マーク・ダナヒュー(Mark Donohue, 1937年3月18日 - 1975年8月19日)は、アメリカ合衆国出身のカーレーサー。1972年のインディ500のウィナー、及び1973年のカナディアン-アメリカン・チャレンジカップ(Can-Am)チャンピオン。
人物
1975年8月17日、F1のオーストリアグランプリの予選中にクラッシュを起こし、マーシャル1人が破片を受けて死亡、別のマーシャル1人が負傷した[1]。ダナヒューは自力歩行や会話が可能で、事故の状況について左前輪がパンクを起こしたとチームに語っていた[1]。目立った外傷もなく当初は軽い脳震盪と見られていたが、次第に頭痛が酷くなった上に痙攣を起こし意識を失った[1]。病院で緊急手術を受けたものの、頭部強打に伴う血栓症とその合併症のため事故から2日後の8月19日に死去した[1]。38歳没。
戦績
F1
年 | 所属チーム | シャシー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | WDC | ポイント |
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1971年 | マクラーレン/ペンスキー | M19A | RSA | ESP | MON | NED | FRA | GBR | GER | AUT | ITA | CAN 3 | USA DNS | 16位 | 4 | ||||
1974年 | ペンスキー | PC1 | (ARG) | (BRA) | (RSA) | (ESP) | (BEL) | (MON) | SWE | (NED) | (FRA) | (GBR) | (GER) | (AUT) | (ITA) | (CAN) 12 | (USA) Ret | NC (36位) | 0 |
1975年 | (ARG) 7 | BRA Ret | (RSA) 8 | ESP Ret | (MON) Ret | (BEL) 11 | (SWE) 5 | (NED) 8 | (FRA) Ret | 15位 | 4 | ||||||||
マーチ/ペンスキー | 751 | (GBR) 5 | (GER) Ret | (AUT) DNS | (ITA) | (USA) |
インディ500
年 | シャシー | エンジン | スタート | フィニッシュ | エントラント |
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(1969) | ローラ | (オッフィー) | 4位 | 7位 | ペンスキー |
(1970) | ローラ | フォード | 5位 | 2位 | ペンスキー |
(1971) | マクラーレン | (オッフィー) | 2位 | 25位 | ペンスキー |
(1972) | マクラーレン | (オッフィー) | 3位 | 優勝 | ペンスキー |
(1973) | イーグル | (オッフィー) | 3位 | 15位 | ペンスキー |
ル・マン24時間レース
年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 周回 | 総合順位 | クラス順位 |
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1966年 | (ホールマン&ムーディ) | (ポール・ホーキンズ) | フォード・GT40 Mk.II | P +5.0 | 12 | DNF | DNF |
1967年 | フォード・モーター カンパニー シェルビー・アメリカン Inc. | ブルース・マクラーレン | フォード・GT40 Mk.IV | P +5.0 | 359 | 4位 | 3位 |
1971年 | (ノース アメリカ レーシング チーム) ペンスキー レーシング | デヴィッド・ホブス | フェラーリ・512M | S 5.0 | 58 | DNF | DNF |
脚注
関連項目
先代 アル・アンサー | インディ500勝者 1972年 マクラーレン・M16オッフィー | 次代 (ゴードン・ジョンコック) |
先代 (ジョージ・フォルマー) | Can-Amチャンピオン 1973年 ポルシェ・917-30 | 次代 ジャッキー・オリバー |