エム ナマエ(本名:生江 雅則(なまえ まさのり)、男性、1948年9月1日[2] - 2019年3月6日[3])は、日本の画家、児童文学作家。
来歴・人物
東京都新宿区信濃町生まれ。1961年:千代田区立永田町小学校(現・千代田区立麹町小学校)卒業、千代田区立麹町中学校入学。1964年:慶應義塾志木高等学校入学。1967年:慶應義塾大学法学部入学。
- 1969年
- 初の個展『空』を開催。
- 1970年
- イラストレーターとしてデビュー。当時のレギュラー雑誌は『女学生の友』、『中学二年コース』など。
- 1973年
- 初の児童向け単行本『みつや君のマークX』を渡辺茂男と共著で出版。イラストレーターに専念するため大学を中退。
- 1974年
- 絵本作家太田大八の勧めで絵本作家集団『童美連』に入会。初の絵本『ざっくり ぶうぶう がたがた ごろろ』大型絵本『機関車』など絵本作家としての活動を開始。この後、絵本作家として失明までに約60冊の児童図書を手がける。
- 1986年
- 完全に失明。文筆家に転じ、初の長編童話『宇宙からきたネコ博士』の執筆を開始。
- 1988年
- 初の長編童話『UFOリンゴと宇宙ネコ』(『宇宙からきたネコ博士』から改題)を出版。
- 1991年
- 失明後初の詩画集『夢の翼をはばたいて』を出版。
- 1998年
- ニューヨークで個展を開催。アメリカの子供服メーカー、カーターズ社に社外アーティストとして採用される。
- 2000年
- 月刊誌『さかえ』に『失明地平線』連載開始。ジョン・レノン・ミュージアムでジョン・レノンの追悼公式コンサート(現在の「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ」の原形)に出演する。
- 2001年
- 個展開催。絵本『幼い瞳のふるさとカメラ』を出版。慶應義塾連合三田会のチケットおよびプログラムの美術を担当。再びジョン・レノン・ミュージアムでの公式追悼コンサートに出演。歌手おおたか静流の朗読コンサートにミュージカル童話『ミズムシの歌』執筆。樹原涼子と『野に咲く花』を発表。
- 2003年
- 日本児童文芸家協会賞特別賞を受賞。
- 2019年
- 3月6日、心不全により東京都目黒区の病院で死去。70歳没[5][6][7]。
- 9月~10月、没後初の個展『エムナマエ追悼展 ~夢の力~』を長野県北佐久郡軽井沢町の軽井沢タリアセンにて開催。
- 2020年
- 3月、没後1年を迎え、友人たちによる個展『―あなたの時間をありがとう―』を千代田区神田神保町の檜画廊にて開催。
主な著作
挿絵
- 『ざっくり ぶうぶう がたがた ごろん』(文:(かんべじゅんきち)、偕成社、1977年)
- 『なんでもでんわ』(文:ふなざきよしひこ、旺文社、1977年)
- 『たぬき先生大じっけん』(文:寺村輝夫、旺文社、1978年)
- 『ピンチ・ピンチ・ピンチ』(文:(坂本伊都子)、PHP研究所、1978年)
- 『おしゃべりランドセル』(文:(手嶋悠介)、(太平出版社)、1979年)
- 『タヌ子先生と4人の名探偵』(文:しかたしん、ポプラ社、1979年)
- 『ネズミのたたかい―アメリカの昔話』(訳:亀井俊介、小学館、1979年)
- 『ぼくたちあいこ』(文:(黒木まさお)、(太平出版社)、1980年)
- 『たぬき先生だいぼうけん』(文:寺村輝夫、旺文社、1980年)
- 『はしれおんぼろきかんしゃ』(文:(鶴見正夫)、PHP研究所、1981年)
- 『オットはかせのおばけやさん』(文:寺村輝夫、金の星社、1981年)
- 『オットはかせのおふろやさん』(文:寺村輝夫、金の星社、1981年)
- 『大きくなれ竜太』(文:平方浩介、学校図書、1982年)
- 『名たんていピンチ博士』(文:寺村輝夫、学校図書、1982年)
- 『(寺村輝夫童話全集)』(文:寺村輝夫、ポプラ社、1982年)
- 13 ゆかいなおじさん
- 17 子どもの時間
- 『ピンチ博士の大ぼうけん』(文:寺村輝夫、ポプラ社、1983年)
- 『ピンチ博士 アフリカへとぶ』(文:寺村輝夫、ポプラ社、1984年)
- 『しょうぼうじどうしゃドコデモくん』ポプラ社、1984年)
- 『みつやくんのマークX』(文:(渡部茂男)、あかね書房、1984年)
- 『まほうのけしごむ』(文:岡信子、佼成出版社、1985年)
- 『ねずみのよねいり』(文:福島のり子、(教育画劇)、1986年)
- 『ポテトサラダのすきな王さま』(文:(名倉有子)、(教育画劇)、1988年)
- 『二人三脚プラスワン―僕らはいつもファンタジー』(文・絵:エムナマエ、佼成出版社、1996年)
- 『あしたのねこ』(文:きむらゆういち、金の星社、2006年)
- 『ありがとう』(文:絵門ゆう子、PHP研究所、2006年)
- 『まちがしあわせになったよる』(文・絵:エムナマエ、毎日新聞社、2007年)
その他
脚注
- ^ “イラストレーター エムナマエの作品展 見えない色のファンタジー”. Internet Museum. 丹青社 (2004年). 2019年3月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月18日閲覧。
- ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.474
- ^ 「」『時事ドットコム』(時事通信)、2019年3月13日。2019年3月18日閲覧。オリジナルの2019年3月13日時点におけるアーカイブ。
- ^ “エム ナマエの秘密-どうしてボクは絵をかくのか-” (2001年2月3日). 2020年6月21日閲覧。
- ^ 「全盲のイラストレーター、エムナマエさん死去 70歳」『毎日新聞』、2019年3月13日。2019年3月18日閲覧。オリジナルの2019年3月17日時点におけるアーカイブ。
- ^ Henri Kenji OIKAWA (2019年3月17日). “「全盲のイラストレーター」エムナマエさんが死去”. 日仏共同テレビ局フランス10. 2019年3月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月18日閲覧。
- ^ 「エムナマエ氏死去 イラストレーター」『山陽新聞』、2019年3月13日。2019年3月18日閲覧。オリジナルの2019年3月17日時点におけるアーカイブ。
外部リンク
- エム ナマエ公式サイト
- 全盲の画家・エムナマエさんインタビュー - YouTube - 日仏共同テレビ局France10