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ジャコモ・アゴスチーニ

ジャコモ・アゴスチーニGiacomo Agostini1942年6月16日 - )は、イタリア出身の元モーターサイクルロードレーサー[1]。イタリア語で「針」という意味の「Ago(アーゴ)」というニックネームで知られた。1960年代-1970年代にかけてロードレース世界選手権で活躍、500ccクラスと350ccクラスで122回の優勝を果たし、計15ものタイトルを獲得している。史上最高のロードレーサーと見なされ[1]、68勝と8度のタイトルを500ccで記録し、残りは350ccでの記録である。

ジャコモ・アゴスチーニ
2022年
生年月日 (1942-06-16) 1942年6月16日(80歳)
ローヴェレ
レースでの経歴
ロードレース世界選手権
活動期間1964年 - 1977年
初レース1963年 250cc ネイションズグランプリ
最終レース1977年 500cc イギリスグランプリ
初勝利1965年 350cc ドイツグランプリ
最終勝利1976年 500cc ドイツグランプリ
チームMVアグスタ, ヤマハ, スズキ
チャンピオン350cc - 1968年, 1969年, 1970年, 1971年, 1972年, 1973年, 1974年
500cc - 1966年, 1967年, 1968年, 1969年, 1970年, 1971年, 1972年, 1975年
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
186 122 159 9 117 1493
マン島TTレースでの経歴
出場回数8 ((1965) - (1972))
優勝回数10
初勝利(1966年ジュニアTT)
最終勝利(1972年シニアTT)
表彰台13

1999年にMotoGP殿堂(Motorcycle Hall of Fame)入りしている。

概要

初期の経歴

ロンバルディア州ブレシアで父親アウシリオと母親マリア・ヴィットーリアの間に生まれた。一家はローヴェレの出で、そこで父親は地元の議会に雇われていた。4人兄弟の長男であったアゴスチーニは初めヒルクライム、次いでロードレースを行うようになったが、父親は息子のモータースポーツを快く思わず、アゴスチーニは父親を説得しなければならなかった[1]

結局、父親はレース活動を許可し、アゴスチーニは1963年にイタリア175cc選手権にモト・モリーニで勝利した。モリーニのファクトリーライダー、タルクィニオ・プロヴィーニベネリに移籍し、その後任としてファクトリーライダーになることでアゴスチーニはブレイクした。アルフォンソ・モリーニ伯は若きアゴスチーニを起用した[1]1964年、アゴスチーニはイタリア350cc選手権のタイトルを獲得し、モンツァで行われたイタリアGPで4位に入ることでその能力を示した[2]

世界選手権へ

これらの結果はドメニコ・アグスタ伯の目にとまり、アゴスチーニはMVアグスタと契約、マイク・ヘイルウッドのチームメイトとなった[1]1965年シーズン、アゴスチーニは350ccクラスでホンダジム・レッドマンとタイトルを争った。シーズン最終戦、日本GPで彼のマシンは不調となり、タイトルはレッドマンの物となった。

 
1968年

1965年シーズンが終わると、ヘイルウッドは気難しいアグスタ伯の下で走るのに嫌気がさしホンダに移籍した。アゴスチーニはMVアグスタの第1ライダーとなり、彼はそれに応えて500ccのタイトルを7年連続で獲得した[1]。彼はまた、350ccのタイトルも7回獲得し、マン島TTレースも10回制した。彼は現在もイギリス人以外で同レースを10回制した唯一のライダーである。1967年シーズンはヘイルウッドとタイトル争いをすることになるが、グランプリ史上最もドラマチックなシーズンの1つとなった。最終戦はヘイルウッドが勝利し、両名とも5勝を挙げたものの、有効ポイントの差でアゴスチーニがタイトルを獲得した。

