇宙の始まりについて説いた神観は、グノーシス思想と思われるエウグノストスにも記されている。しかし、ゴータマの回想する宇宙期については、ウパニシャッドにも、見当たらない。また一方では、人は悟ると何兆年にわたる記憶を回想することができる、という見解がある。(出典『心の発見現象編』株式会社経済界 1968年 P107 高橋信次)
  122. ^ 悟った人を「仏」と呼ぶ場合がある。「仏」は本来「佛」と書くけれども、「弗」という字には否定の意味があり、人間でありながら、人間にあらざる者になるという意味があるとされる。水の例でいうと、水は沸点に達すると、水蒸気になるが、水蒸気というのはもとは水だけれど、水にあらざるものになる、というところが、人と仏との関係に似ているとされている(出典『ブッダ入門』春秋社 1991年 P7 中村元)。また、宇宙には、物質の宇宙と意識の宇宙があり、内的宇宙が拡大して外的宇宙と合一することが佛への転換点であるとする説がある。『心の原点』 三宝出版 1973年 P26 高橋信次
  123. ^ 『ブッダ最後の旅』岩波文庫 2001年 P28 中村元
  124. ^ 『ブッダのことば スッタニパータ』岩波書店 1984年 P340の注 中村元
  125. ^ (出典『ブッダのことば スッタニパータ』岩波書店 1984年 P373 の注 中村元)無明と六道輪廻とが関係しているとするならば、内的世界においても、六道輪廻の現象が起こっているといえる。
  126. ^ a b 『尼僧の告白』岩波書店 1982年 P89 中村元
  127. ^ 『尼僧の告白』岩波書店 1982年 P18 中村元
  128. ^ 『ブッダのことば スッタニパータ』岩波書店 1984年 P233 1103 中村元
  129. ^ 『ブッダのことば スッタニパータ』岩波書店 1984年 P185 835 中村元
  130. ^ 『ブッダ 悪魔との対話』岩波書店 1986年 P43 中村元
  131. ^ 『ブッダ 悪魔との対話』岩波書店 1986年 P319の注8 中村元
  132. ^ 『ブッダ 悪魔との対話』岩波書店 1986年 P15 中村元
  133. ^ ゴータマが悟る直前にマーラの誘惑や、攻撃を受けたとされるのも、ゴータマが悟って、教えを説いてしまうと、人間をだまして支配することがやりずらくなってしまうからだとされている(出典『原始仏典第4巻 中部経典Ⅰ』 第19経 二種の思いー双考経 P292 春秋社2004年 中村元監修 及川真介訳)
  134. ^ また、仏、あるいはゴータマのことを、「ヤッカ(夜叉)」と呼んでいるときがある(出典『ゴータマ・ブッダ 釈尊伝』法蔵館 1958年 P311 中村元)。マーラと夜叉とブッダとが同一視される混乱した場面もあったようである
  135. ^ 『原始仏典第4巻 中部経典Ⅰ』 第19経 二種の思いー双考経 春秋社 2004年 P292 中村元監修 及川真介訳
  136. ^ 最初の時期には五下分結についての解釈は一定しておらず、死後に四悪道のいずれかにおもむかせる五つの束縛という解釈もされていた。三界説はダンマパダやスッタニパータの中にも出ていないが、五下分結、五上分結の観念はおそらく成立していたと考えられている。三界説が成立したのは、かなり遅れてのことであるとされている。(出典『ブッダ 神々との対話』岩波書店 1986年 P228 中村元)
  137. ^ 『仏弟子の告白』岩波書店 1982年 P249の注 中村元
  138. ^ 内的世界においては、悟り以前の段階として、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の心の状態を、各人の心が六道輪廻している、とする見解もある。(出典『GLA誌 2005・10』人天経綸図解義の項 GLA総合本部出版局 2005年 P16 高橋佳子
  139. ^ 『ブッダ 悪魔との対話』岩波書店 1986年 P94 中村元
  140. ^ 『ブッダ 神々との対話 サンユッタ・ニカーヤⅠ』岩波書店1986年P234 P333 の注 中村元
  141. ^ 『仏典を読む1仏陀の生涯』岩波書店 2017年 P4 中村元(前田専學 監修)
  142. ^ 生きている人間の天界は、有頂天といって、上がったり下がったりする心の情緒における上がった状態を指す、という見解がある。
  143. ^ 『ブッダのことば スッタニパータ』岩波書店 1984年 P188 846 中村元
  144. ^ 『ブッダのことば スッタニパータ』岩波書店 1984年 P175 772 中村元
  145. ^ 『ブッダのことば スッタニパータ』岩波書店 1984年 P175 中村元
  146. ^ 『原始仏典第4巻 中部経典Ⅰ』 第21経 怒りのこころと慈しみのこころー鋸喩経 春秋社 2004年 前書き P304 中村元監修 羽矢辰夫訳
  147. ^ 『ブッダのことば スッタニパータ』岩波書店 1984年 P371の注 中村元
  148. ^ 『ブッダのことば スッタニパータ』岩波書店 1984年 P368の注660 中村元
  149. ^ 『ブッダ最後の旅』岩波文庫 2001年P48 中村元
  150. ^ 『ブッダ 悪魔との対話』岩波書店 1986年 P111 中村元
  151. ^ 悟りの道から脱落した人が、地獄から抜け出るためには、生前の自らを悟り、自分は梵天の世界に生まれてはいない、ということを悟ることが外的な地獄を抜け出るきっかけとなる、ということができる。諸仏の教えと、仏との善友ということが、地獄脱出の要になっているといえる。地獄に落ちる要因となった己の悪行を省みて(もろもろの悪をなさない)、自分自身の心の在り方を止観し(自らの心を浄くする)、善いことをなそうとすることが、内的な地獄を抜け出ることにつながり、仏との善友の絆をつなぐことになる、と見ることができる
  152. ^ 『心の原点』 三宝出版 1973年 P59 高橋信次
  153. ^ Cousins, L.S. (1996); Buswell (2003), Vol. I, p. 82; and, Keown & Prebish (2004), p. 107. See also, Gombrich (1988/2002), p. 32: “…[T]he best we can say is that [the Buddha] was probably Enlightened between 550 and 450, more likely later rather than earlier."
  154. ^ Williams (2000, pp. 6-7) writes: "As a matter of fact Buddhism in mainland India itself had all but ceased to exist by the thirteenth century CE, although by that time it had spread to Tibet, China, Japan, and Southeast Asia." Embree et al. (1958/1988), "Chronology," p. xxix: "c. 1000-1200: Buddhism disappears as [an] organized religious force in India." See also, Robinson & Johnson (1970/1982), pp. 100-1, 108 Fig. 1; and, Harvey (1990/2007), pp. 139-40.

出典

  • Buswell, Jr., Robert E. (ed.) (2003). Encyclopedia of Buddhism (MacMillan). (ISBN 0-028-65718-7).

関連項目

外部リンク

  • 初期仏教における聖典成立と修行体系
  • 初期仏教教団の研究 −サンガの分裂と部派の成立−
  • 安藤淑子、「原始仏教におけるkāmaの考察」『佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇』 46号 2018年 p.1-18, NAID 120006455767, 佛教大学大学院
  • 佐々木閑「仏教哲学の世界観」 - 仏教学者の動画集で、初期仏教の教えについて、仏教史や阿含経に立ち返りながら解説している。
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