中西 みち(なかにし みち、1913年1月30日 - 1991年12月30日[2])は、日本の陸上競技(短距離走・障害走)選手。1932年ロサンゼルスオリンピック日本代表。
経歴
1913年、京都市生まれ[1]。京都市立二条高等女学校[4][注釈 1]に学ぶ。在学中の1929年、第16回日本陸上競技選手権大会に参加、この大会から採用された女子80mハードル走で優勝[5]。
1930年にチェコスロヴァキアのプラハで開催された第3回国際女子競技大会 (1930 Women's World Games) に選手として参加した(参加選手は6人で、人見絹枝、(本城ハツ)、中西みち、村岡美枝、渡辺すみ子、(浜崎千代)。人見以外は学生選手)[6][7]。
1931年・1932年にも日本陸上女子80mハードルで2連覇[5]。1932年ロサンゼルスオリンピックに女子80メートルハードル代表選手として出場。結果は予選途中棄権に終わる。一方、メンバーの一人として出場した4x100メートルリレー(土倉麻・中西みち・村岡美枝・渡辺すみ子)では5位に入賞している。
二条高女を卒業[8]。その後、群馬県出身の栗原俊夫(京都帝国大学卒、第二次世界大戦後に国会議員)と結婚。
1991年、高崎にて死去[2]。
備考
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e “”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月21日閲覧。Sports Referenceでは "Michiko Nakanishi" と表記されている。
- ^ a b c 『上毛新聞』1992年1月1日付朝刊
- ^ “書籍「ふるさと人ものがたり藤岡」”. 藤岡市. 2021年3月21日閲覧。
- ^ 中澤篤史 2010, p. 41.
- ^ a b “過去の優勝者・記録 女子100mハードル”. 第97回日本陸上競技選手権大会. 日本陸上競技連盟. 2021年3月13日閲覧。
- ^ “オリパラこぼれ話 人見絹枝の生涯(下) 粉骨砕身、日本の女子スポーツ発展に奔走”. 毎日新聞. (2019年7月23日) 2019年10月13日閲覧。
- ^ 浜田幸絵「女のスポーツをめぐる語り - 世界女子オリンピック(1926年・1930年)報道の分析」『島大言語文化』42号、pp.67 - 88
- ^ “”. 京都新聞 (2000年). 2014年3月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年6月28日閲覧。
- ^ “ALSOK ぐんま総合スポーツセンター”. 群馬県スポーツ協会. 2021年3月21日閲覧。
参考文献
- (中澤篤史)「オリンピック日本代表選手団における学生選手に関する資料検討:1912年ストックホルム大会から1996年アトランタ大会までを対象に」『一橋スポーツ研究』第29巻、2010年、37-48頁、2021年3月3日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 中西みち - Olympedia (英語)
- - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ (英語)
- 中西みち - TrackField.brinkster.net (英語)