ジョン・マクスウェル・ラインハム・ラヴ (John Maxwell Lineham Love, 1924年12月7日 - 2005年4月25日) は、ローデシア出身のレーシングドライバー。1962年12月29日にF1デビューし、10戦に出走した。彼は1度の表彰台を達成し、合計6ポイントを獲得した。
ジョン・ラヴ | |
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基本情報 | |
国籍 | ローデシア |
出身地 | 同・ブラワヨ |
生年月日 | 1924年12月7日 |
没年月日 | 2005年4月25日 (80歳) |
F1での経歴 | |
活動時期 | 1962-1965,1967-1972 |
所属チーム | '62,'63,'64,'65,'67 クーパー '68 ブラバム '69,'70 ロータス '71 マーチ '72 サーティース |
出走回数 | 10 (9スタート) |
優勝回数 | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 1 |
通算獲得ポイント | 6 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
初戦 | 1962年南アフリカグランプリ |
最終戦 | 1972年南アフリカグランプリ |
ラヴはブラワヨで生まれた。彼は(トライアンフ・グランプリ)でバイクレースに参加した後、4輪レース経歴をノートン・マンクスの500ccエンジンを積んだクーパー・F3で始めた。そして、ジム・レッドマンがクーパーの整備をすることを認め、レッドマンがレースを始めることを許した。
1961年から62年にかけてケン・ティレルの(チーム)からクーパー・オースチンでヨーロッパ・フォーミュラ・ジュニアに参加し、その後1960年代には南アフリカF1選手権チャンピオンを6度獲得する。アルビでの不運な事故で腕をひどく骨折し、その怪我が事実上F1へのフル参戦を阻むこととなったが、1964年イタリアグランプリでフィル・ヒルの代役としてワークス・クーパーをドライブし、フル参戦へ近づくこととなった。それでも、彼は南アフリカグランプリのレギュラーの競争者となり、1967年のキャラミでは2.7リッターのクライマックスエンジンを搭載したクーパーでレースをリードしたが、ミスファイアのため燃料補給を行わねばならず、予定外のストップで後退し、ワークスクーパーのペドロ・ロドリゲスに次ぐ2位でフィニッシュした。
ラヴは1960年代に南アフリカのレースを支配し、1964年から69年まで南アフリカF1選手権で6度の優勝を果たした。また、ホームレースのローデシアグランプリで6度優勝した。
ラヴはブラワヨにジャガー販売代理店を所有し、1980年代には自身のストックカーレーシングチームを持っていた。
彼は2005年に80歳で癌のため死去した[1]。
F1での年度別成績
年 | 所属チーム | シャシー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | WDC | ポイント |
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1962年 | クーパー/ジョン・ラヴ | (T55) | NED | MON | BEL | FRA | GBR | GER | ITA | USA | RSA 8 | NC (22位) | 0 | ||||
1963年 | MON | BEL | NED | FRA | GBR | GER | ITA | USA | MEX | RSA 9 | NC (24位) | 0 | |||||
1964年 | クーパー | (T73) | MON | NED | BEL | FRA | GBR | GER | AUT | ITA DNQ | USA | MEX | NC (39位) | 0 | |||
1965年 | クーパー/ジョン・ラヴ | (T55) | RSA Ret | MON | BEL | FRA | GBR | NED | GER | ITA | USA | MEX | NC (36位) | 0 | |||
1967年 | (T79) | RSA 2 | MON | NED | BEL | FRA | GBR | GER | CAN | ITA | USA | MEX | 11位 | 6 | |||
1968年 | ブラバム/(ガンストン) | BT20 | RSA 9 | ESP | MON | BEL | NED | FRA | GBR | GER | ITA | CAN | USA | MEX | NC (26位) | 0 | |
1969年 | ロータス/(ガンストン) | 49 | RSA Ret | ESP | MON | NED | FRA | GBR | GER | ITA | CAN | USA | MEX | NC (29位) | 0 | ||
1970年 | RSA 8 | ESP | MON | BEL | NED | FRA | GBR | GER | AUT | ITA | CAN | USA | MEX | NC (29位) | 0 | ||
1971年 | マーチ/(ガンストン) | 701 | RSA Ret | ESP | MON | NED | FRA | GBR | GER | AUT | ITA | CAN | USA | NC (44位) | 0 | ||
1972年 | サーティース/(ガンストン) | TS9 | ARG | RSA 16 | ESP | MON | BEL | FRA | GBR | GER | AUT | ITA | CAN | USA | NC (35位) | 0 |
参照
- ^ Jenkins, Richards. “Where are they now ? John Love”. OldRacingCars.com. 2012年12月7日閲覧。
外部リンク
- F1 Rejects - To Have Loved and Lost
スポーツの記録 | ||
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先代 (ジョン・ウィットモア) | イギリスツーリングカー選手権チャンピオン 1962 | 次代 (ジャック・シアーズ) |
先代 無し | 南アフリカF1選手権チャンピオン 1964-1969 | 次代 デイヴ・チャールトン |