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さいたま市役所

さいたま市役所(さいたましやくしょ)は、日本地方公共団体である埼玉県さいたま市の執行機関としての事務を行う施設(役所)である。

さいたま市役所
Saitama City Hall Building
情報
旧用途 浦和市役所
設計者 石本建築事務所
事業主体 さいたま市
管理運営 さいたま市
構造形式 鉄骨鉄筋コンクリート造
敷地面積 28,961.16 m²
建築面積 4,975.46 m²
延床面積 25,820.12 m²
階数 高層棟(地上11階、地下2階)
低層棟(地上3階、地下1階)
高さ 52.50m
着工 1973年昭和48年)7月30日
竣工 1976年(昭和51年)2月
所在地 330-9588
埼玉県さいたま市浦和区常盤六丁目4番4号
位置 北緯35度51分42秒 東経139度38分43秒 / 北緯35.86167度 東経139.64528度 / 35.86167; 139.64528座標: 北緯35度51分42秒 東経139度38分43秒 / 北緯35.86167度 東経139.64528度 / 35.86167; 139.64528
(テンプレートを表示)
本庁舎 入口付近

沿革

かつては浦和市役所の庁舎であった。大宮市与野市との合併、さいたま市発足に伴い、1976年完成のため旧3市の市役所庁舎で最も築年数が浅い[注釈 1]上、延床面積が広かったことから、さいたま市役所の本庁舎となっている。

  • 1889年明治22年) - 浦和町成立とともに、現在の仲町二丁目(うらわ美術館ロイヤルパインズホテル浦和の場所)に町役場を設置。
  • 1911年(明治44年) - 現在の仲町二丁目に木造2階建ての新庁舎が完成。1976年まで65年間使用される。次第に狭隘化し、岸町庁舎(現在の日本赤十字社埼玉県支部の場所)や旧浦和市公会堂なども使用した。
  • 1934年昭和9年) - 市制施行、市庁舎となる。
  • 1971年(昭和46年)1月 - 常盤6丁目の埼玉大学旧校舎を改造、プレハブ庁舎を建設し、仲町の市庁舎が現在地へ移転する。旧庁舎は仲町庁舎として残存(教育委員会などは旧庁舎のまま)。
  • 1976年(昭和51年)2月 - 現在の庁舎が完成(地上11階、地下2階建て)。3月に移転作業を実施し、分散が解消。
  • 2001年平成13年)5月1日 - 浦和市・大宮市与野市が合併し、さいたま市が発足。浦和市役所の庁舎がさいたま市役所の本庁舎となる。市役所内には浦和総合行政センター(旧浦和市域を担当する統括支所)が併設される。
  • 2003年(平成15年)4月1日 -さいたま市が政令指定都市に移行。浦和総合行政センターが廃止され、浦和区役所が併設される。
  • 2006年(平成18年)12月17日 - 浦和レッドダイヤモンズJ1リーグ優勝パレードの優勝報告会場となる。
  • 2015年(平成27年) - 1954年に埼玉大学の施設として建設された、敷地北側の第二別館が解体。耐震化工事に伴う仮配置棟が設置され、浦和区役所の仮庁舎となる。
  • 2019年(平成31年)2月20日 - 本庁舎の耐震補強工事が完了[1]。浦和区役所も本庁舎内に戻る。仮配置棟は新しい第二別館として使用する事になる。
  • 2021年令和3年)2月3日 - さいたま市は「新庁舎整備等基本構想」に基づくさいたま市役所新庁舎について、2031年度を目途にさいたま新都心バスターミナルほか街区への移転を目指すことを表明した[2][3]
  • 2022年(令和4年)4月29日 - 市議会臨時会において、さいたま新都心への移転を行うための条例の改正案を特別多数議決により可決。併せて、移転予定地の住所について「さいたま新都心にふさわしい住居表示の実施を検討すること」(大宮区から中央区へ境界変更して、新たな地名にする事を求める趣旨)という附帯決議も採択した[4]


本庁舎

本館 概要
11F 建設局

・技術管理課

・土木部(土木総務課、道路環境課、広域道路推進室、道路計画課、河川課)

・下水道部(下水道総務課、下水道財務課、下水道維持管理課、下水道計画課)

10F 建設局

・建築部(建築総務課、建築行政課、住宅政策課、営繕課、保全管理課、設備課)

農業委員会

・農業振興課

・農地調整課

9F 都市局

・都市計画部(都市総務課、都市計画課、交通政策課、自転車まちづくり推進課、都市公園課、みどり推進課、見沼田圃政策推進室)

・まちづくり推進部(まちづくり総務課、市街地整備課)

・都心整備部(都心整備課)

8F 市民局

・市民生活部(市民生活安全課、コミュニティ推進課、人権政策・男女共同参画課)

・区政推進部

スポーツ文化局

・スポーツ部(スポーツ振興課、スポーツ政策室、スポーツイベント課)

・文化部(文化振興課)

・オリンピック・パラリンピック部

7F 都市戦略本部

・デジタル改革推進部(業務効率化・インフラ担当、情報システム担当)

環境局

・環境共生部(環境創造政策課、環境対策課)

・資源循環推進部(資源循環政策課、廃棄物対策課)

・施設部(環境施設管理課)

6F 財政局

・財政部(資産経営課)

・契約管理部(契約課、調達課、工事検査課)

・税務部(税制課、市民税課、固定資産税課、収納対策課)

5F 都市戦略本部

・都市経営戦略部

・行財政改革推進部

・デジタル改革推進部(デジタル改革担当、データ・統計担当)

・未来都市推進部

経済局

・商工観光部(経済政策課、労働政策課、産業展開推進課、商業振興課、観光国際課)

