» www.Giftbox.Az - Bir birindən gözəl hədiyyə satışı
ウィキペディアランダム
毎日カテゴリ
共有: WhatsappFacebookTwitterVK

メリーランド (戦艦)

メリーランド (USS Maryland, BB-46) は[3]アメリカ海軍戦艦[注釈 1]コロラド級戦艦の2番艦である[5][注釈 2]。 艦名はメリーランド州にちなむ。 その名を持つ艦としては3隻目にあたる[注釈 3]。 名前の上ではコロラド級2番艦だが、同型艦4隻の中で最初に竣工したため[注釈 4]ネームシップと見なされ、メリーランド級戦艦と表記することがある[8][9][注釈 5]

メリーランド
竣工当時のメリーランド(1922年)
基本情報
建造所 ニューポート・ニューズ造船所
運用者 アメリカ海軍
艦種 戦艦
級名 コロラド級戦艦
艦歴
発注 1916年12月5日
起工 1917年4月24日
進水 1920年3月20日
就役 1921年7月21日
退役 1947年4月3日
最期 スクラップとして売却
要目
基準排水量 32,600 トン
満載排水量 34,4946.4 トン
全長 190.20 m
最大幅 29.7 m(改装後:32.92 m)
吃水 9.2 m
機関 蒸気タービン 4軸
出力 公試29,000 shp (22 MW)
最大速力 21 ノット
乗員 士官・兵員:1,080名
兵装 45口径40.6cm砲:8門
51口径12.7cm砲:14門[1]
50口径7.6cm砲:4門[1]
水中魚雷発射管:2門
出典:[2]
(テンプレートを表示)

愛称は「メリー(メアリー)」 (Mary) [注釈 6]、「ファイティング・メリー」 (Fighting Mary) 、「オールド・メリー」(Old Mary) [13]

概要

メリーランド (USS Maryland,BB-46) は[7]、アメリカ海軍が第二次世界大戦で運用した標準型戦艦で[14]、コロラド級戦艦の2番艦[15]ニューポート・ニューズ造船所で建造されて1921年(大正10年)7月に竣工し[注釈 7]、同級4隻のうち唯一ワシントン海軍軍縮条約までに竣工した[17]。このためメリーランド級戦艦と呼称することもある[9][18]。 16インチ砲連装砲塔四基(計8門)を搭載した本級は、海軍休日時代 (Naval Holiday) に[19]、「世界七大戦艦(ビッグ・セブン)」や「ビッグ・ファイヴ」と称された[注釈 8][注釈 9]

メリーランドは1941年(昭和16年)12月7日[24](日本時間8日)の真珠湾攻撃で空襲により小破し[25]、修理を兼ねて近代化改装がおこなわれた[26][27]。 1942年(昭和17年)前半には戦列に復帰し、護送任務や警戒任務に従事する[28]。 1943年(昭和18年)中盤以降にアメリカ軍の本格的反攻がはじまると、主に上陸作戦における地上部隊支援任務に従事した[29]。1944年(昭和19年)6月22日、サイパン島攻防戦一式陸上攻撃機の魚雷攻撃により艦首に被雷、修理と改装工事をおこなう[30]

同年10月中旬以降のフィリピン攻防戦における本艦は第7艦隊隷下の第77任務部隊(指揮官オルデンドルフ少将)に所属して上陸部隊を支援した[31]10月25日未明のスリガオ海峡夜戦では[32]、僚艦と共に“西村艦隊”を撃滅して勝利した[33]レイテ沖海戦[注釈 10]。 11月27日、一式戦闘機の(航空特攻)により損傷し[29]真珠湾に帰投して修理をおこなう。

1945年(昭和20年)3月以降の沖縄戦から戦列に復帰し、第5艦隊隷下のモートン・デヨ少将に率いられ、地上部隊支援任務に従事する[36]4月7日、戦艦大和が(海上特攻部隊)として沖縄を目指していたので、第5艦隊司令長官スプルーアンス大将はデヨ部隊の戦艦部隊で迎撃する手筈を整えた[37]。メリーランドも大和との決戦に備えたが特攻機に突入されて損傷し[30]、さらに大和は第58任務部隊艦上機により撃沈されていた[38]。アメリカ本土で修理中に日本の降伏という事態を迎え、連合軍将兵の復員作戦に従事したあと、予備役となった[29]。1959年(昭和34年)に解体された[29]

艦歴

太平洋戦争まで

 
近代化改装後のメリーランド

アメリカ海軍はダニエルズ・プランにより[39]、16インチ砲(40.6㎝砲)を搭載したコロラド級戦艦を4隻建造することになった[40]。前級のテネシー級戦艦 (Tennessee-class battleships) は14インチ50口径砲三連装砲塔四基(合計12門)だったが[41][42]日本海軍長門型戦艦に16インチ砲を搭載することが判明する[43][注釈 11]。アメリカは今後建造されるテネシー級の主砲を強化する意向を固め、16インチ45口径砲連装砲塔四基(合計8門)を搭載することになった[44][45]。 1番艦コロラド (USS Colorad, BB-45) と3番艦ワシントン (USS Washington, BB-47) はニューヨーク造船所で建造され、2番艦メリーランド (USS Maryland, BB-46) と4番艦ウェストバージニア (USS West Virginia, BB-48) はニューポート・ニューズ造船所で建造された[46][6]。メリーランドのみ1917年度予算で起工し、他3艦は1919年度予算で建造されたという[47]

メリーランドは1917年(大正6年)4月24日にバージニア州ニューポート・ニューズニューポート・ニューズ造船所で起工した[47]。1920年(大正9年)3月20日にE・ブルック・リー夫人(メリーランド州監査役の妻)によって命名、進水し、1921年(大正10年)7月21日に初代艦長C・F・プレストン大佐の指揮下就役した。メリーランドは、起工、進水、就役の全てで1番艦コロラド(起工1919年5月29日、進水1921年3月22日、就役1923年8月30日)に先行している[7]。本艦は、アメリカ合衆国において最初に就役した16インチ砲搭載戦艦になった[47]

本艦就役後の同年11月中旬よりワシントン会議がはじまる[48][49][注釈 12]。 翌年2月にワシントン海軍軍縮条約が結ばれ[51][注釈 13]、コロラド級戦艦3番艦のワシントン (USS Washington,BB-47) は[20]標的艦として処分された[53][注釈 14]。 戦艦として就役したのは3隻(コロラド、メリーランド、ウェストバージニア)であった[55][注釈 15]

16インチ砲を搭載した列強各国の戦艦7隻は[57]世界七大戦艦[58][注釈 16]ビッグ・セブンと評された[60][61]。アメリカでは、コロラド級3隻(コロラド、メリーランド、ウェストバージニア)とテネシー級2隻(テネシーカリフォルニア)でビッグ5 (Big Five) と称されて親しまれた[22][47]

真珠湾攻撃

 
転覆したオクラホマと、損傷したメリーランド。後方ではウェストバージニアが炎上している。

海軍休日時代のコロラド級戦艦は、主砲を16インチ45口径砲Mk.5に交換したり[62]、副武装や航空艤装に多少の変更があった程度で[63]、自国のニューメキシコ級戦艦 (New Mexico-class battleships) や他国の旧式戦艦のような本格的近代改装を実施されていなかった[64]。 1939年(昭和14年)9月に第二次世界大戦が始まると、メリーランドはコロラド級3隻の中で最初にバルジ装着工事を受けた[65]。また四連装28mm対空機銃を姉妹艦3隻の中で唯一装備していた[66]

