サンボ浅子(サンボあさこ、1963年8月27日 - 2004年5月18日)は、日本のプロレスラー。本名:浅子 文晴(あさこ ふみはる)。
経歴
中学2年生より柔道をはじめ、柔道家を経て、1982年の世界サンボ選手権で活躍後、第一次UWFやジャパン女子プロレスの営業マンとして働いていたが、1989年10月に大仁田厚が旗揚げしたFMWに初期のレスラーとして参加。同年12月1日、対徳田光輝戦でプロデビュー。
大仁田、ターザン後藤に次ぐFMW第3の男と呼ばれ、憎まれない人柄とサンボ仕込みのファイトスタイルでファンに親しまれ大仁田軍団の一員として活躍していたが、持病の糖尿病で体調を崩して1995年1月5日に行われた後楽園ホール大会の大仁田戦で現役を引退。
1997年2月に現役復帰して、その後下記著作を上梓。レスラー活動を再開したかに思われたが病状は悪化しており、2002年11月、糖尿病による壊疽で右足を切断。緑内障で右目の視力をほとんど失い車椅子生活を余儀なくされながらも、仲間レスラー達が闘病中の病室へ激励に駆けつけて勇気付け、リハビリに励んでいた。
2003年5月25日には、ディファ有明で「がんばれ、サンボ浅子」と題した大仁田厚自主興行(旧FMWのメンバーやWMFも協力)が開催された。その興行に先立って同じく車椅子生活でリハビリを続けるハヤブサらと共に記者会見に出席し感謝とエールを述べていたが、2004年5月18日に東京都内の病院で死去。40歳没。
映画出演
- 柔道家時代に高校の柔道選手として出演。
著作
- プロレス界の愉快な仲間たち―サンボ浅子復帰記念(1997年12月、リム出版新社刊) (ISBN 4898001114)
テレビゲーム
- ゲーム中にレスラーとして本人が登場する。
外部リンク
- スポーツナビ:大仁田興行「がんばれ浅子」にハヤブサが提供試合