4F 市長室

副市長室

市長公室

・秘書課

3F 総務局

・総務部(総務課、法務・コンプライアンス課、行政透明推進課)

・人事部(人事課、職員課、総務事務センター)、

財政局

・財政部(財政課)

議会局

・総務部(秘書総務課)

・議事調査部(議事課、調査法制課)

2F

市長公室

・広報課

・広聴課

・シティセールス推進課

財政局

・財政部(庁舎管理課)

保健福祉局

・保健部(健康増進課、地域医療課、生活衛生課、食品・医薬品安全課)

・福祉部(福祉総務課、生活福祉課、監査指導課、障害政策課、障害支援課、国民健康保険課、年金医療課)

・長寿応援部(高齢福祉課、いきいき長寿推進課、介護保険課)

子ども未来局

・子ども育成部(子育て支援推進、青少年育成課)

・幼稚未来部(幼児政策課、のびのび安心子育て課、保育課)

1F 出納室

・出納課

・審査課

浦和区役所

・くらし応援室

・区民生活部(総務課、地域商工室、コミュニティ課、区民課)

・健康福祉部(福祉課、支援課、高齢介護課、保険年金課)

B1F 夜間・休日受付窓口、コンビニ、ランチルーム、健康相談室、清掃管理事務所、職員組合事務室、厚生室、警備員室、防災センター
第二

別館

概要
2F 教育委員会

・管理部(教育総務課、教育政策室、教育財務課、学校施設課)

・生涯学習部(生涯学習振興課、人権教育推進室、文化財保護課)

監査委員

・監査課

1F 教育委員会

・学校教育部(学事課、教職員人事課、教職員給与課、指導1課、特別支援教育室、指導2課、高校教育課、健康教育課)

ときわ

会館

概要
3F 選挙管理委員会

・選挙課

人事委員会

・任用調査課

2F 財政局

・南部市税事務所(個人課税課、納税調査課、納税課)                             

1F 財政局

・南部市税事務所(資産課税課)

B1F 環境局

・資源循環推進部(産業廃棄物指導課)

浦和医師

会館

概要
1F 浦和区役所

・健康福祉部(保健センター)

アクセス

業務時間

周辺

耐震化・建替・移転問題

本庁舎の耐震化と移転の概要

1976年昭和51年)に浦和市役所庁舎として現庁舎が建築されてから40年ほどが経過し[注釈 2]2012年平成24年)に実施した耐震診断によってランク2と診断されたことから、2016年(平成28年)12月から2019年(平成31年)2月にかけて約50億円をかけ耐震工事を行った[5]。耐震化後は税法上の耐用年数から20年程度(2040年ごろまで)現在の庁舎を使用する方針としていた(この際建築物としての耐用年数は耐震化で50 - 60年程度 (2070年2080年ごろまで) 伸びるとされている)。

しかし耐震工事の後になり市役所を移転するかどうかに関する旧市別の20年来の争いが再燃、市議会の会派構成が変化し移転に反対する旧浦和市域の議員が属する会派は分散、移転を主張する旧大宮市域の議員が発言力を持つ中で移転が議決された。大学や民間の市民への意向調査では反対・慎重派が多くを占める中で市長は住民投票などは一切行わないことや合併促進決議における旧市の役割分担に関しても遵守するつもりがないことを繰り返し主張、議会内での買収工作も指摘され、市政における旧市間の大きな争いとなった。

旧3市合併協議での議論

合併協議当初、旧浦和、大宮、与野3市の市議会で1997年に決議された「合併促進決議」では、「浦和を『行政の中心』、大宮を『経済の中心』、与野を『情報発信(文化)の中心』とする」ことが明記された。旧3市合併時に旧大宮市は当初から市名への「大宮市」採用を主張した。合併推進協議会(任意合併協議会)が設置した新市名検討委員会[6]では、まず「旧市名等を新市名に使用しないこと」という方針が決定されていた。旧大宮市の要求によって行われた市名公募を元に同検討委員会が答申[注釈 3]を行い、その中の候補から旧浦和市、旧与野市は「さいたま市」を推したが、旧大宮市の出席者は同委員会が使用禁止した旧市名であり、かつ同候補にない「大宮市」をなおも推した。大宮側は市名を「さいたま市」にすることに同意する交換条件として、新市の市役所を「さいたま新都心周辺」へ移転することを主張。これには旧3市で最大の人口[注釈 4]を有し「行政の中心」と位置づけられる浦和側の猛反発を受け、大宮側が主張した「将来の市役所の位置はさいたま新都心周辺とする」という文面は採択されなかった[7]

合併協議会(法定合併協議会)にて2000年に調印された合併協定書には、市役所の位置に関して下記の文章で記されている[8]

  1. 新市の事務所(市役所)の位置は、当分の間、現在の浦和市役所の位置とする。また、大宮市及び与野市の市役所庁舎については、現庁舎の活用方法について検討するものとする。
  2. 将来の新市の事務所の位置については、さいたま新都心周辺地域が望ましいとの意見を踏まえ、新市成立後、新市は、交通の事情、他の官公署との関係など、市民の利便性を考慮し、将来の新市の事務所の位置について検討するものとする。
  3. 将来の新市の事務所の位置については、市民参加による審議会の設置など、その協議方法を含め、新市成立後、速やかに検討を開始するものとする。また、併せて、新市成立後、速やかに庁舎建設基金を創設するものとする。