1941年(昭和16年)12月7日(日本時間12月8日)朝[67]南雲(機動部隊)の日本軍空母6隻[68]から発進した艦上機パールハーバーを奇襲した[69]真珠湾攻撃[70][71]太平洋艦隊 (United States Pacific Fleet)の第四戦艦戦隊 (Battleship Division 4) に所属していたメリーランドは[72]、他の主力艦と共に、真珠湾在泊であった[73](真珠湾攻撃、両軍戦闘序列)[注釈 17]フォード島 - 戦艦メリーランド - 戦艦オクラホマ (USS Oklahoma, BB-37) の順番で繋留されていたので[74](戦艦列)(英語版)の内側にいた本艦は魚雷攻撃を受けなかった[75][76][注釈 18]。 被害を受ける要因となったのは、赤城飛行隊長淵田美津雄中佐が率いる九七式艦上攻撃機の水平爆撃隊(第一波攻撃隊)と[77]、蒼龍飛行隊長江草隆繁少佐が率いる九九式艦上爆撃機急降下爆撃部隊(第二波攻撃隊)であった[78][注釈 19]。 水平爆撃隊は長門型戦艦九一式徹甲弾(16インチ砲)を改造した(800kg爆弾)を搭載していた[81][82]。 日本側記録では、ウェストバージニヤ型戦艦(メリーランド、目標E)に800kg徹甲爆弾2発(赤城攻撃隊投下)[83]、急降下爆撃では赤城攻撃隊・加賀攻撃隊・飛龍攻撃隊が250kg爆弾計7発以上命中を観測した[84][85]。アメリカ側記録では、大型爆弾1発、250kg爆弾1発、至近弾多数の命中を記録した[86]。戦死者は4名であったという[72]。1発は艦首部分に命中し、3.7 m x 6.1 m の破孔を形成した。2発目は10番フレーム付近に命中し、この爆発により浸水が発生し船体が前部方向に1.5m沈下した[87]

メリーランドの外側にいたオクラホマは[88]、日本軍機の雷撃をまともに受け、魚雷多数が命中して転覆した[89][90]。オクラホマから脱出した乗員はメリーランドに移って対空射撃を行っている。また航空機用ガソリンを満載した状態で戦艦列のガソリン桟橋にいた油槽艦ネオショー (USS Neosho, AO–23) は、第一次空襲と第二次空襲の間隙をぬって自力で退避した[91]。これはアメリカ側にとって幸運な結果となった[92]。メリーランドとオクラホマの前方に停泊していたネオショーが仮に被弾して爆発したら、周辺3隻(メリーランド、テネシー、ウェストバージニア)は大火災に巻き込まれて完全に失われた可能性が高い[注釈 20]。 日本軍の攻撃が終わったあとは、本艦の横で転覆したオクラホマや[94]、本艦のすぐ後ろで着底した姉妹艦ウェストバージニアなど[86][注釈 21]、周囲の損傷艦の消火活動や救援活動を行った。士気をたかめるため、軍楽隊は後部甲板で勇壮な音楽を演奏するよう命じられたという[96]

メリーランドの修理は、アメリカ西海岸のピュージェット・サウンド海軍造船所で行われた[注釈 22]

1942年から1944年の行動

 
1942年2月9日のメリーランド。太平洋戦争前の姿をとどめている。

損傷の修理と並行して対空火器の増強工事をおこなったメリーランドは[100]、1942年(昭和17年)2月26日に修理を終えた[30]。その後も、折を見て対空機銃は増強され続けた[101]。アメリカ海軍標準型戦艦の特徴だった籠マスト (Cage Mast) は[4]、後部のみ戦中期の改装で撤去されたが、前部マストは退役時まで残った[102][注釈 23]。 同年5月下旬に日本軍が発動したMI作戦と、それにともなう6月初旬のミッドウェー海戦は日米双方の空母機動部隊同士の決戦となり[107]、戦艦部隊には出番がなかった(両軍戦闘序列)。メリーランドを含めた任務部隊ウィリアム・パイ中将に率いられ[30]、護衛空母ロング・アイランド (USS Long Island, AVG-1) と共にパトロールを実施した。

1943年から1944年にかけてのメリーランドとコロラドは、タラワの戦いクェゼリンの戦いサイパンの戦いに参加した[注釈 24]

ガルヴァニック作戦にともなうギルバート・マーシャル諸島の戦いでは、レイモンド・スプルーアンス中将が率いる中部太平洋部隊に所属し[108]、ヒル少将の旗艦として1943年(昭和18年)11月下旬のタラワ攻防戦に参加する[109](連合軍艦隊、戦闘序列)[110]第2海兵師団ジュリアン・スミス将軍もメリーランドに乗艦していた[111]。戦艦3隻(メリーランド、コロラド、テネシー)は艦砲射撃で日本軍守備隊の防禦施設を破壊し、アメリカ海兵隊の上陸作戦を支援した[112]。だがメリーランドではタラワに対し最初の斉射を行った時に無線機が故障した[113][注釈 25]。上陸作戦中にも無線機の故障に悩まされた[114]。その後は空母機の地上支援や艦砲射撃の正確性も増し、日本側の抵抗力や反撃を粉砕する[115]。連合軍側は、高性能無線装置を持つ海陸両用作戦用旗艦の必要性など、いくつかの戦訓を学ぶことになった[116][117]

1944年(昭和19年)6月、連合軍は中部太平洋を横断してマリアナ諸島を攻撃する[118]。海軍部隊を第5艦隊司令長官スプルーアンス提督が指揮し、メリーランドとコロラドは第52任務部隊(Task Force 52)においてオルデンドルフ提督の火力支援部隊に所属していた(連合軍海上部隊、戦闘序列)[119]サイパン島での艦砲射撃は6月14日05:45から開始され、まずガラパンを砲撃して[120]、砲台や陣地、小型ボート、トーチカ、弾薬庫を破壊した。つづいてタナパグに対して砲撃を行った[121]。艦砲射撃と空襲で日本軍の抵抗力を削いだあと、アメリカ軍はサイパン島に上陸を開始した[122]

 
真珠湾に入港したメリーランド。艦首部に魚雷による損傷個所が見える 1944年7月10日撮影

日本軍は、小沢機動部隊と(基地航空部隊)で反撃を試みた[123][124]6月19日から20日にかけてのマリアナ沖海戦(連合軍呼称“Battle of the Philippine Sea”)で大敗した日本海軍は[125]、各基地の残存航空機で反撃に出る[126][127]6月22日トラック泊地硫黄島から飛来した小数機が、サイパン島の米軍や同島周辺の米艦隊や輸送船団を攻撃した[128]。このうち一式陸上攻撃機4機がメリーランドを攻撃する[129]。陸攻の雷撃により、右艦首に魚雷1本が命中した。メリーランドは応急修理のために15分後にはエニウェトク環礁への退避を開始し、真珠湾で修理を受けた。艦首に大破孔が出来たために、これらの行程中メリーランドは後進で移動した[130]。2隻の駆逐艦が退避するメリーランドを護衛した。2名がこの攻撃で死亡した[30]

