『コミュニケーションカーニバル 夢工場'87』(コミュニケーションカーニバル ゆめこうじょうはちじゅうなな)とは、1987年7月18日から8月30日まで日本で開催されたフジサンケイグループ・フジテレビ・関西テレビ・ニッポン放送・ラジオ大阪主催のイベント[1]。東京・晴海の東京国際見本市会場と大阪・南港の大阪国際見本市会場(インテックス大阪)で行われた。
コミュニケーションカーニバル 夢工場'87 Communication Carnival "Dream Machine '87" | |
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夢工場'87 大阪会場 | |
イベントの種類 | 博覧会 |
通称・略称 | 夢工場 |
正式名称 | コミュニケーションカーニバル 夢工場'87 |
開催時期 | 1987年7月18日 - 8月30日 |
会場 | 東京国際見本市会場 大阪国際見本市会場 |
主催 | フジサンケイグループ フジテレビジョン 関西テレビ放送 ニッポン放送 ラジオ大阪 |
プロデューサー | 鹿内春雄 |
このイベントの後も、フジテレビはお台場地区などを会場として、ゴールデンウィークや夏休み期間などにイベントを開催している。詳細については(フジテレビジョンの項)を参照のこと。
また、このイベントに絡んで、アイドル夢工場というアイドルユニットが結成されたり、任天堂との共同製作によるゲームソフト『夢工場ドキドキパニック』の発売などの展開が行われた。
逸話
『ひらけ!ポンキッキ』などの元プロデューサー・太地恒夫がフジテレビを退社しリオデジャネイロに移住していたところ、当時フジテレビ会長であった鹿内春雄より、阿久悠、石ノ森章太郎、江本孟紀、木原光知子、さいとう・たかを、萬田久子、残間里江子などの友人を連れてリオのカーニバルを見に行きたいとの要望を受けた。太地はこれに応じ、ありきたりの観光コースではなく豪華なヨットをチャーターした船上パーティーをセッティングし、当時13歳であった天才バンドリン奏者の(ニウジ・カルヴァーリョ)のバンドがその場を盛り上げ、参加者一同はブラジルやサンバに魅了された。鹿内は夢工場の最終日に太地を招待した際、夢工場の発想はこの時に生まれたものだと語っている。
パビリオン
ライブ
テレビ中継
- 土曜大好き!830
- 森田一義アワー 笑っていいとも!
- ブラボー!夢工場 (フジテレビのみで放送)
- 夕やけニャンニャン
- 7月20日からの1週間、番組全編を会場から生中継した。
夢工場関連
- FNNニュース工場
- (FNSスーパースペシャル一億人のテレビ夢列島)(現・『FNS27時間テレビ』)
- 夢工場ドキドキパニック
- (あんみつ姫(アニメ版)) - 設定が江戸時代にもかかわらず、第41話で甘辛藩全メンバーが夢工場見物に出掛けるシーンが描かれた。
脚注
- ^ 「放送日誌(62年7月)」『月刊民放』1987年10月号(196)、コーケン出版、52頁、(NDLJP):3471022/27。
関連項目
外部リンク
- - ウェイバックマシン(2003年4月8日アーカイブ分)