エマーソン・ダンブゾ・ムナンガグワ[1](Emmerson Dambudzo Mnangagwa、1942年9月15日 - )は、ジンバブエの政治家。同国を37年間にわたって統治したロバート・ムガベの最古参の側近として知られており、クーデターで失脚したムガベの後継として2017年11月24日に同国第3代大統領に就任した。同国与党(ジンバブエ・アフリカ民族同盟愛国戦線)(ZANU-PF)代表も兼ねる。現地のメディアでは、しばしばEDと表記される。
エマーソン・ダンブゾ・ムナンガグワ Emmerson Dambudzo Mnangagwa | |
公式肖像写真(2019年) | |
任期 | 2017年11月24日 – |
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副大統領 | 第一副大統領 (コンスタンチノ・チウェンガ) 第二副大統領 (ケムボ・モハディ) 空席 |
任期 | 2014年12月12日 – 2017年11月6日 |
元首 | ロバート・ムガベ |
出生 | 1942年9月15日(80歳) 南ローデシア ズビシャバネ |
政党 | (ジンバブエ・アフリカ民族同盟愛国戦線)(ZANU-PF) |
出身校 | ロンドン大学 ザンビア大学 |
配偶者 | Auxilia Mnangagwa |
ジンバブエの国家安全担当大臣[2]、法務大臣[3]、地方住宅・社会環境大臣[4]、国防大臣[5]、第一副大統領などを歴任した。
来歴
1942年9月15日、イギリスの植民地だった南ローデシア出身[3]。10代は家族とともに北ローデシアにて過ごした。16歳で黒人解放運動に身を投じ[6]、1960年代にはエジプトへおくられた後に中国の北京と南京でマルクス主義の思想教育と軍事訓練を受け[7]、独立闘争に参加したが逮捕され、刑務所で10年間過ごした[3]。服役中にロバート・ムガベと友人になり、ムガベのボディガード兼側近となった[8]。
1980年にジンバブエがイギリスから独立した際に情報機関の責任者[9][10]である国家安全担当大臣としてムガベを首班とする政権に入閣し[3]、治安機関を統括する(統合作戦司令部)議長[11]として旧ローデシア軍と(ジンバブエ・アフリカ人民同盟)(ZAPU)や(ジンバブエ・アフリカ民族同盟)(ZANU)の武装組織を統合したジンバブエ国防軍の創設を監督して軍部との繋がりを得た[12]。反対勢力の弾圧に関わり、特に1983年から1987年にかけて北マタベレランド州、南マタベレランド州、ミッドランズ州にて反体制派と見做された(北ンデベレ人)らを北朝鮮の訓練を受けた第5旅団に攻撃させ、2万人が犠牲となった[2]。この大虐殺は(グクラフンディ)[注釈 1]と呼ばれ、ムガベが残した負の遺産の中でも最大級と言われる[13]。なおムナンガグワはこの虐殺への関与を否定しているほか、ムガベ自身も国際社会からの非難は受けていない[13]。
1989年に法務大臣に就任。法相在任中の2000年、白人の所有する農場を押収すると発表した[3]。以降も地方住宅・社会環境大臣[4]、国防大臣[5]を歴任。1998年にジンバブエが第二次コンゴ戦争に介入した際には巨額の利益を懐に収めたとも言われる[6]。
2008年の大統領選挙ではロバート・ムガベが劣勢で推移し、第1回目投票で野党候補モーガン・ツァンギライに続く2位に終わった後、野党を選挙からの撤退に仕向けるため多数の暴力行為や脅迫を主導、多数の死者を出した。その結果、思惑通りツァンギライは選挙からの撤退を余儀なくされた[3]。2014年12月に副大統領、与党(ジンバブエ・アフリカ民族同盟愛国戦線)(ZANU-PF)の副代表に任命され、ムガベの後継者としての地位を確立した[3]。
2018年の大統領選挙を前に同じくムガベの後継者を争っていたグレース・ムガベ大統領夫人との対立が激化していき、2017年11月4日にはムガベが、12月の与党特別総会を前に派閥争いを煽っているとの理由でムナンガグワを批判し、副大統領からの更迭を警告した[14]。11月6日、ムガベはムナンガグワを第1副大統領から解任[14][15]。(サイモン・カヤ・モヨ)情報大臣によれば、ムナンガグワは一貫かつ永続的に忠誠心に欠け、無礼で不実であり不正直で信頼できないというのが解任の理由であった[14]。しかし本当はグレースを後継の大統領にするため、まずは第1副大統領に据える目的での解任ではないかとの憶測が広がった[15]。国防軍はムナンガグワを強く支持していたため[16]、副大統領解任に国防軍トップの(コンスタンチノ・チウェンガ)司令官は強く反発。またムガベ政権支持者の間からもこうした解任の動きには不満の声が上がった[16]。11月8日、ムナンガグワはジンバブエを脱出したが、これは自身の暗殺計画が存在したからだと後に明かしている[3][17]。