 
350cc練習走行(1976年、ニュルブルクリンク

(1972年のマン島TTレース)で(ジルベルト・パロッティ)が事故死し、アゴスチーニは2度とマン島TTレースに参加しないと発表、グランプリ界に激震が走った。彼は37マイルのコースが世界選手権を戦うには危険だと考えた。当時TTレースはカレンダーの中で最も権威のあるレースであった。その他のトップライダーも彼のボイコットに賛同し、1977年にマン島TTはグランプリのカレンダーから外れることとなった。

アゴスチーニは1974年シーズンをヤマハで戦うと発表し、レース界を驚かせた。日本メーカーのファクトリーライダーとして彼は、アメリカでの2輪レースで最も権威のある(デイトナ200)で勝利した[3]。その年彼は350ccのタイトルを獲得したものの、500ccは負傷と機械的問題のためタイトルを逃がした。1975年は500ccのタイトルを獲得、2ストロークマシンで最高峰クラスを初めて制することとなった。

1975年のタイトルはアゴスチーニにとって最後のタイトルとなった。1976年、彼は500ccにスズキとMVアグスタで参加し、350ccではアッセンで唯一勝利した。ニュルブルクリンクでは500ccにMVアグスタで参加、優勝したがこれが最後の勝利となった。この勝利は4ストロークマシンにとっても最後の勝利となった。

1977年シーズンは復帰したヤマハで戦いシーズン6位となった。この年をもってアゴスチーニは世界GPを引退、同様に750cc耐久も引退した。

ジャコモ・アゴスチーニ
基本情報
英国F1経歴
活動時期 (1979)-(1980)
レース数 23
タイトル 0
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 7
通算獲得ポイント 41
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
(テンプレートを表示)

その後の活動

4輪レース

ジョン・サーティースマイク・ヘイルウッドと同様に、2輪引退後にF1選手権に参加した。1978年にノンタイトル戦に参戦したのち、ヨーロピアン・フォーミュラ2シリーズに(シェブロン)B42-BMWで、(ブリティッシュフォーミュラ1選手権)に自身のチームでウィリアムズ・FW06で参戦する。1980年に全てのレースから引退した[4]

チーム監督として

1982年マールボロヤマハ・チーム監督としてオートバイレースに復帰した。監督として、エディ・ローソンと共に3度の500ccタイトルを獲得、グレーム・クロスビーケニー・ロバーツといった成功したライダーを起用した。チームは1982年のデイトナ・フォーミュラ1(クロスビー)、1983年および1984年のデイトナ・フォーミュラ1(ロバーツ)、1986年のデイトナ・スーパーバイク選手権(ローソン)のタイトルも獲得した。1986年から1990年までチームは250ccクラスにも参戦、ルカ・カダローラマーチン・ウィマーアレックス・クリビーレを起用した。

1992年からはカジバ・ファクトリーチームの監督となり、1994年にカジバが撤退するまで同職を務めた。1995年ドリアーノ・ロンボニを起用してホンダのマシンで250ccに参戦したが、これが最後のシーズンとなった。

戦績

1968年までのポイント制度:

順位 1 2 3 4 5 6
得点 8 6 4 3 2 1

1969年以降のポイント制度:

