概要
駅周辺には学生服・作業服・ジーンズなどを作る被服工場が多くあり通勤客の需要もあったが[1]、モータリゼーションの進行による乗客の減少のため、1991年1月1日に下津井電鉄線と共に廃止された。なお、駅名標のローマ字は「Bijenakasaki」となっていた。
沿革
- 1912年(明治45年)2月9日 - 工事施工認可。仮駅名は赤崎であった[1]。
- 1913年(大正2年)11月4日 - 停車場名称変更届で塩田と変更される[1]。
- 1914年(大正3年)3月15日 - 下津井電鉄線味野町(後の児島) - 下津井間の開業と同時に赤崎村駅(あかさきむら)として開業[1]。
- 1917年(大正6年)10月31日届出 - 駅員常置を廃止し、乗車券販売を近くの運送店主に委託。貨物は味野町管理となる[1]。
- 1928年(昭和3年)2月6日届出 - 行き違い可能駅となり、対向ホームと場内信号機を設置[1]。
- 1935年(昭和10年)1月1日 - 赤崎村が町制施行して赤崎町となり、所在地表示が岡山県児島郡赤崎町赤崎となる[2]。
- 1935年(昭和10年)1月10日 - 備前赤崎駅に改称[1]。
- 1941年(昭和16年)2月10日届出 - 駅舎改築[1]。
- 1941年(昭和16年)2月11日 - 赤崎町が味野町と合併し、所在地表示が岡山県児島郡味野町赤崎となる[2][3]。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - (児島市)成立に伴い、所在地表示が岡山県児島市赤崎となる[2]。
- 1950年(昭和25年)10月6日 - 電化に合わせて変電所が設置される[1]。
- 1966年度 - 変電所と駅の要員を統合[1]。
- 1967年(昭和42年)2月1日 - 倉敷市(第2次)成立に伴い、所在地表示が岡山県倉敷市児島赤崎となる[2]。
- 1970年(昭和45年) - 住居表示の実施により、所在地表示が現行のものになる[2][4]。
- 1972年(昭和47年)4月1日 - 茶屋町 - 児島間廃止。行き違い廃止、駅員無人化[1]。
- 1972年(昭和47年)10月1日 - 交換設備を撤去[3]。
- 1991年(平成3年)1月1日 - 児島 - 下津井間の廃止と同時に備前赤崎駅も廃止される。
駅構造
1972年部分廃止前
相対式ホーム2面2線を持つ地上駅。下りホーム側に駅本屋と貨物側線を有していた。部分廃止までは閉塞の取り扱いを行う駅員配置駅であった[1]。
1972年部分廃止後
無人化時に交換設備を廃止し、単式ホーム1面1線となっていた。廃止された旧上りホームは廃線時までそのまま残存していた。木造の駅舎があったが、無人化後は出札窓口を板で塞いで使用停止しており、実質待合室としての機能のみ残っていた。また駅舎のそばには公衆トイレもあった。
廃止後
備前赤崎駅に停車中の赤いクレパス号
(1990年)備前赤崎駅跡
(2016年)下津井方面
(2011年)茶屋町方面
(2019年)
駅周辺
隣の駅
脚注
関連項目
外部リンク
- 下津井電鉄歴史資料館