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仲宗根美樹

仲宗根 美樹(なかそね みき、1944年6月23日 - )は、日本歌手東京都出身[4]。本名は國場 勝子(くにば かつこ)。東洋高等学校音楽科出身[4]ミュージック・オフィス合田所属。「川は流れる」のヒットで知られる。次男の國場雄大は立憲民主党の議員。

仲宗根 美樹
1963年(キングレコードの広告)
基本情報
出生名 國場 勝子(くにば かつこ)[1][2]
生誕 (1944-06-23) 1944年6月23日(78歳)
出身地 東京都[3]
ジャンル 歌謡曲ブルース
職業 歌手実業家
活動期間 1960年 -
レーベル キングレコード
著名な家族 白橋栄治(元夫)
國場雄大(次男)
くにば亜紀(長女)

経歴

1944年(昭和19年)両親は共に沖縄出身[5]であったが、第二次世界大戦の戦火を逃れるため沖縄から東京に疎開し、勝子が生まれる。

1960年(昭和35年)日本テレビ『東京物語』に出演し、その主題歌「愛に生きる」(キングレコード)で翌年5月に歌手デビュー。

1961年(昭和36年)9月発表の「川は流れる」がヒット(年末にはミリオンセラーを達成[6])。12月には第3回日本レコード大賞新人奨励賞を受賞。

1962年(昭和37年)12月、第13回NHK紅白歌合戦にも初出場を果たし紅組のトップバッターを務めた。この頃、空手道キックボクシングで一時代を築いた山崎照朝の熱狂的ファンになり、自身の事務所に山崎を招待している[7]有馬温泉兵衛向陽閣のCMソング「有馬兵衛向陽閣」(作曲・キダ・タロー)も彼女が、「有馬兵衛の向陽閣へ」と、5秒CMでうたっている。 その後も「島育ち」「奄美恋しや」「ドリームファイブ」「海と野菊と船頭さん」「恋しくて」など次々とヒットを飛ばした。

1971年(昭和46年)歯科医師と結婚する為に芸能界を引退。

1972年(昭和47年)11月23日 、長男一成を出産其の後ちにやむなき事情で離婚、白橋栄治と再結婚。

1975年(昭和50年)夫白橋が沖縄国際海洋博覧会に合わせ、地元の政財界の人々の協力を得て海洋博会場入り口にショッピングセンター「ビックマート」(テナント数230店舗)を開設した。ところが、時期がオイルショック直後だったということ、海洋博自体が不人気であったことなどから、事業は破綻し多額の借金を負う。

1975年(昭和50年)12月 東京・神田に「東京エレガンスルーム」開業。

1977年(昭和52年)3月5日 次男雄大を出産。陣痛から出産までわずか30分という当時の病院記録であった。

1977年(昭和52年)12月 銀座の目抜き通りに「仲宗根美樹<審美容>サロン」を開設、フランチャイズを展開。

1978年(昭和53年)6月12日 長女亜紀を出産。

1981年(昭和56年)1月 ミキ・コーポレーション(加盟600店舗)が6億5千万円の負債を出して倒産[8]。その後自己破産し、夫とは離婚。

1998年(平成10年)テレビ東京『年忘れにっぽんの歌』で25年ぶりに歌手復帰。

2000年(平成12年)初のバースデーライブを開催。フジテレビジョンしらばかプラス」、日本テレビルックルックこんにちは」、テレビ東京夏まつりにっぽんの歌」、「うた世紀ベスト10」など多数出演。

2001年(平成13年)映画「バックステージ」に出演、主題歌「I'm a singer」をおよそ30年ぶりにシングルで発売。この映画には次男の雄大と長女の亜紀も出演している。

2008年(平成20年)10月9日 長男一成が病死。[9]死因はガン、享年35歳。

2012年(平成24年)2月12日 テレビ東京「日曜ビッグバラエティ懐かしの昭和メロディ」にゲスト出演。

2012年(平成24年)10月10日、ゆうぽうとで開催された「秋の歌謡フェスティバル」に出演。

2017年(平成29年)2月15日、テレビ朝日「徹子の部屋」に出演。トーク番組は初出演となった。

2017年現在は銀座で『クラブ美樹』を経営している。

代表曲

  • 川は流れる(1961年)
  • 奄美恋しや(1963年)
  • ドリーム ファイブ(1964年) ヒット賞受賞、タイアップ付の為に当時紅白では歌えず。
  • 恋しくて(1967年)