順位 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
得点 15 12 10 8 6 5 4 3 2 1
クラス 車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 ポイント 順位
1963年 250cc モト・モリーニ (ESP) (GER) (IOM) (NED) (BEL) (ULS) (DDR) (NAT)
Ret
(ARG) JPN 0 NC
1964年 250cc モト・モリーニ (USA) (ESP) (FRA) (IOM) (NED) (BEL) (GER)
4
(DDR) (ULS) (NAT)
4
JPN 6 12位
1965年 350cc MVアグスタ (GER)
1
(IOM)
3
(NED)
3
(DDR)
Ret
(CZE)
Ret
(ULS) (FIN)
1
(NAT)
1
JPN
5
32 2位
500cc MVアグスタ (USA) (GER)
2
(IOM)
Ret
(NED)
2
(BEL)
2
(DDR)
2
(CZE)
2
(ULS) (FIN)
1
(NAT)
2
32 2位
1966年 350cc MVアグスタ (GER)
Ret
(FRA)
2
(NED)
2
(DDR)
1
(CZE)
2
(FIN)
Ret
(ULS)
2
(IOM)
1
(NAT)
1
JPN 42 2位
500cc MVアグスタ (GER)
2
(NED)
2
(BEL)
1
(DDR)
Ret
(CZE)
2
(FIN)
1
(ULS)
2
(IOM)
2
(NAT)
1
36 1位
1967年 350cc MVアグスタ (GER)
2
(IOM)
2
(NED)
2
(DDR)
2
(CZE)
7
(ULS)
1
(NAT)
Ret
JPN 32 2位
500cc MVアグスタ (GER)
1
(IOM)
Ret
(NED)
2
(BEL)
1
(DDR)
1
(CZE)
2
(FIN)
1
(ULS)
20
(NAT)
1
(CAN)
2
46 1位
1968年 350cc MVアグスタ (GER)
1
(IOM)
1
(NED)
1
(DDR)
1
(CZE)
1
(ULS)
1
(NAT)
1
32 1位
500cc MVアグスタ (GER)
1
(ESP)
1
(IOM)
1
(NED)
1
(BEL)
1
(DDR)
1
(CZE)
1
(FIN)
1
(ULS)
1
(NAT)
1
48 1位
1969年 350cc MVアグスタ (ESP)
1
(GER)
1
(IOM)
1
(NED)
1
(DDR)
1
(CZE)
1
(FIN)
1
(ULS)
1
(NAT) (YUG) 90 1位
500cc MVアグスタ (ESP)
1
(GER)
1
(FRA)
1
(IOM)
1
(NED)
1
(BEL)
1
(DDR)
1
(CZE)
1
(FIN)
1
(ULS)
1
(NAT) (YUG) 105 1位
1970年 350cc MVアグスタ (GER)
1
(YUG)
1
(IOM)
1
(NED)
1
(DDR)
1
(CZE)
1
(FIN)
1
(ULS)
1
(NAT)
1
(ESP) 105 1位
500cc MVアグスタ (GER)
1
(FRA)
1
(YUG)
1
(IOM)
1
(NED)
1
(BEL)
1
(DDR)
1
(FIN)
1
(ULS)
1
(NAT)
1
(ESP) 90 1位
1971年 350cc MVアグスタ (AUT)
1
(GER)
1
(IOM)
Ret
(NED)
1
(BEL)
1
(DDR)
1
(CZE)
Ret
(SWE)
1
(FIN)
1
(ULS) (NAT)
Ret
(ESP) 90 1位
500cc MVアグスタ (AUT)
1
(GER)
1
(IOM)
1
(NED)
1
(BEL)
1
(DDR)
1
(SWE)
1
(FIN)
1
(ULS) (NAT)
Ret
(ESP) 90 1位
1972年 350cc MVアグスタ (GER)
2
(FRA)
4
(AUT)
1
(NAT)
1
(IOM)
1
(YUG)
Ret
(NED)
1
(DDR)
Ret
(CZE)
Ret
(SWE)
1
(FIN)
1
(ESP) 102 1位
500cc MVアグスタ (GER)
1
(FRA)
1
(AUT)
1
(NAT)
1
(IOM)
1
(YUG)
Ret
(NED)
1
(BEL)
1
(DDR)
1
(CZE)
1
(SWE)
1
(FIN)
1
(ESP) 105 1位
1973年 350cc MVアグスタ (FRA)
1
(AUT)
Ret
(GER)
Ret
(NAT)
1
(IOM) (YUG) (NED)
1
(CZE)
2
(SWE)
2
(FIN)
1
(ESP) 84 1位
500cc MVアグスタ (FRA)
Ret
(AUT)
Ret
(GER)
Ret
(NAT)
C
(IOM) (YUG) (NED)
Ret
(BEL)
1
(CZE)
1
(SWE)
2
(FIN)
1
(ESP) 57 3位
1974年 350cc ヤマハ (FRA)
1
(GER) (AUT)
1
(NAT)
1
(IOM) (NED)
1
(SWE)
DNS
(FIN) (YUG)
1
(ESP) 75 1位
500cc ヤマハ (FRA)
Ret
(GER) (AUT)
1
(NAT)
Ret
(IOM) (NED)
1
(BEL)
2
(SWE)
Ret
(FIN) (CZE)
6
47 4位
1975年 350cc ヤマハ (FRA)
2
(ESP)
1
(AUT)
Ret
(GER)
Ret
(NAT)
2
(IOM) (NED)
4
(FIN)
2
(CZE)
Ret
(YUG) 59 2位
500cc ヤマハ (FRA)
1
(AUT)
Ret
(GER)
1
(NAT)
1
(IOM) (NED)
2
(BEL)
Ret
(SWE)
Ret
(FIN)
1
(CZE)
2
84 1位
1976年 350cc MVアグスタ (FRA)
Ret
(AUT)
Ret
(NAT)
Ret
(YUG)
Ret
(IOM) (NED)
1
(FIN)
Ret
(CZE)
Ret
(GER)
Ret
(ESP) 15 15位
500cc MVアグスタ (FRA)
5
(AUT)
6
(GER)
1
26 7位
スズキ (NAT)
Ret
(IOM) (NED)
Ret
(BEL)
Ret
(SWE) (FIN)
Ret
(CZE)
Ret
1977年 350cc ヤマハ (VEN) (GER)
2
(NAT)
8
(ESP)
-
(FRA)
11
(YUG)
-
(NED)
-
(SWE)
13
(FIN)
-
(CZE)
10
(GBR)
-
16 16位
500cc ヤマハ (VEN) (AUT) (GER) (NAT)
5
(FRA)
2
(NED)
Ret
(BEL)
8
(SWE)
9
(FIN)
Ret
(CZE)
2
(GBR)
9
37 6位

