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ガーセム・ソレイマーニー

ガーセム・ソレイマーニーペルシア語: قاسم سلیمانی‎、Qasem Soleimani [ɢɒːˌsem(e) solejmɒːˈniː]1957年3月11日 - 2020年1月3日)は、イランの軍人。イスラム革命防衛隊の一部門で、イラン国外でも特殊作戦を行うゴドス部隊(Quds Force[11])の司令官を務めた。日本語メディアではガセム・ソレイマニ[12][13][14]カセム・ソレイマニ[15]、またカセム・スレイマニ[16][17][18][19]とも表記される。

少将 (イスラム革命防衛隊の守護者)

ガーセム・ソレイマーニー
渾名" ガーセムハッジ" (中東での渾名)[1]
"影の司令官" (西欧での渾名)[2][3][4][5][6]
生誕 (1957-03-11) 1957年3月11日
イラン帝国, ケルマーン州
死没2020年1月3日(2020-01-03)(62歳)
イラク
所属組織 イラン
部門 イスラム革命防衛隊
軍歴1980—2020年1月3日
最終階級 少将
部隊ゴドス部隊
指揮ケルマーン州タサララ地区第41師団
ゴドス部隊
戦闘
以下の戦闘

1979年クルド反乱


イラン・イラク戦争


クルド人民民主党の反乱


南レバノン紛争


アフガニスタン侵攻[7]


イラク戦争

  • 米軍カルバラ地区司令部襲撃事件

イエメンのフーシの乱[8]


イラン・イスラエル代理紛争

  • イスラエル・ガザ紛争

シリア内戦

  • 2013年アル=クサイル攻勢
  • 2015年シリア南部攻勢[9]
  • 2015年ザバダニの戦い
  • シリア北西部攻勢 (2015)
  • 2015年アレッポ南部攻勢 (2015)
  • 2015年クワイア攻勢 (2015)
  • 2015年ラタキア攻勢
  • 2015年アレッポ東部攻勢 (2015–present)
  • 2019年アレッポ北部攻勢

(イラク内戦)

受賞 勝利勲章 第3等[10]

経歴

少将。1957年3月11日、ケルマーン州ラーボル郡(カナーテ・マレク村)(英語版) 出身。

従軍前

青年期は建築労働者として父の負債を返済するために働いた。1975年にケルマーン州の水道局の請負人として働いた[20]イラン革命後に設立されたイスラム革命防衛隊へ1979年に入隊した。

従軍後

入隊後、軍事訓練はほとんど受けないままに出世を重ね、軍人としてのキャリアの初期に西アーザルバーイジャーン州におけるクルド人独立勢力の鎮圧に参加した[21]イラン・イラク戦争の際は戦場に加わり、指揮官として参加した。従軍後すぐにその勇敢さを認められ[22]、20代で師団長となりほとんどの戦線に参加した[23]。 イラン・イラク戦争後の1990年代はケルマーン州のイラン革命防衛隊の司令官に就任し、軍事経験を生かしてイランとアフガニスタンの国境において麻薬密輸団との戦いに従事し、イランの東側の国境での麻薬の密売阻止に成果を上げた[21]

その後、2010年代にはサウジアラビアの駐米大使暗殺未遂事件への関与やイラク軍ISILへ奪還作戦を行った際は現地入りし、地元民兵組織の作戦調整などを行っていた。

ソレイマーニーは米国テロ関係者リストに記載されており、2007年以降米国民は同氏との経済活動を禁じられていた[24][25]欧州連合官報が2011年6月24日に発表した制裁リストには、シリアアサド政権に資金提供しているとされるシリアの不動産企業、投資ファンド、および2つの企業が記載されていた。リストにはサーデグ・マフスーリーモハンマドアリー・ジャアファリーホセイン・タエブの名も記載されていた[26]

イラン・イラク戦争

 
イラン・イラク戦争中の戦闘服姿のガーセム・ソレイマーニー

1980年9月22日、当時のイラクサッダーム・フセイン大統領がイランに侵攻した際、ガーセム・ソレイマーニーは、イランのイスラム革命防衛隊の中尉だった。しかしイラン・イラク戦争の勃発とともに、敵陣地に潜入しての大胆な偵察作戦で名をはせた。それによって急速に昇進を果たし、30歳にして第41タサララ師団の司令官に任命された。