修理後の1944年9月、ペリリューの戦いで火力支援をおこなう[30]。 10月にはレイテ進攻作戦のため[131]第7艦隊 (U.S. Seventh Fleet) として行動する[注釈 26]。 メリーランドは、ジェシー・B・オルデンドルフ少将が指揮する第77任務部隊第2群(火力支援、砲撃群)に所属していた[注釈 27]。 第77任務部隊は、レイテ島上陸作戦を支援した[134]

同年10月24日深夜から25日未明にかけて、スリガオ海峡で第77任務部隊と、第一遊撃部隊第3部隊[135](通称“西村艦隊”または“西村部隊”)[34]との間で夜戦が繰り広げられる[136]レイテ沖海戦、スリガオ海峡夜戦)[35]。 西村艦隊は米軍水雷戦隊の襲撃で戦艦扶桑[137]と駆逐艦3隻(満潮山雲朝雲)が沈没するか戦闘不能となった[138][139]。オルデンドルフ中将の戦艦部隊の前に現れたのは、戦艦山城、航空巡洋艦最上、駆逐艦時雨だけだった[35]。 メリーランド以下の戦列部隊は、西村艦隊残存3隻に集中攻撃を加える[140][141]。第77任務部隊は山城を撃沈し[142]、味方駆逐艦アルバート・W・グラント (USS Albert W. Grant, DD-649) を同士討ちで撃破したのみで[143]、最上と時雨に逃げられた[注釈 28]。メリーランドは西村艦隊残存3隻を明確に識別できず、ウェストバージニアの弾着の水柱を照準にして砲撃をおこなった[146]。主砲発射弾数は48発であったという[30]

レイテ島攻防戦における日本陸軍航空部隊の基幹戦力は、第四航空軍(司令官富永恭次陸軍中将)であった[147]11月29日一〇〇式司令部偵察機レイテ湾に集結した連合国軍大輸送船団(輸送船150隻)を発見する[148]。第四航空軍隷下の第2飛行師団は、(特別攻撃隊)の靖国隊(大坪明陸軍少尉以下一式戦闘機6機、直掩:一式戦5機)を発進させた[149]。靖国隊は同日夕刻にレイテ湾の連合軍大艦隊に突入して、戦艦1隻撃沈、戦艦または巡洋艦1隻大破炎上、輸送船3隻炎上を報じた。連合軍側の記録では、戦艦メリーランド、駆逐艦ソーフリー (USS Saufley,DD-465) 、駆逐艦オーリック (USS Aulick,DD-569) が特攻機の突入で損傷している。メリーランドを攻撃した一式戦「隼」は、前部主砲塔間に体当たりした[150]。炎上した本艦では31人が死亡し、30人が負傷した[151]。メリーランドは修理のため12月18日に真珠湾に帰還した[注釈 29]

1945年以降

 
1945年8月に撮影されたメリーランド

メリーランドは沖縄戦のため1945年(昭和20年)3月初頭に復帰し、16日ウルシー環礁に到着した。沖縄戦におけるコロラド級3隻(コロラド、メリーランド、ウェストバージニア)は、レイモンド・スプルーアンス大将が率いる第5艦隊 (U.S. Fifth Fleet) においてモートン・デヨ少将の第54任務部隊に所属した[11][153]。沖縄上陸作戦がはじまると、第54任務部隊(射撃支援隊)は第51任務部隊(統合派遣隊、指揮官ターナー中将)の上陸作戦を支援した[154][155][注釈 30]

3月26日、日本海軍は天一号作戦を発動し[157][158]、4月初旬には菊水作戦も発動する[159][160]。九州各地に基地をおく日本海軍の(航空艦隊)と第六航空軍(司令官菅原道大陸軍中将)[注釈 31]および第八飛行師団(飛行団長山本健児陸軍中将)から[163]、特攻隊を含む大部隊が沖縄方面の連合軍を撃滅すべく出撃した[164]。 この過程で[165]、日本海軍は戦艦大和第一航空戦隊)と第二水雷戦隊等で水上特攻隊を編成し[166]、沖縄の日本陸軍(第32軍)総攻撃に呼応すべく沖縄方面に突入させた[167][168]

4月6日夕刻、B-29瀬戸内海を出撃しようとする日本艦隊を発見した[169]。つづいて連合軍潜水艦2隻が九州東岸を南下する第一遊撃部隊(大和部隊)を発見して各方面に通報した[170][注釈 32]。 スプルーアンス大将は第54任務部隊(デイヨ少将)の戦艦部隊で大和部隊を迎え撃つ方針であった[37][172]。第54任務部隊に加わっている大勢の士官たちも、スプルーアンスやデヨと同様に、大和との対決を望んでいた[173]。ところがマーク・ミッチャー中将指揮下の第58任務部隊(空母機動部隊)も大和を撃沈する決意を固めており、密かに攻撃隊発進の手筈を整えていた[174]

4月7日[175]、大和部隊との「会敵が予想される直前」に沖縄周辺のアメリカ艦隊は神風特別攻撃隊振武隊に襲われる[注釈 33][注釈 34]。 これは(菊水一号作戦)により各地の航空基地から出撃してきた特攻機であった[178][179][164][180]。 18時43分、アメリカ艦隊は未確認機1機を発見し、巡洋艦部隊が対空砲火を浴びせたが、この特攻機を撃墜できなかった[181]。メリーランドに右舷から250キロ爆弾を装備した特攻機が突入し、3番砲塔の天蓋部分に命中して大規模な火災が発生する。20mmの機銃座は破壊され、第3砲塔も使用不能に陥った。10人が死亡し、37人が負傷して6人が行方不明になった。メリーランドの艦長も乗員たちも大和との対決を望んで戦列を離れようとせず、デヨ少将から報告を求められた際に、「戦闘航海に支障なし」と嘘をついて重大な損害を隠した[181]。しかし、メリーランドがこの特攻機の攻撃を受けたのは7日の夕方であり、すなわち大和は坊ノ岬沖海戦で午前2時30分過ぎに沈没した後であった[168]。メリーランドの艦長や乗員、並びにその上官であるデヨ少将らは、この特攻攻撃の後に、大和がミッチャー中将の第58任務部隊[170]によって沈められていたことを知ることになる[181]

メリーランドは4月14日に沖縄を離れ[30]、グアムと真珠湾を経由して、ピュージェット・サウンド海軍造船所で3番主砲塔の修理とオーバーホールを受けた。10門の主砲は寿命を迎えていたために全て交換された。高角砲も38口径12.7㎝砲片舷4基(計8基16門)に換装したり、各種装備の改善や重量軽減対策をおこなう[182]。作業は8月までかかり、メリーランドが再び戦場に戻ることは無かった[30]

日本の降伏により太平洋戦争終結した。終戦後、マジック・カーペット作戦でアメリカ西海岸と真珠湾の間を5回航海し、8,000人以上の軍人を米国に送り返した。1947年(昭和22年)4月3日にブレマートンで退役し、 1959年(昭和34年)7月8日にカリフォルニア州オークランドで、スクラップとして売却されのちに解体された。

