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中朝事実

中朝事実』(ちゅうちょうじじつ)は、山鹿素行が記した尊王思想歴史書寛文9年(1669年)に著わした。全2巻。付録1巻。山鹿素行は儒学軍学の大家である。

『中朝事実』の内容

中国は中朝中華を自称しているが、日本こそが中朝(中華)であるというのが、この書の主張である[1]。当時の日本では儒学が流行し、中国の物は何でも優れ日本の物は劣る、という中国かぶれの風潮があった。また、儒教的世界観では、中国の帝国が周辺の野蛮人の国よりも勢力も強く、倫理的にも優れるという中華思想が根本にあった。素行はこの書で、この中華思想に反論した。当時中国は漢民族明朝に代わって万里の長城の北の野蛮人の満州族による征服王朝清朝となっていた。また歴史を見ると、中国では易姓革命で王朝が何度も替わって家臣が君主を弑することが何回も行われている。中国では君臣の義が守られてもいないのに対して日本は、外国に支配されたことがなく、万世一系天皇が支配して君臣の義が守られているとした。

山鹿素行の「万世一系」論

江戸時代、尊皇家は天皇への尊崇と支持を高めるため、皇室の大変な古さと不変性という「万世一系」を強調した。山鹿素行は、神武天皇に先立つ皇統の神代段階は200万年続いた[2]と主張している。『中朝事実』で下のように論じている[3][4]

ひとたび打ち立てられた皇統は、かぎりない世代にわたって、変わることなく継承されるのである。……天地創造の時代から最初の人皇登場までにおよそ二〇〇万年が経ち、最初の人皇から今日までに二三〇〇年が経ったにもかかわらず……皇統は一度も変わらなかった。 — 山鹿素行、『中朝事実』

出典

[脚注の使い方]
  1. ^ 浅野晃「南方徴用作家叢書1ジャワ篇2」22-23頁 龍溪書舎 1996年
  2. ^ 日本書紀の巻第三では、神武天皇が45歳になり東征を決意した際、兄と子に天孫降臨から179万2470年余りが経過した」と語ることが本文に記されている。
  3. ^ David M. Earl, Emperor and Nation in Japan. Seattle: University of Washington Press, 1964, p.48.
  4. ^ この章は、ベン=アミー・シロニー(著) Ben‐Ami Shillony(原著)『母なる天皇―女性的君主制の過去・現在・未来』大谷堅志郎 (翻訳)、27-28頁。 (第8章1『日本王朝の太古的古さ』)を参照。

刊本

関連項目

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