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保福寺峠

保福寺峠(ほふくじとうげ)は、長野県松本市上田市の境にある、松本盆地上田盆地を隔てる律令時代東山道が通る、重要な交通ポイントであった。 なお、近隣の地籍である保福寺は「ほふくじ」と読むが、峠の名前は「ほうふくじとうげ」であり、誤って「ほふくじとうげ」と読まれることが多い。 2012年現在、交通量は少ないが長野県道181号下奈良本豊科線が通る。

保福寺峠
曇天ながら保福寺峠ウェストン碑前から北アルプス方面を望む
所在地 長野県松本市上田市
座標
北緯36度18分37.0秒 東経138度4分57.5秒 / 北緯36.310278度 東経138.082639度 / 36.310278; 138.082639座標: 北緯36度18分37.0秒 東経138度4分57.5秒 / 北緯36.310278度 東経138.082639度 / 36.310278; 138.082639
標高 1345 m
通過路 長野県道181号下奈良本豊科線
プロジェクト 地形
(テンプレートを表示)

概要

保福寺峠は松本市と上田市の間にあるが、県道181号線はわずかに上田市内を通るとすぐに小県郡青木村に入る。そのため、峠は松本市と青木村の間にあるという感じである。そのため、峠にある万葉集歌碑の裏面には、1983年昭和58年)建立当時の自治体である四賀村と青木村の名前が刻まれている。

峠には上記の万葉集歌碑と、馬頭観音の石碑などがある。峠の南東側の小丘には、「ウォルター ウェストン 日本アルプス絶賛の地」の石碑がある。ウェストンがまだ鉄道がなかった松本に、開通間もない上田駅から向かったのは1891年明治24年)7月だった。

分水嶺になっている。松本側に降った雨は保福寺川から会田川に流れ、安曇野市明科犀川に合流する。上田側に降った雨は仏岩沢から内村川 に流れ、上田市長瀬で千曲川に合流する。両川は、川中島で合流して日本海に流れ込む。

保福寺峠を越える県道区間はすべて舗装されているが、1車線でカーブの多い山道である。松本側にはガードレールがあるが、峠に近い部分の上田側にはガードレールがなく、道幅も狭い。峠をはさむ区間は冬季には通行止めになる。

峠の位置づけと歴史

律令制が布かれたころ、東山道が開削されて保福寺峠を通過したことから、重要な交通ポイントになった。しかし、江戸時代になって中山道が開通すると、保福寺峠を通る道は北国脇往還と呼ばれる松本と上田を結ぶローカル線の地位に退いた。しかし、松本藩主が参勤交代の経路につかったのは、この保福寺峠越えのコースで、北国街道から中山道を通って江戸に往復していた。

明治時代に入ると、中山道幹線田中松本間で保福寺峠経由の経路で計画されたこともあったが、その後の情勢変化で頓挫した。
1887年(明治20年)に長野県会は、松本-上田間につくる県道2号線を、現在の国道143号線の位置に決めた。この2つのトンネルを含むヨーロッパ技術を導入しての新路線の開通により、保福寺峠とそこを通る道路の重要性はさらに低下した。

参考文献

関連項目

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