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世界タッグ王座

世界タッグ王座(せかいタッグおうざ)は、全日本プロレスが管理、PWFが認定している王座。

世界タッグ王座
詳細
現王者 拳王
征矢学
獲得日 2023年3月21日
管理団体 全日本プロレス
創立 1988年6月10日

歴史

PWF世界タッグ王座インターナショナル・タッグ王座の統一王座。1988年6月10日にインターナショナル・タッグ王者であるロード・ウォリアーズとPWF世界タッグ王者であるジャンボ鶴田&谷津嘉章組(五輪コンビ)が統一戦を行い、その2日後の6月12日ジャイアント馬場NWAとPWF双方から了解を得て、6月27日に統一戦に勝利した五輪コンビを世界タッグ王者とすることを発表。当初はNWAが認可しPWFが認定する王座であったが、全日本プロレスがNWAを脱退したのちは、NWAの認可が無くなり、PWFが認定する王座となり、以降、現在まで継承されている。

当初は12月の世界最強タッグ決定リーグ戦が近づくと王座を返上し、リーグ戦で優勝したチームが改めて王者になるという形式が取られていたが、1995年の第18回以降は返上するということはなくなり、全日本プロレスにおけるタッグの至宝といえる存在となっている。

チャンピオンベルトについては、三冠ヘビー級王座は新たにベルトを作り直したが、世界タッグ王座については、ベルトは作り直さず、2本のベルトをそのまま使用している。

歴代王者

歴代 王者組 戴冠回数 防衛回数 獲得日付 獲得場所(対戦相手・その他)
初代 ジャンボ鶴田 谷津嘉章 1 0 1988年6月10日 日本武道館アニマル・ウォリアー&ホーク・ウォリアー
第2代 スタン・ハンセン テリー・ゴディ 1 0 1988年7月29日 高崎市中央体育館
第3代 ジャンボ鶴田 谷津嘉章 2 0 1988年7月31日 函館市千代台公園陸上競技場
第4代 天龍源一郎 阿修羅・原 1 0 1988年8月29日 日本武道館
第5代 ジャンボ鶴田 谷津嘉章 3 0 1988年8月30日 大阪府立体育会館、王座返上
第6代 スタン・ハンセン テリー・ゴディ 2 0 1988年12月16日 日本武道館、世界最強タッグ決定リーグ戦優勝決定戦
第7代 ジャンボ鶴田 谷津嘉章 4 7 1989年2月2日 カンザスシティー・メモリアルホール
第8代 天龍源一郎 スタン・ハンセン 1 0 1989年7月11日 札幌中島体育センター
第9代 ジャンボ鶴田 谷津嘉章 5 1 1989年7月22日 石川県産業展示館
第10代 天龍源一郎 スタン・ハンセン 2 0 1989年10月20日 愛知県体育館、王座返上
第11代 天龍源一郎 スタン・ハンセン 3 0 1989年12月6日 日本武道館、世界最強タッグ決定リーグ戦優勝決定戦
第12代 テリー・ゴディ スティーブ・ウィリアムス 1 1 1990年3月6日 日本武道館
第13代 ジャンボ鶴田 ザ・グレート・カブキ 1 0 1990年7月19日 武生市体育館、王座返上
第14代 テリー・ゴディ スティーブ・ウィリアムス 2 2 1990年12月7日 日本武道館、世界最強タッグ決定リーグ戦優勝決定戦
第15代 スタン・ハンセン ダニー・スパイビー 1 2 1991年4月18日 日本武道館
第16代 テリー・ゴディ スティーブ・ウィリアムス 3 0 1991年7月6日 横須賀市総合体育館
第17代 三沢光晴 川田利明 1 1 1991年7月24日 石川県産業展示館、王座返上
第18代 テリー・ゴディ スティーブ・ウィリアムス 4 0 1991年12月6日 日本武道館、世界最強タッグ決定リーグ戦優勝決定戦
第19代 ジャンボ鶴田 田上明 1 2 1992年3月4日 日本武道館、王座返上
