中曽根 蔦子(なかそね つたこ、1921年(大正10年)10月30日 - 2012年(平成24年)11月7日)は、日本の71・72・73代内閣総理大臣である中曽根康弘の妻。
経歴
東京府出身。明治大学教授であった小林儀一郎の三女として1921年(大正10年)10月30日に生まれる。日本女子大学国文科を卒業。戦時中、海軍士官として台湾の高雄の海軍施設部にいた中曽根康弘は東京への出張を命じられ、そこで蔦子と出会う。その後、終戦の年である1945年(昭和20年)2月11日に結婚[1]。
1947年(昭和22年)に康弘が衆議院議員選挙に当選し、代議士の妻となる。また1982年(昭和57年)11月27日から1987年(昭和62年)11月6日までは康弘が内閣総理大臣に在任し、長期にわたってファーストレディとして活動をした[1]。
脚注
- ^ a b 「総理大臣の妻たち」(小林吉弥、日本文芸社、1995年)
- ^ “中曽根蔦子さんが死去 中曽根康弘元首相の妻、弘文参院議員の母”. 日本経済新聞 (2012年11月7日). 2021年4月14日閲覧。