フォーミュラ750成績

クラス 車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 ポイント 順位
1975年 750cc ヤマハ (USA)
4
ITA 1 ITA 2 (BEL 1) (BEL 2) FRA 1 FRA 2 SWE 1 SWE 2 FIN 1 FIN 2 SIL 1 SIL 2 NED 1 NED 2 GER 1 GER 2 8 21位
1976年 750cc ヤマハ (USA) (VEN 1) (VEN 2) ITA 1 ITA 2 ESP 1 ESP 2 BEL 1 BEL 2 FRA 1 FRA 2
3
SIL 1 SIL 2 NED 1 NED 2
1
GER 1 GER 2 12 18位
1977年 750cc ヤマハ (USA) ITA 1 ITA 2
3
ESP FRA 1 FRA 2 GBR 1 GBR 2 AUT
2
BEL 1 BEL 2 NED 1
4
NED 2
4
USA 1 USA 2 CAN 1 CAN 2 GER 1
1
GER 2
1
45 3位

ブリティッシュフォーミュラ1選手権成績

((凡例))

チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 順位 ポイント
(1979年) ジャコモ・アゴスチーニ ウィリアムズFW06 コスワース ZOL
9
OUL
6
BRH
5
(MAL)
Ret
SNE
2
THR
6
ZAN
3
DON
9
OUL
3
NOG
Ret
(MAL)
Ret
BRH
Ret
THR
6
SNE
7
SIL
7
8位 19

参照

  1. ^ a b c d e f Giacomo Agostini at the Motorcycle Hall of Fame
  2. ^ 50 Years Of Moto Grand Prix. (1999)(1st Ed). Hazelton Publishing Ltd. (ISBN 1-874557-83-7)
  3. ^ Daytona 200 winners at www.motorsportsetc.com
  4. ^ Giacomo Agostini auto racing career profile

外部リンク

  • Giacomo-Agostini.com - Official site
  • Giacomo Agostini at the Motorcycle Hall of Fame
  • Giacomo Agostini career statistics at MotoGP.com
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