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中田一三

中田 一三(なかた いちぞう、1973年4月19日 - )は、三重県伊賀市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションは、高校時代はミッドフィルダーとして活躍し、プロ入り後にディフェンダーに転向した。

中田 一三
名前
愛称 NKT13
カタカナ ナカタ イチゾウ
ラテン文字 NAKATA Ichizo
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1973-04-19) 1973年4月19日(50歳)
出身地 三重県伊賀市[1]
身長 175cm
体重 69kg
選手情報
ポジション DFMF
背番号 3、13
利き足 右足
ユース
四日市中央工業高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1992-1995 横浜フリューゲルス 27 (0)
1996-1997 アビスパ福岡 34 (0)
1998-2001 大分FC/大分トリニータ 41 (2)
1998-2000 ジェフユナイテッド市原 (loan) 52 (1)
2002-2003 ベガルタ仙台 6 (0)
2004 ヴァンフォーレ甲府 5 (0)
監督歴
2007-2008 伊勢ペルソナFC
2013-2017 FC.ISE-SHIMA
2019 京都サンガF.C.
1. 国内リーグ戦に限る。2018年12月6日現在。
(■テンプレート)((■ノート) ■解説■サッカー選手pj

来歴

四日市中央工業高では中西永輔小倉隆史と同級生で、「四中工三羽烏」と呼ばれ、3年時にはキャプテンを務めた。全国高等学校サッカー選手権大会にも2年連続で出場し、3年時の第70回大会では同校初の選手権優勝をもたらし(帝京高校との両校優勝)、中田自身も優秀選手に選出された[2][3]

1992年の横浜フリューゲルスへのプロ入りは注目された。1993年11月6日ファーストステージ第10節のジェフ市原戦でJリーグデビューを飾る。1999年、ジェフ市原へ加入。ジェフでは正確なパスで左サイドバックとしてレギュラーに定着。2000年3月11日の開幕戦では、京都パープルサンガ戦で待望のJリーグ初ゴールをマークした[4]

各年での出場試合数が大きく変動しながらも12年間で6チームに在籍したが(うち、2000年のジェフ市原では中西・小倉と「三羽烏」が揃った)、選手生活の後半はケガに苦しみ、ヴァンフォーレ甲府との半年間の契約が満了した2004年シーズン途中の7月末限りで現役を引退した。

翌年2005年には、出身地である三重県にプロクラブを創るべく、伊賀市に帰省しサッカースクールを立ち上げる(現在のFC.Avenidasol)また、2007年三重県サッカーリーグ1部チーム、伊勢ペルソナFC(2010年にISE YAMATO FCへ改称)の監督に就任。2009年1月に東海社会人サッカーリーグ2部昇格を果たした。同年9月にISE YAMATO FCと方向性の相違により退任。また2010年には、 FC Avenidasol(エフシーアヴェニーダソル) のプロデューサー兼テクニカルディレクターおよびsouth U-15(現在のFC.ISE-SHIMAU15)の監督を務めた。

2012年9月にJFA 公認S級コーチに認定された。同年12月志摩市経済サミットにてスポーツと自然環境を活かす町づくりを提案し2つ目のスポーツクラブFC.ISE-SHIMAが設立された。

2013年よりFC.ISE-SHIMAの副理事長兼監督に就任、初代理事長である志摩市丸文工業の社長、西尾亮と共にクラブ運営に尽力しながら監督としては、東海リーグ2部で優勝、翌2014年より東海リーグ1部に昇格。2017年2月に監督を退いて、理事長兼総監督に就任。2018年12月、クラブアドバイザーに就任[5]

2018年12月、京都サンガF.C.の監督に就任[1]。チームスタッフ以外は、前年度と変わらぬ選手にポゼッションスタイルを浸透させて一時はリーグ首位に立つ[6]。しかしながらチーム補強も殆ど無く挑んだ入替戦では、怪我人が続出となりJ1昇格プレーオフへの進出を逃す。多くのサンガサポーターに惜しまれながらも2019年11月28日、契約満了により1年で京都の監督を退任すると発表された[7]

