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三宅恵介

三宅 恵介(みやけ けいすけ、1949年2月5日[1][2] - )は、日本のテレビディレクターテレビプロデューサー実業家

三宅恵介
生誕 (1949-02-05) 1949年2月5日(74歳)
東京都
国籍 日本
別名三宅デタガリ恵介
民族日本人
職業フジテレビジョン編成制作局制作センター第2制作室エグゼクティブディレクター
千代田企画代表取締役社長[1]
テレビ番組オレたちひょうきん族
森田一義アワー 笑っていいとも!
ライオンのごきげんよう』他
配偶者既婚

株式会社フジテレビジョン編成制作局制作センター第2制作室エグゼクティブディレクター(嘱託)。株式会社千代田企画代表取締役社長[1]日本大学芸術学部放送学科非常勤講師

欽ドン!』以降、現在に至るまで、35年以上に渡りバラエティ番組制作一筋。フジテレビに於ける明石家さんまの出演するほぼすべての番組に関与するほか、さんま主演のコメディードラマ『心はロンリー気持ちは「…」』シリーズの演出や、近年では『ほぼ日刊イトイ新聞』の「おもしろ魂。」[3]糸井重里と対談をした縁がきっかけで、『ほぼ日』が主催するイベントの演出も手掛けている。

来歴・人物

東京都千代田区神田出身[4]。実家は日本舞踊花柳流の舞踊家の家系で、父はテレビ草創期から歌謡番組の振り付けで活躍した花柳啓之(花柳糸之社中・(花柳糸之)の師)。実子は舞踊家の花柳輔蔵。兄は邦楽鳴物演奏家の西川啓光。姪(西川の実娘)は舞踊家の岩井梅我。

慶應義塾大学経済学部卒業。幼稚舎から慶應義塾で過ごす。学生時代はバスケットボールとバンド活動に熱中した。

1971年に当時のフジポニー(フジテレビ、ニッポン放送などが出資したフジテレビ系子会社。テレビ番組制作とビデオプログラム制作がメイン)に入社し、鹿内春雄フジサンケイグループ議長が行った機構改革に伴い、1980年にフジテレビへ転籍。

『欽ドン!』萩本欽一との出会い

1975年より、萩本欽一総合司会のバラエティ番組『欽ちゃんのドンとやってみよう!』のスタッフとして、本格的にバラエティ番組の製作に参加。この番組の中で、萩本からバラエティ製作・演出手法について様々な進言を受け、以後、三宅は萩本を「バラエティにおける師匠」として崇拝している。

この点において日本テレビエグゼクティブディレクターの土屋敏男とは大きく共通しており、土屋とは古くから親交がある。また、2010年3月17日放送のフジテレビ特番『悪いのはみんな萩本欽一である』で、30年越しに萩本・三宅・土屋3人が顔を揃えての師弟テレビ初共演が実現した[注 1]

『ひょうきん族』以降

1981年10月開始の人気バラエティ番組『オレたちひょうきん族』では、他のディレクターたちと共に「ひょうきんディレクターズ」と称して番組に出演。レコードまで発売した。定年前に役員待遇に昇格し、役員任期満了後もひょうきんディレクターズの中では唯一、嘱託としてフジテレビに籍を置いている。

ひょうきんディレクターズ時代のクレジットは「三宅デタガリ恵介」。「デタガリ」の由来は、自分の手掛けている番組に出たがりだから。取材やロケでも目立つためにと、赤いシャツやセーターを着るようになったという[3][注 2]

舞踊家の家系であるためか、1982年10月には同じフジテレビのテレビアニメ『ぼくパタリロ!』の2代目エンディングテーマ「クックロビン音頭」の振り付けも担当した[注 3]

1987年には横澤彪の後を継いで『ひょうきん族』のプロデューサーに昇格し、ディレクター兼務となるが、1989年10月の番組終了後、三宅は再びディレクター業務に専念することとなる。番組プロデュースは直属の部下である加茂裕治が担当することが多かったが、『はやく起きた朝は…』など、三宅がプロデューサーを務める番組も存在した。2008年に定年を迎えたが、定年直前に役員待遇ゼネラルディレクターに昇進。以降はディレクターを担当することが少なくなり、一時的にプロデューサー・チーフプロデューサーを中心に担当していた。

2008年12月20日には、日本テレビ『』にフジテレビディレクターとしてVTR出演した。

2011年4月10日には大阪まで赴き、テレビ大阪の『たかじんNOマネー〜人生は金時なり〜』に元NHK報道キャスターの手嶋龍一と共にゲスト出演。「テレビに未来はあるのか!?」のテーマで、司会のやしきたかじんと現在のバラエティ番組の問題点などを議論した。

2012年7月7日放送の『新・週刊フジテレビ批評』にゲスト出演し、第1回の総合演出を担当した『FNS27時間テレビ』の裏話などを話した[5]

2011年2月に役員任期が満了したが、その後も石田弘と同様に嘱託でフジテレビに籍を残しているほか、フジテレビと関連が深い制作会社・千代田企画の社長も兼務している。

2011年の『FNS27時間テレビ めちゃ²デジッてるッ! 笑顔になれなきゃテレビじゃないじゃ〜ん!!』では、ビートたけしに対し『さんま・中居の今夜も眠れない』の中で行われる矢部浩之のマラソン中継に出演するようさんまとともにオファーをかけたことが明かされている。