栄典

  • (アメリカ防衛軍務勲章)(英語版)…「艦隊」略章付
  • (アメリカ戦役勲章)(英語版)
  • (アジア-太平洋戦役勲章)(英語版)(従軍星章)(英語版)7個付
  • (第二次世界大戦戦勝勲章)(英語版)

メリーランドは第二次世界大戦の戦功により7個の従軍星章を受章した[183]

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 戰艦“メリーランド Maryland[4] 全要目{排水量31,5000噸 速力21.0節 備砲 40糎砲8門 13糎砲12門 魚雷發射管(53糎水中)2門 起工1917年4月 竣工1921年7月 建造所 紐育造船會社} 米國海軍の有する三大戰艦(40糎砲搭載戰艦)の一で正に我が陸奥、長門に匹敵するものである。全長190.18、幅29.63米、平均吃水9.3米、全速力21の軸馬力27,300馬力で推進器は4個を有し電氣推進である。上記の外に13糎高角砲8門を有しカタパルト2基を備へてゐる。搭載飛行機平時3機といふ事である。合衆國艦隊の中樞主力であるとはいつたものゝ、最早その型は餘りにも舊くして艦隊旗艦たるには適さない。米國戰艦改装の最後に殘され、やうやくこの程他の二艦“コロラド Colorado” “ウエスト・ヴァージニア”と一緒に改装に着手された。古風なカゴマストも除かれるであらう。
  2. ^ 戰艦“コロラド Colorado[6] 全要目{排水量32,500噸 速力21.0節 備砲40糎砲8門 12.7糎高角砲12門 魚雷發射管(53糎水中)2門 起工1919年5月 竣工1923年8月 建造所 紐育造船會社} 米國海軍の有する三大戰艦(40糎砲搭載戰艦)の一で正に我が陸奥、長門に匹敵するものである全長190.18米、幅29.63米、平均吃水9.3米、全速力21節の軸馬力27,3004馬力で推進器は4個を有し電氣推進である。上記の外に13糎高角砲8門を有しカタパルト2基を備へてゐる。搭載飛行機平時3機。

    戰艦“メリーランド Maryland 米國の40糎砲搭載戰艦の最初に出來たもの。排水量31,500噸、推進器が電氣式でない外すべてコロラドと同じである。1921年7月ニューポートニユース造船所で竣工したものである。これ等米國の40糎砲は最上仰角30度、その着彈距離は33,000米。
  3. ^ 初代メリーランドは、スループ型砲艦の(メリーランド)(英語版)。2代目はペンシルベニア級装甲巡洋艦メリーランド (USS Maryland, ACR-8) で、1916年(大正5年)11月9日をもってフレデリック (USS Frederick) と改名された。3代目が本艦で、1917年(大正6年)4月に起工した[4]。4代目はオハイオ級原子力潜水艦メリーランド (USS Maryland,SSBN-738) 。
  4. ^ 2番艦メリーランドは、起工、進水、就役の全てで1番艦コロラドに先行した[7]
  5. ^ メリーランド型戦艦の表記もある[10]。公刊戦史『戦史叢書』など[11]。また日本海軍では、本級をウェストバージニヤ型戦艦と呼称することもあった[12]
  6. ^ ヨーロッパ系の女性名「マリア」の(英語圏名)。
  7. ^ 亞米利加合衆国 戰艦メェリーランド(一九二一年七月竣工)[16] 基準排水量三一五〇〇噸、(全載量三三五九〇噸)時速二一節。一九一六年、第四六號艦として認可。コロラド(四五號艦)及びウェスト・ヴァジニア(四八號艦)と同型。旗艦たるに適ふ。砲塔並に後尾甲板上に各々一基宛カタパルトを有す。幾らか全載量の大なる外は殆どカリフォルニア級と大同小異。華府海軍條約に依り廢棄。
  8. ^ 16インチ(40cm砲)を搭載した列強各国の主力艦7隻[20](長門、陸奥、コロラド、メリーランド、ウェストバージニア、ネルソン、ロドネイ)のこと[21]
  9. ^ “ビッグ・ファイヴ”とは[22]、アメリカ海軍における主力艦5隻(テネシー、カリフォルニア、コロラド、メリーランド、ウェストバージニア)の渾名[23]
  10. ^ 西村艦隊もしくは西村部隊とは[34]、第一遊撃部隊(第二艦隊司令長官栗田健男中将)第三部隊(指揮官西村祥治第二戦隊司令官)の通称[35]。戦艦山城(西村中将旗艦)、扶桑、航空巡洋艦最上、駆逐艦満潮山雲朝雲時雨(両軍の戦闘序列)。夜戦と追撃戦で全滅し、時雨だけが生き残った。
  11. ^ イギリス海軍が18インチ砲(46cm砲)の試作に成功したことも、アメリカ海軍に影響を与えた[40]N3型戦艦)。
  12. ^ (前略)第二艦の「陸奥」は華府會議の際既に竣工してゐたにも拘らず、米國が未成艦なりと主張して譲らなかつた爲に喧ましい問題となり、遂に「陸奥」を生かす代りに、米國は當時建造中の十六吋砲戰艦「コロラド」「ウェスト・ヴァージニア」の二艦を生かし、英國は新たに「ネルソン」「ロドネー」の十六吋砲戰艦二隻を建造することになつて鳧がついたことは有名な史實である(以下略)[50]
  13. ^ 第一節 主力艦/(一)總説(中略)[52]更に又華府會議の結果として、一旦廢棄の運命に在つた我戰艦陸奥が復活され、之と均衡を保つべく米國に於てはコロラド及ウエスト・ヴアジニアの二艦を竣工就役させ、英國は新たにネルソン、ロドネーの二隻を建造することとなつた。(米國戰艦コロラド、要目および寫眞)
  14. ^ 8代目のワシントン (USS Washington,BB-47) は、1919年(大正8年)6日30日に起工、1921年(大正10年)9月12日に進水、1923年(大正12年)11月10日に廃棄が決定した。1924年(大正13年)11月下旬に各種爆破実験と艦砲射撃の標的となって沈没した[54]ノースカロライナ級戦艦2番艦のワシントン (USS Washington, BB-56) は9代目。