ケルマーン司令官

ソレイマーニーは1990年代、イラン南東部ケルマーンのイスラム革命防衛隊司令官を務めた。アフガニスタンと国境を接するこの地域を通じてトルコ欧州に向けて麻薬の密輸が横行した。1999年のテヘランの学生蜂起鎮圧後、ソレイマーニーら24人のイスラム革命防衛隊将校は、当時のモハンマド・ハータミー大統領言論の自由の抑圧が軍に影響を与えたと懸念を表明する書簡を送った[27]

ゴドス部隊司令官

2000年、ソレイマーニーは革命防衛隊の特殊作戦部隊であるゴドス部隊司令官に任命された。ソレイマーニーは最高指導者アリー・ハーメネイーと度々会見するなど子飼い的立場にあり、海外でのテロ活動の全権を委ねられていたと見られている。

ソレイマーニーは2007年3月、(国連安全保障理事会決議1747)(英語版)の対イラン制裁の対象者のリストに記載された[28]。2007年、イスラム革命防衛隊のヤヒヤー・ラヒーム・サファヴィー司令官が退任する際、ソレイマーニーは後継司令官の有力候補の一人とされた。決議1747は2016年の(国連安全保障理事会決議2231)(英語版)によって失効したものの、ソレイマーニーへの制裁は決議2231でも引き続き継続された[29]

2008年、レバノンイスラム教シーア派組織ヒズボラ幹部だった(イマード・ムグニーヤ)(英語版)死因を究明するイラン調査団を率いた。

シリア内戦におけるアサド支援

2011年、サウジアラビアの(アーデル・ジュベイル)(英語版) 駐米大使(当時)暗殺未遂事件に関与した[30]欧州連合の公式ジャーナルは2011年6月24日、制裁対象のイスラム革命防衛隊の3人のメンバーが「シリア政権による国内の抗議行動の弾圧を支援するため、機器と支援物資を提供している」と指摘した。欧州連合の制裁リストに追加されたのは、革命防衛隊のソレイマーニー、モハンマドアリー・ジャアファリー両司令官と、革命防衛隊で情報担当のホセイン・タエブ副司令官[31]であった。 中東各国からシーア派民兵を集めシリアの反体制派組織の拠点を包囲して飢えさせ降伏させるという非人道的な手段をとった[32]化学兵器使用を指示したのも彼とされる[32]

対ISIL戦争と、イラクへの浸透

2015年3月2日イラクティクリートにおいて、イラク軍とシーア派民兵組織がティクリートを支配していた過激派組織ISILに対して部隊規模約3万人の大規模な奪還作戦を行った際は、ソレイマーニーがサラーフッディーン県に入り、イラク軍や民兵などの作戦の調整に当たったとイラクのメディアが報じていた((第二次ティクリートの戦い)(英語版)[33]

2016年5月、イラク軍が2014年よりISILにより支配されているファルージャの奪還作戦を開始した際もソレイマーニーが現地入りしていることが報道されていた[34]。このISISとの戦争中にソレイマーニーはシーア派民兵の「(人民動員隊)(英語版)(PMF)」を指揮下に置き、影響力を強めた。PMFはイラク政府に公認されるなどして勢力を拡大し、スンニ派地域で暴虐行為を行ったとされる[35][36]

2018年7月26日に「持っているすべてを破壊する」とドナルド・トランプ大統領を名指しで挑発していた[37]2019年10月にはイラクの首都バグダードで大規模な反政府デモが勃発、イラン総領事館が放火されるなど反イラン的な動きが強まった。このデモ鎮圧にPMFも参加し、デモ隊に400名以上の死者を出した。

殺害

ガーセム・ソレイマーニー(左) 、アブー・マフディー・アル=ムハンディス(右)。 2017年にテヘランのモサラで行われたソレイマニーの父親に対する式典にて。

2020年1月3日、ソレイマーニーは車列でバグダード国際空港そばを走行中に米軍無人攻撃機MQ-9 リーパーによる攻撃を受け[38]、カターイブ・ヒズボッラーの最高指導者であり、PMFの副司令官でもあったアブー・マフディー・アル=ムハンディスを含む4人とともに死亡した[39][40]。彼の遺体は原形をとどめないほどにひどく焼かれたものの、本人照合は彼が常日頃身に着けていた指輪により特定された[41]

