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中山国

中山国(ちゅうざんこく)は、戦国時代中国で、現在の河北省中南部を中心とする一帯を領土とした国である。中山と改名する前は春秋時代以来の中原の北部にいた白狄が建国した都市国家で「鮮虞」という名で知られていた。当初は太行山脈の西側、つまり現在の山西省黄土高原上にあったが、紀元前432年に文公が衆を率いて太行山脈を越えて華北平原上に降り、現在の河北省中部に中山国を建国した(ただし必ずしも旧領のすべてを放棄したわけではない)。武公は周の定王の孫であり、そのため異民族の国でありながら周王朝と同姓の「姫姓」の国であった。

中山
紀元前507年 - 紀元前406年
紀元前380年 - 紀元前296年
国姓 姫姓
爵位
(紀元前325年に王を自称)
国都 1.顧(河北省定州市
2.霊寿(河北省石家荘市平山県
分封者 周の威烈王
始祖 中山文公
滅亡原因 1.により一回目の滅亡
2.により滅亡
史書の記載史記』巻43
戦国策
周朝諸侯国一覧
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当初は弱小国であり、紀元前406年には楽羊が率いる軍勢に都を落とされた。しかし、大山の中に逃れた桓公が20年にわたって抗戦を続け、国を復興した。これ以後、富国強兵に努めて領土を拡張したが、紀元前296年には同様に山西省の黄土高原から太行山脈の東に版図を広げてきたの攻撃によって滅亡した。

後に昭王に仕え、を滅亡寸前にまで追い詰めた楽毅は中山国の遺臣である。

紀元前350年頃の中山国と周辺諸国

他の諸侯国のように都市国家を出自とするのではなく、中原においては少々異質な、遊牧民的要素を持つといわれる狄の勢力が起こした国であるため、史料が少なく、「神秘の王国」と呼ばれる[1]1970年代から1980年代にかけて石家荘市平山県で、その都城である(霊寿城遺跡)や中山王墓が発掘された。金・銀・銅・玉・陶器などの豪華華麗な文物とともに、遊牧民的な文化を髣髴とさせる豪奢な天幕の支柱などが多数出土し、河北省博物館に保管されている。特に、遺物の中から古代の酒がそのまま発見されたことは話題を呼んだ。

歴代君主

関連項目

脚注

  1. ^ “「戦国七雄」に次ぐ8番目の勢力「中山国」、特別展が成都市で開催 写真8枚 国際ニュース:AFPBB News” (2019年7月29日). 2022年1月28日閲覧。 “中山国はまとまった史籍の記載がなく、人々に知られることも少なかったため、神秘の王国と呼ばれていたが、河北省石家荘市平山県の中山王陵や霊寿古城などの発見と発掘により、その全貌も明らかになってきた。”

外部リンク

  • 辻尾 榮市「葬船考 : 中山王国にみる葬船坑の船」『人文学論集』第27巻、大阪府立大学人文学会、2009年、1-35頁、doi:10.24729/00004444。 
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