人物

  • 四男一女の末っ子[8]。12歳で父が他界する。
  • 三重県内に2つのスポーツクラブを設立。自身でも法人を設立しスポーツを活かす町づくりの出来るサッカー指導者を育てる。
  • 甥の中田永一は、2013年年度の第92回全国高校サッカー選手権大会において、四日市中央工業高校のメンバーとして出場。2年生ながらレギュラーとして活躍。準決勝の富山第一戦では1点を追いかける前半終了間際に得たフリーキックで、約25メートルの距離から直接ゴールを決めた[9]

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 (リーグ杯)(オープン杯) 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1992 横浜F - J - 0 0
1993 5 0 3 0 1 0 9 0
1994 14 0 0 0 0 0 14 0
1995 8 0 - 0 0 8 0
1996 福岡 24 0 11 0 2 0 37 0
1997 13 10 0 5 0 0 0 15 0
1998 大分 14 旧JFL 23 1 - - 23 1
1998 市原 31 J 5 0 0 0 0 0 5 0
1999 3 J1 21 0 2 0 1 0 24 0
2000 26 1 4 0 0 0 30 1
2001 大分 19 J2 18 1 2 0 1 0 21 1
2002 仙台 3 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2003 6 0 2 0 0 0 8 0
2004 甲府 33 J2 5 0 - - 5 0
通算 日本 J1 119 1 27 0
日本 J2 23 1 2 0 1 0 26 1
日本 旧JFL 23 1 - - 23 1
総通算 165 3 29 0

指導歴

  • 2005年 - 2006年 中田一三サッカースクール[1]
  • 2007年 - 2009年 伊勢ペルソナFC(現 ISE YAMATO FC)監督[1]
  • 2009年 FC Avenidasol テクニカルディレクター / south U-15監督[1]
  • 2013年 - 2017年2月 FC.ISE-SHIMA監督[1]
  • 2017年3月 - 2018年 FC.ISE-SHIMA総監督[1]
  • 2019年 京都サンガF.C.監督

出典

  1. ^ a b c d e f g 『中田一三氏 監督就任のお知らせ』(プレスリリース)京都サンガF.C.、2018年12月6日http://www.sanga-fc.jp/news/p/13588/2018年12月6日閲覧 
  2. ^ "サッカー通して人間育成"
  3. ^ "四中工サッカー部OB会"
  4. ^ "第308回 中田一三ってどんな人?生い立ちやプレースタイルに迫る。"
  5. ^ 理事長辞任(クラブアドバイザー就任)のご挨拶
  6. ^ “データで振り返るJ2前半戦。1年でのJ1復帰を目指す柏は“決定率”が課題に【Jリーグ】”. J.LEAGUE.jp (2019年7月13日). 2021年8月24日閲覧。
  7. ^ 『中田一三監督 契約満了のお知らせ』(プレスリリース)京都サンガF.C.、2019年11月28日https://www.sanga-fc.jp/news/p/14734/2019年11月28日閲覧 
  8. ^ [中田一三 (@nakata_ichizo) - Twitter]
  9. ^ "サッカー通して人間育成|インタビュー「マイ・ウェイ」"
  10. ^ (プレスリリース)2001年12月25日。 オリジナルの2002年6月14日時点におけるアーカイブ2017年10月28日閲覧 

外部リンク

  • 中田一三 - Soccerway.com (英語) 
  • 中田一三 - WorldFootball.net (英語) 
  • 中田一三 - Transfermarkt.comによる選手データ (英語) 
  • 中田一三 - Transfermarkt.comによる指導者データ (英語) 
  • 中田一三 - J.League Data Siteによる選手データ 
  • 中田一三 - J.League Data Siteによる監督データ 
  • IchizoNakata(中田一三) (@nakata_ichizo) - Twitter


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