グロリア・エステファン(Gloria Estefan、出生名:Gloria Maria Fajardo、1957年9月1日 - )は、キューバ生まれのアメリカの歌手。
略歴
父親はかつての大統領であったフルヘンシオ・バティスタのボディガードを務めるなど、優秀なキューバ軍人として活躍していたが、革命後の1960年に家族と共にマイアミに移住した。亡命後、父親は米軍に入隊し母親は教師になった。グロリアは私立のカトリック系の高校を経て、奨学金を得てマイアミ大学に入学し、心理学とフランス語を専攻した。彼女は英語、スペイン語、フランス語に堪能であったため、大学在学中にCIAから語学担当スタッフとしてスカウトされたほど優秀な学生であった。
1975年に、のちの夫となる(エミリオ・エステファン)が率いるバンド「マイアミ・ラテン・ボーイズ」に参加し、1978年9月2日にエミリオと結婚。バンドは「マイアミ・サウンド・マシーン」と改名して1980年代に「ドクター・ビート」「コンガ」など数々のヒットを飛ばし、1987年には「グロリア・エステファン&マイアミ・サウンド・マシーン」と表記するようになった。
1989年、グロリア・エステファン単独名義では1枚目となるアルバム『カッツ・ボース・ウェイズ』を発表。
順調にヒット曲を重ねたグロリアであったが、1990年3月、乗車中のバスにトラックが追突する交通事故に遭遇。脊髄に重傷を負うが、1年間のリハビリの末に復帰した。
1994年にはシルヴェスター・スタローン主演映画『スペシャリスト』の主題歌「(ターン・ザ・ビート・アラウンド)」を歌った。
1996年にアトランタで開催されたアトランタオリンピックの閉会式では「リーチ」を大観衆の前で歌った。
人物
夫婦共に親日で新婚旅行は熱海温泉。1990年には松田聖子の全米進出アルバム『Seiko』にプロデューサーとソングライターとして参加。
NFLのマイアミ・ドルフィンズの少数株主でもある[2]。
ディスコグラフィ
- Eyes of Innocence(1984年) (Miami Sound Machine)
- Primitive Love(1985年) (Miami Sound Machine)
- Let It Loose / Anything for You(1987年) (Gloria Estefan and Miami Sound Machine)
- Cuts Both Ways(1989年)
- Into the Light(1991年)
- Mi Tierra(1993年)
- Christmas Through Your Eyes(1993年)
- Hold Me, Thrill Me, Kiss Me(1994年)
- Abriendo Puertas(1995年)
- Destiny(1996年)
- Gloria!(1998年)
- Alma Caribeña(2000年)
- Unwrapped(2003年)
- 90 Millas(2007年)
- Miss Little Havana(2011年)
- The Standards(2013年)
- Brazil305(2020年)
関連作品
舞台
- 『オン・ユア・フィート!』(2015年 アメリカ初演)
日本公演
脚注
外部リンク
- 公式ウェブサイト
- Gloria Estefan Official Facebook
- Gloria Estefan Official Fan TV
- Conga OnLine Fans
- グロリア・エステファン 日本語公式ホームページ