イラクおよびイランの一部の都市で1月4日から7日にかけ、数百万人が参加する葬儀が開催された((ソレイマーニーの葬儀)(英語版))。テヘランでの葬儀はルーホッラー・ホメイニー以来イランで最大のものと評された[42]

故郷ケルマーンにおける葬儀は、群集事故が発生したため延期された[43]告別式在日イラン大使館でも2020年1月9日に行われた[44]

その後

脚注

  1. ^ “”. en.abna24.com. ABNA24 (2015年5月2日). 2020年1月3日閲覧。
  2. ^ Dexter Filkins (2013年9月30日). “The Shadow Commander”. The New Yorker. 2015年3月31日閲覧。
  3. ^ Joanna Paraszczuk (2014年10月16日). “Iran's 'Shadow Commander' Steps Into the Light”. The Atlantic. 2015年3月31日閲覧。
  4. ^ Kambiz Foroohar. “Iran's Shadow Commander”. 2015年3月31日閲覧。
  5. ^ “RealClearWorld - Syria's Iranian Shadow Commander”. 2015年3月31日閲覧。
  6. ^ “Iran’s 'shadow commander' steps into the spotlight”. The Observers. 2015年3月31日閲覧。
  7. ^ “El iraní Qasem Soleimani, "el hombre más poderoso en Irak"”. Terra. 2016年5月3日閲覧。
  8. ^ “Exclusive: Iran steps up support for Houthis in Yemen's war - sources”. www.reuters.com. ロイター通信 (2017年3月22日). 2020年1月3日閲覧。
  9. ^ “Iran's Revolutionary Guards executes 12 Assad's forces elements - Iraqi News”. Iraq news, the latest Iraq news. 2015年3月31日閲覧。
  10. ^ “”. www.mashreghnews.ir. mashregh news. (2017年2月9日). 2020年1月3日閲覧。
  11. ^ 「ソレイマニ司令官殺害と米イラン関係の行方」朝日新聞GLOBE+(2020年1月4日)2020年1月11日閲覧
  12. ^ “【解説】米のイラン司令官殺害 前例なき作戦が生む疑問”. AFP. (2020年1月4日). https://www.afpbb.com/articles/-/3262018 2020年1月6日閲覧。 
  13. ^ “ソレイマニ将軍殺害の大きすぎるツケ”. JBpress. (2020年1月6日). https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58842 2020年1月6日閲覧。 
  14. ^ “ナンバー2暗殺されたイランの「報復」とは何か アメリカとの全面戦争はありえる?”. 東洋経済オンライン (2020年1月5日). 2020年1月6日閲覧。
  15. ^ イラン革命防衛隊司令官の死が示す「ゲームのルールチェンジ」 日経ビジネスサイト(2020年1月7日)2020年1月11日閲覧
  16. ^ 「「軍事力は世界14位、報復を誓うイラン軍の本当の実力」 ニューズウィークジャパン(2020年1月6日11:25)2020年1月11日閲覧
  17. ^ 「中東で米国に抵抗するイラン・スパイ組織のリーダー」ウォール・ストリート・ジャーナル日本語サイト(2012年4月5日 17:05 JST)2020年1月11日閲覧
  18. ^ 「米イラン対立泥沼に 精鋭部隊司令官殺害」 毎日新聞ニュースサイト(2020年1月3日22時00分、最終更新1月5日17時49分)2020年1月11日閲覧
  19. ^ 「イラン司令官殺害、米政権幹部が上院で非公開説明へ」 読売新聞ニュースサイト(2020年1月7日11:35)2020年1月11日閲覧
  20. ^ O'Hern, Steven (31 October 2012) (英語). Iran's Revolutionary Guard: The Threat That Grows While America Sleeps. Potomac Books, Inc.. pp. 85. ISBN (978-1-59797-701-2). https://books.google.com/books?id=F9cJ1q-uFrcC&pg=PA85 
  21. ^ a b (Filkins, Dexter) (2013年9月30日). “”. The New Yorker. 2014年6月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月6日閲覧。
  22. ^ Weiss, Michael (2014年7月2日). “”. The Daily Beast. 2016年6月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月14日閲覧。