しかし、日本語の「踏まえる」に「考慮に入れる」から「前提とする」まで幅広い解釈が可能であるゆえ、協定書の文面はもとより玉虫色の解釈が可能なものとされていた。旧浦和側は「当面市役所は現浦和市役所を使用するが、将来については現在地での建替えの他に協議で出た一つの意見を考慮すべき参考意見として記載した」と解釈。一方、旧大宮側は「将来の市役所をさいたま新都心周辺に置くことを、決定事項として明記した」と解釈した。特に、合併の市域や新市名での対立で苦杯を舐めており[注釈 5]残る市役所問題で妥協する姿勢を見せられなくなった旧大宮側は、20年にわたり「市役所のさいたま新都心移転は合併協定書に明記されており、市役所が移転されないのは浦和が約束を破り反対しているから」と主張を発信して旧大宮地区の反浦和感情を扇動、多くのメディアもその二次引用を続けた。なお、合併後の2008年度に設けられた「さいたま市庁舎整備検討委員会」(2011年度まで7回開催)の議事録によれば、まず委員長によって「市役所の新設する位置に関しては、合併時点で前提はなく白紙から検討する」ことが確認されていた[注釈 6]

2001年にさいたま市が発足後は、 2002年度に「新市庁舎庁内検討会議」(2008年度まで21回開催)を設置したが、将来の市役所の位置についての議論は進展がなかった。先述の合併促進決議を受けて、市の都市計画マスタープラン[9]に基づき、「大宮駅周辺・さいたま新都心駅周辺地区」「浦和駅周辺地区」それぞれが市の「都心地区」と定義されたが、旧大宮側の強い要求によって埼玉県の他旧3市が建設資金を拠出したさいたま新都心が大宮駅周辺と「大宮駅周辺・さいたま新都心駅周辺地区」として連続視された都市計画となったことで、旧3市の市境上に立地するいわば「政治的緩衝地帯」であるとして旧浦和側が同地周辺への市役所移転に同意する可能性が失われた状態となった(なお最終的にはさいたま新都心の主要部分は旧浦和・大宮市域内の区域を含め旧与野市域と同一の中央区に境界変更となったが、旧大宮側はその見返りとして旧与野市域の行政区の区名から公募で多数であった与野の名を事実上外させたとされている)。行政の中心と位置付けられる浦和駅周辺地区から市役所を移転した場合、県庁舎と市庁舎の距離が離れ、浦和に集積するメディアや政党の支部など多くの機関との連携の利便性が下がり都心機能が損なわれる懸念があり、加えて100年来の歴史的経緯から、市役所を移転すれば次に大宮側が県庁舎の移転を要求するのではないかという、浦和側の根強い不信感もある。現市長の清水勇人はさいたま市のシティーセールスの中に鉄道、漫画、盆栽といった大宮地区の事物を積極的に取り入れる一方で浦和地区で活躍した浦和画家については清水就任後市立うらわ美術館の収蔵方針からも記載が消え、浦和画家の伝統との関連も指摘されるさいたま国際芸術祭も2回目以降開催地が大宮に移されるなど、清水市政下で大宮地区の事物を重視するシティセールスが行われてきたことも浦和側の清水への不信につながった。また合併後に、浦和駅の高架化(ホーム増設・駅ビル建設)事業が完了し、特急列車を含む停車本数が大幅に増加して利便性が向上した(さいたま新都心駅は全ての特急列車、宇都宮線・高崎線の全快速列車、湘南新宿ラインの普通列車を含む全列車が通過する)ことで、移転に反対する空気を醸成した。

市議会の構成変化と庁舎位置の論議

また、将来の市役所の位置についての議論が行われてこなかった現実的な理由としてさいたま市議会では最大多数を占めていた自民党さいたま市議会議員団(自民)が主に旧浦和市域の政治勢力を中心に政策決定されており、2009年に市長に就任した旧大宮市域を地盤として旧民進党系を支持基盤とする清水との間で、ねじれ議会を構成していたという事情も大きい。そのような中、清水自身は市役所移転に関してや、旧3市間で合意のないともされる合併協定書の文言の解釈に対するスタンスを明確にすることを避けていた[注釈 7]

しかし2017年に自民党内の議長ポストを巡る争い(旧浦和側から出ていた議長の桶本大輔を市長選挙に出馬させ旧大宮側から議長を出そうとする旧大宮側の算段に対し、桶本が旧浦和・保守側から出馬表明していた中森福代との共倒れを危惧して市長選出馬を固辞し、議長交代を拒否した)を発端に、旧大宮側の大半と旧与野側の自民の市議が離反し、同党の党籍を持ったまま独立会派「自民党真政市議団」[注釈 8]を発足、清水への支持に回り、旧民進党系に加えて自民真政と公明党が清水を支持する巨大な市長与党を形成するに至った。その結果、市内の人口比とは逆に、旧大宮市域の議員が発言力を持つ勢力が議会の多数を占めるようになり、これ以降それまで動きのなかった市庁舎の移転論議が急速に進むようになった。議会では第二会派であった旧民進党系を母体とする清水としても、旧市間で対立の火種となる市役所問題に関して敢えて立場を示してこなかったこれまでの姿勢から反転し地盤である大宮地区の主張に沿って行動することで旧市間の分断を図る方が、第一会派であった自民党を分裂状態に固定することで自身の政治権力を盤石にする上で好都合でもあり、実際2021年の市長選挙では、自民党内での旧市間対立の再燃により自民党からも、また最大の人口を有する旧浦和地域からも候補者擁立が断念されている。

2021年市長選挙前には自民党が旧民進党系の清水市長に対して対立候補を擁立するため、旧浦和の議員の一部が自民真政に合流し旧大宮の鶴崎をトップとする「さいたま自民」が成立、実際には対立候補の擁立は果たせなかったが、旧浦和・岩槻側の自民とさいたま自民が併存する形になり、旧浦和側の議員は各会派に四分五裂する形となった。

