ビョルン・ワルデガルド(瑞Björn Waldegård、1943年11月12日 - 2014年8月29日[1])はスウェーデンのラリードライバー[2]。1979年に世界ラリー選手権 (WRC) の初代ドライバーズチャンピオンを獲得した。
ビョルン・ワルデガルド | |
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ビョルン・ワルデガルド(2001年) | |
基本情報 | |
国籍 | スウェーデン |
生年月日 | 1943年11月12日 |
死没日 | 2014年8月29日(70歳没) |
WRCでの経歴 | |
活動時期 | 1973–1992 |
所属チーム | ランチア、メルセデス・ベンツ、フォード、トヨタ |
出走回数 | 95 |
チャンピオン回数 | 1 (1979) |
優勝回数 | 16 |
表彰台回数 | 35 |
ステージ勝利数 | 217 |
通算獲得ポイント | 428 |
初戦 | 1973 ラリー・モンテカルロ |
初勝利 | 1975 スウェデッシュ・ラリー |
最終勝利 | 1990 サファリラリー |
最終戦 | 1992 サファリラリー |
スウェーデンでのニックネームは「Walle」。昔の日本のプレス表記では苗字表記が「ワルデゴールド」等多々発音の違いによる表記があるが、現プレスでの表記上では「ビヨン・ワルデガルド」と表記される。
主な経歴
ワルデガルドはラリーストとして、実に40年に及び長期に渡り活躍している。1962年にデビュー、1967年、1968年とスウェーデンラリーにおいて優勝した後、1992年、サファリラリーの事故で腕を骨折して引退するまで常にトップレベルで走り続けた。彼がスウェーデン以外で初勝利をあげたのは1969年、ポルシェ・911を駆ったラリー・モンテカルロであり、最後の勝利は1990年トヨタに所属したときのサファリラリーであった。サファリラリーでの勝利は、世界ラリー選手権における最年長勝利となり、2022年の開幕戦ラリー・モンテカルロでセバスチャン・ローブが勝利をあげるまで、その記録は長年破られていなかった。
1970年中頃のワルデガルドは個人で改造したポルシェ・カレラRSRでラリークロスのドライバーとして設立されて間もないヨーロッパ選手権に参加していた。ワルデガルドの残した最高リザルトは、フランツ・ヴルツ(F1ドライバー、アレクサンダー・ヴルツの父)が優勝した1974年、ERAヨーロッパラリークロス選手権(現在のFIA ヨーロッパ選手権 ラリークロスドライバーズ)における2位であった。
1970年代、アリタリアをスポンサーとしたランチアチームにおけるスタードライバーとしてワルデガルドとイタリアドライバーの先駆者サンドロ・ムナーリのどちらかが選ばれることが多い。1976年、サンレモラリーにおいて、ワルデガルドとムナーリはトップ争いをしていた。ワルデガルドは最終ステージを走行中のムナーリに対して4秒先行していたが、この「等しい」優勝争いに対して、その4秒を浪費、ムナーリに優勝を譲るようチームオーダーを出された。しかし、ワルデガルドはチームオーダーを無視、ムナーリを追い越し4秒差で優勝した。その確執からワルデガルドはランチアを去り、1976年後半よりフォードチームへ移籍することとなった。
フォード・エスコートRS1800を駆ったワルデガルドは、最も過酷なラリーと呼ばれた1977年の選手権において3勝(サファリラリー、アクロポリス・ラリー、RACラリー)をあげた。
ワルデガルドは1979年の世界ラリー選手権においてフォードチームとメルセデス・ベンツチームで活動、ラリー・コートジボワール においてATトランスミッションである450SLC5.0で最終ラウンドにハンヌ・ミッコラを抜き去ったが、最終成績は2位であった。1980年にこの時の雪辱か同ラリーで500SLCを駆り、優勝している。
1980年はチームを地元プライベーターとワークスを転々としつつフィアット・131・アバルトラリー、メルセデス・ベンツ・500 SLC、トヨタ・セリカ2000GT等乗り継ぎつつ参戦するに至る。ワークスチームの都合等で人数分揃えられないラリーについてはこうした地元プライベーターに乗り継ぎつつもポイントを重ねる状態は83年まで観られ、グループ4→Aでの戦いに留まりつつも1992年までトヨタで走り続けた。
