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ユーゴスラビア紛争

ユーゴスラビア紛争(ユーゴスラビアふんそう)は、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国解体の過程で起こった一連の内戦である。1991年から2001年まで主要な紛争が継続した。

ユーゴスラビア紛争

左上から時計回りに:十日間戦争で捕虜になったユーゴスラビア人民軍の兵士。(ヴコヴァルの戦い)(英語版)で破壊されたM-84戦車。(ドゥブロヴニク包囲)におけるセルビアの対戦車ミサイルスレブレニツァ虐殺の犠牲者の埋葬(2010年)。サラエヴォ包囲の中、街を走る国連車両。

なお、セルビアコソボ独立宣言を2023年時点でも認めておらず、政治的・民族的対立は一部地域で現在も続いている。

経緯

 
ユーゴスラビアの地図。黄色がスロベニア、赤がクロアチア、濃灰色と灰色がボスニア・ヘルツェゴビナ(灰色はスルプスカ共和国、濃灰色はボスニア・ヘルツェゴビナ連邦)、青がセルビア(北側がヴォイヴォディナ自治州)、薄青色がコソボ、薄緑色がモンテネグロ、オレンジ色が北マケドニアである。
 
被害にあった建物

第一次世界大戦後、敗戦したオーストリア=ハンガリー帝国は解体され、バルカン半島西部にセルビア王国主導の下ユーゴスラビア王国1918年に誕生した。建国時から多民族国家であり、主導的な立場のセルビア人に対するクロアチア人ら他民族の反感といった問題が存在していた。第二次世界大戦でユーゴスラビア王国はナチス・ドイツイタリアなどの枢軸国侵攻され、侵攻に参加した各国に併合された地域や占領地、傀儡政権の支配地域に分断された。ヨシップ・ブロズ・チトーは民族を超えてユーゴスラビア・パルチザンを率いて枢軸国と戦ったものの、クロアチア独立国ウスタシャがセルビア人を虐殺し、一方で崩壊したユーゴスラビア王国軍のセルビア人将兵が組織したチェトニックはパルチザンやクロアチア人を攻撃した。クロアチア・セルビア双方の民族主義者による敵対勢力への蛮行は遺恨を残し、後のユーゴスラビア内戦においても論争の的になった。

パルチザンはイギリス軍などの連合国側の支援を受け、枢軸軍を駆逐してユーゴスラビアの独立と統一を回復し、王制ではないユーゴスラビア社会主義連邦共和国を建国した。この国家は、後に「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家」と言われる程の多様性を内包していた。

戦後の世界ではアメリカ合衆国を中心とする西側陣営ソビエト連邦(ソ連)を中心とする東側陣営が対立する冷戦が始まった。ユーゴはチトーが共産主義者であり東側陣営に属するが、ポーランドハンガリールーマニアなどの東欧諸国とは違いソ連の衛星国では無く、自主管理社会主義を掲げる独自の社会主義国家としての地位を保っていた。チトーのカリスマ性と「兄弟愛と統一」の理念に基づく国内融和政策によって、国内の民族主義者の活動は抑制され、ユーゴスラビアに統一がもたらされていた。

ユーゴスラビアが解体されるまで

1990年近くになると、ソ連国内においてはミハイル・ゴルバチョフ指導による民主化が進み、ベルリンの壁崩壊ルーマニアにおけるニコラエ・チャウシェスク処刑(ルーマニア革命)に代表される東欧民主化東側諸国に民主化が広がり、社会主義政権が相次ぎ崩壊した。ユーゴにおいてもユーゴスラビア共産党による一党独裁を廃止して自由選挙を行うことを決定し、ユーゴを構成する各国ではチトー時代の体制からの脱却を開始する。また、各国ではスロボダン・ミロシェヴィッチセルビア)やフラニョ・トゥジマンクロアチア)に代表されるような民族主義者が政権を握り始めていた。ユーゴの中心であるセルビア共和国では大セルビア主義を掲げたスロボダン・ミロシェヴィッチが大統領となり、アルバニア系住民の多いコソボ社会主義自治州の併合を強行しようとすると、コソボは反発して1990年7月に独立を宣言。これをきっかけにユーゴスラビア国内は内戦状態となった。