2012年度に地方自治法に基づく附属機関として設置した「さいたま市本庁舎整備審議会」(2017年度まで21回開催)では、旧大宮側で元さいたま市議で合併協議時に新市名に「大宮市」を推す運動や、採択されない場合の合併協議ボイコットなどを現さいたま市議の鶴崎敏康(見沼区選出。現・さいたま自民市議団長)らとともに主導した松本俊雄が中心となり「市役所移転は合併時の合意事項である」という持論を展開、市庁舎の位置については旧浦和市域の代表者の多くが欠席する1回の会議で議論が行われ、次の会で位置について採決がなされた。その結果、審議会からは2018年に「新庁舎の規模については約40,000 m2必要、建設地についてはさいたま新都心駅周辺(半径800 m圏内)が最も望ましい」との答申が出された(答申のため法的拘束力はなく、実際には条例の改正が必要となる)。現実的には同駅周辺で住宅建設などの民間転用が決定していない40,000 m2の遊休地はなかったが、これを受けて2019年12月に、市当局より「さいたま市食肉中央卸売市場・と畜場ほか街区」「コクーン2・3街区(平面駐車場として使用している区画)」「さいたま新都心バスターミナルほか街区」の3カ所(いずれも大宮区内)を移転候補地とする答申が出され、市はこれを受理した。

これに対し、旧浦和側で自民の重鎮である青羽健仁(浦和区選出)は、答申が受理された後の2018年6月定例会において、「浦和は『行政・政治の中心』というプライドを持っている。市長がそれと違うことをすれば、市民の先頭に立って行動する」と述べ[10]、市役所移転論議のプロセスで「合併協定書に定められた『幅広い市民の参加』を経ていない」などと批判した。青羽の指摘で、一旦は都市戦略本部長が「審議会のメンバーには市民公募によるメンバーが含まれている」と誤った答弁を行ったものの、実際の名簿にそうしたメンバーが含まれていないことをその場で青羽に指摘されて撤回し(公募自体実際に行われていない)、最終的に清水も「今後、市役所の移転先を決定し跡地利用に際しても、決定するまで『幅広い市民の意見』を聞く予定はない」ことを繰り返し答弁するなど混迷を深めた。続く予算委員会でも、旧浦和側の自民の市議が市庁舎移転に関する質問を清水に答弁することを求めたものの、清水はこれを無視する事実上の答弁拒否を行うなど対立が顕在化。清水や旧大宮側の市議としては、市長与党が力を持つこの機会に大宮側の積年の願望である市役所の移転を進めたいという姿勢を示し、この問題に関する住民投票の実施を求める旧浦和側(旧岩槻側も含む)の議員との対立が顕在化した。

2021年2月定例会での施政方針演説にて、清水は合併促進決議で「行政の中心」とされ、現行の都市計画マスタープランで「県及び市の行政施設の集積を生かす」と明記されている浦和駅周辺地区を突如「文教の拠点」と変更し、「合併協定書と本庁舎整備審議会の答申を尊重した」とした上で、「3市合併から30周年となる2031年を目途に、さいたま新都心バスターミナルほか街区へ市役所本庁舎の移転を目指す」と表明[2]。移転後の庁舎の活用については、浦和区役所およびさいたま市消防局の機能を残した上で、現庁舎の上層階などに文化芸術や教育・先進研究、市民交流の拠点を設置することを想定するとしていた[2]が、2021年10月にとりまとめ、同年12月に決定した「新庁舎整備等基本構想」では、現庁舎はほぼ解体撤去[注釈 9]した上で浦和区役所およびさいたま市消防局浦和消防署と文化芸術や教育・先進研究、市民交流の拠点を設置する複合庁舎を整備する方向に変更した。更に、「現在地での市役所本庁舎の建替は考えていない」と記載した。また、現在の市役所本庁舎の耐震補強に関しては、これまで「税法上2040年頃まで、建物の耐用年数として2070~2080年頃まで持つ」とされていた文言を「(庁舎の)耐震性・安全性を確保するためのもので、建物自体の耐用年数を延ばすものではない」と変更した。なお、この基本構想では審議会の答申のうち位置に関する「『さいたま新都心駅周辺(半径800m 圏内)』が最も望ましい」の文面のみを引用し、答申が面積に関する必要条件として提示した「新庁舎の規模については約40,000 m2必要」については引用を避けている[11]が、現在の市役所本庁舎の敷地面積34,000~38,000 m2[注釈 10]に対して、清水が移転を推進する「さいたま新都心バスターミナルほか街区」の敷地面積は15,000 m2であり、答申が示した40,000 m2の半分に満たなかった。そのため市の移転計画には現庁舎が保有している駐車場機能は盛り込まれておらず、市が示している市庁舎移転建設見込み費用にも駐車場の確保に要する費用は含まれていない。さらに、市当局は老朽化していく現在の市庁舎を使い続ける場合と移転した場合のコストを比較して移転が有利であると主張しているが、現在地での建て替えについてはコストの試算をしておらず、今後もあくまで答申で示された新都心周辺への移転が前提であるとして現在地建て替えとのコスト比較は行わない方針とした。

