地理
徳島市の最西部、市域の西への突出部に位置する、山あいの盆地である。
かつての入田村の一部で、徳島市で唯一、名西郡から合併している。旧入田村は現在の国府町西矢野を含んでいるため、現在の徳島市入田町および入田地区と旧入田村とは区域が一致しない。
徳島市の地区の中で、人口・世帯数・人口密度が最小である。
山
山 | 標高 | |
---|---|---|
西龍王山 | 495m | 山内には徳島県立神山森林公園がある。 |
東龍王山 | 408m | 西竜王山の東部に位置している。 |
気延山 | 212m | 国府地区・名西郡石井町との境にある。 |
辰ヶ山 | 197m | 国府地区・上八万地区との地区境近くに位置する。 |
河川
隣接する地区・町
徳島市外は地区の代わりに町村。( )内は町・大字。
小字と人口
人口は徳島市による推計[2](2011年6月)。
小字 | 読み | 人口 |
---|---|---|
天ノ原 | あまのはら | 197 |
金治 | こんじ | 8 |
南谷 | なんごく | 25 |
春日 | かすが | 206 |
笠木 | かさぎ | 260 |
神ノ池 | かみのいけ | 32 |
安都真 | あづま | 125 |
月ノ宮 | つきのみや | 145 |
海先 | かいさき | 143 |
内ノ御田 | うちのみた | 127 |
大久 | おおひさ | 356 |
計 | 1624 |
歴史
地名の由来
『入田村史』によれば、景行天皇の代の121年、阿波国など5ヵ国に分置された蝦夷の俘囚が、この地を「ニウタ」と呼んだことが地名の始まりである[1]。アイヌ語で「ニウタ」は周囲を山で囲まれた田園を意味する[1]。
年表
- 645年 - 大化の改新。こののち、名方郡埴土郷(はにごう)波邇井(はにい)となった[1]。
- 896年 - 名方郡が名東郡と名西郡に分割。埴土郷波邇井は名西郡となった[1]。
- 1585年 - 徳島城築城。城下町建設にともない、建治寺と春日神社が入田から眉山へ移された(春日神社は田宮からとも)[1]。
- 1592年 - 太閤検地時に、波邇井が入田村(現 入田町)と矢野村(現 国府町西矢野)に分けられた[1]。
- 1870年 - (番組町村制)により、矢野村・尼寺村(現 石井町の隣接する大字)などと共に名西郡九番組となった[3]。
- 1872年 - 大区小区制により、第二大区となった[3]。
- 1879年 - 郡区町村制により、入田村が復活。
- 1889年10月 - 1日市町村制施行に伴い、入田村と矢野村が合併して(新)入田村が成立。2村は入田村の大字となった。
- 1953年 - (合併促進法)により入田村が合併町村となった。国府町が、北井上村・南井上村・入田村との1町3村合併案を採用[4]。
- 1955年10月 1日 - 入田のみ、名東郡新居町とともに徳島市に編入、矢野は名東郡国府町に編入された。
教育機関
交通
JR徳島駅より徳島バス天の原西(刑務所前)行、または徳島バス神山線(延命経由)を利用。
道路
公共施設・名所・旧跡・観光スポット
- 入田瓦窯跡
- 内御田窯跡群の中のひとつで、奈良時代に屋根瓦を焼いた窯跡。徳島県指定史跡。
- 徳島市球技場
- 県域・四国地域レベルのサッカー、ラグビー、アメリカンフットボールなどの各種球技に使用されている。
- 徳島市ライフル射撃場
- 徳島県内のライフル競技レベルの飛躍的向上の拠点。
- 徳島刑務所
- 法務省矯正局の高松矯正管区に属する刑務所。
- 徳島カントリー倶楽部
- ゴルフ場。月の宮コースがある。
- 天神社
- 式内社。
- 建治寺
- 四国八十八箇所霊場の第十三番札所・大日寺の奥の院。四国三十六不動尊霊場第12番札所。
- 観正寺
- 江戸時代初期までは大日寺の奥の院とされていた。蜂須賀家政の朝鮮出兵により連れてこられた女性の墓がある。
- 建治の滝
- 鮎喰川の支流金治谷川の沢の最上部にかかる滝。