2017年11月15日に国防軍による事実上のクーデターが発生。自宅軟禁下に置かれたムガベはチウェンガと大統領府にて会談し、その中でチウェンガがムナンガグワへの権限委譲を求めたものの、ムガベは拒否した[18][19]。11月19日にZANU-PFはムガベを党首から解任し、ムナンガグワを後継とした[20]。11月21日にムガベは大統領からの辞任を表明し、次期大統領への就任が確実視されたムナンガグワは22日までにジンバブエに帰国。首都ハラレでは群衆の前で「新たな民主主義が生まれつつある」と述べたほか、経済成長、平和の希求、雇用の創出などを訴えた[21][17]。また、大統領就任式における演説ではムガベを「建国の父」と称賛し、旧政権の支持者への配慮も見せた[22]。しかし、前述の通りムナンガグワ自身がムガベ政権で政権幹部を務めたことや、独裁体質はムガベと瓜二つという報道もあり[6]、ムナンガグワ政権において真の民主主義が実現するかは不透明である。その一方で、外資の導入を進めるなど前政権と比較して改革開放的な経済政策をとっている[23]。なお、クーデターには当初からムナンガグワの逃亡先[24]だったともされる中国の関与も報じられており[25]、2018年4月にムナンガグワは大統領就任後初のアフリカ以外の外遊で中国を訪れた[26]。
2018年7月30日投開票の大統領選挙では50.8%の票を獲得し再選。しかし得票率44.3%で敗れた(ネルソン・チャミサ)属する民主変革運動は選挙結果を認めず裁判所に提訴する意向を表明している[27]。
人物
この節の加筆が望まれています。 |
政治的な抜け目のなさ、興味のないふりをしながら獲物を虎視眈々と狙い、逃さないことからワニ、クロコダイルといったあだ名が付けられている[21][6]。
脚注
注釈
出典
- ^ “CHINA IP Newsletter JETRO 北京事務所知的財産権部 知財ニュース”. JETRO (2017年4月26日). 2017年11月24日閲覧。
- ^ a b “ジンバブエ次期大統領、ムガベ氏と大差なし? 弾圧や汚職の前歴”. AFPBB News. フランス通信社. (2017年11月23日) 2017年11月23日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “Zimbabwe's Emmerson Mnangagwa: Key dates”. Daily Nation. (2017年11月23日)2017年11月23日閲覧。
- ^ a b “ジンバブエ大統領選、決選投票へ 野党ツァンギライ氏が首位”. AFPBB News. フランス通信社. (2008年5月3日) 2017年11月23日閲覧。
- ^ a b “ジンバブエ大統領選、現職のムガベ大統領が勝利”. AFPBB News. フランス通信社. (2013年8月4日) 2017年11月23日閲覧。
- ^ a b c d “独裁者と「うり二つ」の人物とも 後任のムナンガグワ前第1副大統領”. 産経新聞. (2017年11月22日) 2017年11月24日閲覧。
- ^ “从“鳄鱼帮”到国家英雄!姆南加古瓦:津巴布韦变局中的“鳄鱼”. 人民網. (2017年11月22日) 2018年2月2日閲覧。
- ^ de Freytas-Tamura, Kimiko (2017年11月16日). “A Strongman Nicknamed ‘Crocodile’ Is Poised to Replace Mugabe” (英語). ニューヨーク・タイムズ. ISSN 0362-4331 2018年2月2日閲覧。
- ^ Blair, David (2014年12月10日). “Man they called 'the Crocodile' is Robert Mugabe's favoured successor” (英語). テレグラフ. ISSN 0307-1235 2018年2月2日閲覧。
- ^ Bearak, Max (2017年11月22日). “Analysis | Who is Emmerson Mnangagwa, Mugabe’s successor in Zimbabwe?” (英語). ワシントン・ポスト. ISSN 0190-8286 2018年2月2日閲覧。
- ^ "Emmerson Mnangagwa: the man behind the coup". Financial Mail. 22 November 2017.
