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修那羅峠

修那羅峠(しゅならとうげ・しょならとうげ)は、長野県小県郡青木村田沢と東筑摩郡筑北村坂井(旧:坂井村[注 1]の境にある[4]標高は914 m[1]で、石仏群が有名である[4]丸子信州新線主要地方道)が通る[2]。本項目では、峠の近くに位置する(安宮神社)(やすみやじんじゃ[5]海抜1,037 m[6])についても併せて解説する。

修那羅峠
所在地 長野県東筑摩郡筑北村小県郡青木村
座標
北緯36度24分17.0秒 東経138度06分05.2秒 / 北緯36.404722度 東経138.101444度 / 36.404722; 138.101444座標: 北緯36度24分17.0秒 東経138度06分05.2秒 / 北緯36.404722度 東経138.101444度 / 36.404722; 138.101444
標高 914[1] m
山系 筑摩山地
通過路 長野県道12号丸子信州新線[2]
プロジェクト 地形
(テンプレートを表示)

古代から交通・文化の要所であった小県地方安坂[注 2]麻績地方を結ぶ峠で[4]、地理院地図などには「しならとうげ」と記載される[9]一方、地元では北信方言の特徴的音韻[注 3]から[10]、もっぱら「しならとうげ」と読む[4]。安宮神社は、地元では親しみを込めて「しょならさま」「しょならさん」と呼ばれる[11]

かつては安坂峠[注 2][4](あざかとうげ)[7]と呼ばれていた。

由来

「修那羅」(しゅなら)は梵語を意味する「アシュナ」 (ashu-na) の略音「シュナ」と、チベット語で峠を意味する「ラ」との合成語であり、「石峠」を意味する[12]

古くは「須那羅」とも書かれた[13]早稲田大学古美術部研究会の報告によれば、『日本書紀』中の素那羅の人々が定着した土地だという[14]石田肇はこの説を踏まえ、「須那羅」は朝鮮語Soi=nara (=「金の国」、すなわち金官国の意味)で、継体朝から推古朝ごろに朝鮮半島からこの地に移住した渡来人たちが、故国の名前を伝承したのが起源であるという説を提唱している[14]

旧称である「安坂峠」の「安坂」(あざか)[注 2]は、同地から小県郡方面へ通じるなだらかな坂道に由来するものだという[7]

歴史

 
修那羅峠の石仏(2012年10月)

江戸時代末期ないし[4]幕末から明治初年にかけ[5]、行者の修那羅大天武[注 4]が峠近くに修験場を構えた[4]。修那羅大天武は万延元年(1860年)にこの地に住み着き、明治5年に死去した[6]が、生前に舟窪山[注 5][6](峠の西[5])で、安宮神社を開いたと伝えられている[6]。安宮神社の御祭神は、大国主命と修那羅大天武命である[15]

(安宮神社)の境内には[5]ブナクリの林が広がる[6]。その林の中に[6]善光寺平・小県・安曇野松本方面の信者たちから寄贈された石造仏・石造神[5](総数860体)が寄進されている[15]。石神仏の特徴は、神仏習合のものが多いことで[11]、『修那羅大天武一代記』(大正3年記)によれば、これらの石像の大部分は、大天武が住み着いた万延元年から、没した明治5年までの十数年間に建立されたという[4]。石像の高さは30 cmから50、60 cm程度で、無造作に土の上(山道の片側)に並べられている[17]。その形は、悪霊神、苗鹿大明神神、[注 6]神、催促金神[19]神、地蔵大日如来など様々である[注 7][6]。古川純一 (2007) は、それらの石像の材料は、かつてこの峠に多数あった石の中でも良質なものであるとする説を述べている[19]。修那羅の守本尊は、他の石仏たちより一段高い尾根筋にある[15]。また、元来から子安神として安産、子育て祈願が盛んで、女神様(おんながみさま)が祀られている[20]

かつては「安坂峠」[注 2][4]と呼ばれていたが、修那羅大天武が広く庶民の信仰を集めたことで、修那羅様への参道として「修那羅峠」と呼ばれるようになった[5]。また、1964年昭和39年)に三石武古三郎が信越放送のPR誌『日本の屋根』でこの峠を紹介したことで、広く世間に知られ[17]、新しい観光地となった[21]1969年(昭和44年)3月30日には、「修那羅山安宮神社石神仏・木神仏」が筑北村文化財に指定されている[11]ほか、1992年平成4年)には、長野県観光選定委員会によって、観光みどころ百選「史跡」の部に、「修那羅峠の石仏群」が選出されている[22]

安宮神社の境内は、桜の名所として知られ、5月中旬に満開を迎える[11]。また、6月上旬ないし中旬ごろにミヤコワスレの花が見頃を迎える[23][11]

アクセス

周辺

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 東筑摩郡坂井村は合併により、2005年(平成17年)10月11日から「東筑摩郡筑北村坂井」となった[3]
  2. ^ a b c d 東筑摩郡筑北村の前身の1つである坂井村は、1874年明治8年)に筑摩県筑摩郡安坂村(あざかむら)が[7]、同郡の永井村と合併して誕生した[8]。その後、1875年(明治9年)には長野県所属となり、同12年には東筑摩郡所属になった後、同22年に市制町村制施行に伴い、坂井村となった[8]
  3. ^ 北信方言では、高年齢層を中心に「衆(しゅう)」を「しょう」、「まんじゅう」を「まんじょう」と発音するなど、ウ段開拗音とオ段開拗音の混同が見られる[10]
  4. ^ 修那羅大天武は1795年寛政7年)に越後で生まれた[15]。彼が近くの農民を救ったことへの礼として、石神仏が寄進されたとされている[15]
  5. ^ 舟窪山は、修那羅峠の名にちなんで「修那羅山」とも呼ばれる[16]
  6. ^ 特に猫神が目立つが、その理由について高森忠義 (1999) は、「養蚕が盛んだったころ、農家の人たちがネズミから蚕を守るために猫神を寄進した」と述べている[18]
  7. ^ 石仏たちの中には、近くに生えているブナの樹木の成長に伴い、その木に取り込まれたようなものもある[18]

