下平 幸男(しもだいら ゆきお、1924年11月16日 - 1993年5月25日)は、将棋棋士、八段。渡辺東一名誉九段門下。(棋士番号)は50。東京府東京市(現:東京都新宿区[1])の生まれ。
棋歴
1948年、初参加の順位戦(第3期)において予選リーグで3勝無敗の成績を収めて昇級を決め、四段から六段に飛び昇段。
1956年度、第1回東京新聞社杯高松宮賞争奪将棋選手権戦で高松宮賞を獲得。
1957年度、第1回日本一杯争奪戦で優勝。
第12期(1957年度)B級2組順位戦において9勝2敗で2位となり、B級1組へ昇級するとともに七段に昇段。その後いったん降級するも、第16期(1961年度)B級2組順位戦で9勝3敗の2位となりB級1組へ復帰。さらに翌年度、第17期(1962年度)B級1組順位戦では五十嵐豊一とA級昇級の2番手争いをし、ともに最終局で勝ち9勝4敗の同星となったが、リーグ表順位が上の五十嵐がA級昇級した。以降、下平は順位戦で昇級することはなく、結果的に、五十嵐の1勝によって下平の八段昇段は21年先になる。
1972年7月26日、持ち時間10分の早指し将棋選手権予選・対桜井昇戦で、列車事故のため5分遅刻し、遅刻時間の3倍加算で開始前からすでに時間切れで不戦敗のはずだった。しかし、理事会は事故と5分という遅刻を考慮し、下平に指すように指示した。下平は「規則に則り、遅刻した私は負けのはずだ」と主張したが、そのまま対局が開始された。お互いに角道を開けた後、3二銀と指し、角が取られ、わずか5手で投了した。
第29期(1974年度)C級1組順位戦でC級2組へ降級。翌期、7勝2敗で最終局を迎え、勝てば即C級1組に復帰するところであったが敗れた。
1984年4月、昇段規定に「勝数規定」が新設され、下平は七段昇段時からの勝ち星の積み上げで八段となる。翌年、現役を引退。
棋風
居飛車党で、指し方は序盤から様々である。
終盤の入口から敵玉をまっしぐらに攻める棋風で、勝局には鮮やかに寄せたり、あるいは、際どく余したりするなどきれいな勝ち方が多く、その中には大山康晴や升田幸三から挙げた勝利もある。
人物
昇段履歴
主な成績
- 優勝
- 東京新聞社杯高松宮賞争奪将棋選手権戦・高松宮賞 1回(1956年度 = 第1回)
- 日本一杯争奪戦 1回(1957年度 = 第1回)
- 優勝合計 2回
- 順位戦
- 自己最高 B級1組
- キャリア
- 現役勤続25年表彰(1972年)
脚注
関連項目
外部リンク
- 下平幸男|棋士データベース|日本将棋連盟