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ハッシュ (アルバム)

ハッシュ』(原題: Shades of Deep Purple)は、イギリスロックバンドディープ・パープルが1968年に発表したデビュー・アルバム

ハッシュ/ディープ・パープルI
紫の世界(旧題)
ディープ・パープルスタジオ・アルバム
リリース
録音 1968年5月11日~13日
ジャンル ハードロック
サイケデリック・ロック
時間
レーベル テトラグラマトン、ワーナー・ブラザース・レコード(再発盤)
パーロフォン
日本グラモフォンワーナーミュージック・ジャパン(再発盤)
プロデュース デレク・ローレンス
専門評論家によるレビュー
チャート最高順位
  • 24位(アメリカ[1]
  • ディープ・パープル アルバム 年表
    ハッシュ/ディープ・パープルI
    (1968)
    詩人タリエシンの世界
    (1968)
    (テンプレートを表示)

    解説

    内容

    レコーディングは、ロンドンのデ・レイン・リー・スタジオで1968年5月11日から13日まで行われ、時間も費用もさほどかからなかった[2]プロデューサーはデレク・ローレンス、エンジニアはバリー・アインスワースである。

    計9曲の収録曲のうち4曲がカバー作品。「ハッシュ」はアメリカのシンガー兼ギタリストのジョー・サウスの作品で、原曲はディープ・ソウル・シンガーのビリー・ジョー・ロイヤルが1967年に発表した[注釈 1]。「アイム・ソー・グラッド」はデルタ・ブルース・シンガーのスキップ・ジェイムスの1931年の作品[注釈 2]。「ヘルプ」はザ・ビートルズの1965年の作品。「ヘイ・ジョー」はアメリカのシンガーのビリー・ロバーツによって1962年に著作権が登録された楽曲[注釈 3]で、ディープ・パープルはモーリス・ラヴェルの「ボレロ」を彷彿とさせるリズムや、 マヌエル・デ・ファリャの『三角帽子』より、バレエ第2幕の2番「粉屋の踊り」の一節を取り入れている[注釈 4]

    5曲がオリジナル作品。「プレリュード・ハッピネス」では、リムスキー=コルサコフの『シェヘラザード』より、複数の箇所が引用されている[注釈 4]

    邦題

    日本では1969年4月にテトラグラマトンの原盤が日本グラモフォン(レーベルはポリドール)から『紫の世界』の邦題で発売された。その後テトラグラマトン・レコードの倒産によって廃盤になったが、1973年9月にワーナー・パイオニアから『ハッシュ/ディープ・パープルI』と改題されて再発売された。

    論評

    ディープ・パープルがデビューした当時はサイケデリック・ロックあるいはアート・ロックと呼ばれるジャンルが人気を集めており、ヴァニラ・ファッジクリームドアーズなどがヒット・チャートを賑わせていた。本作はそのような音楽の影響を強く受けている。デビュー当時のディープ・パープルではキーボーディストのジョン・ロードが中心的な役割を果たしており、彼らはロードの好みに合ったヴァニラ・ファッジ[注釈 5]などを模範とした音楽を演奏していた[3]

    本作では、ギターとキーボードが対等な割合を占める、というディープ・パープルのスタイルが既に確立されている。後にハード・ロック・ギタリストのパイオニアの一人と称されることになるリッチー・ブラックモアは、この時には未だそのアイデンティティを獲得していなかった。しかし、彼が主導してハード・ロック・グループとなった第二期の初期にも頻繁に演奏された「マンドレイク・ルート」や、2020年発表のアルバム『Whoosh!』で再び取り上げられた「アンド・ジ・アドレス」などは、後のハード・ロック路線を示唆しうる作品である。当時彼らは既にステージで、イアン・ペイスのドラムスを軸に、ハモンド・オルガンとギターが絡み合ったハードな即興演奏を披露していた。

    第二期の『ディープ・パープル・イン・ロック』以後の1970年代のハード・ロックこそディープ・パープルの音楽の完成品であるとすれば、このデビュー・アルバムは、そこに到達する前の試行錯誤の第一歩である。一方、このアルバムは1960年代のサイケデリック・ロックやアート・ロックとしても十分な魅力を持っている。

    収録曲

    1. アンド・ジ・アドレス - "And the Address" - 4:33
    2. ハッシュ - "Hush" - 4:21
    3. ワン・モア・レイニー・デイ - "One More Rainy Day" - 3:35
    4. プレリュード・ハッピネス〜アイム・ソー・グラッド - "Prelude:Happiness〜I'm So Glad" - 7:18
    5. マンドレイク・ルート - "Mandrake Root" - 6:03(69年発売時の邦題は「マンダラゲ」)
    6. ヘルプ - "Help" - 5:55
    7. ラヴ・ヘルプ・ミー - "Love Help Me" - 3:49
    8. ヘイ・ジョー - "Hey Joe" - 7:26
    Shades of Deep Purple (LP)
    • Side One
    #タイトル作詞・作曲時間
    1.「And the Address (アンド・ジ・アドレス)Ritchie Blackmore, Jon Lord
    2.「Hush (ハッシュ)Joe South
    3.「One More Rainy Day (ワン・モア・レイニー・デイ)Lord, Rod Evans
    4.「Prelude: Happiness〜I'm So Glad (プレリュード・ハッピネス〜アイム・ソー・グラッド)
  • Prelude: Happiness
  • I'm So Glad」
  •  
  • Blackmore, Evans, Lord, Ian Paice, Nick Simper
  • Skip James
  • 合計時間:
    Shades of Deep Purple (LP)
  • Side Two
  • #タイトル作詞・作曲時間
    1.「Mandrake Root (マンドレイク・ルート)Blackmore, Lord, Evans
    2.「Help (ヘルプ)John Lennon, Paul McCartney
    3.「Love Help Me (ラヴ・ヘルプ・ミー)Blackmore, Evans
    4.「Hey Joe (ヘイ・ジョー)Billy Roberts
    合計時間:

    参加ミュージシャン

    ディープ・パープル

    チャート

    シングル・カットされた「ハッシュ」がアメリカ[注釈 6]のビルボード誌のチャートで最高4位を記録する大ヒットとなり、本作も全米チャート24位まで上昇した。

    脚注

    [脚注の使い方]

    出典

    1. ^ Deep Purple - Awards : AllMusic
    2. ^ Popoff (2016), pp. 37–38.
    3. ^ Popoff (2016), pp. 39–40.

    注釈

    1. ^ ドイツでヒットして、当時ハンブルグで活動していたリッチー・ブラックモアの関心を惹いた。
    2. ^ クリームが1967年のデビュー・アルバム『フレッシュ・クリーム』でカバーした。
    3. ^ ジミ・ヘンドリックスがカバーして1966年12月にシングルとして発表。全英シングルチャートで最高6位を記録した。
    4. ^ a b 明記されてはいない。
    5. ^ ディープ・パープルと同様に、ギターとハモンド・オルガンとの二本立てのバンドであった。
    6. ^ アメリカではレコード会社「テトラグラマトン・レコード」と契約した。

    参考文献

    • Popoff, Martin (2016), The Deep Purple Family Year By Year Volume One (to 1979), Wymer Publishing, ISBN (978-1-908724-42-7) 

    関連項目

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