第20代 三沢光晴 川田利明 2 0 1992年12月4日 日本武道館、世界最強タッグ決定リーグ戦優勝決定戦
第21代 テリー・ゴディ スティーブ・ウィリアムス 5 0 1993年1月30日 千葉県体育館
第22代 川田利明 田上明 1 2 1993年5月20日 札幌中島体育センター
第23代 スタン・ハンセン テッド・デビアス 1 1 1993年9月3日 日本武道館、王座返上
第24代 三沢光晴 小橋健太 1 2 1993年12月3日 日本武道館、世界最強タッグ決定リーグ戦優勝決定戦、王座返上
第25代 三沢光晴 小橋健太 2 2 1994年12月10日 日本武道館、世界最強タッグ決定リーグ戦優勝決定戦
第26代 川田利明 田上明 2 3 1995年6月9日 日本武道館
第27代 スタン・ハンセン ゲーリー・オブライト 1 0 1996年1月24日 松本市総合体育館
第28代 川田利明 田上明 3 0 1996年2月20日 岩手県営体育館
第29代 三沢光晴 秋山準 1 2 1996年5月23日 札幌中島体育センター
第30代 スティーブ・ウィリアムス ジョニー・エース 1 1 1996年9月5日 日本武道館
第31代 川田利明 田上明 4 1 1997年1月17日 松本市総合体育館
第32代 小橋健太 ジョニー・エース 1 0 1997年5月27日 札幌中島体育センター
第33代 スティーブ・ウィリアムス ゲーリー・オブライト 1 1 1997年7月25日 日本武道館
第34代 小橋健太 ジョニー・エース 2 0 1997年10月4日 愛知県体育館
第35代 川田利明 田上明 5 4 1998年1月25日 横浜文化体育館
第36代 小橋健太 秋山準 1 1 1999年1月7日 高知県民体育館
第37代 ジョニー・エース バート・ガン 1 0 1999年6月9日 宮城県スポーツセンター
第38代 大森隆男 高山善廣 1 0 1999年7月23日 日本武道館
第39代 三沢光晴 小川良成 1 0 1999年8月25日 広島市東区スポーツセンター
第40代 小橋健太 秋山準 2 2 1999年10月23日 愛知県体育館
第41代 ベイダー スティーブ・ウィリアムス 1 0 2000年2月20日 ワールド記念ホール、王座返上
第42代 川田利明 田上明 6 0 2000年6月9日 日本武道館、大森隆男&高山善廣、王座返上
第43代 太陽ケア ジョニー・スミス 1 3 2001年1月14日 後楽園ホール川田利明&渕正信
第44代 天龍源一郎 安生洋二 1 2 2001年7月14日 日本武道館
第45代 武藤敬司 太陽ケア 1 2 2001年10月22日 新潟市体育館
第46代 ブライアン・アダムス ブライアン・クラーク 1 1 2002年7月17日 大阪府立体育会館、王座返上
第47代 小島聡 太陽ケア 1 0 2002年12月6日 日本武道館、世界最強タッグ決定リーグ戦優勝決定戦
第48代 武藤敬司 1 5 2003年6月8日 横浜文化体育館
第49代 小島聡 カズ・ハヤシ 1 1 2004年1月18日 大阪府立体育会館
第50代 永田裕志 ケンドー・カシン 1 0 2004年6月12日 愛知県体育館、王座剥奪
第51代 太陽ケア ジャマール 1 3 2005年1月16日 大阪府立体育会館、吉江豊&棚橋弘至、王座返上
第52代 川田利明 太陽ケア 1 1 2007年2月17日 両国国技館、諏訪魔&RO'Z
第53代 小島聡 TARU 1 0 2007年8月26日 両国国技館
第54代 武藤敬司 ジョー・ドーリング 1 1 2008年1月3日 後楽園ホール
第55代 太陽ケア 鈴木みのる 1 4 2008年6月28日 大阪府立体育会館
