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三浦貴

三浦 貴(みうら たか、1978年5月21日 - )は、埼玉県出身の元プロ野球選手外野手内野手投手)。

三浦 貴
浦和学院高校野球部 野手担当コーチ
西武時代(2009年8月24日)
基本情報
国籍 日本
出身地 埼玉県与野市(現:さいたま市中央区
生年月日 (1978-05-21) 1978年5月21日(45歳)
身長
体重
181 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手一塁手三塁手投手
プロ入り 2000年 ドラフト3位
初出場 2001年3月31日
最終出場 2009年10月7日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 浦和学院高等学校

経歴

浦和学院高では3年生の時に春夏連続で甲子園出場を果たす[1]。バッテリーを組んだ小川将俊(大学でも同様)、石井義人は同期。その後東洋大学へ進学、1年春から投げて東都大学1部リーグ通算46試合登板、13勝19敗、防御率2.47、218奪三振(2年春秋は2部)。4年で主将を務め、2000年秋季のリーグは7勝2敗で最高殊勲選手、最優秀投手、ベストナインを受賞し優勝に貢献。大学時代から打撃も良く、東都大学野球リーグは指名打者制でありながら投手で打順に入ったり、登板しない際も打者での出場があった。2000年度ドラフト会議で、読売ジャイアンツから3位指名を受け、入団。

2001年阿部慎之助と同級生・同期入団(東都大学でもプレー)で開幕一軍に加わりバッテリーを組んだ。1年目から中継ぎ投手として140km/h台後半の直球スライダーカーブフォークを武器に活躍。プロ初勝利を含む3勝を記録し、49試合に登板して防御率3.41の成績だった。

2002年シーズン、緒方孝市に与えた頭部死球をきっかけにイップスに陥り、相手打者のインコースへ投げられなくなったと言われており、以降は登板機会がなくなってしまった。この年新規定になって初めての(危険球)退場者であった。同年の日本シリーズは出場機会なしに終わる。

当時の原辰徳監督に身体能力と野球センスを買われ2003年シーズンから野手へ転向。当時の原は「投手なら5000万円どまりだが野手なら2億円稼げる素質がある」と評した。投球イップスは野手転向に至った発端ではあるが、野手転向当時の月刊ジャイアンツの三浦本人の談話によると、「イップスを見かねて仕方なく野手転向させた」というよりも、ルーキーイヤーから外野手転向を原(当時はヘッドコーチ)に熱心に勧誘されていたそうである。イップスについては、後にインタビューで否定している[2]

初年度は連携の少ない三塁手を守り、終盤に一軍に昇格。2003年9月15日の中日戦において平井正史から野手転向後初安打となるプロ初本塁打を放った。

2005年シーズン、二軍で打率.256・10本塁打・47打点(チームトップ)・長打率.507をマーク、守備力にも評価を得る。2006年も打率.288・5本塁打・6盗塁、2007年は打率.241・6本塁打・6盗塁と、二軍で主力選手として活躍するものの、一軍ではなかなかチャンスを生かせず、2007年シーズン終了後に戦力外通告を受ける。

12球団合同トライアウトに2回とも参加したが1ヶ月が経過しても獲得のオファーはなく、一時期は引退を決意していた。12月28日福地寿樹がヤクルトへ移籍となり、外野手の補強を必要としていた西武が獲得することが報じられ、年が明けた1月10日埼玉西武ライオンズと正式契約を結び、同日入団会見を行った。

2008年は二軍で主力選手として82試合に出場し、リーグ2位の本塁打[3]、本塁打部門と三塁打部門でチームトップ(打率.261・13本塁打・43打点・8盗塁・6三塁打)を記録するなど力を発揮[4]。一軍試合出場は7試合に留まったが、移籍後初且つこの年唯一のスタメン出場となった9月13日の対楽天戦では4打数2安打1打点と活躍を見せた[5]。登録は外野手であるが、チーム事情から二軍では外野以外に一塁と三塁を守り[6]、一軍昇格後も一塁手としての出場がほとんどであった[7]

2009年水田圭介がトレードされたこともあり、二軍の内野手が足りなくなってしまったので主に二塁と三塁を守った。シーズン終盤中村剛也が怪我をしたため一軍に昇格、主に三塁を守った。中村復帰後も一軍に残ったが左投手先発時もそれほど打てず、左投手が先発の時も起用されなくなってしまった。最終戦にスタメン出場し、安打も放ったが翌日の10月8日に戦力外通告を受けた。シーズン終了後、12球団合同トライアウトに参加するも、獲得する球団は現れず現役を引退。

現役引退の挨拶のために母校の浦和学院高等学校を訪問した際、森士監督の「教職取って、ウチ来るか」[8]という言葉をきっかけに指導者になる決心をする。その後、運送会社で働きながら東洋大学(夜間)に2年間通学し、2012年3月に教員免許を取得。2012年4月から浦和学院高校で教員として勤務している。

