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丸刈り校則

丸刈り校則(まるがりこうそく)とは、日本の学校において、男子の髪型を丸刈りにすることを強制的に定めている学校教育での校則をいう。

東京国際空港(羽田空港)における野球部の高校生。全員の髪型が丸刈りである(2013年3月15日)

主に、中学校で行われたが、一部の高等学校野球部などの部活でも実践されていた。「単なる心得であって、守る法的義務はない」とされる一方で、守る義務があるかのごとく実践されている場合もあり、他方ではファッションや利便性などの理由から校則に関わらず自主的に丸刈りにする生徒もいる。

1985年段階では日本全国の3分の1の中学校にあった丸刈り校則も、2008年時点では50校前後である[要出典]

沿革

1970年以前

1948年昭和23年)の学制改革以前、とりわけ1945年(昭和20年)の敗戦以前においても、旧制中学校の生徒は基本的に丸刈りだったが、校則による強制はなかった。旧制中学校の生徒に課せられていた学校教練(軍事教練)は相当な運動量を要し、頭部を保護する制帽、全身を保護する冬服、足元を保護するゲートルの着用が夏季においても必須であった。発汗による不快感のほか、頭部の放熱に配慮しないと卒倒する危険もあり、このような実利的な要因が大きかった。

子供のくせに長髪はまだ早いといった偏見は既にあったが、軍人の間で丸刈りが励行されており、軍人以外にも丸刈りの者が少なくない時代であったため、以降の時代に比べて抵抗感を示す生徒は少なく、事実上丸刈りが基本となっていたことも問題視されることはなかった。

教練が廃止され、新制中学校・高等学校に改編されて以降は、まず坊ちゃん刈りがはやりだし、中学校での校則で「髪型は丸刈りとする」との記載が目立つようになってきた。

1958年(昭和33年)4月、水戸地方法務局茨城県立上郷高等学校での丸刈り校則改正運動で退学者が出た事件について「長髪禁止は人権侵害のおそれがある」と、茨城県教育庁に勧告した。

1966年(昭和41年)、福岡県久留米市の広報紙に「市内の中学校で長髪を認めてほしい」という中学生からの要望が掲載されたが、学校教育課長による回答は「卒業されるまでごしんぼういただき、学校の教育方針にご協力をお願いします」というものだった[1]

1970年代、1980年代

1974年(昭和49年)、日本弁護士連合会は、埼玉県の大井町立大井中学校(現・ふじみ野市立大井中学校)の丸刈り指導について人権侵害と認定し、大井中学校校長に勧告を出した。

1970年代末、中学校で学校内暴力がはびこり、教師相手に格闘する中学生が続出したり授業妨害が横行してきたので、丸刈り校則を採用して事態を乗り切ろうとする中学校が出てきた。

1984年(昭和59年)に、「学校解放新聞」が立ち上げられ、反管理教育運動がさかんとなり、丸刈り校則問題がテレビ・新聞で大きく取り上げられるようになる。

1980年代中頃の数字で、日本全国の中学校の33%で丸刈り校則が実施された。

1985年(昭和60年)11月13日熊本地方裁判所玉東町立玉東中学校の丸刈り校則の無効確認と不利益処分禁止そして損害賠償を求めた訴えを棄却した。ただし、丸刈り校則の合理性には疑問の余地があるとした。また、丸刈り指導のやり方について「直接の説得」や不利益処分がないことを確認した上、全体として「違法とはいえない」としている。

1987年(昭和62年)4月、愛知教育大学地球環境科学領域教授の森山昭雄[2]の三男が岡崎市立葵中学校に入学。同生徒は入学時から長髪登校を続けた[3]。10月末、関西6府県において、全87市の内55市で市内全ての公立中学校で長髪可となる。87市の内18市で市内全ての公立中学校で丸刈り強制で、残る14市では長髪、丸刈り強制どちらも見られたが、市内で1校のみ強制というケースもいくつかあった。京都府は丸刈り強制が1校のみと非常に少ないのに対して、兵庫県では全体の3分の2近くが丸刈り強制であり、関西地区で全市一律丸刈り強制のあった18市の内10市を占めていた[4]

1988年(昭和63年)3月、清水市立第二中学校(現・静岡市立清水第二中学校)は、校則に合わない髪型をした男女4名の生徒の写真を卒業アルバムから外し、花壇の花の写真に差し替えた[5][6]。この事件は新聞各紙で報じられ、同年3月31日には参議院法務委員会で質疑が行われるに至った[5]。4月25日、この事件がきっかけとなり、文部省初等中等教育局長は都道府県教育委員会に対し、校則の見直しを指示。管理教育の雪どけが始まる[7][8][9][10]

