茨木 清次郎(いばらき せいじろう、1876年(明治9年)8月19日[1] - 1955年(昭和30年)3月15日[2])は、日本の文部官僚。教育者。
経歴
石川県出身。1899年(明治32年)、東京帝国大学文科大学英文科を卒業[1]。翌年、第四高等学校教授となり、イギリス留学の後、1908年(明治41年)から文部省視学官・図書審査官となり、1913年(大正2年)からは督学官を務めた[1]。1917年(大正6年)、東京音楽学校校長となり、東京外国語学校校長、旧制松本高等学校校長、東京女子高等師範学校校長、旧制浦和高等学校校長を歴任した[3]。
栄典
- 位階
- 勲章等
親族
脚注
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版(上)』人事興信所、1939年。
関連文献
- 染村絢子 「茨木清次郎と英学」(『北陸英学史研究』第8輯、日本英学史学会北陸支部、1997年10月)
- 関田かをる 「茨木清次郎」(平川祐弘監修 『小泉八雲事典』 恒文社、2000年12月、(ISBN 4770410247))
外部リンク
- お茶の水女子大学デジタルアーカイブズ - 肖像写真などが閲覧できる。