『あっぱれさんま大先生』(あっぱれさんまだいせんせい)は、フジテレビ系列で放送されたフジテレビ制作のバラエティ番組。および同番組のテーマソングであり、出演者の明石家さんまが歌うシングルCDのタイトルでもある。
あっぱれさんま大先生 | |
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ジャンル | バラエティ番組 |
演出 | 三宅恵介 |
出演者 | 明石家さんま ほか |
オープニング | 「あっぱれさんま大先生」 |
エンディング | 「ボク知ってるョ」 「記念樹」 「未来のドア」 |
製作 | |
制作 | フジテレビ |
放送 | |
音声形式 | モノラル放送 |
放送国・地域 | 日本 |
月曜時代(第1期) | |
プロデューサー | 山縣慎司 |
放送期間 | 1988年11月21日 - 1990年9月24日 |
放送時間 | 月曜 19:00 - 19:30 |
放送分 | 30分 |
日曜時代(第1期) | |
プロデューサー | 山縣慎司 |
放送期間 | 1990年10月21日 - 1995年3月26日 |
放送時間 | 日曜 13:00 - 13:30 |
放送分 | 30分 |
木曜時代(第1期) | |
プロデューサー | 山縣慎司 |
放送期間 | 1995年4月27日 - 1996年3月21日 |
放送時間 | 木曜 19:00 - 19:30 |
放送分 | 30分 |
日曜時代(第2期) | |
プロデューサー | 加茂裕治 |
放送期間 | 2000年4月2日 - 2003年10月19日 |
放送時間 | 日曜 13:00 - 13:30 |
放送分 | 30分 |
さんま大先生が行く! | |
プロデューサー | 加茂裕治 |
放送期間 | 2003年10月26日 - 2004年10月31日 |
放送時間 | 日曜 13:00 - 13:30 |
放送分 | 30分 |
概要
明石家さんま(先生)と子供(生徒)たちによるスタジオトークを中心に様々な企画を展開していた番組で、アニメ『魁!!男塾』の後番組として1988年11月21日に月曜19:00枠にて放送開始(関西テレビやテレビ大分ほか一部ネット局では異時ネット)。
放送開始から2年後の1990年10月21日に日曜13:00枠へ移動し、さらにそれから4年半後の1995年4月27日に『木曜ファミリーランド』の枠縮小を受けて木曜19:00枠へ移動したが、1996年3月21日放送分をもって番組リニューアルのために子供たちを全員卒業させた(第1期終了)。
その後、『やっぱりさんま大先生』と改題して日曜13:00枠へ再移動し、同タイトルで2000年3月19日まで放送されたが、同年4月2日放送分からは再度『あっぱれさんま大先生』へと戻り、2003年10月19日まで放送(第2期)。その翌週の10月26日からは内容を大幅にリニューアルし、『さんま大先生が行く!』というタイトルで放送された。それまではさんまがスタジオで子供たちとトークをする方式だったが、同番組ではさんまが各地の小学校へ行くという方式に改められた。
2004年11月7日に放送を開始した『あっぱれ!!さんま大教授』では、それまでの「子供たちとの絡み」を中心としてきた内容を改めた。以後は毎回テーマを設定し、それに関する調査を基にゲストを招いてトークするという内容で放送された。
主なコーナー
- あっぱれ相談室
- あっぱれホームルーム
- あっぱれ隊が行く
- あっぱれ教室
- あっぱれニュースデスク
- あっぱれスポーツ
- ほか
主な出演者
()内はその後の活動内容および補足事項および現在。
【】内は呼び名
第一期あっぱれ卒業式までいたメンバー
1988年加入メンバー
1989年加入メンバー
1990年加入メンバー
- 須藤実咲(引退)【みさきちゃん】
- 福長康一(引退)【福長】
1991年加入メンバー
- 湯山絵梨(引退)【えりちゃん】
1992年加入メンバー
- 矢川菜穂美(引退)【なおみちゃん】
1993年加入メンバー
- 鳴海晃司(引退)【むし】
- 芝崎善紀(引退)【バイオリン】
- 村岡綾佳[2](引退)【あ~やん、あやかちゃん】
1994年加入メンバー
1995年加入メンバー
- 小林加奈(引退)【かなちゃん】