これまで元プロ野球選手が高校野球の指導者になるには2年以上の教員経験が必要だったが、研修を受講することなどを条件にこの規則が撤廃された。この規則緩和により2013年7月29日に学生野球資格回復が承認[9]されたため、2013年7月30日から浦和学院高校野球部で野手担当のコーチをしている。石川賢とともに規則緩和の新制度適用第1号となった。

人物

スポーツマンNo.1決定戦

過去3回出場。2002年総合8位、2004年総合No.1、2005年総合3位。モンスターボックス(跳び箱)ではプロスポーツマン記録20段を越え、TAIL IMPOSSIBLE(持久走)では過去3回全てNo.1になっている。 ユニフォームの色は2002年はグレー、2004年は黒→黄色。

プロスポーツマン大会
大会 放送日 総合順位
第8回大会 2002年1月1日 8位 260pts
第10回大会 2004年1月1日 No.1 455pts
第11回大会 2005年1月1日 3位 405pts

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2001 巨人 49 0 0 0 0 3 2 0 -- .600 261 58.0 60 4 38 2 1 38 3 0 22 22 3.41 1.69
2002 3 1 0 0 0 0 0 0 -- ---- 13 2.2 4 2 0 0 1 2 0 0 2 2 6.75 1.50
通算:2年 52 1 0 0 0 3 2 0 -- .600 274 60.2 64 6 38 2 2 40 3 0 24 24 3.56 1.68

年度別打撃成績

















































O
P
S
2001 巨人 49 5 4 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 0 2 0 .250 .400 .250 .650
2002 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
2003 10 6 6 2 1 0 0 1 4 1 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .167 .167 .667 .833
2004 3 10 8 1 1 1 0 0 2 0 0 0 0 0 2 0 0 1 0 .125 .300 .250 .550
2005 19 26 23 3 5 1 0 0 6 1 0 0 0 0 1 0 2 8 0 .217 .308 .261 .569
2006 16 32 28 4 6 1 0 0 7 1 0 1 0 0 4 0 0 10 1 .214 .313 .250 .563
2007 4 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
2008 西武 8 8 7 1 2 0 0 0 2 1 0 0 0 0 1 0 0 2 0 .286 .375 .286 .661
2009 22 34 32 3 5 1 0 0 6 1 0 0 0 0 1 0 1 10 0 .156 .206 .188 .393
通算:9年 134 122 109 15 21 4 0 1 28 5 0 1 0 0 10 0 3 35 1 .193 .279 .257 .536

記録

投手記録
  • 初登板:2001年3月31日、対阪神タイガース2回戦(東京ドーム)、8回表に5番手で救援登板、1回無失点
  • 初勝利:2001年4月1日、対阪神タイガース3回戦(東京ドーム)、8回表2死に5番手で救援登板、1/3回無失点
  • 初奪三振:2001年4月8日、対広島東洋カープ3回戦(広島市民球場) 、6回裏に廣瀬純から空振り三振
  • 初先発:2002年4月30日、対広島東洋カープ4回戦(東京ドーム)、2/3回1失点
打撃記録

背番号

  • 39 (2001年 - 2006年)
  • 54 (2007年)
  • 53 (2008年 - 2009年)

脚注

  1. ^ a b スポニチ Sponichi Annex プロ野球 西武ライオンズ選手名鑑― スポニチ Sponichi Annex 野球 三浦 貴 Sponichi Annex 2014年10月27日閲覧。
  2. ^ 『プロ野球「戦力外通告」終わらない挑戦編』p.177)
  3. ^ “2008年度 イースタン・リーグ リーダーズ(打撃部門)”. NPB.jp 日本野球機構. 2020年6月9日閲覧。
  4. ^ “2008年度 埼玉西武ライオンズ 個人打撃成績(イースタン・リーグ)”. NPB.jp 日本野球機構. 2020年6月9日閲覧。
  5. ^ “2008年9月13日(土)埼玉西武 vs 東北楽天ゴールデンイーグルス インタビュー”. 埼玉西武ライオンズ. 2020年6月9日閲覧。
  6. ^ “2008年度 埼玉西武ライオンズ 個人守備成績(イースタン・リーグ)”. NPB.jp 日本野球機構. 2020年6月9日閲覧。
  7. ^ “2008年度 埼玉西武ライオンズ 個人守備成績(パシフィック・リーグ)”. NPB.jp 日本野球機構. 2020年6月9日閲覧。
  8. ^ “元巨人、西武・三浦貴「有限会社エース/引退後記」”. 日刊スポーツ (2010年6月17日). 2011年3月15日閲覧。
  9. ^ 元プロ三浦氏、石川氏が資格回復 新プロアマ規則で初 スポニチ (2013年7月29日)

関連項目

外部リンク

  • 個人年度別成績 三浦貴 - NPB.jp 日本野球機構
  • 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube
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