  15. ^ 〔米國〕戰艦ウヱスト・ヴアージニヤ[56] 全長624呎 最大幅97呎3吋 平均吃水30呎6吋 排水量32,600噸 速力21節 備砲(16吋8門 5吋-12門 5吋高角-8門) 魚雷發射管2門 竣工1923年12月  同型艦他に二隻 コロラド メリーランド 
  16. ^ “戰艦“長門 ながと”[59] 全要目{排水量32,720噸 速力23.0節 備砲 40糎砲8門 14糎砲20門 12.7糎高角砲8門 魚雷發射管6門 起工大正6年8月 竣工大正9年11月 建造所 呉海軍工廠} 長門は40糎砲といふ巨砲を世界で初めて搭載した戰艦であり、艦型に於ても從來のものを完全にノツクアウトし、列強海軍をして瞠若たらしめた艦である。從來先進列強にとかく後塵を拝せしめられてゐた帝國は一躍世界をリードする日本たることを證明したのである。新鋭長門は今や聯合艦隊主力として海軍無條約時代に備ふ我海軍たのみの艦である。戰艦は艦隊の根幹でありその價値は搭載する主砲の威力と防禦設備如何に依つて決定される。主砲は敵主力艦隊を撃滅するものであり、副砲は主として來襲する敵の輕快部隊に備へるものである。世界の七大戰艦とは、我が“陸奥” “長門” 英の“ネルソン” “ロドニー” 米の“ウエスト・ヴァジニア” “コロラド” “メリーランド”の七艦である。
  17. ^ 姉妹艦コロラド (USS Colorad, BB-45) はピュージェット・サウンド工廠でバルジ装着工事を行っており[65]、難を逃れた[72]
  18. ^ メリーランドの前方には給油艦ネオショー (USS Neosho, AO–23) が、後方にはテネシー(内側)とウェストバージニア(沖側)が停泊していた[24]
  19. ^ 水平爆撃隊50機(淵田機含む)の内訳は[79]赤城15、加賀15、蒼龍10、飛龍10[80]
  20. ^ ネオショー艦長のジョン・フィリップス少佐はネオショーを退避させた判断と功績を評価され、海軍十字章を授与された[93]
  21. ^ 炎上するウェストバージニアから発生した煙は、メリーランドの上に覆いかぶさった[95]
  22. ^ 真珠湾で損傷したり沈没したテネシー級戦艦2隻(テネシー、カリフォルニア)や[97]、1942年1月11日に伊号第六潜水艦の雷撃て大破した空母サラトガ (USS Saratoga, CV-3) も[98]、同時期のピュージェット・サウンド造船所に入渠していた[99]
  23. ^ コロラド級2隻(コロラド、メリーランド)は前部籠マストを残して(SCレーダー)を装備したが[103]、大修理をおこなった3隻(テネシー、カリフォルニア、ウェストバージニア)は徹底的改装がおこなわれてサウスダコタ級戦艦に類似した艦型となり[104]、籠マストは完全に撤去された[105]。またコロラドとメリーランドはバルジ装着後の横幅32.9mとなりパナマ運河をギリギリで通航可能だったが、ウェストバージニア級は34.75mとなって通過不可能になった[106]
  24. ^ 4番艦のウェストバージニアは1944年(昭和19年)9月まで修理を続け、戦列に戻ったのは10月である[29]
  25. ^ 中央通信管制室を増設する場所が司令艦橋しかなく、そこはメリーランドが16インチ主砲の砲身をあげた時、砲口と同じ高さであった[109]
  26. ^ 第7艦隊司令長官キンケイド中将は、第77任務部隊(支援部隊)指揮官でもある[132]
  27. ^ G・L・ウェイラー少将(旗艦ミシシッピ)が指揮する戦列部隊で、戦艦ミシシッピ (USS Mississippi, BB-41) 、メリーランド、ウェストバージニアテネシー (USS Tennessee, BB-43) 、カリフォルニア (USS California, BB-44) 、ペンシルベニア (USS Pennsylvania, BB-38) 、駆逐艦オーリック (USS Aulick,DD-569) 、コニー (USS Cony,DD-508) 、シガニー (USS Sigourney,DD-643) 、クラックストン (USS Claxton,DD-571) 、ソーン (USS Thorn,DD-647) 、ウェルズ (USS Welles,DD-628) [133]。(スリガオ海峡夜戦、戦闘序列)
  28. ^ 損傷しながら海峡から脱出した最上だったが、昼間の航空攻撃で致命傷を受け、駆逐艦に処分された[144]。逃げ遅れた朝雲は、オルデンドルフ部隊の軽巡や駆逐艦に包囲されて撃沈された[145]
  29. ^ 11月27日に一式戦闘機の特攻部隊(八紘隊)に突入された姉妹艦コロラド[151][152]、応急修理により最前線に残った。
  30. ^ 4月1日、上陸作戦支援中の姉妹艦ウェストバージニアは特攻機の突入により損傷した[156]
  31. ^ 1945年(昭和20年)3月19日、大海指第512号と大陸命第1278号により[161]、3月20日午前0時より南西諸島方面の作戦に関し第六航空軍(日本陸軍)は連合艦隊(日本海軍)の指揮下に入った[162]
  32. ^ 第二艦隊司令長官伊藤整一中将が率いる第一遊撃部隊(戦艦大和、軽巡矢矧、第17駆逐隊〈磯風雪風浜風〉、第21駆逐隊〈朝霜初霜〉、第41駆逐隊〈冬月涼月〉)[171]
  33. ^ 4月7日、菊水一号作戦における日本海軍出撃部隊[176]:第四建武隊:爆戦(爆装零戦)12機(爆戦9未帰還)。第三御盾隊601隊:彗星11機(全機未帰還)。第三御盾隊706隊/第四銀河隊:銀河12機(未帰還計9機)。第三御盾隊252隊:爆戦18機(零戦5機未帰還)。
  34. ^ 日本陸軍特攻機[177]4月7日朝に萬世基地より20機出撃(第七十四振武隊)、7日昼間に(知覧)より30機出撃(第七十五振武隊。天候不良で13機のみ突入)。7日払暁に徳之島から特攻11機(第四十四振武隊)出撃。喜界島から7日早朝に6機(第四十六振武隊)、薄暮に9機で攻撃を実施。