第一期あっぱれ卒業式前に卒業したメンバー
1988年加入メンバー
- 薗田美樹(1988年11月 - 1990年4月)
- 根本卓哉(1988年11月 - 1991年1月)【たっくん】
1989年加入メンバー
- 榎園京(1989年5?月 - 1990年6?月)
- 安藤明子(1989年7月 - 1992年8月)
- 歌代未央(1989年7月 - 1994年4月)
1990年加入メンバー
- ジェイムス・ダカティ(弁護士)(1990年4月 - 1992年4月)
- 上野秀樹(1990年5月 - 1992年4月)【市役所】
- 増川浩行(1990年5月 - 1993年3月)【ブランド】
1992年加入メンバー
- 鹿志村綾(1992年4月 - 1994年4月)※故人
- 佐々木優作(1992年4月 - 1993年3月)【ごじゃるくん、ふじこくん】
やっぱりさんま大先生・第二期あっぱれ
やっぱり加入メンバー
1996年加入メンバー
- 山口このみ(1996年4月 - 2003年10月)
- 花澤香菜(1996年4月 - 2000年3月)
- 落合扶樹(1996年4月 - 2000年3月)
- (田中沙織)(1996年4月 - 2000年3月)
- (三浦海)(1996年4月 - 2002年3月)
- 三宅零治(1996年4月 - 2003年10月)
- 永川謙(1996年4月 - 2000年6月)
- (宮崎立輝)(1996年4月 - 2000年3月)
- (児玉真里奈)(1996年4月)
- (愛甲麻友)(1996年4月 - 1997年3月)
- (魚路和也)(1996年4月 - 1997年3月)
- (魚路達也)(1996年4月 - 1997年3月)
- (有富由仁)(1996年4月 - 1997年3月)
- (野地十百香)(1996年4月 - 1997年3月)
- 土肥亜紗美(1996年4月 - 1997年3月)
- (真理子・リアン・フレイジー)(1996年4月 - 1997年3月)
- (堤成美)(1996年4月 - 1997年3月)
- (倉重美菜子)(1996年4月 - 1997年3月)
- (神田将弘)(1996年4月 - 1997年3月)
- (川畑隼平)(1996年4月 - 1997年3月)
- (小野瀬輝)(1996年4月 - 1997年3月)
- 井上翔太[](1996年4月 - 1997年3月)
- (宍戸康太郎)(1996年4月 - 1997年3月)
- (中山美勇士)(1996年4月 - 1997年3月)
- (中山美勇也)(1996年4月 - 1997年3月)
1997年加入メンバー
- (浅岡佐衣)(1997年4月 - 2000年3月)
- (木村英美香)(1997年4月 - 2001年3月)
- (谷口由記)(1997年4月 - 2003年10月)
1998年加入メンバー
- 九嶋雄太(1998年4月 - 2000年3月)
- (中島玲奈)(1998年4月 - 2000年3月)
1999年加入メンバー
- 森絵梨佳(1999年4月 - 2001年3月)
- 八武崎碧(1999年11月 - 2002年3月)
- 渡辺彼野人(1999年11月 - 2002年3月)
- (大久保美輝)(1999年12月 - 2002年3月)
- 岡田優佳(1999年12月 - 2003年10月)
第二期あっぱれ加入メンバー
やっぱりからの移籍組
2000年加入メンバー
- 加藤諒(2000年3月 - 2003年10月)
- (濱岡仁美)(2000年7月 - 2003年10月)
2001年加入メンバー
- 森輝弥(2001年4月 - 2002年3月)
- (山瀬翠星)(2001年9月 - 2002年3月)
2002年加入メンバー
- (逸見春菜)(2002年4月 - 2003年10月)
- (安田望)(2002年4月 - 2003年10月)
- (常藤雄之)(2002年4月 - 2003年10月)
- 志村勇人(2002年4月 - 2003年10月)
- 志村玲那(2002年4月 - 2003年10月)
- (一条園美)(2002年4月 - 2003年10月)
- 日高里菜(2002年4月 - 2003年10月)
2003年加入メンバー
- (丹羽紫央里)(2003年4月)
- (阪本眞生)(2003年4月)
- 藤原健太[](2003年5月)
