この(存命人物の記事)には、がまったくありません。(2020年7月) |
伝記の記載を年譜形式のみとすることは(推奨されていません)。 |
経歴・戦歴
- 1977年
- 3月に行われた全日本女子プロレスの第1回オーディションで、約2000人の応募者の中からトップ合格。同期に横田利美(のちのジャガー横田)がいる。6月28日、東京・大田区体育館において、対ビクトリア富士美戦でデビュー。10月、引退した阿蘇しのぶに替わって池下ユミのパートナーに抜擢され、二代目ブラック・ペアとして活動。
- 1978年
- 3月に冨高千賀子のパートナーに予定されていた選手の海外遠征が取りやめになり、代わりに漆原が冨高と共に海外遠征に出発。それぞれの姓を欧米人の名前風に捩ったルーシー加山&トミー青山のクイーン・エンジェルス誕生となる。8月9日にはナンシー久美&ビクトリア富士美のゴールデン・ペアを破り、WWWA世界タッグ王座を獲得。
- 1979年
- 3月にディスコ歌謡「ローリング・ラブ」でレコードデビュー。4月6日に池下とマミ熊野の三代目ブラック・ペアに敗れ、WWWA世界タッグ王座を失う。
- 1980年
- パートナーのトミー青山の右膝負傷でナンシー久美と新たにタッグを結成し、2月5日に三代目ブラックペアからWWWA世界タッグ王座を獲得。2月21日にはトミーが返上したオールパシフィック王座の王座決定戦に臨むも、池下に敗れて獲得ならず。シングル王座には最後まで縁がなかった。12月17日には横田利美&堀あゆみ組に敗れ、WWWA世界タッグ王座から陥落。
- 1981年
- 体調を崩し、トップ戦線から徐々に後退。引退セレモニー等を行うことなく、同年4月に現役を引退する。引退後には、スナック経営を経て介護の仕事に就き、デイサービスの施設長を務めている。
タイトル歴
- 第69代WWWA世界タッグ王座(パートナーはトミー青山)コンビ名:クイーン・エンジェルス
- 第71代WWWA世界タッグ王座(パートナーはナンシー久美)
入場テーマ曲
レコード
- CBSソニーより「ローリング・ラヴ」で歌手デビュー(クイーン・エンジェルスとして)