- ^ “Emmerson Mnangagwa: the man behind the coup” (英語). Financial Mail. (2017年11月22日)2018年2月2日閲覧。
- ^ a b “ジンバブエの英雄から独裁者へ、ムガベの37年”. ニューズウィーク. (2017年11月22日) 2017年11月23日閲覧。
- ^ a b c “ジンバブエ副大統領、解任される ムガベ夫人が次期大統領の最有力候補に”. AFPBB News. フランス通信社. (2017年11月7日) 2017年11月15日閲覧。
- ^ a b “ジンバブエのムガベ大統領、副大統領を解任 妻に交代か”. CNN.co.jp (CNN). (2017年11月7日) 2017年11月15日閲覧。
- ^ a b “ジンバブエ軍、クーデターを否定 大統領は無事と発表”. CNN.co.jp (CNN). (2017年11月15日) 2017年11月15日閲覧。
- ^ a b “ジンバブエのムガベ大統領が辞任 37年の政権に幕”. BBCニュース (BBC). (2017年11月22日) 2017年11月23日閲覧。
- ^ “ジンバブエ 軍司令官、大統領と会談 権限移譲を要求か”. 毎日新聞. (2017年11月17日) 2017年11月17日閲覧。
- ^ “ムガベ氏退陣へ動き加速=不信任案準備、与党で離反も-ジンバブエ”. 時事ドットコム. 時事通信社. (2017年11月17日) 2017年11月18日閲覧。
- ^ “Robert Mugabe Is Ousted From His Ruling Party in Zimbabwe”. ニューヨーク・タイムズ. (2017年11月19日) 2017年11月19日閲覧。
- ^ a b “「新たな民主主義が生まれつつある」 ジンバブエ次期大統領”. BBC News. BBC. (2017年11月23日) 2017年11月23日閲覧。
- ^ “ジンバブエ新大統領、異名は「クロコダイル」”. 朝日新聞. (2017年11月25日) 2018年1月25日閲覧。
- ^ “ジンバブエ、投資が熱い 新政権、外資受け入れへ転換 ムガベ氏辞任3カ月”. 朝日新聞. (2018年3月6日) 2018年3月9日閲覧。
- ^ “Mnangagwa skips to China”. Daily News. (2017年11月11日)2017年11月16日閲覧。
- ^ “ジンバブエの「クーデター」、中国関与か 軍幹部が直前に訪中”. CNN.co.jp (CNN). (2017年11月20日) 2018年4月8日閲覧。
- ^ “Zimbabwe is intent on 'leapfrogging 18 years of isolation' with China's help”. CNBC (CNBC). (2018年4月3日) 2018年4月8日閲覧。
- ^ “ジンバブエ大統領選、現職が当選 最大野党は認めず 提訴へ”. AFPBB News. フランス通信社. (2018年8月3日) 2018年8月3日閲覧。
外部リンク
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