庁舎位置についての賛否

清水は市役所移転の根拠として「本市の未来を見据えて、合併協定書や審議会答申を踏まえて決定した」との答弁を繰り返し行い、なぜ「『行政の中心』である浦和駅周辺ではなく新都心地区がふさわしいのか」という点に関して具体的な説明を避け続けた他、十数回にわたる審議会の内浦和地区の代表者が欠席した単回の審議で「位置」が審議された審議会答申の妥当性については「『永らくのご議論を経たもの』であり、議論すべきでない」と主張した。旧大宮側で移転を主張する市長与党であるさいたま自民の市議団長である鶴崎は、「旧大宮の人たちの市長に対する信頼感は増した」と評し[12]移転後の現庁舎の跡地活用についても先に議論すべきだと主張する一方、旧浦和側で市長与党である民主改革(当時)の土井裕之(南区選出。2023年の市議選で落選)は、「市庁舎移転は、浦和のまちづくりのあり方も踏まえて考えるべきである」として、「もろ手を挙げて賛成とは言えない」と話した[12]。旧浦和側で移転反対を主張する共産の松村敏夫(緑区選出)は、移転に220億円に上る予算を要することや、移転先となる地区が旧三菱マテリアル総合研究所の跡地であり、予定地が(同社の廃棄物保管施設)に隣接していることによる安全性の懸念から反対を表明した。

なお、平成の大合併で誕生した他の自治体の例と比べ特異な点として、浦和の現庁舎は「さいたま市役所の位置に関する条例」では「仮庁舎」ではなく正式な「本庁舎」と定めており、合併協定書で「場所について検討する」とされている「将来の本庁舎」は、根拠となる条例の条文に明記されているものではなかった。庁舎の位置を変更する場合は、地方自治法第4条の規定により、議会において記名投票で出席議員の3分の2以上の議員の賛成(同意)を必要とする特別多数議決が求められており、反対(不同意)が上回れば移転することはできない状況にあった[注釈 11]

埼玉大学社会調査研究センターが2018年に実施した意識調査では、「本庁舎整備審議会の答申を前提とした上で、市庁舎を移転すべきか」との問いに対し、「さいたま新都心周辺地区に移転すべき」と答えたのは36%で、地域別では旧浦和の住民が16%、旧大宮が55%、旧与野は43%、旧岩槻は32%であった[13]。また、「浦和区から移転すべきではない」と答えたのは全体の34%で、旧浦和の住民は58%、旧大宮が13%、旧与野は19%、旧岩槻は25%[13]となっており、この時点で地域によって温度差が表れていた。

また、2021年5月23日投開票のさいたま市長選挙に際して産経新聞社などが実施した出口調査では、4選を果たした清水が掲げる市庁舎移転構想に対して、42.6%が「移転しなくて良い」と回答し、「移転すべきだ」の28.1%を大きく上回った。選挙中の自身の公約広報パンフレットでは市役所移転については一切触れていなかった清水に投票した人に限っても「移転しなくて良い」が37.9%を占め、「移転すべきだ」は30.7%に留まった。行政区別に見ると、「移転しなくて良い」が多かったのは浦和区 (68.9%) や桜区 (63.8%) で、旧浦和市域の緑区(55.0%)や南区(51.0%)でも過半数が「移転しなくて良い」を選択した。「移転すべきだ」が多かったのは中央区 (50.0%) や大宮区 (47.0%) であり、一方現庁舎にも移転候補地にも隣接しない岩槻区では「移転しなくて良い」(36.4%)が「移転すべきだ」(17.2%)の2倍を上回った。[14]

これらの背景を受けて、市長選後初の市議会となった2021年6月定例会では、自民や共産のみならず、市長与党であるさいたま自民(旧自民真政だが、2021年市長選の選挙対策のため一部浦和地域の議員が合流していた)や民主改革に所属する旧浦和側の議員からも市庁舎移転に関する質問が出されたが、清水は市役所本庁舎の移転を市の方針として一方的に市民に周知、説明することを主張[注釈 12][15]、2021年9月定例会では、市長与党の民主改革から改めて市役所移転反対の質問が出たり、旧浦和側で共産の鳥海敏行(浦和区選出。2023年に市議を退任)の市役所移転に関する質問に対し市長が回答を避けて副市長が答弁した事で、その姿勢が問われるなど浦和地域との対立が深まった。2021年以降清水は議会での移転の議決を経ない中で移転後の跡地活用に関するワークショップを開催するなど移転を前提とした浦和の街づくり計画を推進し、先述の通り出席議員の3分の2以上の議員の賛成を要する特別多数議決となるが故に議会で否決されるリスクがある市役所移転の条例改正案の提出を敢えて避け[注釈 13]、計画や建設にかかる予算審議のみで新市役所を建設し既成事実化しようとしていると旧浦和側の議員から非難を受けた。

さらに2021年12月定例会では、旧浦和側でさいたま自民(当時)の帆足和之(浦和区選出)が、自身の支持者約50人を傍聴席に陪席させて登壇し、議場で怒号も飛び交う中、「素案をまとめる前の段階で、住民に意見・要望のヒアリングもせず、市役所移転をさも決定事項のように周知していることに関して印象操作を行っている。市民をだますのが都市戦略本部の戦略なのか」と非難を行った。また、「行政機関に関連して事業を行う事業所も多い浦和区において、移転による経済的影響の試算も一切なされていないことや、素案ができた後になって自治連合会から反対の要望書が出ており、市民への周知が事前になされているとは言えない」こと、さらには「条例改定の特別議決に向けて、議員ポストを利用した議員の買収工作が進められている」ことを指摘し、「議員・会派同士の対立を強め、浦和と大宮の対立を再燃させるものである」と指摘した。その中で清水は答弁書を右に左にめくりつつ話しかけた答弁を中断して退席する様子が議事録で記録されている。この定例会では、旧大宮側で共産の神田義行(北区選出。2023年に市議を退任)も、「(パブリックコメントの募集を見ると、)もう決まったことに対して市民に説明するという内容で、市民の意見を聞いていないことに関して市はどう考えているのか」と質問し、清水は従前通り「パブリックコメントを行っている」などと言った答弁を行っている。一方、旧大宮側で反体制派であり市役所の大宮移転を強く主張してきた無所属(無所属・無党派)の吉田一郎(北区選出)は、市役所移転の基本計画の中に「(移転後の)現庁舎跡地を市の予算で利活用せず民間に売却してしまうよう明記すべきだ」、「3分の2以上の賛成を要する移転の特別議決が否決されたとしても、市役所の住所地に置かなければいけない機能の法律上の規定はないから、多数決で市役所建設の予算審議が通れば、新庁舎を移転予定地に建設して事実上市役所を移転した上で、市役所の法定所在地である浦和区の現在地には、倉庫の1つでも置けば良い」と主張し、手段や合法性はどうあれあくまで移転し浦和の庁舎用地を潰すことが先決であるという姿勢を示した。

