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シンデレラエキスプレス

シンデレラエキスプレスは、松竹芸能所属の日本お笑いコンビ。(関西演芸協会)会員。略称は「シンプレ」。

シンデレラエキスプレス
メンバー 松井成行
渡辺裕薫
別名 シンプレ
結成年 1988年
事務所 松竹芸能
活動時期 1988年9月 -
出身 松竹芸能養成所
芸種 漫才
現在の代表番組 ひょうご発信!
過去の代表番組 森脇伝説(渡辺)
進ぬ!電波少年(松井)
エキスプレス ザ・ムービー(渡辺) など
公式サイト 公式プロフィール
受賞歴
1989年 第19回NHK上方漫才コンテスト 優秀賞
1990年 第11回ABCお笑い新人グランプリ 審査員特別賞
1991年 よみうりテレビ めざせ!21世紀の漫才グランプリ 準優勝
1993年 第12回高田文夫杯争奪 OWARAIゴールドラッシュ 優勝
2009年 第44回上方漫才大賞 奨励賞
(テンプレートを表示)

1988年結成。名前の由来は、JR東海シンデレラ・エクスプレス。しかし、そのまま使用すると何かと問題がある為『ク』を『キ』に差し替えている。関西を中心にテレビ・ラジオで活躍している。

メンバー

松井 成行(まつい なりゆき、1964年9月16日 - /大阪府門真市出身)

  • 身長 172cm、体重 60kg。趣味は韓国ドラマ野球観戦(熱狂的読売ジャイアンツファン[1])、ボクシング(世界戦のビデオ収集)、沖縄旅行読書。2009年5月に結婚を発表[1]
  • 笑福亭仁鶴の物真似が得意で、『バラエティー生活笑百科』(NHK総合)に出演する時も本人を前にしてモノマネを披露している。「上方漫才大賞」奨励賞を受賞した際にも、仁鶴のギャグ「嬉しかるかる」で喜びを表現した。
  • 進ぬ!電波少年』(日本テレビ)内のコーナー「(電波少年的ペナントレース)」に「熱狂的巨人ファン」として出演していた。
  • 松竹の先輩である森脇健児からは「やたけた男」という称号をもらっている。
  • 辛い食べ物が苦手。
  • 初めての余興先となった大分県別府市楽屋にて、3代目桂春団治の目に酢橘の汁を飛ばしてしまい怒られたことがある。
  • マツコ・デラックス従兄弟にあたる(松井の母がマツコの父の妹)[2]
  • イベントで松井は「約3年前に(マツコが)テレビ出演している事を母から聞いて知った」と語り、「(自分とマツコは)お互いひとりっ子なので、自分が子孫を残さないと松井家が終わってしまう」と感じたために結婚を決意したという[3]。また、『さんまのまんま』(フジテレビ)でマツコが「物心ついたときから、従兄弟のお兄ちゃんとお風呂に入ってドキドキしてたような」という発言をした事に対し、松井は「いとこの中で男は自分だけなので、俺のことかも」と言及している[2]

渡辺 裕薫(わたなべ ひろしげ、1967年11月3日 - /アメリカ合衆国ニューヨーククイーンズ生まれ)

  • 龍谷大学経営学部卒業、身長 158.5cm、体重 50.5kg、2003年より日本アカデミー協会員として投票権を持ち、年間200本近く映画を観賞。阪急ブレーブス、昭和プロレスWWEファン、既婚。豊中市在住。
  • 龍谷大学では「落語研究会」に所属。
  • アメリカ合衆国ニューヨーク生まれだが、説明するのが面倒臭い時は「奈良県桜井市出身」と言っている。20歳までアメリカと日本の二重国籍だったが、20歳の時に日本国籍を選ぶ。父が42歳の時の子供。3人兄弟の末弟で、8歳上の長兄は兵庫県立大学教授で高度産業科学技術研究所所長、EUVリソグラフィー研究開発センター長の渡邊健夫(わたなべ たけお)[4] 。2002年頃、長男が生まれる。
  • 三吾・美ユルの三吾(父)の物真似が得意。
  • 上方柳次の妻が劇場の楽屋で、肩にオウムを乗せて歩いているのを見たことがある。
  • 相方・松井が『進ぬ!電波少年』出演で大阪を離れていた時期、(ミナミのど真ん中ホール)の杮落とし公演で新野新漫才をしていた。
  • 手作りの月刊新聞「シンプレ新聞」を制作し、劇場の関係者や観客たちへの配布を10年以上続けている。
  • オタクが穿く「霜降りジーンズ」の名付け親だといわれている。
  • ロッテガーナチョコレート」が好物。
  • 2021年9月、スペル・デルフィンが新たに設立する「2・5次元女子プロレス」(後に2point5女子プロレスに改称)に、運営スタッフとして参画することが明らかになった[5]
  • 阪急ファンになったのは小学校の時に加藤秀司から同級生への年賀状を見て。阪急ファンをやめられない理由は小5と中1の時に上田監督と電話でしゃべったから。

略歴

  • 1988年4月 - 松井が養成所に入所。
  • 1988年8月 - 渡辺が養成所に入所。
  • 1988年9月 - 『ナイトinナイト』(朝日放送テレビ)の素人参加型のコーナーに別々に出演し、帰りに店で一緒にラーメンを食べている時に意気投合しコンビ結成。
  • 現在松竹では同期芸人はいない(女性タレントでは小川恵理子がいる[6])。比較的に近い世代によゐこがいる。吉本興業NSCでは7期生に当たる。当時よくコンテストなどでリットン調査団オールディーズ(解散、木村祐一)らと一緒になっていた。
  • 劇場デビューの際、劇場の老人客にさっぱりウケず、楽屋で落ち込んでいるとき、3代目平和ラッパ・日佐丸に「ビクビクすんな! 堂々とせい!」とアドバイスを受ける。その翌日、日佐丸は借金が原因で姿をくらました。
  • 「船上パーティー」の仕事で遅刻してしまった松井は、漁船を乗り継いで追いついてきたことがある。同じ現場に居た正司敏江・玲児の玲児は、渡辺に「いい相方持ったな」と松井を讃える言葉を述べたという。

受賞歴

出演

テレビ

  • 過去ゲスト出演も含む

ラジオ

その他

  • コラム
    • 「Lマガジン」※渡辺
  • 映画
  • イベント・舞台
    • 「夕刊シンプレ新聞社」(嘗てはB1角座TENGEKIで開催)
    • 「シンプレ松井のトーキングベースボールin赤鬼」※松井のみ

脚注

  1. ^ a b “シンデレラエキスプレス・松井成行、6歳下OLとの結婚を発表”. ORICON STYLE (オリコン). (2009年5月17日). https://www.oricon.co.jp/news/66178/full/ 2015年8月25日閲覧。 
  2. ^ a b 「週刊文春」2011年6月30日号より
  3. ^ 「スポーツ報知」2011年6月26日号より
  4. ^ [1]
  5. ^ 元アイドルななみにこ「2・5次元女子プロレス」合格 半年後デビューへ - 日刊スポーツ・2021年9月26日
  6. ^ 「渡辺日記」2001年8月31日より。

外部リンク

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