定年をめぐるエピソード

2009年2月に60歳となり、定年退職を迎えるということで、最後の大舞台として2008年度の『FNS27時間テレビ!! みんな笑顔のひょうきん夢列島!!』(7月26日・27日放送)の総合演出を務めた。

同番組の総合司会をさんまが19年ぶりに受けたのは、三宅のフジテレビディレクターとしての花道を飾るためという理由があったが、2008年7月1日にCSチャンネル(フジテレビ721・739・CSHD)で生放送された特番『フジテレビ721開局10周年大謝恩会』の中で、役員待遇ゼネラルディレクターに昇進したことが判明した。読売新聞のインタビュー記事[6]でも、このことについて言及されている。

役員待遇の契約期間は2年で、それに伴い退職が2年延長されるため、さんまは同番組にて当時フジテレビ専務取締役だった太田英昭に「三宅をやめさせてくれ」と嘆願したが、太田は「今年度の人事がすでに決まっているため、来年に」とかわした。

この事は『27時間テレビ』本番当日27日のエンディングでビートたけしが「三宅さんがやめるからやってくれっつったら、(定年まで)あと2年もつらしいじゃねぇか!」と暴露。さんまは三宅を懺悔送りにし、水を被った。

その際「2年後もまたお願いします」とオファーを出している。ただし、2年後に当たる2010年は『クイズ!ヘキサゴンII』をベースとした島田紳助司会の『超笑顔パレード 絆 爆笑!お台場合宿!!』が放送され、メイン制作に三宅は関わっていない。

ちなみに番組内では、「ひょうきん族」のプロデューサー昇格後に三宅自身も務めていた「懺悔室」の牧師役として出演した。

「来年(2009年)で定年退職」という話は、2008年4月に東京と大阪で行われた、明石家さんまプロデュースというさんま主催の舞台でも観客に伝えられている(おそらくこれが、三宅が定年退職を公開した初めての場)。舞台のコントが全て終了した直後のエンディングにて、松尾伴内内山信二そして、山田花子が舞台に登場し、「三宅さんが来年で定年退職する」と観客に伝えた。そして、舞台中央にあるスクリーンに三宅の略歴と製作に関わった作品を紹介した後、本人が登場して紹介した瞬間、さんま・ラサール石井村上ショージが「明石家マンション物語」のキャラクターである「ダメダメボーイズ」の格好で登場し、三宅に駄目出しする場面があった。その後、観客・出演者から拍手があり、舞台は幕を閉じた。

タレントとの深い関係

明石家さんまとの付き合いは公私共に深く、さんまは三宅の親族による舞踊活動のため、ビルを所有して貸している。また、ひょうきん族の人気コーナーであるタケちゃんマンの公開収録の前日には、さんまのマンションで打ち合わせ中に彼女の元に電話を掛け「明日、ひょうきん族の公開収録があるの。見に来ない?パーデンネン生で見れるよ!」と伝えていたことをさんまに暴露されたこともある。

ビートたけしやさんまといった刺激の強いタレントの番組を担当する一方で、萩本欽一関根勤小堺一機ら、どぎつさのない欽ちゃんファミリーとも強いパイプを持つ。

村上ショージがハワイで結婚式を挙げた時、仲人の明石家さんま・大竹しのぶ夫妻(当時)とともに参加し、花嫁の父親役を務める。

一方で、「オレたちひょうきん族」のDVD化の際、その第1弾である「1981〜1982 VSブラックデビル」にて、出演者の1人だった村上ショージ(この時はピン芸人)の名前をジャケットクレジットに入れなかったミスを犯す。これを受けて、DVD第5弾の「1985〜1989 FINAL VSパーデンネン」の際は、難民(何人)トリオとして出演していた(コーナーも存在していた)ため、クレジットに入る事になった(ただし、メンバーであるはずの前田政二だけはクレジットされていなかった。前田はこの時、放送作家に転身していた)。村上の件についてはフジテレビ警察でネタにされ、「隠蔽罪」の嫌疑が掛けられた。

一方でダウンタウンウッチャンナンチャンとんねるず等のお笑い第三世代とは関わりがない。

担当番組

手掛けた番組

著書

  • 「ひょうきんディレクター、三宅デタガリ恵介です」(2015年、新潮社[7]

脚注

  1. ^ 詳密に言うと、三宅と土屋のテレビ初共演である。萩本・三宅もしくは萩本・土屋コンビでのテレビ共演は過去に何度もあった。
  2. ^ ひょうきん懺悔室」コーナーでの神父役でも赤い衣装だった。
  3. ^ キャニオンレコードからリリースされたシングルレコード(CX-75)の振り付け表には「振付:三宅デタガリ恵介(ひょうきんディレクターズ)」とクレジットされている。
出典
  1. ^ a b c バラエティーの問題点、演じ手にも演出家にも「笑いを取るにはそれなりのフリが必要」三宅恵介氏 - 芸能 : 日刊スポーツ(2022年6月5日閲覧)
  2. ^ 三宅恵介 のプロフィール - allcinema
  3. ^ a b おもしろ魂。 - ほぼ日刊イトイ新聞
  4. ^ 『映像メディア作家人名事典』
  5. ^ 「27時間テレビ」とフジテレビ“笑いのDNA” 新・フジテレビ批評 - フジテレビ
  6. ^ 2008年7月14日・読売新聞朝刊)より。
  7. ^ 新潮社ホームページ(書籍)

関連項目

外部リンク

  • ほぼ日刊イトイ新聞~おもしろ魂。
  • 27時間テレビ三宅さんインタビュー(動画)
  • フジテレビ
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