第56代 武藤敬司 船木誠勝 1 0 2010年1月3日 後楽園ホール、王座返上
第57代 太陽ケア 1 3 2010年7月4日 大阪府立体育会館、諏訪魔&浜亮太
第58代 KONO ジョー・ドーリング 1 1 2011年2月6日 後楽園ホール、王座剥奪
第59代 グレート・ムタ KENSO 1 1 2011年6月19日 両国国技館、&浜亮太
第60代 ダーク・オズ ダーク・クエルボ 1 3 2011年10月23日 両国国技館
第61代 大森隆男 征矢学 1 0 2012年3月20日 両国国技館
第62代 真田聖也 ジョー・ドーリング 1 0 2012年5月20日 アクロス福岡
第63代 大森隆男 征矢学 2 3 2012年6月17日 後楽園ホール、王座返上
第64代 大森隆男 征矢学 3 2 2012年11月30日 後楽園ホール、世界最強タッグ決定リーグ戦優勝決定戦
第65代 秋山準 潮崎豪 1 3 2013年3月17日 両国国技館
第66代 諏訪魔 ジョー・ドーリング 1 4 2013年10月22日 三条市栄体育館
第67代 秋山準 大森隆男 1 3 2014年6月28日 札幌テイセンホール、王座返上
第68代 秋山準 大森隆男 2 2 2014年12月6日 大阪府立体育会館、世界最強タッグ決定リーグ戦優勝決定戦
第69代 吉江豊 1 0 2015年3月22日 博多スターレーン
第70代 潮崎豪 宮原健斗 1 3 2015年5月6日 後楽園ホール、王座返上
第71代 ゼウス ボディガー 1 2 2015年12月23日 大阪府立体育会館、秋山準&大森隆男
第72代 関本大介 岡林裕二 1 4 2016年6月15日 後楽園ホール
第73代 ゼウス ボディガー 2 4 2016年11月27日 両国国技館
第74代 真霜拳號 KAI 1 0 2017年5月21日 後楽園ホール
第75代 ゼウス ボディガー 3 1 2017年6月11日 後楽園ホール
第76代 ジェイク・リー 野村直矢 1 1 2017年7月17日 後楽園ホール、王座返上
第77代 関本大介 岡林裕二 2 0 2017年8月27日 両国国技館、KAI&野村直矢、王座返上
第78代 秋山準 大森隆男 3 0 2017年10月21日 横浜文化体育館、関本大介&伊東竜二
第79代 諏訪魔 石川修司 1 0 2018年1月3日 後楽園ホール
第80代 宮原健斗 ヨシタツ 1 0 2018年2月3日 横浜文化体育館
第81代 ゼウス ボディガー 4 0 2018年2月25日 大阪府立体育会館第2競技場
第82代 崔領二 ディラン・ジェイムス 1 1 2018年3月25日 さいたまスーパーアリーナコミュニティアリーナ
第83代 諏訪魔 石川修司 2 4 2018年6月30日 ホテルエミシア札幌
第84代 関本大介 岡林裕二 3 1 2019年1月13日 後楽園ホール
第85代 諏訪魔 石川修司 3 3 2019年3月19日 後楽園ホール
第86代 ゼウス 崔領二 1 1 2019年9月3日 後楽園ホール
第87代 諏訪魔 石川修司 4 5 2020年1月2日 後楽園ホール
第88代 宮原健斗 青柳優馬 1 4 2021年1月2日 後楽園ホール
第89代 諏訪魔 芦野祥太郎 1 3 2021年9月7日 後楽園ホール
第90代 石川修司 佐藤耕平 1 1 2022年5月14日 ホテルエミシア札幌
第91代 芦野祥太郎 本田竜輝 1 4 2022年6月19日 大田区総合体育館
第92代 諏訪魔 KONO 1 0 2022年10月23日 大阪府立体育会館第2競技場
第93代 宮原健斗 野村卓矢 1 0 2023年1月2日 後楽園ホール
第94代 青柳優馬 野村直矢 1 0 2023年1月22日 後楽園ホール
第95代 拳王 征矢学 1 1 2023年3月21日 大田区総合体育館

