中田 浩司(なかた ひろじ、1959年4月7日 - )は、日本のヤクザ。特定抗争指定暴力団・六代目山口組幹部。神戸市に本拠を置く暴力団・五代目山健組の組長[1][2]。
来歴
生い立ち
1959年(昭和34年)、和歌山県御坊市に生まれる。地元で暴走族として活動後、神戸へ渡り、山健組若頭健竜会会長・渡辺芳則(後の五代目山口組組長)と出会う。これが縁となり健竜会に加入する。渡辺から信任を得た中田は、渡辺のボディーガード兼運転手に任命され、更には健竜会内に設立した新組織に、竜心会の名を渡辺から与えられた。
1984年(昭和59年)、竜心会関係者が酒梅組組員とのトラブルを抱え、間もなく組織間の抗争に発展した。同年、竜心会組員が酒梅組組員を殺害する事件が発生し、中田は1986年(昭和61年)にこの事件の首謀者として逮捕・起訴され、14年間徳島刑務所に服役する。徳島刑務所では、先の大阪戦争で松田組組員射殺事件の首謀とされて服役していた二代目健竜会理事長補佐・井上邦雄と出会い、関係を深める。
2000年(平成12年)4月17日に徳島刑務所を満期出所。同年、四代目健竜会会長となっていた井上の盃を受け直し、同会若頭補佐に抜擢。2001年(平成13年)10月には若頭に昇格する。2005年(平成17年)9月、井上が山健組四代目を継承すると同時に、五代目健竜会会長に就任した。
山口組分裂以降
2015年(平成27年)8月27日、四代目山健組が六代目山口組から離脱し、新しく結成された神戸山口組の中心組織となる。2017年(平成29年)5月9日には四代目山健組若頭に昇格し、2018年(平成30年)5月16日、山健組を相続し、五代目山健組組長となった。これに伴い、中田は神戸山口組の直参となり、若頭補佐・若頭代行といった執行部職を歴任する。
2019年(令和元年)12月3日、殺人未遂及び銃刀法違反容疑で兵庫県警に逮捕される[5][6]。これは、同年8月21日に弘道会関連施設前にて弘道会系組員が銃撃され重傷を負う事件が発生しており、中田本人がこの事件での実行犯である可能性が濃厚となった為である。逮捕後、身柄を神戸拘置所に移送され同年12月25日には、神戸地検に起訴される[7]。かつて山口組内での最大勢力として知られていた組織の長が自ら銃撃した衝撃的な事案であり、当初は業界関係者や警察当局、マスメディアの間で情報が錯綜した。
2020年(令和2年)7月、勾留中でありながら、山健組執行部に神戸山口組からの離脱を指示、翌8月には、五代目山健組を一本独鈷の独立組織とした事を宣言する書状を発表した。 なお、9月10日付けで神戸山口組から除籍処分を受けている[8]。
山口組への参画
2021年(令和3年)9月16日、中田率いる五代目山健組が六代目山口組へ加入することが発表され、同日のうちに捜査関係者やマスコミにも知れ渡った[1][9][10]。
また、中田の山口組での役職に関しては、幹部に就任したと報じられており[9]、将来的な執行部メンバーへの就任も考慮された人事であると見られる。
脚注
出典
- ^ a b “山健組、山口組に合流へ 神戸山口組離脱の中核団体”. 日本経済新聞2021年9月17日閲覧。
- ^ “神戸山口組の中核団体「山健組」が代替わりを正式発表…予測されていた内部反発は起こったのか?”. Business Journal. (2018年5月7日)2021年8月13日閲覧。
- ^ ““分裂劇は新たな局面……神戸山口組から「山健組」を脱退させたヒットマンの“獄中指令”””. Yahoo Japan News. (2020年8月1日)2020年12月1日閲覧。
- ^ “五代目山健組の西川良男若頭が死去 中田浩司組長は勾留中、山口組分裂問題に影響も」”. niftynews. (2021年6月6日)2021年8月13日閲覧。
- ^ 『山健組組長を殺人未遂容疑で逮捕 弘道会系組員を銃撃』 2019年12月4日 朝日新聞デジタル
- ^ 『山口組系組員銃撃容疑で組長逮捕、神戸山口組中核「山健組」トップ 兵庫県警』2019年12月4日 産経ニュース
- ^ 『山健組組長を殺人未遂罪などで起訴 弘道会系組員を銃撃』 2019年12月25日 朝日新聞デジタル
- ^ 『神戸山口組、幹部の山健組組長を除籍 独立画策への対抗措置か』 2020年9月18日 神戸新聞NEXT
- ^ a b 『神戸山口組の中核「山健組」 山口組に合流へ』 2021年9月26日 産経ニュース
- ^ 山口組、離脱状態の山健組に復帰認める 神戸山口組との抗争に節目か - 朝日新聞デジタル 2021年9月16日
関連項目
- 織田絆誠 - 中田同様、幹部職在任中に神戸山口組から独立した経歴を持つ。