八木 隆一郎(やぎ りゅういちろう、1906年4月17日 - 1965年5月12日)は、日本の脚本家である。
人物・来歴
秋田県能代市出身。本名:八木財一郎。函館商業学校卒[1]。戦前は、プロレタリア演劇運動に身を投じ、左翼劇場、新築地劇団に所属[2]。その後、アイヌを題材にした『熊の唄」が井上正夫の演劇道場で上演され、後に映画化される[1]。戦時中から今井正監督とコンビを組んだ。戦後は新派や新国劇向けの脚本を書き、映画やラジオドラマの脚本を手がけた。女優の八木昌子は実子。
受賞
主な著書
- 『赤道』(天佑書房、1942年)
- 『幻の宿』(蕗書房、1949年)
- 『八木隆一郎ラジオ・ドラマ選集』(宝文館、1952年)
- 『大仏開眼 シナリオ』(三笠書房・文庫、1952年)
- 『姉の言葉』(宝文館、1955年)
- 『八木隆一郎戯曲選集』(牧羊社), 1966
(熊の唄,海の星,焔の人,沼津兵学校,母の絵本,湖の娘,故郷の声,命美わし,女の決闘,湖の声,風の鶏)
主な映画作品
- 『熊の唄』(新興キネマ東京撮影所、1937年)
- 『(沼津兵学校)』(東宝映画京都撮影所、1939年)
- 『土』(日活多摩川撮影所、1939年)
- 『海援隊』(日活京都撮影所、1939年)
- 『大日向村』(東京発声映画製作所、1940年)
- 『南海の花束』(東宝映画、1942年)
- 『望楼の決死隊』(東宝映画、1943年)
- 『あの旗を撃て−コレヒドールの最後−』(東宝、1944年)
- 『四つの結婚』(東宝、1944年)
- 『愛の誓ひ』(東宝・(朝鮮映画)、1945年)
- 『人生とんぼ返り』(東宝、1946年)
- 『石中先生行状記』(新東宝・藤本プロダクション、1950年)
- 『大仏開眼』(大映京都撮影所、1952年)
- 『長崎の夜』(大映京都撮影所、1955年)
- 『第十三号棧橋』(東映東京撮影所、1957年)