1989年平成元年)3月、前述の森山昭雄が『丸刈り校則 たった一人の反乱』を刊行。岡崎市では1991年9月に岡崎市立南中学校において頭髪の自由化が初めて導入された[11]

1990年代

1990年における丸刈り校則実施状況

1990年(平成2年)、神戸弁護士会が10月18日現在の都道府県庁所在都市について調査したところ、以下のような結果が出た[12]

  • 福島市および鹿児島市では、全中学校で丸刈り校則を実施。
  • 神戸市では、81校中78校で、95%以上の学校で丸刈り校則を実施。
  • 宮崎市では18校中14校、静岡市では27校中18校、佐賀市では9校中6校、那覇市では17校中10校、徳島市は15校中8校と、過半数の中学校で丸刈り校則を実施[12]
  • 山口市では11校中4校、青森市では20校中7校、福井市では21校中6校、松山市では26校中7校、岡山市は34校中9校と、4割以下2割以上の中学校で丸刈り校則を実施している。
  • 福岡市では64校中12校、大阪市では129校中24校、熊本市では27校中5校と、2割未満1割以上の中学校で丸刈り校則を実施している。
  • 山形市では15校中1校、富山市では18校中1校、名古屋市では105校中5校、広島市では59校中2校、東京都23区は431校中4校と、1割未満の中学校で丸刈り校則を実施している。
  • 札幌市、盛岡市、仙台市、秋田市、水戸市、宇都宮市、前橋市、浦和市、千葉市、横浜市、新潟市、金沢市、甲府市、長野市、津市、大津市、京都市、奈良市、和歌山市、鳥取市、松江市、高松市、高知市、長崎市、大分市では、いずれも丸刈り校則実施の中学校は無い。
  • 都道府県庁所在都市全体では、13%ほどの中学校で丸刈り校則を実施となった。

神戸弁護士会が合わせて行った都道府県に対する調査では、以下のような結果が出た[12]

  • 東北地方の秋田県と山形県、岩手県、宮城県では、いずれも3割以上5割以下の中学校で丸刈り校則を実施している。
  • 福島県では、1991年4月時点で、92%ほどの中学校で丸刈り校則を実施している。
  • 静岡県では、9割以上の中学校で丸刈り校則を実施している。

1991年(平成3年)4月、この時点では群馬県高崎市・藤岡市・安中市の公立中学校では丸刈り校則が実施されていた。[13]

1992年(平成4年)3月、丸刈り校則と戦った当事者のレポート、手記をまとめた『全国縦断 丸刈り強制イヤです!』が刊行(編者は森山昭雄)。

1993年(平成5年)、文部大臣赤松良子が、中学生の丸刈り指導問題について「丸刈りは戦争中の兵隊を思い出しゾッとする」と発言し、のち発言撤回する。このころから、日本各地で丸刈り校則見直しの動きが加速される。同年、福島県立医科大学教授の加藤清司ほかにより「男子中学生に対する『丸刈り』指導の効果に関する研究」が出される[12]。相関係数を用いて実証的に、丸刈り指導効果を検証した[12]。丸刈り強制率と少年窃盗犯検挙人割合との相関係数が正となり、丸刈り校則による非行防止の効果を否定したものとなった[12]

1994年(平成6年)7月、この時に丸刈り校則が皆無な都道府県は、北海道、東京都、埼玉県、神奈川県、新潟県、京都府、愛媛県、香川県の8都道府県である。前年は北海道、神奈川県、京都府だった。また、11府県で1割以下となっている。丸刈り強制3割以下(皆無も含めて)は32都道府県に及び、1993年から1994年の1年間で大幅に見直しが進んだ。(朝日新聞平成6年7月16日)

1995年(平成7年)、神戸市の中学校での男子生徒に対する丸刈り校則全廃が達成される。1990年ごろまでは、ほとんどの神戸市の中学校で丸刈り指導が行われていた。

1996年(平成8年)、鹿児島県弁護士会は、鹿児島県伊仙町立伊仙中学校の校長に「丸刈りの規制と指導は憲法・ 子どもの権利条約・教育基本法のいずれにも抵触し、子どもの基本的人権を著しく侵害するのですみやかに廃止するよう」勧告する。丸刈り指導拒否して通学した男子中学生に、別室での説得活動その他の強い指導が行われ、転校を余儀なくされたという事例があった。

1997年(平成9年)2月22日最高裁判所小野市在住の小学生および代理人の「小野市立小野中学校の丸刈り校則無効確認」の訴えを棄却した高裁判決を支持して、上告棄却とした。ただし高裁判決理由で「丸刈り校則は単なる心得であって守る法的義務はない」と確認されている。

