三遊亭 鳳楽(さんゆうてい ほうらく、1947年3月1日 - )は、埼玉県川越市出身の落語家。五代目圓楽一門会顧問。出囃子は『松の太夫』または『正札付』。本名∶内田 啓次。
三ツ組橘は、圓楽一門の定紋である。 | |
本名 | 内田 啓次 |
---|---|
生年月日 | 1947年3月1日(76歳) |
出身地 | 日本・埼玉県川越市 |
師匠 | 五代目三遊亭圓楽 六代目三遊亭圓生 五代目三遊亭圓楽 |
弟子 | 三遊亭楽松 三遊亭鳳志 三遊亭鳳笑 三遊亭鳳月 |
名跡 | 1. 三遊亭楽松 (1965年 - 1979年) 2. 三遊亭鳳楽 (1979年 - ) |
出囃子 | 松の太夫 正札付 |
活動期間 | 1965年 - |
所属 | 落語協会 (1965年 - 1978年) 落語三遊協会 (1978年 - 1980年) 大日本落語すみれ会 →落語円楽党 →落語ベアーズ →円楽一門会 →五代目円楽一門会 (1980年 - ) |
受賞歴 | |
第6回NHK新人落語コンクール最優秀賞(1977年) 日刊飛切落語会若手落語家奨励賞(1978年) 文化庁芸術祭賞(1993年) | |
備考 | |
円楽一門会会長 (2007年 - 2015年) 円楽一門会顧問 (2015年 - ) | |
来歴
1965年10月、五代目三遊亭圓楽に入門。五代目三遊亭圓楽の総領弟子であり、圓楽の師匠六代目三遊亭圓生にとって初の孫弟子であった。前座名は大師匠圓生の本名「山崎松尾」の「松」の一字をとり「楽松」と名づけた。後に「楽松」の名前は「鳳楽」に改名後自身の惣領弟子に名付けた。入門後、師匠の圓楽は自身の活動が忙しく、また当時大師匠圓生の身の回りの世話をする前座がいなかったため、鳳楽を圓楽の師匠である圓生に預け、修行させていた。「初孫なので、めちゃくちゃ可愛がってもらいましたが、稽古の時だけは恐ろしかったです」と、「」で大師匠・圓生を語っている。
1972年11月に柳家さん喬、五街道雲助、柳家さん治、金原亭駒三、(三遊亭梅生)、立川談十郎と共に二ツ目昇進。1977年、第6回NHK新人落語コンクール 最優秀賞を受賞。1978年、日刊飛切落語会若手落語家奨励賞を受賞する。この年落語協会分裂騒動で大師匠圓生、師匠圓楽と共に落語協会を脱退。
1979年9月に真打昇進し「鳳楽」と改名。真打昇進披露宴が帝国ホテルで行われた1979年9月9日は、直前の9月3日に大師匠圓生が急逝して初七日に当たったが、前年の落語協会分裂騒動の遺恨をこの時は捨て、落語協会・落語芸術協会の多数の噺家と全寄席の席亭が出席、落語界全体が鳳楽の昇進を祝おうという雰囲気に包まれた[1]。圓生存命中に真打が内定していた孫弟子も、鳳楽のみである。
人物
全国各地の蔵元に太いパイプを持っている。
1978年以降、2020年現在静岡放送のラジオ番組にレギュラー出演し続けている。2022年現在静岡市葵区在住。
(七代目圓生襲名の話が出たが、事実上頓挫している)。
芸歴
受賞歴
- 1977年 - 第6回NHK新人落語コンクール最優秀賞。
- 1978年 - 日刊飛切落語会若手落語家奨励賞
- 1993年 - 文化庁芸術祭賞
役職
著書・CDなど
出演
- 映画
- ラジオ
- 藤村有弘の東海道それゆけ4時間(SBSラジオ)アシスタント(1978年10月 - )[2]
- 三遊亭鳳楽の東海道それゆけ4時間(SBSラジオ)*藤村有弘死去後、メインパーソナリティとなる。
- 鳳楽・上ちゃんの歌謡曲 電リクでナイト(SBSラジオ)月曜19時-21時(2003年~2020年3月23日) *パートナーは上原孝男(元SBSアナウンサー)
2018年4月7日 、 明治元年(1868年)にハワイに渡った日本人移民150周年を記念して、ホノルルの日本語ラジオ局KZOOで「歌謡曲 電リクでナイト」3時間出張生放送が行われている。鳳楽と上原に加えて同局の裕子・リン・ナカイがパーソナリティーを務めた。SBSラジオでは後日ダイジェストを番組内で放送。
- 三遊亭鳳楽の歌謡曲サンデーリクエスト(SBSラジオ)日曜19時-20時(2020年4月5日~)*パートナーは(上藤美紀代)(元SBSアナウンサー)→(片川乃里子)(元静岡朝日テレビアナウンサー)
- テレビ
一門弟子
- 真打
- 二ツ目
- 廃業