出典

  1. ^ a b 歴群58、アメリカの戦艦 2007, p. 194b.
  2. ^ 歴群58、アメリカの戦艦 2007, p. 194aWWII米戦艦・大型巡洋艦主要目一覧表/テネシー級とコロラド級
  3. ^ 世界の艦船、826号 2015, pp. 32a-43アメリカ/「コロラド」級 COLORADO CLASS
  4. ^ a b c ポケット海軍年鑑 1937, p. 95原本172-173頁(戰艦メリーランド)
  5. ^ 歴群58、アメリカの戦艦 2007, p. 195米戦艦のクラスと艦番号一覧
  6. ^ a b ポケット海軍年鑑 1935, p. 107(原本196-197頁)戰艦コロラドとメリーランド(右)
  7. ^ a b c 世界の艦船、826号 2015, pp. 36–37●メリーランド MARYLAND BB-46
  8. ^ 歴群58、アメリカの戦艦 2007, pp. 124–127最後の標準型戦艦「コロラド」級(別称「メリーランド」級)
  9. ^ a b ジョーダン、戦艦 1988, pp. 128a-131アメリカ メリーランド級
  10. ^ 福井、日本戦艦物語(1) 1992, pp. 310–312現代にも尾をひく米国流
  11. ^ a b 戦史叢書17 1968, p. 784a第十三章 米軍の沖繩作戦/四 攻略作戦の経過/射撃支援隊
  12. ^ 戦史叢書10 1967, p. 354.
  13. ^ “Ship Nicknames”. www.zuzuray.com. 2019年4月29日閲覧。
  14. ^ 福井、世界戦艦物語 2009, p. 11(米戦艦メリーランド Maryland BB-46)写真
  15. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, pp. 94a-97戦艦コロラド級/40cm主砲を搭載したビッグセブンの一角
  16. ^ 世界海軍大写真帖 1935, p. 42a戦艦メェリーランド
  17. ^ 福井、日本戦艦物語(1) 1992, pp. 285–286第18表 日米主力艦にみる主砲の移り変わり
  18. ^ 世界海軍大写真帖 1935, p. 42bメェリーランド級戰艦の圖解
  19. ^ 歴群58、アメリカの戦艦 2007, pp. 121–127アメリカ戦艦発達史(第4章)5大戦艦「テネシー級」&「コロラド」級/第一次大戦型米戦艦完成型「テネシー」級と16インチ砲艦「コロラド」級
  20. ^ a b 世界の艦船、826号 2015, p. 76a「ビッグ7」の完成
  21. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, p. 73■アメリカの戦艦(解説)
  22. ^ a b ジョーダン、戦艦 1988, p. 128b.
  23. ^ 福井、日本戦艦物語(1) 1992, pp. 301–304米海軍が考案した"籠マスト"
  24. ^ a b バーガー、PEARL HARBOR 1984, p. 1441941年(昭和16年)12月7日朝、パールハーバーにおける米太平洋艦隊の配置
  25. ^ 世界の艦船、826号 2015, pp. 102–109阿部隆史/「ビッグ7」の戦歴
  26. ^ 福井、日本戦艦物語(1) 1992, pp. 328–332なぜ米戦艦は籠マストを採用し破棄したか
  27. ^ 歴群58、アメリカの戦艦 2007, pp. 154–163アメリカ戦艦発達史〔第8章〕第二次大戦中の旧式米戦艦の改装
  28. ^ ジョーダン、戦艦 1988, p. 130.
  29. ^ a b c d e ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, p. 96.
  30. ^ a b c d e f g h i 世界の艦船、826号 2015, p. 105.
  31. ^ ニミッツ 1962, p. 309第42図 レイテ作戦における米国の主要海軍兵力及び指揮系統
  32. ^ ニミッツ 1962, pp. 324–330スリガオ海峡海戦
  33. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, p. 66戦艦登場主要海戦 part1 太平洋戦線(7)1944年10月25日スリガオ海峡海戦(レイテ沖海戦/比島沖海戦)
  34. ^ a b 連合艦隊参謀長 1979, pp. 330–331まず西村部隊潰ゆ
  35. ^ a b c Leyte 1971, p. 100aスリガオ海峡の戦闘 1944年10月24日夜~25日
  36. ^ ニミッツ 1962, p. 434.
  37. ^ a b ニミッツ 1962, pp. 440–441.
  38. ^ 連合艦隊参謀長 1979, pp. 356–358「大和」瞬時にして沈む
  39. ^ 福井、日本戦艦物語(1) 1992, pp. 277–278日米建艦計画競争
  40. ^ a b 歴群58、アメリカの戦艦 2007, p. 125.
  41. ^ 歴群58、アメリカの戦艦 2007, pp. 174–175●一四インチ五〇口径砲 Mk4系列とMk7系列
  42. ^ 福井、日本戦艦物語(1) 1992, pp. 297–298米海軍の三連装砲塔
  43. ^ 世界の艦船、826号 2015, pp. 97–98コロラド級●主砲
  44. ^ 歴群58、アメリカの戦艦 2007, p. 175●一六インチ四五口径砲 Mk1およびMk5系列
  45. ^ 福井、日本戦艦物語(1) 1992, pp. 278–280一六インチ時代の到来
  46. ^ 世界の艦船、826号 2015, p. 32b.
  47. ^ a b c d 歴群58、アメリカの戦艦 2007, p. 127.
  48. ^ 戦史叢書31 1969, pp. 295–299会議の概況
  49. ^ 世界の艦船、826号 2015, pp. 72–73軍縮会議の開催と陸奥の存廃
  50. ^ 海軍読本.第20号 1939, p. 49原本82頁
  51. ^ 戦史叢書31 1969, pp. 299–303ワシントン条約
  52. ^ 海事参考年鑑、大正13年版 1924, pp. 17–18原本4-6頁(サルストン氏計畫の戰艦)
  53. ^ 福井、世界戦艦物語 2009, p. 351.
  54. ^ マッキンタイヤー、空母 1985, p. 32.
  55. ^ 福井、世界戦艦物語 2009, pp. 88–90条約型戦艦
  56. ^ 軍艦写帖 1930, p. 121(米國)戰艦ウヱスト・ヴアージニヤ
  57. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, pp. 44–49戦艦 長門
  58. ^ ポケット海軍年鑑 1935, p. 10(原本2-3頁)戰艦陸奥
  59. ^ ポケット海軍年鑑 1937, p. 11原本4-5ページ(戦艦長門)
  60. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, pp. 50–53戦艦 陸奥
  61. ^ 世界の艦船、826号 2015, p. 76b「ビッグ7」の問題点と誕生の意義
  62. ^ 歴群58、アメリカの戦艦 2007, p. 176弩級艦以降の米戦艦が搭載した主砲一覧
  63. ^ 歴群58、アメリカの戦艦 2007, p. 134.
  64. ^ 歴群58、アメリカの戦艦 2007, pp. 128–134アメリカ戦艦発達史〔第5章〕“海軍休日”時代の米戦艦の大改装
  65. ^ a b ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, p. 95.
  66. ^ 歴群58、アメリカの戦艦 2007, p. 130.
  67. ^ 連合艦隊参謀長 1979, p. 72真珠湾攻撃における機動部隊の編成
  68. ^ バーガー、PEARL HARBOR 1984, pp. 113–116機動部隊、本土を出航
  69. ^ マッキンタイヤー、空母 1985, pp. 97–100パールハーバー奇襲
  70. ^ ニミッツ 1962, pp. 18–24真珠湾攻撃
  71. ^ バーガー、PEARL HARBOR 1984, pp. 135–136攻撃隊発進
  72. ^ a b c 世界の艦船、826号 2015, p. 104.
  73. ^ 戦史叢書10 1967, pp. 374–375開戦時の海上兵力配備
  74. ^ ニミッツ 1962, p. 19第1図 1941年12月7日午前7時55分の真珠湾
  75. ^ バーガー、PEARL HARBOR 1984, p. 169.
  76. ^ 戦史叢書10 1967, p. 003a付図第三 空襲時真珠湾在泊艦船碇泊位置(真珠湾攻撃記録)
  77. ^ パール・ハーバー 1991, pp. 78–82水平爆撃
  78. ^ パール・ハーバー 1991, pp. 182–183付表/機動部隊ハワイ攻撃隊の編制と指揮官たち
  79. ^ 連合艦隊参謀長 1979, p. 62ハワイ攻撃隊編成表
  80. ^ 戦史叢書10 1967, p. 333.
  81. ^ 戦史叢書10 1967, pp. 134–136水平爆撃/徹甲爆弾
  82. ^ 母艦航空隊 2013, pp. 116–118アリゾナ撃沈にいたるまで
  83. ^ 戦史叢書10 1967, p. 356a二 水平爆撃命中状況
  84. ^ 戦史叢書10 1967, pp. 356b-357三 急降下爆撃命中状況
  85. ^ 戦史叢書10 1967, p. 004a付図第四 機動部隊戦果判定図(第一航空艦隊戦闘詳報 図面第一号)
  86. ^ a b 戦史叢書10 1967, p. 358.