NHK紅白歌合戦出場歴

年度/放送回 曲目 対戦相手
1962年(昭和37年)/第13回 川は流れる 松島アキラ
1963年(昭和38年)/第14回 奄美恋しや 守屋浩
1964年(昭和39年)/第15回 午前0時のブルース 田辺靖雄
1965年(昭和40年)/第16回 海と野菊と船頭さん 克美しげる
1967年(昭和42年)/第18回 恋しくて 美樹克彦
  • 第14回・第16回は歌唱映像が現存する。
  • 第18回は映像は現存するが、仲宗根の歌唱映像については未詳。
  • 第14回・第16回は仲宗根の歌唱を含め、「思い出の紅白歌合戦」(NHK-BS2)で再放送されている。

エピソード

  • 「川は流れる」は「雨の花園」のB面だったが、歌声喫茶から火がつき11月には再発売され翌年にかけて大ヒットした。2002年に原由子がアルバム「東京タムレ」でカバーして話題となった。
  • 「島育ち」は競作で田端義夫朝丘雪路等もそれぞれヒット。仲宗根盤も当初ヒットを見せていたがレーベル側の諸事情により当時発売中止となった。
  • 「ワン・レニー・ナイト・イン・トウキョウ/夏の日の想い出」など競作も多数出している。[※日野てる子(日野盤の表記はワン・レイニー・ナイトイン・トーキョー)らと競作。]
  • 女優の大空眞弓は母兄弟の娘であり、いとこの関係に当たる。また、同じ東洋音楽学校出身である。
  • 同じ沖縄出身のフィンガー5のアルバム「フィンガー5オリジナル わたしの恋人さん」(1974年)にゲスト出演している。
  • 長女は國場亜紀(くにば亜紀)として「地球防衛少女イコちゃん」のイコ役や[10]、テレビのリポーターなどをしていたが引退している。
  • 次男の國場雄大は品川区議会議員。
  • 1964年に早川電機(現:シャープ)から発売された白黒テレビ「シネスコ19」のイメージキャラクター(沖縄限定)を務めた。ちなみに本土でのイメージキャラクターはフランキー堺が務めている。

映画

  • うるさい妹たち(1961年大映
  • 東海一の若親分(1961年東映
  • 海猫が飛んで(1962年松竹
  • しのび逢い(1962年松竹)
  • 太平洋戦争と姫ゆり部隊(1962年大蔵映画
  • (川は流れる)(1962年松竹)
  • その結婚異議あり(1963年大映)
  • 独立美人隊(1963年松竹)
  • 魚河岸の旋風娘(1963年松竹)
  • BACK STAGE/バックステージ(2001年日活)

テレビ番組

脚注

  1. ^ “国場家家系図”. 國場家のホームページ. 2014年9月14日閲覧。
  2. ^ “一成を支えてくださった皆様へ”. SPIRIT☆JOURNEY (2008年10月30日). 2014年9月14日閲覧。
  3. ^ “仲宗根美樹プロフィール”. (株) ミュージック・オフィス合田. 2014年9月14日閲覧。
  4. ^ a b 「日本映画人名事典 女優篇 下巻」キネマ旬報社、1995年、249頁
  5. ^ “徹子の部屋 “沖縄の歌姫"仲宗根美樹 2017年2月15日放送回”. gooテレビ番組 (2017年2月15日). 2018年4月3日閲覧。
  6. ^ 長田暁二『歌謡曲おもしろこぼれ話』社会思想社、2002年、159頁。(ISBN 4-390-11649-5)。
  7. ^ 中村カタブツ君 編「第2章 再検証極真ジム」『極真外伝 - ~極真空手もう一つの闘い~』中村愚乱・ジャイ子(初版)、ぴいぷる社(原著1999年12月25日)、76 - 91頁、93頁、101頁、104頁、108頁頁。ISBN (4893741373)。 
  8. ^ “仲宗根美樹と再会”. この素晴らしき人生 36 (2010年3月15日). 2014年9月14日閲覧。
  9. ^ “ティーンズマガジン『S Cawaii!』を絶頂期に導いた天才編集者國場一成。『國場さんの存在は、編集者の歴史においてもう伝説(中森明夫談)』。安室奈美恵が病室を訪ね、浜崎あゆみが詞を送った。”. 長谷川晶一氏×中森明夫氏×松谷創一郎氏トークショー「『Cawaii!』とその時代」レポート(前編)雑誌『Cawaii!』は、なぜ女子高生にヒットしたのか (2016年4月27日). 2017年2月16日閲覧。
  10. ^ 地球防衛少女イコちゃん(1995) allcinema、2019年9月13日閲覧。
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