引退後
2008年9月、スコットランドにおけるラリーの優勝者がパースに集ったコリン・マクレー追悼ラリー(Colin McRae Forest Stages Rally)に参加した。2007年死去したマクレーの追悼イベントには世界チャンピオンも参加していたが、ワルデガルドもその一人であり、この追悼イベントにおいてポルシェ911で参加した。
2010年、ワルデガルドは、同郷のスウェーデン人ラリースト、パー・ガンナー・アンダーソンの来期のワークスシート獲得を支援しており、近年は若手育成にも一躍買って出ている[3]。またヒストリックイベントとして開催されるイーストアフリカン・サファリ・クラシックには毎戦のようにスタートしており、68歳で出場した2011年にはポルシェ911で優勝を飾っている[4]。
2012年に来日し、新城ラリーでグループBのセリカ・ツインカムターボの豪快なデモ走行を披露した。また2013年にも新城ラリー、さらに『トヨタ GAZOO Racing フェスティバル(TGRF)2013』でも同様にデモ走行を行った[5]。
2014年8月29日の朝、スウェーデンの病院で肝臓ガンのため70歳で急逝。
国外選手権での成績
ビョルン・ワルデガルドの成績(国外選手権) | ||
1968年 | 第19回スウェディッシュ・ラリー | ポルシェ・911S |
1969年 | 第38回ラリー・モンテカルロ | ポルシェ・911S |
1969年 | 第20回スウェディッシュ・ラリー | ポルシェ・911S |
1970年 | 第39回ラリー・モンテカルロ | ポルシェ・911S |
1970年 | 第21回スウェディッシュ・ラリー | ポルシェ・911S |
1970年 | 第41回(オーストリア・アルパイン・ラリー) | ポルシェ・911S |
世界ラリー選手権での優勝
# イベント名 シーズン コ・ドライバー 搭乗車 1 第25回スウェディッシュ・ラリー 1975 ハンス・ソルセリウス ランチア・ストラトス HF 2 第17回ラリー・サンレモ 1975 ハンス・ソルセリウス ランチア・ストラトス HF 3 第18回ラリー・サンレモ 1976 ハンス・ソルセリウス ランチア・ストラトスHF 4 第25回サファリラリー 1977 ハンス・ソルセリウス フォード・エスコート RS1800 5 第24回アクロポリス・ラリー 1977 ハンス・ソルセリウス フォード・エスコートRS1800 6 第26回ランバードRACラリー 1977 ハンス・ソルセリウス フォード・エスコート RS1800 7 第28回スウェデッシュ・ラリー 1978 ハンス・ソルセリウス フォード・エスコート RS1800 8 第26回アクロポリス・ラリー 1979 ハンス・ソルセリウス フォード・エスコート RS1800 9 第7回(ケベック・ラリー) 1979 ハンス・ソルセリウス フォード・エスコート RS1800 10 第12回(ラリー・コートジボワール) 1980 ハンス・ソルセリウス メルセデス・ベンツ・500 SLC 11 第12回ラリー・ニュージーランド 1982 ハンス・ソルセリウス トヨタ・セリカ 2000GT 12 第15回(ラリー・コートジボワール) 1983 ハンス・ソルセリウス トヨタ・セリカ TCT 13 第32回マールボロサファリラリー 1984 ハンス・ソルセリウス トヨタ・セリカ TCT 14 第34回マールボロサファリラリーケニア 1986 フレッド・ギャラガー トヨタ・セリカ TCT 15 第18回(ラリー・コートジボワール) 1986 フレッド・ギャラガー トヨタ・セリカ TCT 16 第38回マールボロサファリラリーケニア 1990 フレッド・ギャラガー トヨタ・セリカ GT-FOUR
レース戦績
ル・マン24時間レース
脚注
関連項目
- 世界ラリー選手権
- ドライバー一覧
- ポルシェ・911
- ランチア・ストラトス
- チェーザレ・フィオリオ
- フォード・エスコート
- トヨタ・セリカ
- メルセデス・ベンツ・SLクラス
- コリン・マクレー
- (パー・ガンナー・アンダーソン)
外部リンク
- Björn Waldegård RallyBase profile