レプコ・ブラバム・BT26 (Repco Brabham BT26) は、ブラバムが開発したフォーミュラ1カー。コスワースDFVに切り替えた後は2勝を挙げ、1969年シーズンのコンストラクターズランキング2位となった。
BT26、タスマンシリーズ仕様 | |
カテゴリー | F1 / タスマンシリーズ |
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コンストラクター | モーターレーシング・ディベロップメント |
デザイナー | ロン・トーラナック |
先代 | ブラバム・BT24 |
後継 | ブラバム・BT33 |
主要諸元[1] | |
シャシー | セミ-モノコック |
サスペンション(前) | ダブルウィッシュボーン, コイルスプリング オーバーダンパー, アンチロールバー |
サスペンション(後) | ダブルウィッシュボーン, ツイン(ラジアスアーム), コイルスプリング オーバーダンパー, アンチロールバー |
エンジン | コスワース:2,995 cc (182.8 cu in) レプコ:2,995 cc (182.8 cu in) 90° V8, NA, ミッドエンジン, 縦置き |
トランスミッション | ヒューランド DG 300 5速 MT, ZF ディファレンシャル |
重量 | 520 kg |
燃料 | ガルフ BP |
タイヤ | グッドイヤー, ダンロップ |
主要成績 | |
チーム | ブラバム・レーシング・オーガニゼーション モーターレーシング・ディベロップメント |
ドライバー | ジャック・ブラバム ダン・ガーニー ヨッヘン・リント |
コンストラクターズタイトル | 8 |
初戦 | 1968年スペイングランプリ |
コンセプト
ロン・トーラナックによって設計されたBT26は、彼のスペースフレーム構造をもったF1カーの最終作であり、そのような構造を持った最後のF1カーの1台であった。燃料タンクに関するレギュレーションの変更で、スペースフレーム構造は禁止された。トーラナックはスペースフレームとアルミニウムパネルを組み合わせてセミモノコックを作り、スペースフレームチューブのサイズを小さくしてシャシーを軽量化することができた。
BT24とBT26のその他の主な違いは、より強力なレプコ・860シリーズエンジンであったが、信頼性も低くなった。1968年シーズンに何度もリタイアに苦しめられたヨッヘン・リントは翌年チーム・ロータスに移籍した。1969年、レプコエンジンはコスワースDFVに置き換えられた。この改良型はBT26Aと命名された。
レース戦績
1968年シーズンの完走はリントとブラバムのそれぞれ1つのみであった。1969年には改善が見られ、新加入のジャッキー・イクスは2勝を挙げランキング2位となった。ブラバム・フォードはフランク・ウィリアムズ・レーシングカーズのピアス・カレッジの助けも得てコンストラクターズランキング2位となった。
ブラバムは1970年に新型のBT33に切り替えたことで、BT26Aはプライベーターに放出された。その中で(ピーター・デ・クラーク)が南アフリカGPで最高位を記録した。1971年、BT26Aの最後のレースとなった南アフリカGPで(ジャッキー・プレトリウス)は22周目にエンジントラブルでリタイアした。
ノンタイトル戦ではブラバムが(1969年BRDCインターナショナルトロフィー)で優勝し、イクスは1969年オウルトン・パークインターナショナルゴールドカップで優勝した。デクラークとプレトリアスは1970年と1971年に南アフリカのノンタイトル戦で3勝を挙げた。
1970年にデレック・ベルはDFVの2.5リッターバージョンであるコスワースDFWを搭載したBT26Aを使用してタスマンシリーズに参戦した。最高位はニュージーランドGPでの2位だったが、エンジントラブルのためシリーズ後半のオーストラリアでのレースはキャンセルを余儀なくされた。
F1における全成績
((key)) (斜体はファステストラップ)
年 | チーム | エンジン | タイヤ | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | ポイント1 | 順位1 |
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1968年 | ブラバム・レーシング・オーガニゼーション | レプコ・860 3.0 V8 | G | RSA | ESP | MON | BEL | NED | FRA | GBR | GER | ITA | CAN | USA | MEX | 102 | 8位 | ||
ジャック・ブラバム | DNS | Ret | Ret | Ret | Ret | Ret | 5 | Ret | Ret | Ret | Ret | ||||||||
ヨッヘン・リント | Ret | Ret | Ret | Ret | 3 | Ret | Ret | Ret | Ret | ||||||||||
ダン・ガーニー | Ret | ||||||||||||||||||
1969年 | ブラバム・レーシング・オーガニゼーション | コスワースDFV | G | RSA | ESP | MON | NED | FRA | GBR | GER | ITA | CAN | USA | MEX | 49 (51) | 2位 | |||
ジャック・ブラバム | Ret | Ret | Ret | 6 | Ret | 2 | 4 | 3 | |||||||||||
ジャッキー・イクス | Ret | 6 | Ret | 5 | 3 | 2 | 1 | 10 | 1 | Ret | 2 | ||||||||
フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズ | D | ピアス・カレッジ | Ret | 2 | Ret | Ret | 5 | Ret | 5 | Ret | 2 | 10 | |||||||
1970年 | (チーム・ガンストン) | コスワースDFV | G | RSA | ESP | MON | BEL | NED | FRA | GBR | GER | AUT | ITA | CAN | USA | MEX | 353 | 4位 | |
(ピーター・デ・クラーク) | 11 | ||||||||||||||||||
(トム・ホイートクロフト・レーシング) | デレック・ベル | Ret | |||||||||||||||||
(ガス・ハッチソン) | (ガス・ハッチソン) | Ret | |||||||||||||||||
1971年 | (チーム・ガンストン) | コスワースDFV | G | RSA | ESP | MON | NED | FRA | GBR | GER | AUT | ITA | CAN | USA | 53 | 9位 | |||
(ジャッキー・プレトリウス) | 11 |
1 各戦とも完走者上位6名に 9-6-4-3-2-1 ポイントが与えられたが、各チームの上位の車のみに与えられた。1968年は前半6戦の内ベスト5戦と後半6戦の内ベスト5戦、1969年と71年は前半6戦の内ベスト5戦と後半5戦の内ベスト4戦、1970年は前半7戦の内ベスト6戦と後半6戦の内ベスト5戦が有効ポイントとして計算された。
2 1968年はBT26の獲得ポイントは4ポイントのみであった。残りの6ポイントはBT20とBT24を使用して獲得された。
3 すべてのポイントはBT33を使用して1970年と1971年に獲得された。
参照
- ^ Brabham BT26 @ Ultimatecarpage
外部リンク
- Brabham BT26 @ Stats F1
- Brabham BT26A @ Stats F1