この定例会では「市役所移転を白紙撤回し住民投票を行う請願」の審議が行われたが、島崎豊議長(当時。さいたま自民、桜区選出。2023年の市議選で落選)を除く59名の議員の内39名が反対(ないし賛成する会派の意向に反し退席)、20名が賛成(ないし反対する会派の意向に反し退席)しており、請願は多数決で否決されたものの、特別議決(3分の2以上)が求められる議案の可決に必要な議員数(さいたま市議会の場合は41名以上)が得られていないことも露呈した。そのような中で、2022年2月定例会で清水は当初予算案での市役所移転関連予算の上程や議会冒頭での移転特別議決の提出を見送った一方で、民主改革の西山幸代(大宮区選出)の代表質問に対し、「将来のさいたま市立美術館の建設場所として移転した市民会館おおみやの跡地が候補地の1つである」と答弁したが、これに対して大宮側で市役所移転派の鶴崎にも「浦和画家の伝統がある中で美術館を大宮に作るというのは、鉄道博物館を浦和や岩槻に作るようなもので、おかしいのではないか」と批判を受けるに至っている。

2021年2月に庁舎移転の意向を発表、5月の市長選挙後となる6月に移転関連の費用を計上した補正予算案を提出した清水のスケジュールに関しては、「市長選挙での市役所移転問題の争点化を避けるために意図的に遅らせた」との見方があるほか、その後のコロナ禍でタウンミーティングなども遅れる中、移転のスケジュールを変更せずに進めようとしたことに関しては、「2023年4月に予定されている次期市議選挙で必然的に争点化され、移転に有利な議会会派構成が崩れるのを恐れ、市議選挙から遠い時期に現在の会派構成で特別議決を得ようとしたのではないか」との見方もある。また、2021年11月には浦和区自治連合会から移転再考を求める要望書も提出され、各自治会への説明だけでも数か月を要する上、市長与党の会派からも旧浦和側選出の議員を中心に移転に反対する議員が出始めているために、根拠となる条例の改正議案の特別議決に関しても、「3分の2が得られるかどうかは流動化する」可能性が指摘された。[16]

2022年3月10日には、浦和区自治会連合会から提出されていた市役所本庁舎の移転再検討を求める請願の審議が市議会総合政策委員会において行われ、下記の「市庁舎移転計画に関して浦和区自治会連合会の意向を最大限尊重することを求める決議」(以下、文面抜粋)を議会に提出することで全会一致し、その代わりに請願を取り下げることとしており、移転再検討を求める請願を取り下げる一方で、事実上都市計画マスタープランなど上位計画と市役所移転との矛盾に対する説明を要求し、市当局が拒否してきた現地建て替えを含む比較検討並び移転建て替えに方針決定した理由の明確な説明などを求める内容となった。この決議案が、2022年2月定例会最終日の3月11日に提出され、吉田を除く全議員の賛成で議決されたことで、同定例会への位置条例の改正案の提出は見送られたが、実際には後述するように移転反対多数となった地域住民説明会を経て議会採決が行われ移転の決定に至った。

  1. 市庁舎移転計画については、令和3年2月に、市長から「合併30周年を目途に、さいたま新都心バスターミナルほか街区への移転を目指す」ことが表明され、同年12月には(中略)新庁舎整備等基本方針が策定されたところである。(中略)
  2. しかしながら、同年12月17日に、浦和区自治会連合会から「さいたま市庁舎移転計画の再検討を求める請願」が提出されたことからも、特に現庁舎地の近隣住民の十分な理解を得られているとは言い難い状況である。(中略)
  3. よって、市長においては、市庁舎移転計画については、浦和区自治会連合会の意向を尊重し、理解を深めながら進めていく必要があることから、以下の事項について、同連合会および周辺住民に対して丁寧な説明を継続的に行い、合意形成を図ることを強く求める。
  4. 市の様々な計画や構想との整合性及び移転建て替えに方針決定した理由並びに基本構想の内容を丁寧かつ明確に説明すること。
  5. 将来的にも県都として風格ある魅力的なまちとなるために、浦和全体の発展を考慮した「まちづくりビジョン」を策定するとともに、「アクションプラン」において、より具体化を図ること。
  6. 現庁舎地の利活用検討するに当たり、現地建て替えを含む課題の整理を行い公表するとともに、防災拠点機能を含む施設の具体的な方向性について、浦和区自治会連合会を始めとする周辺団体および住民の意見などを聴取の上、精力的に検討すること。
  7. まちづくりの体制については、浦和を含む都心の部局横断的な組織を創設し、アフターコロナを見据えた柔軟な計画体制を構築するとともに、市民参加の工夫を施し、将来にわたり魅力的なまちづくりを進めること。