1999年(平成11年)、大阪市の中学校での丸刈り校則全廃が達成される。ちなみに、大阪市の中学校の10校ほどが、1990年代になっても丸刈り校則を維持していた。

2000年代

2000年(平成12年)、「中学校の丸刈り校則をなくす会」のサイトが立ち上げられる。主として熊本県の中学校の丸刈り校則全廃に向けて、インターネットを駆使した市民運動がスタートする。熊本県の中学校では、2002年9月で過半数の104校で丸刈り校則が実施されていた。また、同県を含む南九州地域でも幅広く実施されていた。

2002年(平成14年)1月、東京都で行われた日教組教研集会の「子ども参画と学校改革」特別分科会で、「以前に、学校が荒れ、生徒を丸刈りにしたら、学校が良くなったこともある」という趣旨の中学生教師の発言が、参加者から批判を浴びることとなった。

2002年3月、熊本県の宇土市立鶴城中学校が、丸刈りを拒否した男子生徒を卒業式に出席させない事態が発生した。6月、熊本県の鹿央町(現・山鹿市鹿央町)の米野岳中学校で、丸刈り指導を拒否した男子生徒を、中体連大会への出場を辞退させる事件が発生する。熊本県議会で取り上げられ、県教育長が「丸刈り校則を見直す時期」と答弁する。

2004年(平成16年)、鳥取県の中学校での丸刈り校則全廃が達成される。

2006年(平成18年)9月、熊本県の中学校での丸刈り校則全廃が達成される。丸刈り校則実施率第1位だった熊本県で、4年間で全廃を達成したのは注目された。

2008年(平成20年)、佐賀県の中学校での丸刈り校則全廃が達成される。

2009年(平成20年)3月6日、鹿児島県・奄美群島の公立中学校における男子生徒に対する丸刈りを強制する校則の廃止勧告が同県弁護士会によって送付された。この時点で丸刈り校則のある中学校は奄美群島を中心とした離島のみに限られていた。県教委義務教育課は「校長が実情に応じて校則を定めており、頭髪を校則で規制することは、一概に人権侵害とはいえない」としている[14]

2010年代

2011年(平成23年)、長崎県壱岐市の全ての中学校で頭髪が自由化され、長崎県の中学校での丸刈り校則が全廃された[15]

2013年(平成26年)6月、鹿児島県奄美市笠利町奄美市立笠利中学校で、丸刈り校則廃止が生徒総会で可決。校長の承認を得て、1学期に丸刈り校則が廃止され、奄美群島および鹿児島県の中学校での丸刈り校則が全廃された。[16]

2017年(平成29年)7月13日、東京都東久留米市学校法人自由学園男子部で、前日に行われた全校討議[17]の結果、丸刈り校則を同年度2学期より撤廃することを決定[18]

2017年冬、沖縄県宮古島市宮古島市立佐良浜中学校で男子丸刈りの校則が廃止(2019年3月10日閉校[19])。

2018年(平成30年)12月、岩手県の公立中学校で丸刈り校則の残っていた3校のうち、(岩手町立一方井中学校)が3学期からの頭髪自由化を決定。残る2校の(岩手町立川口中学校)、(気仙郡住田町立有住中学校)も、2019年(平成31年・令和元年)度の新入生より長髪を解禁した[20]

丸刈り校則の目的

非行の防止
「非行の防止」「深刻な生徒指導上の問題を抱えていて、頭髪を自由化することで、収拾が付かなくなる恐れがある」との発言がある[誰によって?]。「かつて学校が荒れ、生徒を丸刈りにしたら、良くなったこともある」という趣旨の教師の発言が、日教組の2002年の教研集会であった[要出典]
伝統の維持
「学校独自の伝統」という説明のされ方もある。丸刈り校則廃止に反対する理由に「伝統」を口実に正当化しようとする向きがある[誰によって?]
頭髪の清潔感の維持
丸刈り校則維持の声に「丸刈りでないと不潔だ」ということがある[誰によって?]
地域住民および上級生の強い要望受け入れ
丸刈り校則が廃止されると、従来の丸刈り校則に従ってきた地域住民や上級生やOBらにより「今まで我々が丸刈りにしてきたのに、後の世代が丸刈りにならないのは不公平だ」という不満の声が噴出する[誰?]
勉学への集中
長髪を認めると、整髪などで外見を気にするようになり、学業が疎かになる[1]
経済格差の解消
家庭の経済的な理由で、長髪ができない生徒が劣等感を持つ原因になる[1]