  87. ^ (Wallin, Homer N.) (1968). Pearl Harbor: Why, How, Fleet Salvage and Final Appraisal. Washington, D.C: Department of the Navy. ISBN (0-89875-565-4). OCLC 51673398 
  88. ^ 淵田美津雄 2010, p. 153真珠湾攻撃襲撃図
  89. ^ ニミッツ 1962, p. 21.
  90. ^ 戦史叢書10 1967, p. 004b付図第四
  91. ^ パール・ハーバー 1991, p. 95小康状態の真珠湾
  92. ^ バーガー、PEARL HARBOR 1984, pp. 182–186結果から見た作戦の過誤
  93. ^ バーガー、PEARL HARBOR 1984, p. 166.
  94. ^ パール・ハーバー 1991, p. 160(転覆したオクラホマと、健在のメリーランド写真)
  95. ^ パール・ハーバー 1991, pp. 124–125.
  96. ^ バーガー、PEARL HARBOR 1984, p. 175.
  97. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, pp. 90–93戦艦テネシー級/スリガオ海峡で日本戦艦に復仇を果たす
  98. ^ ニミッツ 1962, p. 41.
  99. ^ ニミッツ 1962, p. 50.
  100. ^ 歴群58、アメリカの戦艦 2007, pp. 162a-163「コロラド」と「メリーランド」●戦前に計画された対空兵装強化と水中防御力の改善策を実施
  101. ^ 歴群58、アメリカの戦艦 2007, p. 163b.
  102. ^ 世界の艦船、826号 2015, p. 83.
  103. ^ 歴群58、アメリカの戦艦 2007, p. 162c改装後の「メリーランド」(コロラド級)
  104. ^ 歴群58、アメリカの戦艦 2007, pp. 160–162「テネシー」級と「ウエスト・ヴァージニア」
  105. ^ 福井、日本戦艦物語(1) 1992, p. 332.
  106. ^ 歴群58、アメリカの戦艦 2007, p. 162b.
  107. ^ ニミッツ 1962, p. 63第8図(1942年6月4日、日米両軍部隊配置)
  108. ^ ニミッツ 1962, p. 208.
  109. ^ a b ショー、Tarawa 1998, p. 37.
  110. ^ ニミッツ 1962, p. 226.
  111. ^ ニミッツ 1962, p. 230.
  112. ^ ニミッツ 1962, p. 227.
  113. ^ ショー、Tarawa 1998, p. 64.
  114. ^ ニミッツ 1962, p. 229.
  115. ^ ニミッツ 1962, p. 231.
  116. ^ ニミッツ 1962, p. 233.
  117. ^ ショー、Tarawa 1998, pp. 212–219タラワ戦での戦訓
  118. ^ 連合艦隊参謀長 1979, pp. 244–246.
  119. ^ ニミッツ 1962, pp. 259–260中部太平洋を横断して
  120. ^ 戦史叢書12 1968, p. 632サイパン島上陸
  121. ^ Vreeken, Fred R. (1997). USS Maryland (BB-47). Paducah, Kentucky: Turner Publishing Company
  122. ^ 戦史叢書85 1975, pp. 196–197米軍サイパン上陸
  123. ^ 戦史叢書85 1975, pp. 197–200「あ」号作戦決戦発動/東号作戦発動
  124. ^ 連合艦隊参謀長 1979, pp. 256–259日本海軍の運命をかけて
  125. ^ 戦史叢書85 1975, pp. 200–202マリアナ沖海戦
  126. ^ 戦史叢書12 1968, pp. 601–604作戦経過と大本営、聯合艦隊等の作戦指導
  127. ^ 戦史叢書85 1975, pp. 202–203マリアナの大勢決す
  128. ^ 戦史叢書12 1968, pp. 607–610挿表第二 各基地における状況(六月二十一日から七月八日)
  129. ^ 戦史叢書12 1968, pp. 634–635日本側のサイパン方面航空攻撃
  130. ^ USS Maryland (BB-46), 1921-1959
  131. ^ ニミッツ 1962, pp. 296–297レイテ進攻
  132. ^ Leyte 1971, pp. 200–205レイテ海戦の日米両国艦隊編成 一九四四年十月二十三日~二十六日
  133. ^ Leyte 1971, p. 202.
  134. ^ 戦史叢書48 1971, pp. 623–624レイテ上陸の成功
  135. ^ マッキンタイヤー、空母 1985, p. 185.
  136. ^ 戦史叢書48 1971, pp. 338–339海軍側作戦の大要
  137. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, pp. 26–29戦艦 扶桑
  138. ^ Leyte 1971, pp. 105–106米水雷戦隊の活躍
  139. ^ Leyte 1971, pp. 106–112日本駆逐隊に大損害
  140. ^ Leyte 1971, pp. 113a-114日本艦隊をレーダー砲撃
  141. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, pp. 30–33戦艦 山城/米戦艦隊に最後の戦いを挑んだ旧式戦艦
  142. ^ Leyte 1971, pp. 115a-116西村提督、艦と運命を共に
  143. ^ Leyte 1971, pp. 114–115同士打ちの醜態
  144. ^ Leyte 1971, pp. 116–117奮戦つづける「最上」
  145. ^ Leyte 1971, p. 117最後まで砲撃した「朝雲」
  146. ^ Leyte 1971, p. 115b.
  147. ^ 戦史叢書48 1971, p. 001付表第一(「比島捷号陸軍航空作戦」)第四航空軍戦闘序列の部隊 昭和十九年十二月三十一日
  148. ^ 戦史叢書48 1971, pp. 448a-449第六次船団の損害および靖國隊の攻撃等
  149. ^ 戦史叢書48 1971, p. 448b.
  150. ^ 戦史叢書48 1971, p. 629a十一月二十七日、二十九日の特攻攻撃
  151. ^ a b 戦史叢書48 1971, p. 629b.
  152. ^ 戦史叢書48 1971, pp. 446–448第四航空群レイテ方面攻撃続行(八紘隊の攻撃)
  153. ^ 戦史叢書17 1968, p. 781琉球作戦中部太平洋部隊編成表
  154. ^ 戦史叢書17 1968, p. 783沖繩作戦の概要
  155. ^ 戦史叢書17 1968, p. 784b四月一日「L」デーの上陸作戦
  156. ^ 戦史叢書17 1968, pp. 341–342四月一日~五日間の沖繩方面の戦果対照表
  157. ^ 戦史叢書17 1968, pp. 305–306三 天一号作戦発動
  158. ^ 戦史叢書85 1975, pp. 371–372対機動部隊、対攻略部隊攻撃/米軍沖繩本島上陸
  159. ^ 戦史叢書17 1968, p. 678沖繩来襲から菊水三号作戦まで(四月中旬)
  160. ^ 戦史叢書85 1975, p. 372a菊水作戦開始
  161. ^ 戦史叢書17 1968, pp. 344–345第六航空軍の作戦
  162. ^ 戦史叢書17 1968, p. 690a三 陸軍航空作戦/第六航空軍の作戦
  163. ^ 戦史叢書17 1968, pp. 345–346第八飛行師団の作戦
  164. ^ a b 戦史叢書17 1968, pp. 690b-6976FA沖繩作戦実施状況/6FA作戦実施概見表/6FAの作戦状況
  165. ^ 戦史叢書36 1970, pp. 450–451航空総攻撃計画の誕生
  166. ^ 連合艦隊参謀長 1979, pp. 354–356海上遙か水上特攻を見送る
  167. ^ 戦史叢書36 1970, p. 453海上特攻に関する聯合艦隊命令
  168. ^ a b 戦史叢書85 1975, p. 372b大和部隊の沖繩突入作戦
  169. ^ ドキュメント戦艦大和 1986, pp. 92–96艦隊決戦か航空攻撃か
  170. ^ a b 戦史叢書17 1968, pp. 651–652連合軍側資料
  171. ^ 戦史叢書17 1968, pp. 382–383大和部隊(第一遊撃部隊)の沖繩突入作戦
  172. ^ 戦史叢書17 1968, pp. 784c-785大和部隊の攻撃
  173. ^ ドキュメント戦艦大和 1986, p. 95.
  174. ^ ドキュメント戦艦大和 1986, p. 94.
  175. ^ 戦史叢書36 1970, pp. 460–461四 第一次航空総攻撃/攻撃経過概況
  176. ^ 戦史叢書17 1968, p. 002a附表第2(「沖繩方面海軍作戦」)沖縄方面神風特別攻撃隊一覧表(出撃しても未帰還機隊のない隊は本表から除外)
  177. ^ 戦史叢書36 1970, pp. 463–464第六航空軍の総攻撃/六日夜および七日の攻撃
  178. ^ 戦史叢書17 1968, pp. 380a-382索敵及び攻撃状況(四月七日)
  179. ^ 戦史叢書17 1968, pp. 679–682沖繩方面海軍作戦延機数/菊水作戦の集計
  180. ^ 戦史叢書17 1968, pp. 698–700第八飛行師団の作戦/作戦状況
  181. ^ a b c ドキュメント戦艦大和 1986, p. 320.
  182. ^ 歴群58、アメリカの戦艦 2007, p. 163a●「メリーランド」の特攻機による損傷復旧時の改装
  183. ^ “Maryland III (Battleship No. 46)”. DANFS. 2019年4月29日閲覧。