2022年4月8日(オンライン)と10日、12日に市が市役所周辺住民を対象とした説明会を行ったところ、これまで以上の内容の説明がないことや質問時間が30分しか設けられていなかったこと、合併促進決議における旧市の役割分担に関しても「そういうご議論もあったが」として遵守を否定、「実際には跡地利用が決まるのが30年後である」、「議会で移転が否決されたとしても再度提出する」などの答弁で紛糾[17]。追加で質問、説明の機会を求める要求に対し、清水は「スケジュールが分からない」と答弁して一方的に終了し、市が説明会で行ったアンケートでは市役所移転に対して賛成16対反対58という結果であった[18]。しかし、最終説明会後の翌4月13日には市議会に対し、「4月内に特別議決を行う条例の改正案を市長提出議案として上程し、総合政策委員会に付託して審議される」と言うことを決定し、4月28日に条例の改正案を主な議案とする2022年4月臨時会を招集して、議案が審議されることとなった。

附帯決議と移転案の可決

臨時会当日の4月28日、午前10時に議会が開会されると、まず総合政策委員会に付託された後に本会議が開かれる方針であったが、旧大宮・与野市域の議員を中心としつつも2021年市長選対策の関連で浦和側の議員も参画しているさいたま自民は、会派として賛成か白票かしか認めず(浦和側の議員も含め)反対を認めない方針であったが、採決態度を巡って議論が膠着、総合政策委員会の開会が大幅に遅れ夜間にずれ込んだ。審議は深夜に及んだ末に、「将来的に、さいたま市役所の住所については、さいたま新都心にふさわしい住居表示の実施を検討すること」という付帯決議を加えることで総合政策委員会で原案可決した。これは住所が大宮区になることに反発する浦和側の議員を賛成に回すために設けられた決議であり、浦和側の議員の賛成が得られなければ移転案が可決しない状況で、移転推進派の議員が附帯決議に反対する大宮側の議員に反対ではなく退席するよう説得したことで可決された。附帯決議に反対する大宮側の議員を退席させつつもなお委員12名のうち賛成3名、反対3名、退席5名となる可否同数となり、委員長でさいたま自民の井原隆(旧与野側の中央区選出)の裁決により可決されたものだった。なお、これまで移転に反対を唱えていた自民の市議は、議員ポストによる買収なども指摘されていたが、委員会では一切発言をしないまま賛成票を投じた。続く本会議も引き続き深夜に開会され、記名投票(議長も表決に加わる)による採決の結果、賛成48名、反対9名、退席3名で出席議員の3分の2以上の議員の賛成を以って、市役所庁舎の移転が可決された[4]。だが、市長与党のさいたま自民から1名、これまで移転反対を唱えてきた野党でありながら、当日になり議案に賛成した自民から2名(いずれも旧浦和市域選出の議員)が退席し、移転反対を主張してさいたま自民から離脱して無所属となった帆足は信念を貫き反対し、野党系の無所属(無所属・無党派)は、旧大宮側の吉田が賛成、旧浦和側の川村準(南区選出)は反対と態度が二分した。

これを受け、埼玉新聞は「多くの市議は、『市庁舎移転問題が政局に変化した』と指摘し、『反対で頑張ってきた人(自民の議員)がはしごを外された』と証言する」と報じた。また東京新聞は、「付帯決議は浦和区の区民らの反発を和らげるため、賛成議員からも繰り返し提案される 『新庁舎の所在地を中央区に編入して、同地を飛び地(またはさいたま新都心の東側地区全域を境界変更させて編入)とする』案に配慮したもの。なお含みを持たせた政治決着には、『大宮区の区民の反発も予想され、玉虫色にしたことで火種は残るかもしれない』と危ぶむ議員もいる」と報じた。