- (三輪嘉史)(2003年5月)
メンバーの家族・関係者
第一期あっぱれ
- 前田亜季(女優)※前田愛の妹
やっぱり
第二期あっぱれ
落選した芸能人
スタッフ
第1期(1988年 - 1996年)
第2期(2000年 - 2003年)
- プロデューサー:加茂裕治
- ディレクター:三宅恵介、窪田豊
テーマ曲
オープニングテーマ
- あっぱれさんま大先生(作詞:3chanとみんな、作曲:6chan、唄:3chan)
エンディングテーマ
CD
ミニアルバム
- あっぱれさんま大先生キャンパスソング集(1992年12月2日)
- あっぱれさんま大先生キャンパスソング集~笑顔の季節~(1996年2月21日)
シングル
- あっぱれさんま大先生(1988年12月28日)
- 夏休み冬休み春休み(1993年2月19日)
記念樹事件
エンディングテーマの「記念樹」が、それより前に書かれた「どこまでも行こう」(作詞・作曲:小林亜星)と類似したメロディだとして裁判になった。小林側は、訴訟提起中にもかかわらず「記念樹」を流したとしてフジテレビを提訴。裁判は小林の勝訴で確定し、フジテレビは以後「記念樹」を番組で使わないことを確約した。結果、同曲は2002年9月8日放送分から流れなくなり、代わりに最終回まで「未来のドア」が流された。
備考
- 関西テレビ2013年8月3日・フジテレビ8月17日放送分の『さんまのまんま』(ゲストは中村勘九郎・七之助兄弟)でさんまが語った内容によると、本番組(特に「あっぱれ相談室」コーナー)のヒントは、兄弟の父親でありさんまの親友であった中村勘三郎が6歳の頃(当時は五代目勘九郎)に三木のり平と共演していたラジオ番組『勘九郎・のり平の大人の幼稚園』(1961年、ニッポン放送)であったという[1]。また、本番組卒業生の前田愛が勘九郎と結婚したことについて、さんまは不思議な巡り合わせに「気持ち悪いわぁ」とコメントした[2]。
- 1995年4月からの木曜ゴールデンタイム時代にはプロ野球中継と重なることが多く、その際には本番組の放送は休止にされていたが、その一方で野球が雨天中止になった場合に備え、「あっぱれ雨の特別企画」という企画の収録も行われていた。しかし、雨天中止になったことは一度も無く、この企画の収録分はお蔵入りとなった。
- 第1期の放送が1996年3月に終了して以来、さんまをメインに据えたフジテレビ制作のゴールデンタイムのレギュラー番組は長年存在しなかった(プライムタイム枠では1999年10月から2001年9月まで『明石家マンション物語』が、2001年10月から2002年3月まで『明石家ウケんねん物語』が放送されていた)が、2010年10月に同じくさんまが司会を務める『』が月曜23時枠(『バラパラ』枠)から水曜21時枠へ移動した。これにより、さんまは14年7か月ぶりにフジテレビのゴールデンタイムに復帰した。
関連項目
脚注
- ^ 明石家さんま「あっぱれさんま大先生」の原点は勘三郎さんと明かす デイリースポーツ 2013年8月3日付
- ^ さんま “原点”は勘三郎さんと明かす デイリースポーツ 2013年8月3日付
- ^ “「あっぱれさんま大先生」誕生は岸田今日子が明石家さんまに渡したテープきっかけ/三宅恵介氏”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2022年6月9日)2022年6月14日閲覧。
フジテレビ 月曜19:00枠(1988年11月 - 1990年9月) | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
あっぱれさんま大先生 (第1期) | 今夜は好奇心! ※19:00 - 20:00 | |
フジテレビ 日曜13:00枠(1990年10月 - 1995年3月) | ||
(スポーツネットワーク) | あっぱれさんま大先生 (第1期) | |
フジテレビ 木曜19:00枠(1995年4月 - 1996年3月) | ||
木曜ファミリーランド ※19:00 - 20:54 | あっぱれさんま大先生 (第1期) | 天才!ヒポカンパス ※19:00 - 19:54 |
フジテレビ 日曜13:00枠(2000年4月 - 2004年10月) | ||
あっぱれさんま大先生 (第2期) ↓ さんま大先生が行く! |