参考文献

  • 草鹿, 龍之介「第一部 真珠湾攻撃」『連合艦隊参謀長の回想』光和堂、1979年1月。 
  • ドナルド・M・ゴールドスチン、キャサリン・V・ディロン、J・マイケル・ウェンジャー『パール・ハーバー THE WAY IT WAS:PEAL HARBOR』千早正隆(訳) 、光人社〈フォト・ドキュメント〉、1991年11月。ISBN (4-7698-0582-9)。 
  • ヘンリー・I・ショー『タラワ Tarawa 米海兵隊と恐怖の島』宇都宮直賢 、光人社〈光人社NF文庫〉、1998年10月(原著1971年)。ISBN (4-7698-2210-3)。 
  • ジョン・ジョーダン『戦艦 AN ILLUSTRATED GUIDE TO BATTLESHIPS AND BATTLECRUISERS』石橋孝夫(訳) 、株式会社ホビージャパン〈イラストレイテッド・ガイド6〉、1988年11月。ISBN (4-938461-35-8)。 
  • 編集人 高田泰光『世界の艦船 2015.12、NO.826 ビッグ7 条約時代最強の日米英7大戦艦』株式会社海人社〈2015年12月号(通巻826集)〉、2015年10月。 
  • 高橋定ほか『母艦航空隊 体験で綴る空母機動部隊の一挙一動と海空戦の真相!』潮書房光人社、2013年1月。ISBN (978-4-7698-1538-9)。 
    • (112-124頁)元「加賀」艦攻隊長・海軍少佐橋口喬『高々度水平爆撃隊「戦艦アリゾナ」」撃沈秘話 各種爆弾の研究から緒戦の戦果をうむまでの実験秘録
    • (125-133頁)元「加賀」艦攻隊偵察員・海軍少尉吉野治男『加賀雷撃隊「戦艦オクラホマ」に針路をとれ 八〇〇キロ魚雷一本に祖国の興隆をかけた男たちの苦闘
  • チェスター・ニミッツ、E・B・ポッター『ニミッツの太平洋海戦史』実松譲、富永謙吾(共訳)、恒文社、1962年12月。 
  • A・J・バーガー『PEARL HARBOR パールハーバー われ奇襲に成功せり』中野五郎 訳 、株式会社サンケイ出版〈第二次世界大戦文庫2〉、1984年12月。 
  • 福井静夫 著「第十六章 日米海軍主力艦の建造競争」、阿部安雄、戸高一成 編『福井静夫著作集 ― 軍艦七十五年回想 第一巻 日本戦艦物語〔I〕』光人社、1992年5月。ISBN (4-7698-0607-8)。 
  • 福井静夫 著、阿部安雄、戸高一成 編『新装版 福井静夫著作集 ― 軍艦七十五年回想第六巻 世界戦艦物語』光人社、2009年3月。ISBN (978-4-7698-1426-9)。 
  • 淵田美津雄『真珠湾総隊長の回想 淵田美津雄自叙伝中田整一編・解説、講談社〈講談社文庫〉、2010年11月。ISBN (978-4-06-276805-4)。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 ハワイ作戦』 第10巻、朝雲新聞社、1967年12月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 マリアナ沖海戦』 第12巻、朝雲新聞社、1968年2月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 沖縄方面海軍作戦』 第17巻、朝雲新聞社、1968年7月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』 第31巻、朝雲新聞社、1969年7月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 沖繩・臺灣・硫黄島方面 陸軍航空作戦』 第36巻、朝雲新聞社、1970年7月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 比島捷号陸軍航空作戦』 第48巻、朝雲新聞社、1971年8月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 本土方面海軍作戦』 第85巻、朝雲新聞社、1975年6月。 
  • ドナルド・マッキンタイヤー「(5)西村艦隊なぐりこむ」『レイテ 連合艦隊の最期・カミカゼ出撃』大前敏一 訳 、産経新聞社出版局〈第二次世界大戦ブックス5〉、1971年3月。 
  • ドナルド・マッキンタイヤー『空母 日米機動部隊の激突』寺井義守 訳 、株式会社サンケイ出版〈第二次世界大戦文庫23〉、1985年10月。ISBN (4-383-02415-7)。 
  • ミリタリー・クラシックス編集部、執筆(松代守弘、瀬戸利春、福田誠、伊藤龍太郎)、図面作成(田村紀雄、こがしゅうと、多田圭一)「第二章 アメリカの戦艦」『第二次大戦 世界の戦艦』イカロス出版〈ミリタリー選書6〉、2005年9月。ISBN (4-87149-719-4)。 
  • 吉田満、原勝洋『ドキュメント 戦艦大和』文藝春秋社〈文春文庫〉、1986年4月(原著1975年)。ISBN (4-16-734902-7)。 
  • 歴史群像編集部編『アメリカの戦艦 「テキサス」から「アイオワ」級まで四〇余年にわたる発達史』学習研究社〈歴史群像太平洋戦史シリーズ Vol.58〉、2007年5月。ISBN (978-4-05-604692-2)。 

関連項目

外部リンク

  • US Navy Historical Center USS Maryland gallery
  • Maritimequest USS Maryland BB-46 Photo Gallery
ウィキペディア、ウィキ、本、library、論文、読んだ、ダウンロード、自由、無料ダウンロード、mp3、video、mp4、3gp、 jpg、jpeg、gif、png、画像、音楽、歌、映画、本、ゲーム、ゲーム。