主な記録

  • 最多戴冠者:9回 - 川田利明(第17・20・22・26・28・31・35・42・52代)
  • 最多戴冠回数:6回 - 川田利明&田上明(第22・26・28・31・35・42代)
  • 最多連続防衛:7回 - ジャンボ鶴田&谷津嘉章(第7代)
  • 最多通算防衛:12回 - 諏訪魔&石川修司
  • 最年長戴冠:51歳5ヶ月 - 天龍源一郎
  • 最年少戴冠:22歳4ヶ月 - 本田竜輝

世界タッグ王座のチャンピオンベルト返還請求訴訟

経緯

2004年6月12日に行われた世界タッグ選手権で、永田裕志新日本プロレス)とケンドー・カシンが世界タッグ王座を獲得。カシンは試合後に「このベルトは封印する」と宣言し、その言葉通り半年間防衛戦を行わなかった。カシンは全日本プロレス側より世界タッグ王座を剥奪されたが、ベルトを返還しなかった。その後、全日本プロレスが世界タッグ王座のベルトの返還を求める際に、誠意を持った対応をせずに「ベルトの写真撮影のためにベルトを貸してほしい」などの発言をしたため、カシンにとって王者としてのプライドを傷つけられた結果となり、また「貸してほしい」とカシン自身に所有権を認めたかのような発言を全日本プロレス側が行い、その後カシンは全日本プロレスとの連絡を一切取らないようになった為、全日本プロレスは2005年8月2日付で東京地裁に民事訴訟を起こした。

初公判

2005年10月5日、東京地裁513法廷で行われた。初公判において全日本プロレス側は訴状でと前提として「選手契約を結んでいた被告と」した。しかし実際には全日本プロレスの以下のような独特の契約体制、ベルト管理体制が明らかになり、結果として訴状自体の効力が問題視された。

  • 全日本プロレスの選手契約は口約束のため、契約書などが存在しない(これはジャイアント馬場の生前からのもので、外国人レスラーの間では「馬場が『わかった』と言えばどんな契約書より信用できる」といわれていた)。
  • 「ベルトは全日本の由緒正しい所有物。団体側に所有権があり、王者には預託しただけ」

独特の選手契約もさることながら、そもそも全日本プロレス世界タッグ選手権を「勝利」したはずのレスラーにベルトの所有権がなく、王者に預託しただけという発言はプロレスビジネスを知らない人間にはわかりにくい理屈ともいえる。初公判の席上、裁判長は主に以下の2点について全日本プロレス側に質問をした。

  • (1)全日本プロレスの所有物であるならば、そもそもどういう経緯で手に入れたのか
  • (2)王者になるという事とベルトを占有する事に違いはあるのか

「(2)王者になるという事とベルトを占有する事に違いはあるのか」ということについては、防衛を重ねた名王者がチャンピオンベルトの個人所有を許されるというプロレス・ボクシング共通の習慣が存在する(すなわち、1回獲得した程度では所有は許されない)。また、個人所有を認める場合でも、王座の象徴としてのチャンピオンベルトは団体が新製し所有するのが普通である。

東京スポーツ証拠資料提出

全日本プロレス側の弁護士が、カシン被告の全日本プロレスに対する無礼な言動を示す証拠として提出したのが「東京スポーツ」だった。この証拠を提出された裁判長は「これはベスト・エビデンス(証拠)にはならない。次は、ちゃんとした資料を出してください」と以下のようにコメントし、証拠を却下した。全日本が東スポを証拠として出した理由は、石澤は不定期の人生相談コーナーを持つなど東スポ誌面に数多く登場しており、石澤が問題のベルトを所持していること、全日本を中傷する言動を繰り返していること等が書かれてあったからである。また、プロレスを詳細に報道する日刊紙はそもそも東京スポーツぐらいしか存在しない。

顛末

全日本プロレスは早期和解を求めたが、カシン側は「ベルト獲得後に全日本プロレスに試合を組んでもらえなかったことが原因」とし、あくまでもリング上での決着を求めたため物別れに終わった。そんな中あくまで自分の主張を譲らないカシンの行動についていけなくなったカシン側の弁護士がカシンの弁護を辞退するという事態になり、手詰まりになったカシン被告は2006年4月末に着払いでベルトを返還したと報道されているが、なぜか全日本プロレスの公式発表は一切ない。

  • 詳しくは「(ケンドー・カシン#世界タッグ王座のチャンピオンベルト返還請求訴訟)」を参照。

外部リンク

  • 世界タッグ王座
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