JR東京総合病院(ジェイアールとうきょうそうごうびょういん)は、東京都渋谷区代々木2丁目1-3[注釈 1]にある病院である。
JR東京総合病院 | |
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JR東京総合病院 (2018年10月19日撮影) | |
情報 | |
前身 | 中央鉄道病院 |
標榜診療科 | 呼吸器内科、循環器内科、消化器内科、呼吸器外科、心臓血管外科、消化器外科、脳神経内科、血液・腫瘍内科、糖尿病・内分泌内科、脳外科、骨髄移植外科、リウマチ科、産婦人科、整形外科、精神科、乳腺外科、形成外科、小児科、皮膚科、眼科、緩和ケア外科、泌尿器科、耳鼻咽喉科、歯科口腔外科、放射線科、リハビリテーション科、救急科 |
許可病床数 | 425床 一般病床:423床 結核病床:2床 |
機能評価 | 一般病院2 3rdG:Ver.1.1 |
開設者 | 東日本旅客鉄道株式会社 |
管理者 | 髙戸 毅(院長) |
開設年月日 | 1927年(昭和2年) -現在地での開業年 |
所在地 | 〒151-8528 |
位置 | 北緯35度41分8秒 東経139度42分0秒 / 北緯35.68556度 東経139.70000度 |
二次医療圏 | 区西南部 |
PJ 医療機関 |
運営者は東日本旅客鉄道(JR東日本)であり、新宿駅やJR東日本本社ビル(代々木2丁目2-2)からも至近の地に所在している。
概要
もともとは鉄道省の職員や家族を対象とした「鉄道病院」として1927年(昭和2年)に現在地に開院し[注釈 2]、設立のいきさつから伝統的に整形外科・形成外科に優れている。1987年(昭和62年)に実施された国鉄分割民営化に伴って現在の名称及び組織に変更され、一般の保険医療機関となった。かつては利用者の多くを旧国鉄・JR関係者が占めていたが、立地の良さ、病院側の一般患者・外来検診の積極的受け入れもあり、過去のように鉄道関係者専用病院という状況ではない。
病院にはJR東日本が運営している唯一の看護教育機関「JR東京総合病院高等看護学園」が中央病棟内に併設されているほか、臨床研修指定病院にも指定されている。また、2003年(平成15年)からは、1970年(昭和45年)前後に竣工した外来診療棟の建替移設を含む再開発事業が始まり、2006年(平成18年)には新外来診療棟が完成した。これに伴い、外来完全予約制・電子カルテ・自動支払機の導入・入院ベッドへ情報端末の設置など、運営設備の大幅な近代化が行われた。
沿革
- 1911年(明治44年)5月 - 前身となる「常盤病院」が東京市麹町区銭瓶町[注釈 3]に開院。
- 1914年(大正3年)6月 - 常盤病院が鉄道院の所管となり、東京鉄道病院に改称。
- 1916年(大正5年)4月 - 東京・芝公園に新築移転。
- 1923年(大正12年)9月 - 関東大震災にて焼失[1]。
- 1927年(昭和2年)11月 - 現在地に旧本館が竣工。
- 1928年(昭和3年) - 診療を開始。
- 1950年(昭和25年) - 高等看護学園設立。
- 1958年(昭和33年)10月 - 国鉄本社の付属機関となり、中央鉄道病院に改称。
- 1966年(昭和41年)8月16日 理事会で、中央鉄道病院の改築を決定。
- 1967年(昭和42年) - 新病院(現病院)の建設が始まる。
- 1968年(昭和43年)7月 - 臨床研修指定病院となる。
- 1969年(昭和44年)9月 - 中央診療病棟が完成し業務を開始。
- 1970年(昭和45年)1月 - 外来診療棟が完成し業務を開始。
- 1980年(昭和55年)2月 - 高さ65.1mの新病棟が完成し業務を開始。
- 1987年(昭和62年)4月 - 国鉄改革により「東日本旅客鉄道株式会社」の直営病院となり、保険医療機関の指定を受ける[2]。
- 1988年(昭和63年)4月 - JR東京総合病院と改称。
- 1999年(平成11年)7月 - 医療事故防止委員会の設置、医療事故防止マニュアルを策定。
- 2003年(平成15年)3月 - (財)日本医療機能評価機構の認定を受ける。
- 2004年(平成16年)6月 - 臨床研修指定病院(新制度)となる。
- 2005年(平成17年)2月 - 救急告示病院の指定。
- 2014年(平成26年)7月22日 - 医療費や人間ドック受診料の支払いにSuicaが利用可能になる[3][4]。
- 2021年 (令和3年) 3月31日 ー 痛みセンターの廃止。
- 2021年 (令和3年) 8月2日 - 建物、設備の老朽化により病棟等の建て替えを発表。
診療科
ギャラリー
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
- JR東京総合病院