伊藤 博精(いとう ひろよし、旧字体: 伊藤󠄁博󠄁精󠄀、1899年(明治32年)5月3日[1] - 1962年(昭和37年)2月8日[1][2])は、大正から昭和前期の宮内官、政治家、華族。(貴族院公爵議員)。
経歴
宮内官・伊藤博邦(伊藤博文養嗣子)、たま夫妻の長男として生まれる[1][3]。父の死去に伴い1931年(昭和6年)7月1日、公爵を襲爵し[1]貴族院公爵議員に就任[2][4]。火曜会に所属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。
1922年(大正11年)東京農業大学を卒業[2][3]。1923年(大正12年)三井合名会社に就職[2]。その後、李王職御用掛、掌典などを務めた[2][3]。
親族
栄典
脚注
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第14版上』人事興信所、1943年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。