脚注

  1. ^ a b c 「市民のひろば 長髪を認めて」 久留米市役所『市政くるめ』No.190(1966年2月5日号)
  2. ^ 森山昭雄. “愛知教育大学・森山昭雄教授による意見書(その他全般の項目に関して)”. 日本自然保護協会オフィシャルサイト. 2023年1月10日閲覧。
  3. ^ 森山 1992, pp. 177–179.
  4. ^ 毎日新聞1987年11月11日。
  5. ^ a b “第112回国会 参議院 法務委員会 第2号 昭和63年3月31日”. 国会会議録検索システム. 2021年6月28日閲覧。
  6. ^ 朝日新聞静岡支局編『卒業アルバムから子どもの顔が消えた。―検証・静岡の教育』二期出版、1989年5月。 
  7. ^ 児山正史. “校則見直しに対する文部省・教育委員会の影響(1) 公共サービスにおける利用者の自由”. CiNii. 2021年6月28日閲覧。
  8. ^ “岡崎市議会 昭和63年6月 定例会 06月08日-08号”. 岡崎市会議録検索システム. 2021年6月22日閲覧。
  9. ^ “生徒指導関係略年表について”. 文部科学省. 2021年6月29日閲覧。
  10. ^ 森山 1989, pp. 100–101.
  11. ^ “岡崎市議会 平成3年9月 定例会 09月05日-20号”. 岡崎市会議録検索システム. 2020年7月23日閲覧。
  12. ^ a b c d e f 加藤清司, 平野眞, 「男子中学生に対する「丸刈り」指導の効果に関する研究 : 都道府県別「丸刈り強制率」と各種指標との関連」『東海大学紀要. 課程資格教育センター』 3号 p.69-77, 1993, 東海大学, NAID 110000479627。
  13. ^ 校則 高崎の中学 長髪 もうすぐ "解禁" - 2022年4月14日閲覧
  14. ^ - データなし(2009年3月8日時点のアーカイブ)
  15. ^ 長崎新聞 (2017年9月2日). “消えた中学の丸刈り校則 | 長崎新聞”. 長崎新聞. 2021年2月5日閲覧。
  16. ^ 中学丸刈り、群島ゼロに―最後の1校が校則見直し 南海日日新聞 5月18日(土)付 - データなし(2013年9月17日時点のインターネットアーカイブ
  17. ^ 7月12日(水)坊主についての全校討議 - 2021年7月28日閲覧
  18. ^ 7月13日(木)頭髪の自由化が決定 - 2021年7月28日閲覧
  19. ^ “「さようなら わが母校」/伊良部、佐良浜中閉校 - 宮古毎日新聞”. 2021年8月21日閲覧。
  20. ^ 中学校の丸刈り校則をなくす会 近況報告&お知らせ 2018年12月5日、2019年4月2日 - 2021年7月28日閲覧

参考文献

  • 坂本秀夫『校則の研究-誰のための生徒心得か』三一書房、1986年4月。(ISBN 978-4380862199)。
  • 坂本秀夫『校則裁判』三一書房、1993年7月。(ISBN 978-4380932397)。
  • 森山昭雄『丸刈り校則 たった一人の反乱』風媒社、1989年3月31日。ISBN (978-4833109321)。 
  • 森山昭雄 編『全国縦断 丸刈り強制イヤです!』風媒社、1992年3月15日。ISBN (978-4833109413)。 
  • 『資料集 愛知県岡崎市の丸刈り、おかっぱ強制反対市民運動』中学生の頭髪の自由化を求める市民の集い、1988年7月18日。 
  • 『資料集 続 愛知県岡崎市の丸刈り、おかっぱ強制反対市民運動の記録』中学生の頭髪の自由化を求める市民の集い、1991年3月30日。 

関連項目

外部リンク

  • 戸波江二「丸刈り校則と自己決定の自由--熊本地判昭60.11.13について」『法律時報』第58巻第4号、日本評論社、1986年、p92-96、ISSN 03873420、NAID 40003509558。 
  • 小林武「校則による中学生の生活規制と司法審査 :「丸刈り」訴訟熊本地裁判決」『南山法学』第10巻第1号、南山大学法学会、1986年、ISSN 0387-1592。 
  • 杉江彰「丸刈り校則と子どもの人権 (校則<特集>)」『教育』第40巻第9号、国土社、1990年、p59-66、ISSN 03869938、NAID 40000680527。 
  • 永野恒雄「学校の日常が法の裁きを受けるとき-8-学校を知らない最高裁の判決--兵庫県小野中学校丸刈り校則裁判」『月刊生徒指導』第26巻第12号、学事出版、1996年、86-91頁、NAID 40001020372。 
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