『わが母は聖母なりき』(わがはははせいぼなりき)は、八木隆一郎が1936年、30歳の時に発表した自伝的小説である。『婦人公論』に掲載された。2度テレビドラマ化されている。
概要
明治42年(1909年)、秋田県能代。貧しい小作農と結婚し、息子を産んだふみは、流産がたたって家事も満足にできない身体になってしまう。そのため夫と姑に疎まれたふみは、24歳の時に離縁され、息子を置いて実家に戻る。しかし弟夫婦が仕切っている実家も、彼女にとって居心地のよい場所とはいえず、居心地の悪さを感じながら過ごす。
ある時、風のうわさで、置いてきた息子が折檻されていると聞いたふみは、元の婚家から息子を連れ出し、北海道は函館へと渡る。頼る人もいない函館の地で、ふみは野菜や果物の行商、土木工事人(ヨイトマケ)、果ては料理屋での酌婦をしながら、息子とふたりで生きていくが…。
TVドラマ
1969年版
1969年4月1日から7月29日まで、関西テレビ「火曜劇場」枠にて放送された。
キャスト
スタッフ
- 監督 - (木原紘一)
- 音楽 - 渡辺岳夫
主題歌
- 作詞:渡辺岳夫 / 編曲:(毛利猛)
ネット局
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1980年版
1980年5月12日から7月7日まで、TBS「花王 愛の劇場」枠にて放送された。
キャスト
- ふみ - 市原悦子
- 福次郎 (子役)- 庄司顕仁 1話-10話まで
- (子役)- 築山栄志11話- (8歳から)
- 福次郎 - 坂東正之助(現・河原崎権十郎 (4代目))
- 滝田 - 三ツ木清隆
- 財吉 - 河原崎次郎
- きよ(姑) - 三戸部スエ
- 達造 - 小栗一也
- (喜田晋平)
スタッフ
- 監督 - 高橋繁男、(菱田義雄)
- 助監督 - (山田良美)
- 記録 - (馬場マリ)
- 進行 - (平川秀)
- 製作主任 - (石和薫)
- プロデューサー - (藤川忠勝)、井上博 (TBS)
- 音楽 - 木下忠司
- 美術 - (横山豊)
- 装飾 - (菊武敏行)
- 装置 - (谷津勝利)
- 床山 - (三岡洋一)
- 美粧 - (近江かおる)
- 題字 - (大谷栄昌)
- 撮影技術 - (西川芳男)
- 照明 - (麓山仁志)
- 録音 - 高橋和久
- 編集 - (鶴田益一)
- 制作 - 松竹、TBS
- 制作協力 - (番衆プロダクション)
主題歌
脚注
TBS 花王 愛の劇場 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
愛とおそれと (1980.3.10 - 1980.5.9) | わが母は聖母なりき (1980.5.12 - 1980.7.7) | ダンプかあちゃん (1980.7.8 - 1980.8.29) |