来歴
大阪府東大阪市の出身。血液型AB型。元実業団のバレーボール選手。大阪の佐川満男の店で歌っているところをスカウトされ、ロス・インディオスに初代女性ボーカリストとして参加。ロス・インディオス&シルヴィアとして、1979年にリリースされたデビュー曲「別れても好きな人」がミリオンセールスとなり、一躍スター歌手となる。その後も、ロス・インディオスと活動を共にしていたが、83年に菅原洋一と歌ったデュエット曲「アマン」がヒット。これを転機にひとり立ちしてソロ歌手としても活動を始める。
ソロ活動はイベントやディナーショーが中心で、自身のヒット曲を観客の1人とデュエットするコーナーのほか、彼女の音楽的ルーツであるブラジル音楽も取り入れ、ボサノバの「イパネマの娘」やナラ・レオンが日本のCMのために録音した「あの日からサウダージ」の日本語訳も歌う。
その後、東京プリンやエド山口とのコミカルなデュエット曲を発売した。生前最後のレコードは「(愛の街 稲城)」(クラウンレコード)であり、友人であるシンガーソングライターの塚本正治より「唄」という楽曲を提供され、練習中だった。
2009年(平成21年)に精密検査の結果、肺癌であることが判明。2010年(平成22年)11月28日に東京都港区の病院で、長男である歌手の中山貴大[1]に看取られ死去した。52歳だった。
代表曲
- 別れても好きな人(1979.9) オリコン最高4位,90.0万枚
- それぞれの原宿(1980.12) オリコン最高43位,6.4万枚
- うそよ今夜も(1981.7) オリコン最高95位,0.6万枚
- 雨にしのんで(1982.3) 作曲は来生たかお
- おもい手(1982.9) (以上、ロス・インディオス&シルヴィアとして)
- アマン(菅原洋一とのデュエット)(1982.11) オリコン最高134位
- 愛のキャラバン(1983.8) 作詞・作曲は谷村新司(ソロデビュー曲)
- Let's Dream(1988.9) 日立建機イメージソング
- 離婚適齢期(1992.5)
- 二股の女(東京プリンとのデュエット)(1999.3) (えんか!!えいべっくす)
- ムードコーラス命です。(エド山口とのデュエット)(2003.6) (日本コロムビア)
- 能登空港(三輪一雄とのデュエット)(2006.6)「(能登空港)」
- 東京の男が好きなんか(2007.1) カップリングに「別れても好きな人」ハワイアンバージョンを収録(徳間ジャパン)
- 愛の街 稲城(クラウン)
NHK紅白歌合戦出場歴
CM
- 「味の素のほんだし」
- 「タカノユリビューティクリニック」
- 「さつま小鶴」
ラジオ番組
- 「シルヴィアの別れても好きな曲」(アール・エフ・ラジオ日本、毎週土曜日17時40分から17時55分)
テレビドラマ出演
- (新・女捜査官) 第14話「闇の踊るホステス連続紋殺魔」(朝日放送、1983年7月15日)
グラビア
関連項目
- 篠原裕明 - テレビ東京の政治部記者。小学生の時に、シルヴィアの熱烈なファンとして『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』に出演した。
出典
- ^ “シルヴィアさん、がん死 前夫と一人息子が献身看護も”. ZAKZAK. 株式会社 産経デジタル(SANKEI DIGITAL INC.) (2010年11月29日). 2016年12月25日閲覧。