概要
リス族は中国、ミャンマー、タイ、インドの4か国の国境にまたがって分布し、伝統的に移動開拓型の焼畑農業を生業とする山地民である[2]。いくつかの飛び地は見られるが、基本的にサルウィン川に沿った南北に伸びる帯状に展開している。
中華人民共和国では少数民族の1つとして数えられ、中華人民共和国が公認する56の民族の中で21番目の人口を持つ民族である。雲南省の怒江リス族自治州を中心に同省北部一帯から四川省南部にかけて分布し、雲南北部のデチェン・チベット族自治州にも維西リス族自治県がある。2000年の全国人口調査によれば、中国内のリス族総人口は634,912人である。また、タイ王国北部に約3万人が住み、ミャンマー北部やインド東部などにも散在する。
リス族が用いるリス語は、チベット・ビルマ語派の彝語グループに属し、イ族やナシ族と近い関係にある。文字は新中国になってから制定されたラテン文字が主に用いられる。
中国の自治地方
自治州
自治県
民族郷
沿革
雲南省の怒江リス族自治州に伝わる伝承によれば、リス族の祖先はクドゥネイ(九つの川の源流が交わる地)と呼ばれる地から次第に南下したという。歴史書にリス族が現れるのは8世紀にさかのぼり、 唐代の(樊綽)が書いた『蛮書』には「栗粟両姓蛮」の語が見え、当時「烏蛮」と呼ばれる民族グループを構成していた。 当時は現在の四川省木里から雲南省の麗江にかけて流れる金沙江両岸に分布していたと考えられる[2]。
『麗江府史』によれば、明代のリス族は隣接する納西族による支配を受け、強制労働やチベット族との紛争に駆り出されていた。こうした苦境から逃れようとしたリス族は西方へと移動し、現在の怒江リス族自治州の一帯に支配的地位を確立した[2]。しかし、清代になると漢族に代わって満州族が圧力を加えてくるようになる。大半のリス族は清朝への抵抗を続けたが、一部は西方へ移動し、インドのアッサム州、ミャンマーのカチン州にわたり分布を広げた。また、別のグループはサルウィン川沿いに南下を続け、20世紀にはタイに至った。
文化
リス族は数世紀にわたる移動に伴って接触を持った他集団の影響を受け、さまざまなサブ・グループへと分化している。中国の漢族は民族衣装の特徴によってリス族を白リス、黒リス、花リスの3種類に分類した[2]。しかし、これらは他称であり、リス族自らはサルウィン川上流域(雲南省西北部からミャンマー・カチン州)のリス族をロヴ・リス、下流域(ミャンマー・シャン州からタイ北部)のリス族をルシ・リスと分け、それらを細分化して識別するように、サルウィン川を識別の指標にするケースが多い[2]。
近代になって隣接する部族の人びとに西方宣教師の布教によりキリスト教に入信する者が増える中、リス族は大宗教への改宗者が少ないことで知られている[2]。リス族は創造神ウサをヒエラルキーの頂点とする独自の多神教を信仰しているが、父系の出自に継承される祖霊が儀礼の対象として重要視され、どの祖霊を祀っているかが社会的なアイデンティティの礎となっている[2]。