  23. ^ “”. Al Monitor (2013年10月13日). 2016年5月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月14日閲覧。
  24. ^ "Designation of Iranian Entities and Individuals for Proliferation Activities and Support for Terrorism". United States Department of State. October 25, 2007. Archived from the original on 2008-03-12. Retrieved 2008-04-07.
  25. ^ "Iranian who brokered Iraqi peace is on U.S. terrorist watch list". McClatchy Newspapers. March 31, 2008. Retrieved 2008-04-07.
  26. ^ “”. english.aljazeera.net. アルジャジーラ (2011年6月25日). 2020年1月3日閲覧。
  27. ^ “”. www.iranian.com. The Iranian (1999年7月27日). 2020年1月3日閲覧。
  28. ^ "United Nations Security Council Resolution 1747". United Nations. 24 March 2007. Retrieved 2008-04-07.
  29. ^ イランの核問題に関する国際連合安全保障理事会決議第2231号に基づく措置の履行 外務省(2016年1月22日)2020年1月11日閲覧
  30. ^ “米軍の空爆で殺害、ソレイマニ司令官とはどんな人物か”. CNN.co.jp. CNN (2020年1月4日). 2020年1月4日閲覧。
  31. ^ "Syria: Deadly protests erupt against Bashar al-Assad". BBC News. 24 June 2011.
  32. ^ a b 飯山陽 (2020年1月11日). “最恐テロリストのソレイマニを「イランの英雄」と報じるメディアの無知”. ニューズウィーク 日本版. 2020年1月11日閲覧。
  33. ^ . SankeiBiz. (2015年3月4日). 2015年3月4日閲覧。 
  34. ^ “IS首都ラッカの制圧作戦を開始。IS、家族脱出させて死守の構え ”. ウェッジ (出版社). (2016年5月30日). http://wedge.ismedia.jp/articles/-/6905 2016年6月4日閲覧。 
  35. ^ “米軍が殺害、ソレイマニは大量殺人テロの親玉だった 「米国vsイラン」危機の深層(前編)”. jbpress.ismedia.jp. JBPress (2020年1月6日). 2020年4月19日閲覧。
  36. ^ “オーストラリア外務貿易省による2018年のイラク情勢に関するレポート”. www.moj.go.jp. 法務省入国管理局. 2020年4月19日閲覧。
  37. ^ “持っているすべてを破壊する”. www.bbc.com. BBC (2018年7月27日). 2020年1月3日閲覧。
  38. ^ “U.S. Strike in Iraq Kills Qassim Suleimani, Commander of Iranian Forces”. ニューヨーク・タイムズ. (2020年1月2日). https://www.nytimes.com/2020/01/02/world/middleeast/qassem-soleimani-iraq-iran-attack.html 2020年1月6日閲覧。 
  39. ^ “「大統領の指示受けてイラン司令官を殺害」米国防総省が声明”. www3.nhk.or.jp. NHK NEWS WEB (2020年1月3日). 2020年1月3日閲覧。
  40. ^ “”. Newsweek. 2020年1月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月3日閲覧。
  41. ^ Barbara Campbell (2020年1月2日). “Iraqi TV Says Top Iranian Military Leader Killed In Rocket Strikes on Iraqi Airport”. NPR. 2020年1月2日閲覧。
  42. ^ “Soleimani’s funeral procession in Iran sees massive crowds and calls for revenge”. washington post. 2022年3月6日閲覧。
  43. ^ Yeung, Jessie. “Soleimani buried in hometown hours after Iran retaliation”. CNN. 2022年3月6日閲覧。
  44. ^ 「イラン大使館で司令官の告別式」『朝日新聞』朝刊2020年1月10日(社会面)2020年1月11日閲覧
  45. ^ “米司法省、イラン革命防衛隊員を訴追 ボルトン氏暗殺計画で”. ロイター (2022年8月11日). 2022年8月12日閲覧。

関連項目

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