関連項目

脚注

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注釈

  1. ^ 旧大宮市役所庁舎であった大宮区役所旧庁舎は1966年完成、2023年解体。旧与野市役所庁舎であった中央区役所庁舎は1968年完成。
  2. ^ 現在の本庁舎は、旧浦和市時代に埼玉県庁舎の建替構想が持ち上がった際、建替後の跡地に市役所を移転する構想もあったが、県庁の建替が行われなかったため実現には至らなかった。
  3. ^ 2000年に合併推進協議会(任意合併協議会)が新市の市名を公募し、その結果を踏まえ新市名検討委員会は公募1位の「埼玉市」、2位の「さいたま市」などを候補として答申した。
  4. ^ 当時の旧浦和市域の人口は48万人、旧大宮市域は45万人。2021年6月時点では旧浦和市域約58万人(選出市議は計26人)、旧大宮市域は約52万人(選出市議は計24人)とその人口差も徐々に開いており、2015年国勢調査でも夜間・昼間ともにさいたま市内で最も人口密度が高いのは旧浦和市域の浦和区である。
  5. ^ 合併時に旧大宮市は市名への「大宮市」採用とともに自身が新市の位置的中心となる上尾市、伊奈町を含めた4市1町合併を主張し協議会のボイコットなども行ったが、最終的に市域については上尾市での住民投票でさいたま市との合併が否決され、上尾抜きでは市域が連続しない伊奈町とともにさいたま市への合併はなくなった
  6. ^ 旧浦和側からは「市庁舎の移転は浦和が『行政の中心』と明記された合併促進決議に反する」との意見や、合併前に旧大宮市が構想していた大宮市役所の移転建替のためにプールしていた資金が、合併後に鉄道博物館の建設促進など大宮側の観光開発に使われてなくなったことなども、さいたま市の予算を用いての移転に強硬に反対する理由とされている。一方旧大宮側では、将来の大宮市役所の移転建替先用地として確保していた北区の旧富士重工工場跡地の大半が、初代さいたま市長(旧浦和市長)の相川宗一の在任時に民間等に売却されたことによって新市庁舎の建設候補地として使用できなくなったことに対する反感も根強いといわれる(現在は北区役所・プラザノース、ステラタウンなどが立地)。
  7. ^ 市議会の一般質問で、議員が合併協定書の文言の解釈について質問しても、清水は合併協定書の文言をそのまま朗読して答弁するなどしていた。
  8. ^ 通称は「自民真政」。その後、2021年の市長選挙を前にした自民党系会派の再編などで旧浦和側の一部議員も合流したため、現在はさいたま市議会自由民主党議員団(通称は「さいたま自民」)となる。
  9. ^ ただし、耐震補強工事中の浦和区役所の仮庁舎として使用した新しい第二別館は2016年、さいたま市危機管理センター等が入居する浦和消防署の司令センター棟は2017年に完成したため、解体は行われないものの危機管理センターが本庁舎の移転対象部署となるために、その利活用が移転後に検討される事となっている。
  10. ^ 本庁舎整備審議会に提出された政令指定都市各都市の本庁舎比較資料では現本庁舎の敷地面積は38,000 m2でこの時点で敷地面積は18市中3位の広さとされているが、「新庁舎整備等基本構想(素案)」では34,000 m2とされており出典により数字が変動している。
  11. ^ 大阪府和泉市は、住民投票において移転賛成が上回ったものの、市議会で条例改正できず現地建て替えとなった。
  12. ^ 旧浦和側でさいたま自民の石関洋臣(緑区選出)は、「審議会の答申は、議事録の中でも『あくまで理想論であり、土地取得の費用など現実面に関しては市と市民が別途判断するもの』と明記されているなか、これまでに市は民意を一度も聞いていない。『パブリックコメントの機会を設ける』といった答弁を期待しているのではなく、今後民意に賛否を問い反対が多かった場合に方針を変更する可能性はあるのか」と質問した。これに対し清水市長は、「パブリックコメントを求めるなど検討していきたい」、「市民からの意見についてはその内容に応じて対応を検討したい」、「まずは市の方針として移転を説明していく」、などと回答し、明確な返答を避けている。また、旧浦和側で自民の玉井哲夫(浦和区選出)は、「審議会での議論は自治会でも理事会でも報告がなされておらず、審議会での議論は自治連会長の個人の意見ではないか。市民の意見を集約できているか疑問である」と質問し、清水は「審議会の答申の正当性について議論すべきではない。市報による情報発信強化などで市の方針を説明する」として審議会答申の妥当性が議論されることに不快感を示している。
  13. ^ さいたま市議会では、議員60人中旧浦和市域選出の議員が最大多数の26人を占める。

出典

  1. ^ “さいたま市/(平成31年2月14日記者発表)さいたま市本庁舎耐震補強工事完了(予定)について”. www.city.saitama.jp. 2021年4月8日閲覧。
  2. ^ a b c “さいたま市 本庁舎を新都心へ移転 跡地に文化・教育拠点 「合併30年をめどに」”. 東京新聞 TOKYO Web. 2021年4月8日閲覧。
  3. ^ “さいたま市役所の本庁舎、浦和から新都心に移転へ…大宮出身の議員「市長への信頼感増した」”. 読売新聞オンライン (2021年2月3日). 2022年9月11日閲覧。
  4. ^ a b さいたま市役所の移転決定 浦和からさいたま新都心へ…2031年度をめど、新庁舎の移転整備を目指す - 埼玉新聞 (2022年4月30日) 、2022年9月11日閲覧。
  5. ^ 本庁舎耐震補強事業について (PDF) - さいたま市財政局財政部庁舎管理課
  6. ^ “さいたま市/さいたまWeb/「新市名称公募」結果のお知らせ”. www.city.saitama.jp. 2021年4月8日閲覧。
  7. ^ さいたまWeb/合併協議会だより2000年7月1日 vol.1(PDF版)4ページ 第1回合併協議会報告 (PDF) - さいたま市
  8. ^ “さいたま市/さいたまWeb/3.協議項目別協議内容及び結果-1”. www.city.saitama.jp. 2021年4月8日閲覧。
  9. ^ さいたま市都市計画マスタープラン 第2章 将来都市構想 (PDF) - さいたま市
  10. ^ “K-AOBA's VOICE for SAITAMA : 2018年09月”. blog.livedoor.jp. 2020年8月28日閲覧。
  11. ^ https://www.city.saitama.jp/006/007/002/019/p084200_d/fil/kihonnkousousoan.pdf
  12. ^ a b “さいたま市役所の本庁舎、浦和から新都心に移転へ…大宮出身の議員「市長への信頼感増した」 : 社会 : ニュース”. 読売新聞オンライン (2021年2月3日). 2021年4月8日閲覧。
  13. ^ a b “さいたま市役所の移転是非 旧大宮、浦和で違い明確…互いをライバル視、過去を引きずる?”. www.saitama-np.co.jp. 2021年5月29日閲覧。
  14. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2021年5月24日). “市庁舎移転、反対4割超 さいたま市長選出口調査”. 産経ニュース. 2021年5月29日閲覧。
  15. ^ https://saitama-city.stream.jfit.co.jp/?tpl=gikai_days_list&gikai_id=170
  16. ^ さいたま市庁舎整備、会派内で意見割れる 不安の声も 埼玉新聞2021年12月18日
  17. ^ さいたま市、新庁舎整備で説明会 浦和のまちづくりなど説明…住民らから多くの質問や意見、紛糾する場面も 埼玉新聞2022年4月12日
  18. ^ さいたま市庁舎移転 賛成16件、反対58件 埼玉新聞2022年4月22日

外部リンク

  • さいたま市役所 - さいたま市
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