光化門(こうかもん、朝: 광화문、クァンファムン)は、韓国ソウル特別市鐘路区にある、景福宮の城門の遺構である[1]。1394年に初めて建設されたのち、何度かの焼失・移動・復元を経て、2010年8月に最新の門が一般公開された。
沿革
- 李成桂による漢陽遷都(1394年)の際、景福宮の正門として建設された。当初は四正門(サジョンムン)[1]。
- 1553年の大火で焼失。
- 豊臣秀吉の文禄の役(1592年)の際、焼失(景福宮参照)。
- 19世紀に大院君が民衆を徴発して再建させた。
- 1910年の日韓併合後、朝鮮総督府庁舎を建設する際に取り壊しが検討されたが、日本の白樺派の美学者柳宗悦らの働きかけで保存されることとなった。
- 1927年、元の場所から景福宮の東北側へ移築された。
- 1950年、朝鮮戦争で焼失。
- 1968年、(中央庁)の正門に鉄筋コンクリートで移築・再建された。
- 2010年に位置を移動した上、扁額をハングルから漢字に変えたものに再々建された。
復興・復元工事
- 2006年12月4日、韓国政府文化財庁は光化門を本来の位置で復元すると発表し、即日再建された門と建物の解体工事に入った。1968年、中央庁の正門として復元された位置(1968 - 2006年の間の位置)から、南に14.7m離れた当初(景福宮が慶長の役以後に再建された時と同じ)の位置・角度に戻された[2]。新しい光化門は2010年10月に完工予定で、同年8月15日に一般公開された。
- 1968年建造の門の扁額は、朴正煕大統領の揮毫によりハングルで「광화문(クァンファムン)」と書かれていたが、市民から「違和感がある」との声が上がったため、有識者の議論を経て、漢字の扁額を復元して付け替えることになった。この漢字の扁額は、大院君時代に再建され、1900年に撮影された光化門の扁額(揮毫者は当時の造営責任者である(任泰瑛))の文字をデジタル処理で再現して制作された。しかし、2010年8月15日の一般公開からわずか3ヶ月でヒビが入ったため、制作にあたった職人の自弁で修復されることになった。その後さらに考証が進められた結果、扁額は白地に黒文字ではなく黒地に金箔文字であることが判明したため、2018年1月に文化財庁が修正を行うことを発表した[3]。
光化門広場
広場改修工事
2019年1月22日、ソウル市は広場の拡張、改修を目的に開催した光化門広場国際設計公募展で当選作を決定した。しかしながら当選作は、李舜臣及び世宗大王の銅像の移設や地面に(キャンドル集会)を描く内容が盛り込まれていたことで批判が殺到したため、朴元淳ソウル市長は最終決定を年末まで先延ばしすることとなった[4]。
デモ
光化門はランドマーク的存在であるとともに格好のアピールの場であり、付近一帯ではデモが盛んに行われている。鐘路区一帯では、2017年の1年間で2,563件のデモが行われている[5]。
関連項目
脚注
外部リンク
- 光化門(クァンファムン)紹介 - ソウル特別市文化観光公式サイト(日本語)
座標: 北緯37度34分33.76秒 東経126度58分37.27秒 / 北緯37.5760444度 東経126.9770194度