1991年6月に文化的・宗教的に西欧中欧に近いスロベニアが10日間の戦闘により短期間で独立を達成し(十日間戦争)、次いでマケドニアが独立。ついで歴史を通じてセルビアと最も対立していたクロアチアが激しい戦争を経て独立した(クロアチア紛争)。ボスニア・ヘルツェゴビナ1992年に独立したが、国内のセルビア人がボスニアからの独立を目指して戦争を繰り返した(ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争)。セルビア国内でもコソボ自治州が独立を目指したが、セルビアの軍事侵攻によって戦争となった(コソボ紛争)。その後、コソボ地域のアルバニア系住民がマケドニア国内に難民として大量に押し寄せていたことから、マケドニアにも飛び火した(マケドニア紛争)。

スロベニアやマケドニアが比較的スムーズに独立を達成した一方で、ボスニア・ヘルツェゴビナやクロアチア東部、コソボでは、スレブレニツァの虐殺のような凄惨な(ジェノサイド)、レイプ、追放による民族浄化が起きた。こうした戦争犯罪の一部は、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷で裁かれた。

ユーゴスラビアは建国時から各民族が入り混じって暮らし、第二次世界大戦後に平和裏の移住や民族間の結婚が進んだ。こうした状況下で、セルビア人やクロアチア人などが同じ民族を集めた民族国家を形成しようとすれば、「虐殺と同化あるいは住民の大規模な強制移住なしには不可能である」[2]にも関わらず、それを実行しようとしたため、上記のような深刻な人道的危機がもたらされた。また、ユーゴスラビアは国土防衛ドクトリンとしてトータル・ナショナル・ディフェンスを採用しており、平時から武器類が自主管理組織によって管理されていたことや、市民がそれらの扱いを知っていたことが紛争激化の要因の一つとなった。

紛争は各国・勢力間の軍事的勝敗(嵐作戦)や交渉・合意のほか、北大西洋条約機構(NATO)や国際連合の介入により収束した。

主な紛争

関連作品

小説

  • 楠見朋彦 『零歳の詩人』 集英社、1999年。(ISBN 4-087-74448-5)。
  • 米澤穂信さよなら妖精』 東京創元社〈ミステリ・フロンティア〉、2004年。(ISBN 4-488-01703-7)。 ※舞台は日本である。崩壊前のユーゴから来日した少女の出身国を巡る謎解き。
  • 島田荘司 『リベルタスの寓話』 講談社、2007年。(ISBN 4-062-14276-7)。

映画

音楽

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ . BBC NEWS. (2000年10月14日). オリジナルの2014年8月10日時点におけるアーカイブ。.  
  2. ^ カトリーヌ・サマリ(著)、神野明(訳)『ユーゴ解体を解く』(柘植書房、1994年、(ISBN 4-8068-0344-8))

参考文献

  • 柴宜弘 『新版世界各国史(18) バルカン史』 山川出版社
  • 柴宜弘 『ユーゴスラヴィア現代史』 岩波書店
  • 柴宜弘 『図説 バルカンの歴史』 河出書房新社
  • ディミトリ・ジョルジェヴィチ 『バルカン近代史』 刀水書房
  • スティーヴン・クリソルド 『ユーゴスラヴィア史』 恒文社
  • ミーシャ・グレニー 『ユーゴスラビアの崩壊』 白水社
  • 徳永彰作 『モザイク国家 ユーゴスラビアの悲劇』 筑摩書房
  • 千田善 『ユーゴ紛争 多民族・モザイク国家の悲劇』 講談社
  • マイケル・イグナティエフ 『軽い帝国 ボスニア、コソボ、アフガニスタンにおける国家建設』 風行社
  • 最上敏樹 『人道的介入 正義の武力行使はあるか』 岩波書店
  • 高木徹 『ドキュメント 戦争広告代理店』 講談社
  • 佐原徹哉 (2008年3月20日). ボスニア内戦 グローバリゼーションとカオスの民族化. 日本、東京: 有志舎. (ISBN 978-4-903426-12-9) 
  • 多谷千香子 (2005年10月20日). 「民族浄化」を裁く―旧ユーゴ戦犯法廷の現場から. 日本、東京: 岩波書店. (ISBN 978-4004309734) 
  • 千田善 (2002年11月21日). なぜ戦争は終わらないか ユーゴ問題で民族・紛争・国際政治を考える. 日本: みすず書房. (ISBN 4-622-07014-6) 
  • 岩田昌征 (1999年8月20日). ユーゴスラヴィア多民族戦争の情報像―学者の冒険. 日本: 御茶の水書房. (ISBN 978-4275017703) 
  • 吉岡達也 (1993年6月15日). 殺しあう市民たち―旧ユーゴ内戦・決死体験ルポ―. 日本: 第三書館. (ISBN 4-8074-9339-6) 

関連項目

外部リンク

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