出典

  1. ^ a b 知恵庫 1997, p. 192.
  2. ^ a b 長野県 建設部 道路建設課 (2020年2月6日). “” (PDF). 長野県. 2021年6月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月7日閲覧。
  3. ^ “”. 日本郵便. 2021年6月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月7日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 1990, p. 603.
  5. ^ a b c d e f 日本歴史地名体系 1980, p. 565.
  6. ^ a b c d e f g “”. ほくほく、ちくほく。筑北村おでかけガイド. 筑北村. 2021年6月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月8日閲覧。
  7. ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 1990, p. 87.
  8. ^ a b 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 1990, p. 510.
  9. ^ “地理院地図 GSI Maps”. 国土交通省. 2021年10月30日閲覧。
  10. ^ a b 馬瀬良雄 著「長野県方言概説 > 北信方言」、編集代表:馬瀬良雄 編『長野県方言辞典』(初版第1刷発行)信濃毎日新聞社、2010年3月31日、13頁。ISBN (978-4784071265)。 NCID BB01608935。(国立国会図書館書誌ID):(000010835535)。 
  11. ^ a b c d e “” (PDF). ほくほく、ちくほく。筑北村おでかけガイド. 筑北村 (2016年3月). 2021年6月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月13日閲覧。
  12. ^ 古川純一 2007, p. 316.
  13. ^ 金達寿 1994, pp. 180–181.
  14. ^ a b 金達寿 1994, p. 181.
  15. ^ a b c d e f 高森忠義 1999, p. 156.
  16. ^ 古川純一 2007, p. 318.
  17. ^ a b c d e f 高森忠義 1999, p. 154.
  18. ^ a b 高森忠義 1999, p. 155.
  19. ^ a b 古川純一 2007, p. 317.
  20. ^ “” (PDF). ほくほく、ちくほく。筑北村おでかけガイド. 筑北村 (2016年3月). 2021年6月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月13日閲覧。
  21. ^ a b 市川健夫 1981, p. 401.
  22. ^ 中日新聞』1992年4月17日朝刊長野東海総合面17頁「県観光選定委 信州みどころ百選(3)史跡 国史跡の福島関所や松本の牛伏寺川ダム」(中日新聞社
  23. ^ 「」『信州の花だより』信濃毎日新聞社、2016年5月21日。2021年7月13日閲覧。オリジナルの2021年7月13日時点におけるアーカイブ。
  24. ^ a b “”. 全国観光情報サイト 全国観るなび. 日本観光振興協会. 2021年6月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月7日閲覧。
  25. ^ “”. 長野県の芸術・文化情報センター. 公益財団法人 八十二文化財団. 2021年7月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月8日閲覧。

参考文献

  • (編集発行人)下中邦彦 編『長野県の地名』 20巻(初版第三刷)、平凡社日本歴史地名体系〉、1980年2月5日(原著1979年11月25日:初版第一刷)。ISBN (978-4582490206)。 NCID BN00852480。(国立国会図書館書誌ID):(000001461869)。 
  • 市川健夫 著、信濃毎日新聞社開発局出版部 編『長野県百科事典』(補訂版)信濃毎日新聞社、1981年3月10日(原著1974年1月20日:第1版発行)。 NCID BN01131815。(国立国会図書館書誌ID):(000001525555)。 
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 竹内理三 編『長野県』 第20巻、角川書店角川日本地名大辞典〉、1990年7月18日。ISBN (978-4040012001)。 NCID BB07668995。(国立国会図書館書誌ID):(000002055045)。 
  • 金達寿「桜ヶ丘古墳の天冠 > 修那羅は金冠国か」『日本の中の朝鮮文化 駿河・甲斐・信濃・尾張ほか』 7巻(第2刷発行)、講談社、1994年6月30日(原著1989年7月15日:第1刷発行)、180-181頁。ISBN (978-4062004275)。(国立国会図書館書誌ID):(000001999680)。 
  • 出版局年鑑事典編集部 編「ネーチャー・ウオッチング 峠80選」『知恵庫 ネーチャーガイド・日本 朝日現代用語 知恵蔵 1997年版別冊朝日新聞社、1997年1月1日、186-195頁。ISBN (978-4023900974)。 NCID BN15370155。(国立国会図書館書誌ID):(000002801196)。"49 修那羅峠(長野県)"。 
  • 高森忠義 著「44 長野県 修那羅峠[しょなら]」、(編者)井出孫六 編『新装版 日本百名峠』(初版第一刷発行)株式会社メディアハウス〈FIELD BOOK〉、1999年8月1日、154-156頁。ISBN (978-4944194018)。 NCID BA43923283。(国立国会図書館書誌ID):(000002930941)。  - 原著(NCID BN0158139X・(国立国会図書館書誌ID):(000001554858))は桐原書店より1982年5月1日に初版発行。
  • 古川純一「第4章 チベット語関連 > 修那羅峠」『【改訂版】日本超古代地名解 地名から解く日本語の語源と古代日本の原像彩流社、2007年1月31日、314-318頁。ISBN (978-4779112386)。 NCID BA81824526。(国立国会図書館書誌ID):(000008415855)https://sairyusha.co.jp/products/978-4-7791-1238-6  - 原著(ISBN (978-4882029045)・NCID BA68674597・(国立国会図書館書誌ID):(000007474335))は2004年8月31日発行。

関連項目

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